ワールドメイトは、
深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、
深見東州先生は
半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。
先日、「対価(=労力・財物などを人に提供した報酬として受け取る財産上の利益)をもらう」ということに関して、面白い話を聞きました。ネット上で見かけた話なので、もちろん既にご自身でご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、こちらでも紹介してみたいと思います。
あるところに、イラストレーターの仕事をしている男性がいました。最近、その男性のクライアントの一人が、「実際に仕事をしているところを見たい」と言ってきたのだそうで、そこでそのイラストレーターの彼は、実際に仕事場にクライアントを招き入れて、自分が描いているところを見せたそうです。
すると、そのクライアントが、「こんなに簡単に描いているならもっと安い金額でいいよね」と言い出したということなのです。どのくらいの金額を希望しているのだろうかと思ってそのイラストレーターが尋ねたところ、「一枚につき2,000円で」と言うので、イラストレーターは、「その値段ではどこへ頼みに行っても引き受けてくれるプロはいないから、自分で描いたほうが早いですよ」と返事をしたのでした。すると、「俺は絵が描けないから」とクライアントが言い返します。イラストレーターの彼は、「今は描けなくても、絵は練習すれば描けるようになりますよ」と諭すように言葉を返しました。
すると、なんということか、そのクライアントがバカなことを言うなとでも言いたげな、あきれたような表情をしながら、次のように言い返したのでした。「描けるようになるまでにどれだけの時間と労力と金がかかると思っているんだ?」
以上のようなお話しを人づてに聞いたので、ご紹介してみました。
自分が玉串を納める時に、誰に対して何のためにその金銭を納めているのか、わかっていますか?その寄付玉串はどういう意味を持つお金なのか、ちゃんと理解できていますか?
寄付玉串は料金(=物品の使用や制度の利用などに対して払う金銭)ではないので、何かに対する対価として払うものではないのです。自分から喜んで納めさせていただく喜捨(=寺社や困っている人に、進んで金品を寄付すること)なのです。
(上記の話の引用元はこちらです→
http://line.udama.jp/archives/884 )
(つづく)
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