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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

物施をする時、すなわち現金で御玉串を納める時には、その現金にこちらの正しい心が伴っていないと、本物の「玉串」にならないのです。

「神様にお捧げするお玉串を審神してみるとわかるのだが、『この程度の金を包んでおけばいいだろう』とか、『これだけ包むのだからちゃんと功徳も大きいんだろうな』とか、ひどいときには『どうせ金儲けなんだろ、つきあいで恵んでやろうか』といった気持ちが入っていたりする。残念なことだが、こういう物施はほとんど徳分にならないのである。

 そこには神様への真心と愛念がひとかけらも込められていないからだ。

 ~(中略)~

捧げさせていただくと考えなければならないのだ。功徳を積ませていただくのである。カルマを解消させていただくのである。」

と「絶対運」で書かれている通りなのです。

玉串料の金額を見てその金額を納めようという時に、「この玉串に私の真心を乗せて納めさせていただきますので、どうか神仏にわが誠を受け取っていただいて、功徳を積ませていただくことができますように、カルマを解消していただくことができますように。この玉串が神様の御用のお役に立ちますように」と心の底から思いながら納めるのか、それとも「この金額で一定量の功徳があるということだが本当だろうか。この金額を料金として払っておけば功徳があるというのなら、とりあえず払っておくか」と思いながらお金を出すのか、いずれになるのかでそのお金にこめられる誠の密度が全然違ってきてしまうのです。

誰に対して玉串を納めようとしているのか、誰が自分の玉串を受け取ることになると考えているのか、こうした点について考え方を間違っているなら、そのままでは本当の神仏からの恵みを受け取ることが難しくなってきます。

玉串料は料金ではなく、玉串とは人や団体に対して支払うものではないのです。神徳を授けてくれるのは人間ではなく、三次元の目には映らない神仏こそが神徳を現して下さるのです。

しかし、神仏の活動やその結果であるとも言える神徳・仏徳を真に取り次ぐことのできる取次者も、そこらにいくらでも転がっているわけではありません。大きな神霊になるほど、また繊細な神霊になるほど、正しく取り次ぐことに困難が伴うようになるからです。だから、妙なる取り次ぎを執り行ってくれる取次者についてもまた、神仏に準じる敬意をもって接していかねばならないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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