ワンクリック、プリーズね!


最新トラックバック


プロフィール

ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


最新記事


最新コメント


カテゴリ


月別アーカイブ


FC2カウンター


カレンダー

04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -

ブロとも一覧


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

中東問題の根本的な原因を作り出したのはイギリスです。

19世紀(1801年~1900年の期間)は、帝国主義・植民地主義の時代でした。

19世紀には、例えば日本では、1867年(慶応3年)に大政奉還、王政復古の大号令がありそして翌年に明治改元が行われ、明治元年旧9月8日を1868年10月23日とするといったことがありました。イギリスは1840年に清国との間で阿片戦争を起こし、中国大陸への侵略を始めています(このイギリスの振る舞いが日本を刺激し明治維新につながる)。ロシアは1853年にクリミア戦争で、フランス、イギリス、オスマン帝国などと戦っています。

エルサレムとその周囲のパレスチナは当時、オスマン帝国が支配していました。オスマン帝国は、1453年、東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(今のイスタンブール)を自分たちの国の首都としました(日本では1467年に応仁の乱が京都で起きている)。オスマン帝国の支配層はトルコ人であり、イスラム教徒だったのですが、その版図は広大で、各地に様々な民族と宗教を抱えたため、イスラム教の信仰が強制されたわけではなかったようです。

イギリスは第一次世界大戦(1914年~1918年)でオスマン帝国と戦います。イギリスが支配していた植民地とイギリス本土を結ぶ位置にパレスチナがあったため、どうしてもイギリスはパレスチナを支配下に置きたかったのでした。

そこでイギリスは、オスマン帝国を倒すために、オスマン帝国を敵視する可能性がある勢力をすべて利用する、という方法に訴えることになります。それはイギリスの「三者を騙す外交交渉」とでも言うべきものでした。

その三者とは、1.オスマン帝国内のアラブ人たち、2.フランス、3.ユダヤ人、でした。

イギリスは、オスマン帝国内のアラブ人と「フサイン=マクマホン協定」を結び、オスマン帝国に対する反乱を行えばアラブ人の独立を支援すると合意します。しかし同時にフランス、ロシアと、1916年のサイクス・ピコ協定でアラブ人の土地も含むオスマン帝国領を三分割する密約を交わしていたのです。さらに、1917年にはイギリスはライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に対して、パレスチナでのユダヤ人居住地(ユダヤ人民族郷土)建設の約束(バルフォア宣言)を交わしたのです。

その結果、第一次世界大戦の後、パレスチナはイギリスのものとなりますが(パレスチナをイギリスの委任統治領とした)、そこに、世界中からユダヤ人が集まってくることになったのです。こうしてアラブ人とユダヤ人との間でトラブルが起きるようになります。

その後、第二次世界大戦を経て、イギリスは、1947(昭和22)年に「パレスチナの委任統治を終了する」と発表し、パレスチナの取り扱いを国連に任せることにしたのです。

このとき以来、パレスチナの地ではずっと紛争が続いているというわけなのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング
スポンサーサイト

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 バルフォア宣言

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


 | ホーム | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。