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Author:ノリコ
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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

神仏について、科学でその存在の証明をすることはできないでしょうし、存在を否定することもできないということでしたね。

でも、科学で証明できないものは信じないので、という人は案外多いのではないでしょうか。まあ言ってみれば「科学」という新興宗教を妄信、盲信しているのと同じです。

科学的に科学が語られるようになる以前に、法隆寺も東大寺も建立されて、今日まで信仰が続いているわけですし、科学が科学的に語られるようになる以前から太陽やその他の天体は地球とともに存在していて、地動説がどうやらより実情に即しているらしいと人々の認識が改まるまでは、誰もが皆、地球が宇宙の中心に位置していて、太陽もその他の天体も、地球を中心にして地球の周りを回っていると信じていたのです。それは、おそらく、そのように教わっていたからです。

自分が確実に分かることというのは、自分で自分のことを叩いたりつねったりしたら痛く感じる、ということぐらいで、お腹が空いたとか眠たいのかどうかといったことすら、最近ではよく分からなくなることも多いですからね。

ですから、「神様のことは分かってからなら信じることができる」という考え方というか神様への向かい方というのはあり得ないわけです。たぶん永遠に分からないままなのです。

それなのに、時々、本当に神様が実在することを実感できるのがワールドメイトであって、その実在する神仏を取り次いで下さるのが深見東州先生なのですから、いかに尊く有り難いことかということなのですけど。

とにかく、神様のことが証明されたらちゃんと学びたい、とか言う人は、要するに神様のことが好きではない人なのです。好きでない人に向かって、「興味を持って」ともちかけてみても、なかなか難しい面がありますよね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトは「他力」を敬い、「他力」を動かすことを大切にする団体であり、この「他力」に導かれて「自力」も成長させていく、この考え方を活動の基本にすえています。

自力でやっているつもりでも他力に助けられているものであり、他力かと思ってもまず自力で努力しないと他力の助けもやってこないのです。

そうは言っても、まず他力をもたらす存在を敬い、理解していただいて、受け入れていただいて、動いていただいて、守護・導きをいただく、これがワールドメイトの活動の根本にある考え方です。

他力とは、神様であり仏様であり、守護霊達のことです。また、肉体を持っているこの世の人達、自分を助けてくれる友人や知人のことも含みます。

想念術はワールドメイトにはなじまないものです。ワールドメイトでは想念術を実践することはありません。というのも、想念術では、決して他力を動かすことはできないからです。想念術の世界にとどまる限り、決して他力、すなわち神様や仏様に動いていただくことは不可能なのです。想念術の考え方は、宇宙根源の神に始まって八百萬の神々様を敬うワールドメイトの活動とは、基本的な部分で相容れないものなのです。

そしてまた、想念術で発揮されるのは、我力であってその我力から来る念力です。念力が強ければそれだけ霊力も強くなりますが、それは霊力であって神霊力ではありません。我力にのみ意識が集中し、すべて我力によって成し遂げられたのだと「勘違い」してしまう想念術の世界には、愛情と感謝が欠落しているのです。自分が努力する姿を見て、守護霊団が援助してくれて、またこの世においても友人・知人が助けてくれることになって、結果として物事が成就したり成功したりしたのに、それをすべて自力だけで成し遂げ、自分が思い描いたからだと思い込んでしまうのです。こうして愛情と感謝が足りないまま、どんどん傲慢になっていく人が、想念術に熱心な人には多く見受けられるようです。

何をする時にも、まず他力を尊び、神仏と守護霊団に感謝することから始める信仰者としてのあり方にはほど遠いのが、想念術を駆使する姿であると言えるでしょう。

したがって、ワールドメイトの会員が想念術に凝るということは、あり得ないのです。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

結局のところどう祈ればいいのでしょうか。

執着の無い、執念でないお祈りを捧げること。また、祈る先とは神仏であって、深見東州先生ではないということ。この2点を確実に押さえたお祈りをすればいいわけです。

一番のキーワードは、「本日のこの集まりがよき御神業となりますように」というものです。自分の執念執着を捨て去って、明るい祈りに徹するためには必須のキーワードです。

次に大切なことは、参加者全員、申込者全員のことを祈りに入れるということです。自分のことではなく、参加した皆さんのことを祈るのです。皆がお互いにこのように祈るなら、全員にあまねく神徳が行き渡るのです。

そして、もう一つ理解しておかなければならないのは、「深見先生にどうしても~~して欲しい」とどんなに願望を向けても、絶対に深見先生はそのようにはなさらないということです。なぜなら、どんな時も、深見先生は神様のおっしゃる通りにしかなさらないので、「先生がこうしてくれたらいいのに」といった種類の想いを向けると、だいたいその正反対のことが起きるか、あるいは何も起きないか、という結末になるのです。ですから、「どうしても今日しか衛星放送に参加できない、だから深見先生、出てきて~~~~~~~~~~」という想いを出すと、10回中10回、出てこない、始まらない、ということになるようです。「自分の想いや願いを神様を経由しないで他人にぶつけることは我執でしかない」のだということを理解することが必要なのです。

ですから、願いがあればあるほど、想いが積もれば積もるほど、神様に語りかけて、神様に対して祈りを積み重ねて、最後には必ず、「いろいろと申し上げましたが、すべて神様の御心にお任せいたしますので、一切が善となりますように」と締めくくることが大切になってくるのです。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

神仏に祈りを届ける時に鍵となるのが、「執念・執着」なのですよ、ということを前回に申し上げたのですが、どういうことかというと、

執念・執着に満ち満ちた祈りだと神様に通りにくい、神仏がなかなか聞き届けてくれない、ということが言いたかったわけです。ですから、入門篇を受講して一通り要点を勉強するのですね。

そして、衛星中継に参加する時にもう一つ理解しておかなければならないことは、深見東州先生は仲取り持ちなのだ、ということです。

深見東州先生は「お取り次ぎ者」の立場にある方なので、つまり、仲取り持ち=仲介者なので、深見東州先生に対して想いを向けても、皆さんの願い事がかなうといったことは起きないのです。深見先生に向けて自分の願望をぶちまけても、神徳が増えたり、神様がいっそう派手に降臨したり、神様がこちらの願いを聞いてくれるといったことは起きないのです。

皆さんが祈りを向けなければならない相手とは神様仏様なのです。

そして、先に、神仏が同調しやすい祈りの内容を説明しておいたのですが、自分の欲・我執に満ちた祈りを神仏に向けても、なかなかそれを聞き届けてくれるということは、正神界の神々、正神界の仏様の場合には、なかなか起きないことなのです。

ですので、「どうか深見先生に出てきて欲しい」、「どうか深見先生のお取り次ぎをしっかりと体験することができますように」、「絶対に今回の衛星中継で証しをもらいたい」、「どうか今回の秘法会に参加することで自分の望みをかなえて欲しい」といった想いで衛星中継に望むと、実は深見東州先生のお取り次ぎの邪魔になることはあっても、あるいは神仏の功徳を遠ざける効果はあっても、逆にすぐに神仏がやってきて大いなる功徳を現すということにはなかなかなりそうもない、ということなのです。

それなら、結局のところどう祈ればいいのでしょうか。

(つづく)

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今現在会員でいらっしゃる方は、友人・知人から紹介されて、あるいは書店などで深見東州先生の著作に出会って、ワールドメイトを知って入会されたという感じでしょうか。

ワールドメイトで会員として学びを深めていく際に一番大切なのは、神仏に動いていただいて、守護をし続けていただくことです。

それでは、どのようにすれば神仏からずっと守っていただける自分であり続けることができるのでしょうか。

それは、人として成長し続け、自分を向上させ続け、その結果人様の役に立つことを為して、社会の役に立つことを為して、結果としての内なる徳積み、外への徳積みを続けていく、こういう自分でいること。内修と外慈を貫いて、学び続け徳を積み続けていく、これを死ぬまでやり抜く自分でいること。こういう自分であれば、それは神なる存在、仏なる存在と同じ志を持つわけで、したがって、永遠の守護が約束されることになるのです。

神々様、仏様達と同じ想いを抱いて、同じ過ごし方でその時々を過ごすなら、当然神仏と同じ生き方となるので、神仏から守護が得られるわけです。

ところで、我見、我執、執念、執着、妄執といった言葉があります。

我見とは、「ひとりよがりの、狭く偏った考え」です。我見は、我執と同じ意味で使用されることもあるのですが、それでは我執とは何でしょうか。我執とは、「自分だけの狭い考えにとらわれ、そこから離れられないこと。また、その狭い考え」のことです。要するに我見とか我執とは何かというと、例えば「自分一人だけが自分の意見にこだわって身動きが取れなくなっている状態」といった感じでしょうか。まあ、ひとりよがり、という言葉を言い換えているだけですけど。自分なりのものの見方にとらわれているわけですね。

執念とは何でしょうか。執念とは、「一つのことに深くとらわれて、そこから動かない心」ということです。この言葉も、自分の考え・主張・意見にとらわれてしまって動けなくなっている状態を表す場合があります。

執着とは、「ある物事に心が深くとらわれて離れないこと」ですね。

妄執とは、「仏教で、心の迷いから物事に深く執着すること。迷妄から生じる執念」とあります。

要するに、ここに今挙げた言葉は、いずれも心がとらわれてしまって身動きが取れない状態を表す言葉なのです。

そして、神仏に祈りを届ける時に鍵となるのが、この「執念・執着」なのです。

(つづく)

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ワールドメイトは「他力」を敬い、「他力」を動かすことを大切にする団体であり、この「他力」に導かれて「自力」も成長させていく、こういう考え方がその活動の基本にあるということは前回でも書きました。

自力でやっているつもりでも他力に助けられているものであり、他力かと思ってもまず自力で努力しないと他力の助けもやってこないのです。

そうは言っても、まず他力をもたらす存在を敬い、理解していただいて、受け入れていただいて、動いていただいて、守護・導きをいただく、これがワールドメイトの活動の根本にある考え方です。

他力ということで一番身近な存在が守護霊様ですね。何しろ普通の人ならまず間違いなく自分と血のつながった先祖の中で、あの世での位が高い方が務めて下さっているはずなのです。

守護霊が交代したといっても、本人が御魂を発動させて、具体的な努力にとりかからなければ手助けをしてはいけない約束になっていますから、とにかく守護霊交代を受けた人は、ぜひ新しい目標を立てて、勉強や仕事、お稽古ごとやご奉仕の予定を具体的に立てましょう。そして、計画倒れにならないよう、今すぐ、今日から、その勉強や仕事にとりかかるのです。そして何にどのように取り組んだのか、必ず記録を取っておくこと。この記録や、自分の目標や進捗状況に応じてどんどんお祈りに入れていくのです。

そうすると、やる気とひらめきがどんどん湧き上がってくる感じになりますから、それをまたメモしておいて、着々と黙って実行していきます。自分の中のひらめきや、何を自分が祈ったかといったことは他人にいちいち言うことではありません。話すと離れますから、邪魔が入るのです。
明るく楽しく前向きで発展的で自分や物事の改善・向上につながるひらめきこそが守護霊さんからの正しい導きです。思いつきに歪みが伴ったり、誰かを犠牲にしたり、良識に則っていないものは守護霊さんからのひらめきではないはずです。

神様に発願してどんどん実行していけば、当然ですけど、必ず実を結ぶ時がやってきますよ。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトは「他力」を敬い、「他力」を動かすことを大切にする団体であり、この「他力」に導かれて「自力」も成長させていく、こういう考え方がその活動の基本にあるということは前回でも書きました。

自力でやっているつもりでも他力に助けられているものであり、他力かと思ってもまず自力で努力しないと他力の助けもやってこないのです。

そうは言っても、まず他力をもたらす存在を敬い、理解していただいて、受け入れていただいて、動いていただいて、守護・導きをいただく、これがワールドメイトの活動の根本にある考え方です。

占いは良し悪しだけに関してはすぐに結論のようなものを出してくることはできるのですが、それではなぜそうなるのか、その点についての理解と説明が浅すぎるのです。「裏が無い」からうらないなのです。表面的・一面的にしか物事を見ていない、ということなのです。

もっと具体的に言うなら、なぜ自分がそんなふうに運が悪く生まれてきたのか、あるいは何故自分が理屈抜きに神様事が好きなのか、運が良いことや運の悪さをどのように受け止めればいいのか、全く占いでは説明できないし、そういう解説をすることができる占い師もほとんどいないはずです。

運が良く生まれたのも、運が悪く生まれたのも、すべて理由があるわけです。その理由とは「因果の法則」であり、自分自身が前世、二つ前の前世、三つ前の前世……、で積み重ねた徳分と劫とが、それぞれ、今世の喜び・楽しみと苦しみ・悲しみの源になっているわけです。そして、「」相応の理」という法則があって、自分が為した事柄にふさわしく、自分の今世持てる運命にぴったりと合う天の時、すなわちそういう星の配置の時に生まれてくる、自分の命運にふさわしい家に生まれてくる、こういう理屈になっているのです。もちろん自分の生まれた家にも、徳と劫が備わっており、自分が生まれた家こそが、自分の徳と劫に見合ったものなのだということを理解して受け入れることが大切なのです。

占いは診断するだけです。横から見ているだけで何も解決策をもたらさないのです。なぜなら、自分がそういう天の時に、そういう家に生まれたことの意味を、事実以上に掘り下げて理解し咀嚼することができないからです。自分がそのように生まれてきた奥には、因果の法則があるということを理解することが大事なのです。

相応の理、善因善果、悪因悪果、こうした法則の下に生まれ変わってきているからこそ、今、自分がそのような運命を持つことになっているのだと理解しなければいけません。そしてさらには、これもほとんどの占い師が説明することができない点なのですが、徳を積み、劫祓いをすることで運命を改善していくことができるということ、この点をしっかりと理解することが肝心なのです。運命とは固定されたものではなく、良き想いを持ち続け、同時に自分を磨き続け、人を助け続けることで必ず改善されるのです。親が徳分を積めば、その子が幸せを得ることができ、その子がさらに徳を積めば、その孫が喜び事で満たされることになるのです。

今得ている徳を、自分を磨き、人を助けるために活用するなら、その徳は倍々ゲームのように結局は自分に還ってくることになり、それによって家族・一族をことごとく繁栄に導くこともできるのです。

ところがそのような法則と運命の改善法があることを知らず、実践したこともない占い師がほとんどであり、そのような法則を説く占いもまず無いというのが実情です。

だから、どんなに占いで観てもらっても、何も現状を改善することはできないのです。

例えば占いの見料に5,000円出すくらいなら、箱根神社に参拝して発願し努力を積み重ねて、具体的に成果を紡ぎ出そうとするほうにそのお金を費やしたほうがよほど生き金になるというものです。

運命の奥にある法則を知らない占い師に観てもらっても何の意味もない、占いの結論を、神様に祈り向かうきっかけとして応用しないままでは、何の意味も持たないのです。

占いの結果を聞いて、それに一喜一憂しているだけでは、全く信仰になっていないのです。神様に動いていただくことに全くつながっていかないのです。

だから、占いはダメなのです。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトは宗教法人なのですが、真・善・美のそれぞれが、神の現れ、三つの局面だということなのですね。この三つを考えた時に、美(芸術)が一番神に近い。二番目は善(福祉、教育、スポーツ)。真理は三番目だということなのです。

真理とは何かというと、要するに普遍性のことなのです。全てに当てはまるものを大道(だいどう)と呼び、全てに当てはまるものが何を備えているかというと、普遍性が必ず見出せるということなのです。

優先順位は、美、善、真という順番になります。

それから、ワールドメイトは「他力」を敬い、「他力」を動かすことを大切にする団体であり、この「他力」に導かれて「自力」も成長させていく、こういう考え方がその活動の基本にあるのです。

自力でやっているつもりでも他力に助けられているものであり、他力かと思ってもまず自力で努力しないと他力の助けもやってこないのです。

そうは言っても、まず他力をもたらす存在を敬い、理解していただいて、受け入れていただいて、動いていただいて、守護・導きをいただく、これがワールドメイトの活動の根本にある考え方です。

幸運・不運は、生まれた時にその8割は決まっている(国籍、性別、生まれた時代、生まれた家などの環境のこと)のですが、残り2割はいくらでも改善できるのです。どうやって改善するのかというと、善徳を積むこと・善根を為すこと、これによって得られなかったものが得られるようになり、不可能だったことが可能となるのです。実際にそうしたことが本当に起きるのですが、徳を粘り強く積んでいくと、必ずこの変化が起きるようになってきます。

幸・不幸は、結局のところ前世に自分が積んだ徳と劫、自分が生まれてきた生家の徳と劫、そして今世自分が積んできた徳と劫、この三つの範囲の徳と劫によって決まります。

ところが、こうした因果の法則を正しく知って、今の喜びと苦しみの原因がどこにあるのか、どのように対処しどのような改善策を採れば自分の運命を好転させられるのか、正しく宗教的な助言ができる占い師というのはほとんど見当たらないわけです。

それどころか、占いの技術もロクに磨いていないということも珍しくないそうです。

聞くところでは、専業でやっている人ほど、知識に貧しく技術が足りないようです。というのも、占い師を専業でやっても食っていくのにカツカツで、勉強するほうにまで費用を回す余裕がないというのがその理由の一つだそうです。

(つづく)

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619の続きです。寄付玉串とは料金ではありません。ですから、納める時の境地が非常に大切です。どういう心持ちでお金を扱っているのか、この点がとても大切になります。それでは玉串料・供養料の金額を決める時の目安というものはあるのでしょうか。

深見東州先生の「神霊界」には以下のように記されています。

以下引用。

「一般に、神社、仏閣や宗教団体などで、玉串料や供養料、献金を行う場合、どれくらいが適当であるかについて述べてみたい。ひと言でいえば、自分なりに『ちょっと痛いな』と感じるぐらいが適切なのである。楽すぎても、苦しすぎてもよくないのである」

「要は、いかに誠がこもるために、自分自身が真剣になれるかである。だから、『ちょっと痛い』ぐらいが適切なのである。」

「かつて、私が、ワールド・チャリティー・ファンドをつくって、チャリティ講演会をしたとき、御玉串料に一円玉が一枚ポッキリ入っていたことがある。本人にとってみれば、ジョークのつもりであろうが、その一円玉に残る気を審神してみたら、

『何をいっているのだ。気持ちさえあれば、一円だってないよりはましなのだ。気持ちなのだ。ゼロよりは一円のほうがいい。一円でもあるほうがいいと思うがいい』

というものであった。

これに対し、黄金まばゆい三千五百円があった。そのお金に残る気は、

『今、財布には四千円しか残っていないが、電車代とバス代を残せば、三千五百円を献金できる。これをさせていただこう。役立てていただこう。神様に……』

というものであった。一万円札もあった中で、この三千五百円が最高であり、一円玉を出した人の五万円ぐらいの値打ちに匹敵していたのである。」

引用おわり。

このように前向きに真心がこもる金額を無理なく出せばいいわけですね。これは人によって当然尺度が違いますし、だからこそ出せる金額も違ってきます。ですから他人と比較する必要はないのです。また、自分の真心の極まり次第で、その値打ちを五倍、十倍にすることができるのです。神様に向けて祈りを捧げながら納めることで、結局は何倍にもなって自分に返ってくることにもなるのです。

(つづく)

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寄付玉串とは料金ではありません。ですから、納める時の境地が非常に大切です。どういう心持ちでお金を扱っているのか、この点がとても大切になります。払えばいいというものではないのです。

深見東州先生の「神霊界」には以下のように記されています。

以下引用。

「誠とは、形に出して真となり、形に真がこもって誠が完成するという、日本神界の法則があることだ。だから、真に意義を見出されたときのみご参加下さい。」

「そして、その際は、ワールドメイトのためでも、深見東州や植松愛子のためにするものでもなく、神様に捧げるおつもりでしていただきたいのである。」

「そうしてなさったお金は、即座に黄金色に輝き、神霊界に貯金する御玉串になるからであります。」

「お金とは恐ろしいものだが、真に運用する心の準備と誠の道を知れば、人を動かし、物を動かし、神霊世界をも動かすものであることを知っていただきたい。」

「是非、そのようにして向かわなければ、お金が単なるお金となり、神霊的にみれば至極もったいないことであるといわざるを得ない。」

引用おわり。

ということで、御玉串は「神様に捧げるおつもりでしていただきたい」とあるのです。自分が神仏というものを本当に信じて、その神様に対してみずからの誠の想いから、自分の中の本物の信仰心から捧げた御玉串であったなら、決して後悔することはないでしょう。すべて神様にお任せいたしますから、という姿勢でお供えした御玉串であれば、返して欲しいなどということは考えつくはずがないのです。

(つづく)

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寄付玉串は喜捨するものですから、値引きなど論外なのですが、それでもいろいろな金額を見れば、高いと思ったり安いと思ったり、人によっていろいろな感想をお持ちのことと思います。また、神様事をするのにお金を取るなどおかしいと主張する方もいらっしゃいますが、これも実は一個人の欲求や要求に応えるために無料で何かをするほうがよほど歪んでいるし、無料でそうした要求に応えたからといって望ましい結果をもたらすことはないのだと知れば、自分の主張が世間知らずだとわかるはずなのです。

深見東州先生の「神霊界」には以下のように記されています。

以下、引用。

「他人様の貴重な時間をさいてもらって、一身上のことに、霊的にも現世的にも明解な答えをいただくのだから、当然、ご神霊に対しても、その人の時間拘束に対しても、充分なお金を出します。いや出させていただきます。また、除霊にしても、生涯に一度か二度のことでしょう。本当は、神徳を積む程に御魂が清浄化するので、霊障が浮き出てきます。だから、救霊は何度もやったほうがいいのです。」

「ところで、生涯に一度といえば結婚式、葬式、入学式……。結婚式、葬式なら、当然の如く、数百万円のお金を出す人が……。また、病気で入院すれば、入院費はどれだけかさみますか……。それなのに、生涯一度きりかもしれない除霊で、病気が劇的に改善し、急に家運もよくなっていながら、『除霊や相談の三万円は高い』とは、いったい人間の金銭感覚はどうなっているのですか」

引用、終わり。

何事であれ具体的な形の無いものに対して金銭を支払わねばならないという時に、「値段を安くして欲しい」、「この金額では高すぎる」と主張する人にまともな人がいた試しがありません。寄付をするのがイヤなら、受けなければいいだけのことです。誘われたからといって、無理をしてまでもその誘いに応じる必要はありません。

そもそも、寄付玉串とは何度も申し上げているように料金ではないのですから、納める時の境地がとても大切になってくるのです。どういう心持ちでお金を扱っているのか、この点がとても大切になってくるのです。

(つづく)

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先日、「対価(=労力・財物などを人に提供した報酬として受け取る財産上の利益)をもらう」ということに関して、面白い話を聞きました。ネット上で見かけた話なので、もちろん既にご自身でご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、こちらでも紹介してみたいと思います。

あるところに、イラストレーターの仕事をしている男性がいました。最近、その男性のクライアントの一人が、「実際に仕事をしているところを見たい」と言ってきたのだそうで、そこでそのイラストレーターの彼は、実際に仕事場にクライアントを招き入れて、自分が描いているところを見せたそうです。

すると、そのクライアントが、「こんなに簡単に描いているならもっと安い金額でいいよね」と言い出したということなのです。どのくらいの金額を希望しているのだろうかと思ってそのイラストレーターが尋ねたところ、「一枚につき2,000円で」と言うので、イラストレーターは、「その値段ではどこへ頼みに行っても引き受けてくれるプロはいないから、自分で描いたほうが早いですよ」と返事をしたのでした。すると、「俺は絵が描けないから」とクライアントが言い返します。イラストレーターの彼は、「今は描けなくても、絵は練習すれば描けるようになりますよ」と諭すように言葉を返しました。

すると、なんということか、そのクライアントがバカなことを言うなとでも言いたげな、あきれたような表情をしながら、次のように言い返したのでした。「描けるようになるまでにどれだけの時間と労力と金がかかると思っているんだ?」

以上のようなお話しを人づてに聞いたので、ご紹介してみました。

自分が玉串を納める時に、誰に対して何のためにその金銭を納めているのか、わかっていますか?その寄付玉串はどういう意味を持つお金なのか、ちゃんと理解できていますか?

寄付玉串は料金(=物品の使用や制度の利用などに対して払う金銭)ではないので、何かに対する対価として払うものではないのです。自分から喜んで納めさせていただく喜捨(=寺社や困っている人に、進んで金品を寄付すること)なのです。

(上記の話の引用元はこちらです→ http://line.udama.jp/archives/884 )

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

あなたが寄付玉串を納めるという時に、誰に対して何のためのお金を納めているのか、理解されているでしょうか。

金銭を支払えば、それに見合った分、こちらの要求に応えてサービスを提供してくれるのは「サービス業」です。この時支払う金銭は「受講料」とか「代金」とか「利用料」といった名前で呼ばれますが、要するに料金ですね。サービスを受けて、その代償として料金を払うわけですね。

しかし宗教はサービス業ではありませんので、金銭のやりとりに料金に類するものは一切存在しません。宗教団体では神仏を崇敬し、神仏と同じ心で生きることができるよう学んで実践し、寄付(喜捨)をして、その結果として徳積み・劫祓いが可能となります。そしてそれを積み重ねていきます。この徳積みと劫祓いが長く続いていくと、いよいよ神徳・仏徳も満ちてくるところとなって、なんとなく毎日の生活において物事の歯車がうまく回るような感じになってくるのです。

会員になってすぐに証が具体的に実感できる方の多くは、ワールドメイトに入会される以前に他の宗教団体でいろいろと試行錯誤され苦労を重ねてこられた方ではないでしょうか。ワールドメイトに巡り会うまでに、徳積みと劫祓いがいくらかは済んでいるという人達でありましょう。

会員になってもなかなか証が感じられないという方とお話しすると、これまで宗教をしたことはなくて、ワールドメイトに入会して初めて「お祈り」とか「ご奉仕」といった単語を知ったとおっしゃる方が多いですね。こういう人の場合、なかなかすぐには具体的な証が出ないかもしれません。

というのも、以前から徳積み・劫祓いをなさっている方であれば、おそらく、積み上がった徳がもうコップが溢れる直前まで注がれたお水のように蓄えられていて、いよいよ入会後の体行奉仕や寄付玉串の入金などで溢れ出ることになるのでしょう。この溢れ出た部分が具体的に形を取って証となるのではないかと思います。

しかし、徳積みが始まったばかり、劫祓いが始まったばかり、こういう方であれば、コップに水を注ぎ始めたばかりということですから、コップが満ちて水が溢れ出るにはまだまだ時間と手間暇がかかるわけですね。

神徳を実感するには、徳を積む、劫を祓う、この二つをセットで同時に行っていくことがとても大切です。その具体的な方法として手っ取り早いのはやはり「物施」なのです。なぜなら、自分の時間を使い手間暇をかけて稼いだお給料、これはまさに自分の命で作ったお金であり、これを真心をもって神仏に差し出すことは、まさに命がけで信仰することになるからです。そうしたお金で徳積みをするよりもご奉仕のほうがいいという人ももちろんいらっしゃいます。体施でも
もちろん徳積みになりますよね。

しかし、やはり物施をすることができるということは、それだけ本人にすでに徳が備わっているということなのです。それだけのお金を動かすことができるからこそ、そうした金銭での寄付も可能となるわけですからね。

このお金の扱い方について、お金の支払い方について、面白い話を聞きましたのでこの後紹介してみたいと思います。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

今年2016年、8月18日早朝に行われた、灯籠流しの際の深見東州先生のお話しから、さらに続きをご紹介いたします。

以下、当日のお話しから------------------------

「しかしそれは、蜘蛛の糸より太いからね。いわゆる登山ロープですから。だから、少々『来るな来るな来るな!』って言っても切れないから大丈夫ですよ。だから本当にいよいよ困った時に、地獄のような時に、上から蜘蛛の糸がお釈迦さんから来るように、北極神界、だからこれは救いの神様豊雲野之大神、これは要するにその○○○地蔵尊となるわけだから、○○○地蔵尊というのは地獄で苦しんでいる霊を自分が○○○になって焼かれてあげたり、火責め地獄、血の池地獄、いろんな地獄の中の、○○○になって苦しんであげるかわりに地獄の住人を救いたまえというのが、これが○○○地蔵尊なんですよ。○○○○焼かれてあげる、この○○○地蔵尊がここの磐梯の豊雲野之大神なんです。だから○○○地蔵尊が先祖供養にありますでしょう?ここの磐梯の神様が、豊雲野之大神が○○○地蔵尊となって地獄の住人を助けてくれる。そういう神様からのお手綱だから、地獄に落ちて苦しんでいる時に上からお手綱が降りてくるんですよ。」

「それでこう、太いからね。蜘蛛の糸じゃないからね。そのお手綱によって引っ張り上げてくれて、そこから脱却できる。これが○○○神事だということです。初めて出てくるものだからね、降ろされたものだからね。だんだんやってみないとわからないものだからね。頭で考えていないから、降ろされたものだから。地獄で苦しんでいる時にお手綱が降りてくるんですよ。」

「本当はお不動さんの右手につながっているんだけどね、そうじゃなく、救いの神磐梯山の、未申の金神さんのお手綱が降りてきて、そのお手綱を持っていると、そこから引っ張り上げられて助けられるという。地獄で仏。地獄で仏。地獄でお手綱。の救いを受けるのが○○○神事だ。悪い時。そうじゃない時は、お手綱がこう、上から引っ張っていってくれて、より優れた方向に導くということですね」

「だんだんわかってきました。初めて出されたものだから、だんだんわかってくるんだけど、頭で考えてやっていないからね、それはともかく、地獄の先祖を救ってあげないと、私もお手綱、私もお手綱って言ってくるよ。あんたお手綱の前に、豆木でもうちょっとマシなところに行って、私もお手綱、私もお手綱って聞いたらすぐ欲しがるからね。だから地獄に落ちるのよ。」

「さっき、灯籠流しで船に乗って行く時に、神事にも出たいとか言っていましたね。元会員さんの親かもしれないけどね。とにかく北極神界に行って、それから来て下さい。あっちにビデオがあったらあっちで見て下さい。」

「ということでこれから休憩をはさみまして、とりあえずちょっと鋭気を養って、この豆木の、地獄の霊を救った後のお手綱にしますので、もうお時間がなくて帰らなければいけないという人は、その現実界の仕事が大事だから。」

「帰る人は帰って、夜に、衛星で受けて下さいね。ビデオを残しておきますから。残った人で豆木を供養して、それからお手綱です。だんだんわかってきたのでだんだん。だんだんわかってきたんです。はい、それではこれでいったん休憩して、鋭気を養って、豆木の潔斎、それが終わってから、○○神事、やりますから。はい、休憩します。」

(つづく)

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