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だまされて玉串を出した場合はどうなるのか、この点についても「神霊界」に説明がありますので、さらに続きをお借りしてみたいと思います。

引用ここから---------

 過去にどんな悪どい宗教団体や霊能者にだまされて、何百万、何千万のお金を出したことがあっても、そのときの気持ちが、「団体のためにした。霊能者先生にした」のであれば、ほとんどが己れの欲心からしたのであるから、ある程度、自分にも責任があったのである。

 ところが、そのときに神仏にさせていただく、神仏のために、是非、自分なりに精いっぱいさせていただきたいという純粋な気持ちでしたのならば、それは誠であり、神霊界では、黄金まばゆい天徳となっているのである。

 そのことは、守護神も守護霊もよくご存じのことであり、一時苦しくても、必ずや何らかのかたちで、その霊たちがその分返して下さるのである。だから、献金した後で、その団体がインチキであり、悪どいものであり、霊能者先生が大悪人であっても、決して悔やむことはないのである。守護神、守護霊および主神は、全てお見通しである。

 むしろ、その後そのことがわかって、「空しい、くやしい」と自分が感じたとき、自らの信仰が本当の神様や神霊世界に対するものではなく、組織や人を対象にした信仰であったという、浅はかさと至らなさを自覚し、反省すべきでありましょう。

引用ここまで----------

玉串を納める時の自分の腹の中がどうだったのか。どういう動機で自分がその玉串を納めたのか。こうした点が玉串の是非を決めるのですね。

要は「お蔭信仰」で納めた玉串は、ほとんどの場合、間違った納め方になってしまうということでありましょう。ですから、どういう考え方で信仰をするのか、結局はこの点にかかっているわけですね。

「何の努力や苦労もないまま、何も努力しないままで、1万円納めたものが10万円になって返ってくる」といった話はお蔭信仰そのものです。「ここにお参りするだけで何でも全部うまくいくらしいよ」という話はお蔭信仰そのものなのです。そういう話を信じて、自分の損得を計算して納得したあとで玉串を納めてもお蔭信仰でしかないから、だからあとになって裏切られたと感じてしまうのですね。

「神様の御用の役に立つならそれだけで十分だ」、「この物施と自分の誠にふさわしく徳が積めて、自分のカルマが解消していただけるなら、それで十分ありがたいことだ」といった姿勢で納めてこそ、玉串が5倍、10倍に輝く納め方なのではないでしょうか。そして、そういう姿勢で神様に向かった時にこそ、真実の神徳によって報われることになるのです。

(つづく)

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