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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

証しがちゃんと出ない人、証しを体験できないという人にも、共通点があるかもしれません。

もう一度深見東州先生の「絶対運」を見ていただきたいと思います。

引用ここから--------------

 施すこと、布施をすることは耳新しいことではないと思うが、少々説明しておこう。

 体施とは、体を使って労働奉仕をすることである。たとえば上野公園の出入口や駅前の広場を、せっせと掃除をしてきれいにするとか、新宿の公衆便所を毎日毎日、きれいに磨きあげるといったことを、一年間とか二年間とかの期間中、続けて行うことである。

 隣の寝たきり老人の食事を作ったり下の世話を二、三年、無報酬で、しかも人に自慢することなく黙々と続けるのも体施であり、徳分が確実に積みあげられていく。

 しかし、仕事を持ち家庭もあったりすれば、そういう気持ちはあっても、実際にはなかなか体施などできないのが現実である。

 そんなときは、一番簡単な物施をやればいい。物施とは、お金や物品で施しをすることである。忙しくて身体を使った徳積みができない場合には、自分の収入の中から、お玉串とかお布施をするのがそれである。

 この物施は、体施よりも実行しやすいが、しかし、それほど徳分にならない場合がある。たとえば神様にお捧げするお玉串を審神してみるとわかるのだが、「この程度の金を包んでおけばいいだろう」とか、「これだけ包むのだからちゃんと功徳も大きいんだろうな」とか、ひどいときには「どうせ金儲けなんだろ、つきあいで恵んでやろうか」といった気持ちが入っていたりする。残念なことだが、こういう物施はほとんど徳分にならないのである。

 そこには神様への真心と愛念がひとかけらも込められていないからだ。

 布施ということばに象徴される神仏に対するあり方を理解できないからだろうが、神仏や相手に恵んでやるという気持ちがあるとき、もはや布施ではなくなる。そうではなくて、捧げさせていただくと考えなければならないのだ。

 功徳を積ませていただくのである。

 カルマを解消させていただくのである。

 恵んでやるという態度と徳を積ませていただくという姿勢とでは雲泥の差がある。

引用ここまで----------------(深見東州著、「絶対運」から)

自分の抱えている劫と同じくらいの徳を積極的に積むこと、これがより前向きな劫祓いの方法です。より自分から能動的に自分の運命に働きかけようとする姿勢だと言えるでしょう。

不運を不運だとしてとらえている限り、自分が苦しんで劫をあがなうという消極的な姿勢にとどまることになります。しかし、不運に甘んじることなく、自分から積極的に徳分を積むことでカルマをより早く解消していこうという考え方、この「徳積みをさせていただく」という生き方ができるようになると、段々とカルマが解消されていくのが実感できるようになります。そして、ある一定量を超えたところからは、福徳というおつりをいただけるようになるのです。

徳分を積むには、三つのやり方があるのですが、その三つである「体施・物施・法施」の中で、正しいやり方で行った時に最も容易なのは物施です。

ところがその物施をする時に、正しくお祈りができていないために物施の徳を積むことがうまくいかず、その結果証しが出ないのではないでしょうか。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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