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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

かのフセインが大統領をしていた国といえば「イラク」なのですが、そのイラクはイランの西側に位置する国ですね。

https://www.google.co.jp/maps/place/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%AF/@33.2053979,41.4415209,7z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x1557823d54f54a11:0x6da561bba2061602?hl=ja

現在、内戦が起きている「シリア」の東側に位置している国です。

このイラクも、シーア派(イスラム教徒全体の15%程度を占める)の人口が多い国です。

それでは「イラン・イラク戦争」はどうして起きたのでしょうか。原因としては、少なくとも二つの理由があるようです。ひとつは、両国間で国境を巡る問題が長い間くすぶってきたことが挙げられます。チグリス川とユーフラテス川は合流した後、シャットゥルアラブ川となってイランとイラクの国境地帯を流れ、ペルシャ湾に注いでいます。この国境地帯の領土問題と航行権問題、この二つの問題で両国は長きにわたって対立していたのです。

もうひとつの理由としては、隣国で起きた「イラン革命」を挙げることができます。この革命が契機となったのです。イラン革命の余波が自らの国に及んで、自分達の政権が打ち倒されるのではないかと恐れたイラクのフセイン大統領がイランを奇襲してこの戦争が始まったのでした。イラン革命自体は、もともとパーレビ国王の独裁体制に反対する勢力によって起こされた「民主化運動」だったのです。結局イランで政権を勝ち取ったのはホメイニ師が率いていたイスラム原理主義勢力だったのですが、彼らはシーア派だったのです。そして今度はイラクはというと、イラク国内ではシーア派とスンニ派の比率が逆転しており、イスラム教徒全体ではスンニ派が多数を占めるものの、イラク国内ではスンニ派は少数派だったのです。そしてフセインは、このイラク国内では少数派となるスンニ派に属していたのです。そこで彼は、シーア派によるイスラム革命がイラクにも飛び火するのではないかと恐れたのです。

イランでのイスラム革命は、1979(昭和54)年2月に反体制側が権力を掌握し、同年4月1日、イラン・イスラム共和国の樹立が宣言されて成就します。そして、革命の混乱からイランが完全にまだ脱していない1980(昭和55)年9月22日、この日の未明に、イラク軍が全面攻撃を開始し、戦争状態に突入したのです。

周囲のアラブ諸国はイラン革命が輸出されるのを嫌がり、イラクがイランを攻めるのを黙認します。親米だったイランのパーレビ国王がイランから逃げ出してアメリカに亡命していたのですが、この国王の引き渡しを求めて前の年、1979年の11月にアメリカ大使館人質事件が起きたことから、アメリカはイランとの国交を断絶しており、イラクがイランに攻め込んだことをひそかに支持します。イランはイラクに攻め込まれたことがきっかけとなって国内はまとまったのでした。

イラン・イラク両国の戦争状態は紆余曲折を経て1988年8月まで続き、8月20日に停戦が発効し、ようやくこの戦争は終わったのです。

(つづく)

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