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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

イラクがクウェートに侵攻したことで始まった湾岸戦争の直接の原因は、イラン・イラク戦争にあったと言われているようです。

イランで起きた革命が中東の他の地域に輸出されることがないよう、イランを抑えるために戦ったのだ、というのがフセインの言い分でした。

クウェートは、もともとイラクの領域も含めてオスマン帝国の領土に含まれていたのですが、1899(明治32)年にクウェート地域を治めていた総督が自らイギリスに下り、イギリスの保護領になることでったことで後に国として成立した、という経緯があったのです。したがってイラクは共和制になって以降、クウェートに対する主権を何度か主張していたのです。

イラク→https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF/@33.2053979,41.4415209,7z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x1557823d54f54a11:0x6da561bba2061602?hl=ja

イラン・イラク戦争後、アラブ諸国の原油の生産量については、OPECでの話し合いによって価格維持の目的で各国に一定量が割り当てられていましたが、サウジアラビアやクウェートはその割当量を無視して大量に原油を採掘し、その結果原油価格が値崩れを起こしてしまいます。原油を輸出して外貨を獲得し国内経済をやりくりしていたイラク経済は行き詰まってしまったのです。

1990(平成2)年7月17日、イラク革命記念日での演説においてフセインは、「クウェートが割当量を尊重しない場合は、軍事的手段を取る」とクウェートを非難しています。

クウェート→https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%88/@29.3141038,46.9313166,9z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x3fc5363fbeea51a1:0x74726bcd92d8edd2?hl=ja

サウジアラビア→https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%93%E3%82%A2/@24.2109356,40.6146978,6z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x15e7b33fe7952a41:0x5960504bc21ab69b?hl=ja

クウェートのブルガン油田では、アメリカのメロン財閥が保有するガルフ石油とイギリスのアングロ・ペルシャ石油による合弁会社「クウェート石油」が生産を開始しますが、1975年にこの会社は国有化されます。クウェートでは石油が主要産業であり、世界第4位の埋蔵量があります(そのため、レンティア国家の一つに数えられる)。原油による豊富なオイルマネーによって、産業基盤の整備や福祉・教育制度の充実を図っており、ほとんどの国民は国家公務員・国営企業の社員として働いている、こういう国がクウェートです。

イラクとクウェートの間では、ルマイラ油田の盗掘、原油採掘の割当量違反、軍事拠点の件などを巡って非難合戦が続き、エジプトが仲介に入るのですがイラクが受け入れず、イラクが頼みにしていたアメリカも不介入の方針を打ち出したことが最終的なきっかけとなって、1990(平成2)年8月2日現地時間午前2時、イラク軍がクウェートに侵攻して湾岸戦争が始まったのです。

イランとイラクが戦った時には、欧米諸国はイラクが革命の防波堤となってくれることを期待してイラクを支援しました。しかしクウェート侵攻に際しては、多国籍軍を組織してイラクを撃退することになります。

イラクのクウェート侵攻後、サウジアラビアはアメリカに助けを求めます。そこでアメリカは「砂漠の嵐作戦」を発動し、サウジアラビアに軍を展開させるのです。

サウジアラビアは、石油生産のおかげで貧困にあえいでいたのが豊かな国に生まれ変わったのですが、この国で初めての油田を発見したのがアメリカの石油会社で、「アラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー」を設立して石油を採掘してきた、こうした経緯があるため、親米国家となったのです。

しかしサウジアラビアにはメッカとメディナというイスラム教の聖地があります。この、イスラム教の聖地があるところに異教徒の軍隊が駐留したのです。敬虔なイスラム教徒たちは強く反発します。その中には、かのオサマ・ビンラディンもいましたが、彼はサウジアラビア国王を激しく非難し国外追放となるのです。

サウジアラビアは、アメリカ軍と親密な関係を持っており、アメリカ中央軍第3軍の部隊駐留を認めています。また、キング・ハリド軍事都市など国内に複数の米軍基地が配置されています。

(つづく)

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