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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

4.霊とは何か?除霊とは何か? (1)

 霊とは肉体の内や外に存在すると考えられる精神的実体だと定義づけられています。人間とは肉体と霊とが一体となった存在であり、仮に霊が肉体から離れると、たとえ肉体が生命活動を行っていたにしろ、人間とは言わないのです。生物ではあるかもしれないが、それ以上の存在だとは言い難い、ということになります。そういうわけで、人間の人間たる所以(ゆえん)は霊にあると言っていいでしょう。

 人間として存在する所以とは何でしょうか。それは、想念を抱くことですね。念を抱くことが人間であることの証明になると言うことができるでしょう。しかし、想うという行為をなすのは人間だけではないようです。植物は植物なりに、動物は動物なりに、いろいろと意識があり、想うようですね。つまり、想念といっても、想念の中に、芸術観があり、学問観があり、信仰観があってこそ、初めて人間としての想念だと言えるようです。

 一言でいうなら、想いの中に文化があることが人間であることを証明する、ということでしょうか。

 この「文化」という高度な想いの部分こそが、実は神魂(しんこん)と言われるものであり、われわれ人間の中の神なる部分なのですね。人間の霊体の中に、神なる意識が存在しているわけです。

 それゆえ、芸術観もなく、学問観もなく、信仰観もない人間とは、一見見た目は同じ人間であるように見えますが、中身が少しも人間らしくない生き物、すなわち、人間の皮を被った獣であると言えるのではないでしょうか。ですから、こういう類の人間は、死後、必ず畜生道に落ちるのです。

 以上の内容を整理しますと、「人間の本質とは高級なる霊であり、人間であることを証明するのは、文化的な念を出すことができることだ」ということになります。

 ところで、霊と念とはある程度置き換えることができますよね。例えば、強い霊とは強い念を出すことができる霊であり、大いなる念で生きている人の霊体とは、大いなるものなのです。

 さて、この「念」とは、何かということを別の角度から言い直すなら、それは即ち「今、現在」の想いこそが念なのだ、ということですね。今、その人が出した想いこそがその人の今の念なのであって、したがって、今出した念こそが、その人が今置かれている霊界を表すものだと言えかえることができます。

 そして、念即ち霊だとするなら、つまり今現在の想いが霊の状態であると考えるなら、念の種類によって、霊を分類することも可能になりますね。例えば、たたり霊とは、「たたりをしてやるぞ」という念を抱いている霊だということになります。

(つづく)

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