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Author:ノリコ
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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

引き続き、天中殺をどのように考えるべきか、この点について、深見東州先生の「運命とは、変えられるものです!」から一部をご紹介します。

引用ここから ------------------------------

 修養の糧として先天の命を知って、後天的努力の糧にする。悪いものは改めて、いいもものはますます自信を持って世に開花させていく。世のため人のために役立とうと思ったら、自分の持っているプラスを見たらいいですね。世のため、人のためにどう役に立てばいいんだと考えた場合、自分の持っている先天的にすばらしいもの、人にない才能と長所をますます磨けば、それは人に重宝がられますし、世の中に役立ちます。

 一方、人格を磨こうと思ったら、自分の持っているマイナスを消していかなくてはなりません。どこを改めればいいか、気をつければいいか。どこがマイナスか、どこが足りないか。それがわかったらここだけは辛抱していこう、これを足していこうと、精進、努力を積み重ねていく。これが修業であり、人徳を磨いていくということです。

 ですから、本当の魂の錬磨、修業というのは、長所を磨くことと、短所を改めること、この両方を同時に行っていくことであります。特に学問とか、心の教養とか、宗教などによってここをよく理解し、後天的な努力で父祖伝来の悪いところが出ないようにしていけば、魂はすばらしく磨かれて、人間的進歩、向上もみごとに果たされるわけです。

 そういう意味で、占いとして見るのではなく、修養の糧として見なければいけないのです。けれど、ホロスコープとか四柱推命というものは、占いとしてよく当たるものだから、占いとしてばかり活用されて、修養の糧として見られることはあまりない。というのも、占いとしてよく当たるだけでなく、ホロスコープや四柱推命には後天的な努力、開運の具体策があまり明確に示されていないからでありまして、もうこんなものか、こういうふうに決まっちゃっているものなんだということで、努力をしようという気がなくなってしまう。

引用ここまで ----------------------

さらに次回に続きます。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

天中殺をどのように考えるべきか、この点についてはすでに深見東州先生が説明されているのですが、今回は、深見先生の「運命とは、変えられるものです!」からその一部をご紹介したいと思います。まだ読んでいらっしゃらない方は、必ず購入して手元に置いて、何度も繰り返し読んでみて下さい。

引用ここから ------------------------------

 話を元に戻しましょう。そういうことで四柱推命は、オギャーと生まれたときの命式が大体のとおりいきますので、よく当たります。

 よく当たるのですが、これはオギャーと生まれてきたところだけを見ているのであって、そのとおりに人生が運んでいくのだったら、見ないほうがいいということになります。

 先天運だけでいくのであるなら、別に神様も要らないし、この定例会に来ることもありませんし、勉強する必要もない。そのとおりに最後までいくのだったら修業する意味がない。先天運というものを改めて好運へと改善していくというところに、私たちが努力をし、修業をしていく意味があるわけです。

 努力をするといいましても、先天運がわからないとどう努力していいかがわからないので、いまいった簡単な先天の命の見方をヒントといたしまして、努力の方向性を知る。さらに細かく見ていこうということで、四柱推命なんかも生まれながらの運命の概略を割り出しているわけです。これ、命式といいますね、四柱推命では。

 ヨーロッパの占いではホロスコープがこれに相当します。オギャーと生まれましたときに太陽はどこにあったか、その太陽の位置で水瓶座であるとか魚座であるとか獅子座であるとかが決まるわけであります。オギャーと生まれたときに金星がどこにあったかによって、異性に対するあこがれとか、美的な鑑賞力の傾向などがわかるというのですが、オギャーと生まれたときに水星、金星、木星はどこにあったのか、太陽はどこにあったのかという命式をやはりもちまして、その人の運命を占うわけです。ですから、四柱推命と同じであります。

 しかし、占いというのはあくまでも予測です。私たちのすることは占いではありません。占うところがありましても、ご神業をしている私たちは、こういった命式、ホロスコープなり四柱推命なりに出ている命式の奥にあるものを、修養の糧として見なければいけないのです。

引用ここまで ----------------------

次回に続きます。

(つづく)

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今回は、私の友人の親子に実際に起きたお話しです。

私のお友達に、親子で会員をしている人がいます。娘さんともども会員で、まあまあ長く会員でいるのですが、そのお嬢さんというのがやっぱり占いが大好きなのでした。

何ヶ月か前に、この娘さんが転職することに決めて、いろいろと雑誌やネット上のサイトなどで新しい就職先を探し始めたのですが、こんな職種はダメ、就業時間はいつがいい、といった細かい注文をご本人がいくつもつけたため、なかなかコレという仕事に出会えなかったそうです。

そこで母親が、「絵馬代で21日祈願してみたらいいんじゃないの」と勧めて、本人が21日間、自分の部屋で特に細かく言分けて絵馬代を書いて、祈りを捧げたのです。

娘さん本人は、21日間、祈りを捧げつついろいろと転職先を探したらしいのですが、それでもなかなか自分の気に入る転職先に出会うことができませんでした。

その様子を見て、母親は、いろいろと考えてはいたらしいのですが、その娘さんを有名な占い師の所へ連れて行って観てもらうことにしたのです。娘さんは占いが大好きなので、「転職のコツみたいな話を聞ければラッキー」といった感じで喜んで出かけたのだそうです。そして、母親と二人で観てもらったのですが、娘さんの誕生日を告げて、その上でカードでも占ってもらったところ、「星回りから考えてもカードから判断しても、今この時期に転職するのは難しい」という返事が返ってきたのでした。

娘さんは大変がっかりしてしまって悄然として帰宅したらしいのですが、そこから母親が娘を励まして、もう一度親子で九頭龍祈願を七日間やることに決め、本人は改めて仕事を探しつつ、いろいろと応募してみたりしつつ、実際に七日間のご祈願を済ませたのです。

そうしたところ、九頭龍祈願を終えた次の日、ネット上の募集要項を見て応募していたところ2ヵ所から、面接したいからぜひ来て欲しい旨、電話連絡が入ったのでした。

最終的にはその二つの職場のうちの一方に転職が決まり、まもなく新しい職場に勤務し始めるということになったようです。

当の娘さんは採用が決まったその夜に、「占いに行って観てもらって一喜一憂なんかしても無駄ね。ご祈願している時に、『これでダメなら神様が今はやめたほうがいいとおっしゃているのかもしれない、でもとにかく真剣に祈るだけは祈ってみよう』と思って、それでとりあえず一生懸命祈ったんだけど、真心込めてお祈りしたらやっぱり神様が聞いて下さるってわかった。これからは自分のことも人のことも、何でももっと丁寧にお祈りしていくようにしたい」と話したということです。

お母さんのほうと話をした際に、「占いであれこれ観てもらって賢く立ち回ることを考えるよりも、神様に発願して、何度でもお祈りして、その上で正しい努力を着実に積み重ねていくほうが、やっぱりより良いやり方なのよね」という話になったのでした。占いで観てもらった後に、「どうせダメなんだから」といって投げ出さないで、もう一度二人で改めてご祈願したのが良かったのでしょう。諦めずに最後まで祈りきって、ちゃんと願いがかなったということで、本当に良かったですね。

会員でいて、祈り方をきちんと体得しているなら、占いで観てもらう必要などないんだな、と改めて思ったのでした。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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引き続き、直会の後のお話しからご紹介いたします。

「『あの時、ああいうことだったから、そうだあの時ああいう失敗をしたから、今度はそうならないようにしなきゃあ』って、そういうふうに思うから次は成功した。次は成功したわけだが、以前あの時に失敗した時に、ああいう屈辱の中で、『くそ今度こそこうなるぞ、御魂の恩頼とならしめ給え』って言ったのが、御魂の恩頼になっていた。御魂の栄養になっていた。だからこれ、うまくいったんだと言って、『ああ、あれは尊い神様の試練、尊い神様のお導き、尊い神様の御守護だったんだ』、ということがわかるんだけれども、本当は尊い神の御守護なんだけれども、尊い神の御守護となるべく自分が宣り直したから、そのように神様がして下さったので、神様や仏様のせいじゃない。自分がその時どう思ってどう受け取ったのか、どう御魂の恩頼として受け取って咀嚼(そしゃく)したのかがすべてなのです」

「宣り直していく、宣り直していく。御魂の恩頼とならしめ給え、御魂の恩頼にしていただいてありがとう。どのような、うまくいってもうまくいかなくても、成功しても腹立っても、屈辱でもね、どんな損失でもね、無駄な金遣った、時間遣ったと思ってもね、そう宣り直した時に必ず魂の栄養にして、次に生きるような場面とチャンスを神様が作って下さる。そういうものなのだということを頭に入れないとね」

「人のせいとか環境のせいとか、間が悪いとか運が悪いとか、そういうふうに考えてはいけない。それを占いで観るというのは、御神業的なものの考え方から大いに逸脱しているんですよ。」

「占いに頼るのは邪道だというのは、本来の御神業的ものの考え方・進め方からね、ズレているわけなのです。」

「結局あれは星が悪かったんだ、方角が悪かったんだ、結局運が悪かったんだ、画数が悪かったんだ、『御魂の恩頼にならしめ給え』がないわけです。占いで、天中殺だった、空亡だったから、そういうふうに言うので御魂の恩頼にならないまま、御魂のカスになっている、御魂のカスと毒に」

「せっかく御魂の恩頼で来ているのにね、御神業的ものの考え方からズレていくね。そういうふうにものを考えたら、そういう人生、そういう価値観、そういう霊空間に行ってしまう」

(つづく)

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さらに、直会の後のお話しからご紹介いたします。

「暇だからそういうことを言うのです。だから逆に、忙しくしたらそういうことは言わなくなる。時間と場所とやることを取りあえず決めて予定を決めたら、次々やることが決まっているわけだから、意義なんか考えなくていい。やっているうちにわかるものだ」

「ぼうっとして何もしない、恐れて何もしない、考えて考えて何もしない、高いレベルの目標を持って一生懸命やるということをしない、これらが一番問題なのです。それが怠りの罪ですよ。あらゆる罪の中で怠りの罪が一番重いんですよ。魂を進歩向上するために生まれてきているわけだから、怠けというのは進歩向上していないわけだから、生まれてきた意義と意味に一番合わないわけでしょう」

「成功したり失敗したり思い通りにならなかったりしながらでも、なんじゃかんじゃやっているのは、御魂の恩頼になっている。だから成功しても失敗しても思い通りに行かなくても、自分の予想に反したようなほうになんか偶発性のものが出てきても、結果思い通りでなくっても、これは『神様、また御魂の恩頼にならしめ給いてありがとうございました』、すべて御魂の恩頼になったというふうに感謝する。これが信仰心」

御神業的ものの考え方は、成功するとか失敗するとか、うまくいくとかどのレベルがいくというよりも、成功も失敗も挫折も屈辱もね、わびしさも寂しさもね、貧乏くさいような行き方で各駅停車で行っていてもね、(中略)体験させていただきましたので、御魂の恩頼とならしめ給いて、神様ありがとうございました、そういうふうに宣り直すの。何でも『御魂の恩頼にならしめ給いてありがとうございました』『これからやることは御魂の恩頼とならしめ給え』、成功しても失敗しても、思い通りに行っても思い通りに行かなくてもですよ、『御魂の恩頼とならしめ給え』で、御魂の恩頼となったと。そういうふうに感謝する。」

「成功したり失敗したり思い通りに行かなかったり、屈辱したり、腹が立ったり恥じかいたりしたこともですね、それらのエッセンスが全部記憶に残る。だからそうやって宣り直していく。どのような体験もどのような人生も宣り直して行くということが大事。そうすると、いいことも悪いことも、失敗も屈辱も、思い通りにならなかったことも、エッセンスが魂に残っている。だから次にそれが生きるんですよ」

(つづく)

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引き続き、直会の後のお話しからご紹介いたします。

「我々は、人生はこれポッキリで終わりではなく、あの世にも行くんだけど、来世もあるからね。今世報われなかったら、霊界で修業をやり直して、来世生まれ変わってきたときは、努力し苦労し一生懸命頑張ったぶんは、全部報われますから。何ひとつとして無駄なものがないし、何ひとつとして徒労はないし、余計な苦労というのは何もないんです。」

「全部魂の栄養となり情報となり道となり才能となり能力となりね、感性となって残っているわけです。それを御魂の恩頼(ふゆ)とならしめたまえという。御魂の恩頼となっている。恩頼は御魂の栄養ですね。良かったことも悪かったことも、うまくいったこともいかなかったことも、残念だったことも終わりを全うせずに適当に、志半ばで死んで行くのもまたこれおしゃれでね。これみんな御魂の恩頼になっているんで。」

「御魂の栄養、その徳分と磨いたぶんは、必ずその能力・才能と感性というものは、次の世でも引き継がれるわけだから。何が一番問題かというと、怠りです。そういうふうに目一杯努力することなく、成功するか成功しないかどうなのかと言って、遊惰安逸の日々を送り、適当な日々を送り」

「成功するかしないかなんて時の運だし環境にもよるし、一生懸命やってきたかどうなのか、成功するべくやってきて、駄目になったらくそーと思ってまた、屈辱をバネにしてまた立ち上がっていくっていう、その時に魂が進歩向上し磨かれるわけなんですね。そうした努力をせずに、何をしていいかわからないというのは、何かを日にちと時間と場所とやることを決めて、決めないからだろうと。要するに暇だからなんですよ」

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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2016年8月19日朝、無事お手綱爆運神事!も終わり、直会も終わって、その後さらに深見東州先生がお話し下さいました。大切なお話しだったので、かいつまんでまとめてみました。

「きちっと頭で計算してきちっと頭でやったものは、きちっと頭でやっという絵になるし、料理ならきちっと頭でやったという味になる。最後に帳尻を合わせて美味しくなったらいいわけなので、どうなるかわからない偶発性が、絵でも書でも文章でも、のったらそれは面白いわけで、料理も、キチキチキチキチ、レシピ通りに作って美味しければいいというものではなくて、そうした偶発性に思いもよらぬことが出た時に、最終的においしくなるように帳尻を合わせればいいわけなので、それは面白いわけですよ」

「何でも、御神業にしろ、計画通りに思い通りに行くわけじゃない。それがいいわけです。」

「何でも物事が計画通りにキチキチやっていく、思い通りに行くのがいいとは限らないわけなんで、本当に生ける神が動く神事というのは、神業というものは、人間がある程度準備し計画し、行かなければ何をやっていいかわからないんだけど、生ける神が動いた時には偶発性が起きてくる。それが神様がお出ましになった証拠なので。神と人間がやったものは、思いもよらずいいものができる。毎回毎回、それが醍醐味ですよ。それが醍醐味なんだと思って皆、参加していかなきゃあいけないんで」

(つづく)

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お手綱を張り巡らせて、「お手綱爆運神事!」、行われましたね。豊雲野之大神様の御神魂が降臨され、素晴らしい神事となりました。

「人を救えよ、人を導けよ、人のために役立つ人間になれよ」

「そういう人間にこそ、神様のお手綱がやってきて導かれ、この神様のお手綱がやってきて究極の地獄から救われ、この神様のお手綱がやってきて天命を果たし天寿を全うでき、命が授かる」

「人の役に立つ人間になれよ、野口英世がそれを体現した人、そういう者にこそ会津磐梯山の手綱が降りてきて、しっかりと導いてあげるからね。危うい時には救ってあげるからね。そしてそういう人には天命が全うできるようになり、寿命を与えて、志を遂げられるよう導いてあげるからね」

「この志を持たないとお手綱も意味がない。人のために役立つ自分であろうと努力せよ。そういう生き方をする者にこそ、この手綱は天から降りてくる。この志が無い人間にはお手綱が来ても素通りしていくだけ。そういう志を持つ人だけが、お手綱の神徳を授かることができる。この志がある上は、豊雲野之大神、磐梯山、北極神界から常にお手綱が降りてきて導いてやろう。苦境から救い天命全うを可能ならして、天寿を与えてやろう。命を長らえるように導いてやるぞ。その志をいかなる時にはも持ち続けよ。仕事がどんなに忙しくても、どんなに家族が円満で楽しい日々であっても、嫁や子供、自分の生活に汲々(※一つのことに心を奪われ、他を顧みるゆとりがないさま)とせずに、人を救おうとせよ、人の役に立とうとせよ。人の役に立つべく自分を磨こうとせよ。そういう者にこそこのお手綱が授かる。北極神界のお手綱は、そういう人だけが授かる。全ての人が授かるわけではない。利他の心を持たない人間に、お手綱が降りてきても受け取れるわけがない。受け取った者は必ず救ってやるからな。その志を持つ限り必ず救ってやるからな。我欲に生きず、楽しみに生きず、家族や仕事に生きず、それらは当然あってもやっぱり人を救い人のために役に立ちそういう自分であろうという精進を怠るなよ」

神様は繰り返し同じことをおっしゃっていましたね。眠たかったけど、とっても感動しました。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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思い出す、思い浮かべる、ということがあるわけですが、それでは、そうした行為はどういう意味を持つのでしょうか。

思い出す時にせよ思い浮かべる時にせよ、何を想い描いているのかというと、「相手の顔かたち、姿、それからなんとなく感じている印象」ですね。こちらが強く相手のことを想い描くと、それは、実は自分の分魂が相手に飛んでいっていることになるのです。分魂が飛んでいくということはすなわちこちらから生霊を飛ばして相手にくっつけていることを意味します。それほど強くない場合であっても、想い出して電話や返答を期待して待っているという状態であれば、十分に念波が届いていますので、それはすなわち霊的なつながりが確立する、つまり霊線が結ばれることを意味します。

霊的なつながりができあがれば、こちらからの霊的な影響が先方に届くこともあれば、逆に、向こうから来る霊的な影響を受けることも考えられるのです。

したがって、自分が、「良き対象、即ちすがすがしいもの、美しくて神界や天国界を表しているもの、あるいは神様そのもの」を想い描いて、こうした対象に向けて霊線が結ばれるように思念を働かせるなら、おそらくそうした良き対象からの良き霊的影響を受けることができるでしょう。

神仏に対して祈りを捧げるということは、即ち神仏を相手に霊線を積極的に結ぶということに他ならず、だからこそ、正しい、神います神社で熱心に正しい祈りを捧げることで神徳をいただくことができる結果になるわけです。

それでは、思い浮かべる対象が悪しきものであればどうなるのでしょうか。

単刀直入に言うなら、それはすなわち悪影響を受けることに他なりません。「すがすがしくないもの、美しくないもの、下品で汚らしいもの、普通の感覚では嫌悪感を催すもの」を思い浮かべるということは、そうしたものとの間に霊線が結ばれて、自分に向けてそうしたものがもっている霊的世界が影響を与えることになるわけです。

知性と観念が先に立って、どんな価値観やどんなに屁理屈に見えることにもひとつひとつ意義がある、と考えている人の場合、素直な「感性」が鈍麻(どんま=感覚がにぶくなること)している場合があり、そのままに感覚的に良し悪しを判断できないことがあります。ところが、理屈は立たないながらも素朴に素直にいい感じ・悪い感じと感じることができる人の場合、人、物、書物、場所、食べ物などの良し悪しを素直に受け取れることがあって、それが神なるものの視点から見たときの良し悪しと一致していることがあるかもしれないのです。

実際に私たちは、自分が心酔している作家や画家、あるいは自分が応援している俳優、あるいは自分が惚れ込んでいる何ものか、こうした「相手」や「世界」から、たぶん、様々な霊的影響を受けているのです。

絶対的な神なる存在を理解し受け入れるということは、世の中に、必ず絶対的な良し悪しの尺度が存在しているのだということを認めることに他なりません。人間の理屈だけで言うなら、何事にも意義や意味があるかのように主張することは確かにできるのですが、神なる尺度から見た場合には、やはり本来の意味で有意義なものや事柄がある一方で、どう解釈を施してみても神様の目から見た場合には間違っているといったことが起きるでしょう。

どんなに理詰めでつきつめていっても、神なる存在を人間の理屈で証明することはできないのです。科学で神仏の存在を証明することは不可能なのです。そんなことを考える暇があるなら、家族・友人・知人・地域の人々・天皇陛下を始めとする日本国のすべての国民、こうした人々の幸せを祈って何かを為すほうがよほど尊いと言えるのではないでしょうか。なぜなら、それは神仏の尺度に則って考えた時に、最も神仏の想いに添う行いの一つになっているからです。

(つづく)

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深見東州先生のお話しでは、人の運命の8割まではだいたい決まっている、ということです。

深見先生が「先天の星差し替え神徳祈祷」をお取り次ぎ下さる際には、先天の先天、先天の後天、後天の先天、後天の後天、という順で星を差し替えて下さるのですが、今ここで、「8割までは決まっている」というのは後天の先天のことを言っています。

後天の先天が8割まで決まっているからこそ、後天の後天、つまり現実世界に起きることがだいたい決まってくるわけです。

「この世の物事はすべて運命が決まっている」というお話しの続きです。

以下引用------------------------------------

 天体の運動を計算した一例として「ハレー彗星」の事例があります。彗星の存在は古代から知られていましたが、その動きは惑星とは全く異なり、それがどのような軌道を描いているのかは大きな謎でした。地動説が受け容れられた後にも、彗星は単に直線を描いて太陽系を横切るとみなされたり、放物線軌道で太陽に接近して永遠に遠ざかると考えた天文学者もいました。

 ところが、ニュートンの「プリンキピア」の重力理論により、彗星も惑星と同じように、太陽の重力に束縛された楕円軌道を描くのではないかという仮説が、考え出されました。

 ニュートンの親友だった天文学者エドモンド・ハレーは、過去の彗星の観測記録を調査して、1682年に彼の観測した彗星の軌道が、1607年、1531年、1456年に観測されたものと非常に似ていることを発見しました。この彗星は、他の惑星と同じように楕円軌道を描いていますが、その軌道は非常に細長く、太陽に非常に接近した後は、土星を遙かに超えた地点まで遠ざかることが計算されました。

 そこでハレーは、1705年、この彗星はおよそ76年周期で太陽を周回するはずであり、他の惑星の重力の影響を計算したうえで、次回は1758年頃に回帰するに違いないと発表しました。

 そして1758年12月25日のクリスマス、実際にこの彗星が太陽に接近する姿が観測されたのです。ハレー自身はすでに亡くなっていましたが、彼の功績をたたえて、この彗星は「ハレー彗星」と命名されました。

 こうしてニュートン力学は、当時の科学の集大成と考えられるようになりました。ニュートン力学は、この宇宙の基本的な自然法則を明確に表現するものと考えられるようになったのです。

 そこで非常に興味深い考え方を提起したのが、ラプラスという人です。この人は「偶然とは無知の告白である」と言ったことで知られていますが、この宇宙の出来事はすべて決定されており、不確定要素の入り込む余地はないと考えたのです。

 例えば、ハレー彗星はニュートン力学にしたがって公転していますから、ある時点の軌道を計算すれば、今どの位置にあり将来いつ地球に接近するかも計算できます。同様の考え方で、日食や月食も計算できるし、球を投げればどのように落下するかも正確に計算できるのです。つまり、初期状態さえ分かれば、後はそれをニュートン力学に当てはめればよいのです。ある瞬間の状態が分かれば次の瞬間の状態が決まり、さらに次の瞬間の状態が決まる、というふうに続いていくのです。

 1814年、ラプラスは「確率の哲学的試論」において、「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速度を知ることができるならば、未来永劫にわたって宇宙がどうなるかを知ることができる」と述べています。これが「機械論的決定論」と呼ばれる考え方です。

 もちろん人間技では「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速度を知る」といったことは不可能なので、ラプラスは、人知の限界を超えた悪魔を考えました。この「ラプラスの悪魔」は、ある時点で宇宙のすべての原子の位置と速度を認識し、しかも瞬時に次の位置と速度をニュートン力学によって計算できるとするのです。

 例えば、ラプラスの悪魔が、現時点で宇宙のすべての原子の位置と速度を知ったとします。すると一秒後には宇宙はどうなっているか、悪魔はあらゆる原子の位置と速度から一秒以内に計算して、それを知ることができるというわけです。

 いわば、宇宙全体が、一度動き始めれば、後は自然法則どおりに動き続ける自動機械のようなものであり、あらゆる出来事は決定されているとみなされたのです。したがって、もしラプラスの悪魔が存在したら、森羅万象は余すところなく知り尽くされ、すべては予測通りに従うことになると、そのように考えられたのです。

引用ここまで---------------------------------

以上の内容は、高橋昌一郎著「理性の限界」(2008)からお借りしました。20世紀に入ってから発見された「不確定性原理」によれば、上記の「決定論」は否定されるということなのですが、詳細は煩雑になるので省略します。

21世紀に入った現在でも、この決定論、すなわち物事が「運命で決まっている」という考え方は根強く流布しているようです。しかし神仏の道に生きて、実在の神を掌握し、生きる神を行じる生き方をするなら、この「持って生まれた運命」を超えることができるのです。

それは、「神業を第一として、世のため人のため神様のために生きていこうという発願をして、その発願に相応しい努力をし続け、その発願に相応しい結果を出し続けていこうと念じ続け、くり返し神仏に祈り続けるなら、徐徐に命運は改まり、いつのまにか本来の命運を超えた生き方をしている自分に生まれ変わることができる」というものなのです。

鍵になるのは、「発願」、「相応しい努力を続ける」、「くり返し神仏に祈り続ける」という点ですね。

これが、深見東州先生が折りにふれておっしゃっていることであり、この生き方を実践して具現しておられるのが、深見東州先生その人なのです。

この深見東州先生の生き方こそ、ぜひとも見習いたいものですね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生のお話しでは、人の運命の8割まではだいたい決まっている、ということです。

深見先生が「先天の星差し替え神徳祈祷」をお取り次ぎ下さる際には、先天の先天、先天の後天、後天の先天、後天の後天、という順で星を差し替えて下さるのですが、今ここで、「8割までは決まっている」というのは後天の先天のことを言っています。

後天の先天が8割まで決まっているからこそ、後天の後天、つまり現実世界に起きることがだいたい決まってくるわけです。命式を観る占いは後天の世界から先天の世界を垣間見て、それで次に何が起きるのか、これを判断しようとするものなのです。

ここで、面白い内容を紹介したいと思います。この現実世界のすべての事象は数学的に表現でき、そして、すべてそうした数式から未来を予測できることから、「この世の物事はすべて運命が決まっている」というお話しです。

以下引用------------------------------------

 近代以前は、すべての現象を自然の「神秘」によって説明していました。ところが、ルネサンス以降になると、そのような神秘主義を退けて、すべての現象に明確な「理由」を見出そうとする人々が出てきました。彼らは、あらゆる出来事を、アニミズム(=自然界のあらゆる事物に、霊魂があると信ずること。)や感情移入などではなく、他の出来事との因果関係によって理性的に説明しようとしました。彼らは、物事の本当の理由を突き詰めるべきだと考えました。そこで、自然には物事を成り立たせる普遍的な法則があるに違いないと想定し、その「自然法則」こそが、本当の理由だと考えたのです。

 このように新たな視点で世界を観察した結果、実際にさまざまな自然法則が発見されていきます。コペルニクスからガリレオに至る地動説から、ニュートンの万有引力や運動法則の発見に至るまで、近代科学は成功を収めることになります。この万有引力の法則とは「すべての二つの物体の間には、各々の質量の積に比例し、物体の間の距離の二乗に反比例する万有引力が存在する」というものです。

 こうした万有引力の法則や運動の法則によって、なぜリンゴが木から落ちるのか、なぜ人間が地球の上に立っていられるかばかりでなく、あらゆる物体間の関係が説明できるのです。月と地球の関係も、地球と太陽の関係も、さらに無数の天体現象も、これらの法則によって明確に説明できてしまうのです。

 A.D. 140年にプトレミーが「アルマゲスト」で主張した天動説によれば、宇宙の中心には地球があり、その周囲を太陽と月と惑星が回る仕組みになっています。しかし地球を含むすべての惑星が太陽の周囲を公転していると考えれば、惑星の逆行現象は、その公転速度の違いから簡単に説明できますし、それぞれの天体の動きもずっと簡略なものとして説明できるのです。すなわちこれが地動説なのですが、コペルニクスが「天体の回転について」を公表したのは1543年のことですから、誤った天動説が、千四百年以上にもわたって人々に教え継がれていたのです。

 1687年にニュートンが発表した「プリンキピア」は、地上の物体の運動から天上の惑星の軌道に至るまで、あらゆる自然現象を説明することができました。彼は、自ら発見した万有引力の法則に、落下運動に関するガリレオの力学、惑星運動に関するケプラーの法則や振り子運動に関するホイヘンスの研究などを総合して、見事な世界像を表現したのです。
 もともとプリンキピアはユークリッドの「原論」を意識して書かれています。体系の出発点となる公理に相当するのが、慣性の法則、運動方程式、作用・反作用の法則で、ニュートンはこれらの基本三法則から、他の物理現象を演繹的に導き出す力学体系を構築しました。

 実際に、ニュートン力学は、驚くべき威力を備えていました。宇宙は、絶対時間と絶対空間という枠組みにおいて美しく厳密に定義され、数学的には、ニュートン自身の導いた微積分法によって極限まで計算可能になりました。
 そして、ニュートンの導いた自然法則は、当時の機器によるほとんどすべての観測で確認され、またその予測も正確であることが検証されました。

引用ここまで---------------------------------

今回はここまでにし、続きは次回に紹介することにいたします。

(つづく)

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6.先天の修行と神人合一の道 (2)

 こうした毎日を送ることを一言でいうなら、「捨てる修行」をする、ということになります。我欲や人欲を捨てることですね。霊能力を得たい、超能力を得たい、などという気持ちは一切抱かず、人が良くなり、世の中が良くなるためなら自分の命を捨てても構わない、といった気持ちで日常生活を精一杯生きていくこと、これです。

例えばジャンヌ・ダルクがあれだけの大きな仕事を成し得たのは、結局、神がかるに十分なほど無私無欲に徹し、捨て身の純粋さに徹したからに他なりません。

中山みき、出口ナオにしても同じで、自分のことよりも、家族のこと、社会のこと、国のことを優先して考えていたのです。その純粋な心に神様が感応して、様々な神通力を与えたのですね。

これが神力です。神力とは、いわば、神様に川上に引き上げていただき、川上から川下に下る中で身につける神通力と言えます。そして、常日頃から自分を捨てる努力を続けることを先天の修行というのです。

これに対して、難行苦行を実践し、霊能力や超能力を得ることを後天の修行と言います。

そして、この修行をする動機に、少しでも我利我欲が含まれていれば高級神霊は絶対に感応しません。感応するのは邪気邪霊だけなのです。我欲は純粋なものではないからです。

「今の自分の社会的地位は、常識人として人一倍努力して確立しよう。霊能力などは、欲しいと思わなくても自分の努力と誠が極まって、その結果として備わればよしとしよう」こうした生き方をするのが本当なのです。

先天の修行には、後天の修行のような長時間にわたる訓練はいりません。ただ自分の欲を捨てればいいのです。そして、捨てるということを別の言い方で言い直すと、素朴で素直に生きるということになります。これが神人合一の一厘でもあるのです。

(つづく)

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6.先天の修行と神人合一の道 (1)

 本当に除霊をするには神に対する信仰心と人々に対する強い愛念、我を取り去った明鏡止水の境地が必要だということです。同時に学問の研鑽も大切になりますよね。

 一つ、ぜひ皆さんに理解していただきたいことは、霊能力と神力とは、それぞれ異なる力なのだ、ということなのです。

 霊能力とは、霊界にいる存在によって得られる能力です。時には邪神界を横行する霊がそうした能力をもたらすこともあるのです。もう一方の神力とは、神様が直接動いて下さった結果、出現する能力のことです。

 神力は、実は、我力で獲得したり発揮したりできるものではないのです。それではどのようにして体得し表現するのかというと、「先天の修行」が鍵になるのです。神力とは、先天の修行によって会得するものなのです。

 先天の修行によるなら、修行らしい修行をしないで、たぐい稀な神通力を体得することができるのです。それは具体的にどうすればいいのでしょうか。結論から言いますと、純粋に人の道において真心を実践し誠を尽くすことに終始する、ということになるでしょう。神様の眼から見て、「神の社(やしろ)となるに足る人物だ。愛と誠をもって人々を救済してくれる人だなあ」とみなされるような、お眼鏡に適うだけの毎日を送ればいいのです。

(つづく)

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5.運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である (3)

 だからこそ、自分の一念を管理することが自分で悪霊を除霊することの第一歩だと言えるわけですね。

 しかし、人間の念とは環境と五感に大きく左右されてしまうものです。目の前に現れる人やものに自分の想念がいくらでも影響されることは、我々が日々体験している通りですね。だから、自分の念を良い方向へ導くためには、何よりもまず自分自身を素晴らしい環境に置くよう努力し、その努力を惜しまないことが肝腎です。そして、自分の中の良き念を誘い出してくれるような良き人や良き物を選んで、できるだけ自分の五感を善なるほうへと向かわせる努力が必要なのです。この努力によって「一念の管理」の基本が確立されるのです。

「一念の管理」の中心は、念の種類によって、それが悪霊を呼ぶものか善霊を呼ぶものかの区別があることを知ることが大切です。そして、その区別に基づいて、絶えず自分の念の中身を分類する癖をつけることが重要なのです。区別のための簡便な基準を示してみましょう。

 まず、善なるものは、「明るく、前向きで、積極的で、発展的で、協調的」です。ところが、悪しきものは、「暗く、退廃的で、消極的で、批判的で、猜疑する」なのです。この分類を瞬間に行うことができて、悪いものをすぐに切り捨て、善いものをすぐに取り込むことができるなら、「一念の管理」は十分にできていると言えるでしょう。

 霊という、目に見えなくてその実態を確認することが難しい存在を、念と置き換え、さらに進んで、主体的に「一念の管理」を行うことで、霊に支配される側から支配する側に立場を換えることができるのですね。

この後は、神人合一の道について少しだけ説明したいと思います。

(つづく)

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5.運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である (2)

 まず第一に大切なのは、少しでもいい土地に住むことです。

 第二に大切なことは、少しでもいい人間とつきあうことです。第三に少しでもいい自然の景色と気にふれることです。第四に少しでもいい神気にふれることです。第五に、少しでも人生を明るく前向きにする言霊の宿る、いい本を読むことです。第六に少しでも美意識を高める芸術にふれることです。第七に少しでもいい心と感覚を呼び起こす、色彩と雰囲気のある部屋や内装を選ぶことです。第八に少しでも明るく前向きですがすがしい感覚になれる服装を選ぶことです。第九に少しでも日あたりのいい家と部屋に住むことです。第十に少しでもいい念と感覚が出てくるよう、いい想いを湧かせる祈りを習慣とすることです。第十一に少しでもいい感覚を人に与えるような態度、言葉、礼を行い、相手がそう思う感覚を自分にはね返らせることです。

 こうして、自分と出会うもの、自分にいろいろな刺激をもたらす対象を自分から主体的に選別することで、自分の中により良い霊界を積み重ねていくことが可能となるのです。

 そしてまた、自分が抱く只今、只今の想い、すなわち自分の出す念によって、自分のところに引き寄せられてくるものが決まります。というのも、霊界とは、相応しいもの、等しいものが寄り集まる世界だからなんですね。

 だから、我々と共存している様々な善霊や悪霊、高級霊や低級霊のうち、「どのような霊とあなたが関わりを持つのか」は、別の言い方で言うなら、「あなたがどのような霊に憑依されるのか」は、あなたの念の抱き方にすべてがかかっていると言えるのです。あなたの抱く想念に相応しい霊が共鳴して寄ってくる、ということなのです。この法則は、この三次元世界における社会生活にもそのまま当てはまります。人は、自分と気が合う人と話し一緒に過ごすなら、楽しいと感じますね。なぜ楽しいと感じるのかというと、自分の持つ霊界と共鳴する部分が、相手の霊界の中にもあるからです。お互いの想念が相通じ合ってお互いに認め合えるから、楽しいと感じるのです。今、自分が出している念に相応しく、相手がやってくるわけです。今、自分が抱く想いに相応しく、自分の周囲ができあがっていくわけです。つまり、「只今」の一念こそが、善悪正邪、天国地獄の分水嶺となっているのです。

(つづく)

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5.運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である (1)

 私達は、日々の暮らしの中で様々な良いものや悪いものに出会い、そのたびにいろいろな刺激を受けていると言えます。

 人は、両親から施された躾や育ってきた環境から影響を受け、それぞれに自分の好き嫌いができあがっているものです。考えたり分析したりする前に、自分の内に存在する情念や好みから来る「ふとした感覚」を一人一人が抱えており、実は、この「ふとした感覚」に基づいて何事も選択しているのです。「人間の認識は、学問をしたり人の話など聞くことで概念を吸収してできあがる」とする考え方がありますが、自分がどういう基準に沿って様々な概念を取捨選択しているのかというと、その基準が実は自分の内にある「ふとした感覚」だというわけです。そして、この内なる「ふとした感覚」が結局は自分に影響する様々な概念や認識の取捨選択を左右することから、最終的に人生観までもが「ふとした感覚」によって決まってくるのです。

 それ故、ふとした感覚をより良いものにしていくなら、自分に影響をもたらす様々な要素をもまた、「より良いもの」にしていくことができるのです。絶えず積極的に良きふとした感覚を見出すように努めるなら、自分の内なる世界は明るく発展的なものとなり、自分自身のご本霊が発動しやすくなるはずです。

 そのためにはどうしたらいいのでしょうか。

(つづく)

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4.霊とは何か?除霊とは何か?(2)

 人は、死ねば霊界に行きます。そこで霊界人として新たなる生活を営むのです。死後の自分の意識の在り方について、正しく認識している霊が、一般に成仏霊と呼ばれる霊です。

 そして、霊界人として生きていくことについて、認識をより深いものにし、徹底した慈悲の心や現世を達観して精進努力するという、深い悟りの想いを抱くようになった霊のことを、菩薩の位に達した霊と呼びます。菩薩とは、仏道に励む釈迦の姿と同じき有り様のことをいうのです。

 さらに、菩薩の位に達した霊が、一層揺るぎない想念の持ち主となり、おのずから不動の霊格と悟りの位を持つに至れば、その霊は如来の位に達したと言えるのです。如来とは、ある程度の天地自然、法界(ほっかい)の真相を究め、霊界や現実解で衆生を救うことが可能な仏のことを言います。人を救うことが可能となるためには、最低限、自分の悟った状態(菩薩位)が変動することがあってはなりません。ですから、如来位にして、初めて人々の救済が正しくできるようになると言えるのです。

 善霊、悪霊、どちらも様々な形で人間世界に関与しています。そして、こうした霊達の善悪を決めるのは、その霊達が発する念の善し悪し次第だ、ということなのです。霊の位が高いとか低いというのも、その霊達が抱く念の種類が、文化的に高いものか低いものかによって決まるのです。尊い霊か否かはこのように定義でき、判断できることをぜひ覚えておいていただきたいと思います。

 抱いている念が一時的、刹那的な想いではなく、心底まで徹底した想いであるなら、おのずから本人の行動となって具体的に外に表現されるのが普通です。したがって、行動も、心底深い念の表れだと考えて良いでしょう。

 改心とは、心構えや想念がちょっと変化することを言うのではありません。心が本当に改まったなら、心が変わり、言葉が変わり、行いが変わるはずです。心とは、口と心と行いを含むところまで広がりをもっているものです。この広がりを、心の上部、中部、深部と言ってもよい。深いところに行くほどに、霊があり、魂があるのです。

 ワールドメイトでいうところの「救霊する」とは、実は、悪霊の抱く悪想念がおのずから改まり、霊界での生活が真に素晴らしいものになるよう、改心させることを言います。つまり、霊を改心させ、その霊がおのずから幸せな想いのみを抱くことになるよう導き、その結果、その霊を救済するわけです。悪しき想念を抱く霊が自分の間違いを自覚し、自分から正しい成仏霊となるよう導くのです。その結果、悪霊の存在は消えてしまいます。こうして救霊という営みが完成するのです。

 ですから、人は、日々自分を救霊することができますし、そのように心がけるべきなのです。そうすれば、自分の心が堕ちてしまうのを防ぐことができます。そしてまた、ワールドメイトの会員となって、悪霊を改心させる手順を正しく習得・体得すれば、他人に憑霊している悪霊をも救霊することができるにようになるのです。これが真の除霊なのです。

(つづく)

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4.霊とは何か?除霊とは何か? (1)

 霊とは肉体の内や外に存在すると考えられる精神的実体だと定義づけられています。人間とは肉体と霊とが一体となった存在であり、仮に霊が肉体から離れると、たとえ肉体が生命活動を行っていたにしろ、人間とは言わないのです。生物ではあるかもしれないが、それ以上の存在だとは言い難い、ということになります。そういうわけで、人間の人間たる所以(ゆえん)は霊にあると言っていいでしょう。

 人間として存在する所以とは何でしょうか。それは、想念を抱くことですね。念を抱くことが人間であることの証明になると言うことができるでしょう。しかし、想うという行為をなすのは人間だけではないようです。植物は植物なりに、動物は動物なりに、いろいろと意識があり、想うようですね。つまり、想念といっても、想念の中に、芸術観があり、学問観があり、信仰観があってこそ、初めて人間としての想念だと言えるようです。

 一言でいうなら、想いの中に文化があることが人間であることを証明する、ということでしょうか。

 この「文化」という高度な想いの部分こそが、実は神魂(しんこん)と言われるものであり、われわれ人間の中の神なる部分なのですね。人間の霊体の中に、神なる意識が存在しているわけです。

 それゆえ、芸術観もなく、学問観もなく、信仰観もない人間とは、一見見た目は同じ人間であるように見えますが、中身が少しも人間らしくない生き物、すなわち、人間の皮を被った獣であると言えるのではないでしょうか。ですから、こういう類の人間は、死後、必ず畜生道に落ちるのです。

 以上の内容を整理しますと、「人間の本質とは高級なる霊であり、人間であることを証明するのは、文化的な念を出すことができることだ」ということになります。

 ところで、霊と念とはある程度置き換えることができますよね。例えば、強い霊とは強い念を出すことができる霊であり、大いなる念で生きている人の霊体とは、大いなるものなのです。

 さて、この「念」とは、何かということを別の角度から言い直すなら、それは即ち「今、現在」の想いこそが念なのだ、ということですね。今、その人が出した想いこそがその人の今の念なのであって、したがって、今出した念こそが、その人が今置かれている霊界を表すものだと言えかえることができます。

 そして、念即ち霊だとするなら、つまり今現在の想いが霊の状態であると考えるなら、念の種類によって、霊を分類することも可能になりますね。例えば、たたり霊とは、「たたりをしてやるぞ」という念を抱いている霊だということになります。

(つづく)

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3.人は何のために生まれてきたのか

まず最初は、人生の本義(=根本となる価値や意味。)とは何か、という点に関して深見先生がおっしゃっていることを説明してみたいと思います。

深見先生は、「人生の本義とは、真・善・美を探究しながらこれを実践し御魂を向上させることである」と一貫しておっしゃっています。人はみな、御魂を向上させるために、肉体を持ってこの三次元の世界に生まれてきているのですね。

そして、霊能力にせよ、超能力にせよ、人生の本義を実現させるために役立てて、初めて本来の価値が認められると言えるわけです。学問の力や、人を導く力、会社を経営する能力や、外交能力、私達ひとりひとりが持っている様々な才能・能力も、すべて、人生の本義に帰結されて、初めてその意義が認められると言えるのです。

神様は、神界、霊界、現実界の三界を創造されました。そして、神様は人間という存在を通じて三次元世界を統率しておられます。高級神霊や主神の世界は、非常に繊細な波動の世界だということです。

 これに対して、三次元の現実界はどうでしょうか。先ほどのようなかすかで清涼な感覚の世界は、音楽や絵画などの芸術世界にみられるだけで、現実世界のほとんどの部分は、非常に波動の荒い物質的世界であると言えないでしょうか。そこでは、物質的、現実的な生活が人間によって営まれており、時に戦争、天災といったことも起きますよね。

 こうした荒々しい波動の物質世界を、高い次元の神々は直接統率できないのだそうです。そこで、より物質次元の近くに降りることができ、人間のために働くという存在が必要となってきます。それが龍、天狗、UFO、狐、蛇といった存在です。ヨーロッパ神界の天使もこれに類する存在なのですね。

 これらはみな、神と人との間を取り持つ中間役の存在であり、「眷属(けんぞく)」と呼ばれています。そして、こうした眷属には、おのおの役割と使命が与えられているのです。さらに言うと、その役割と使命に応じて格付けがあるんですね。

 ちなみに、物質次元に近いところから、蛇、狐、天狗、龍という階級ができているということです。

 これらの神々を信仰すれば、お陰をいただくことは確かにできます。ですが、実はそれだけではいけない、ということなんですね。

 というのは、最初に申し上げた通り、人生の本義とは「御魂を向上させること」にありますから、人間として正しい努力をして、正しく取り組んだだけ、成果が上がる、結果が得られる、というのが本来あるべき姿だということなのです。つまり、人間としての魂の修行、胎蔵界の仏様の如き自己向上の修行と、衆生を救わんとする金剛界の仏様の如き善徳高揚の修行、この両方が本当は必要なのです。

 進歩・向上・発展を忘れ、ただ無難に日々を送るだけの人生や、お陰を求める信仰にとらわれてばかりいては、結果として間違った人生になってしまうのです。それは、最終的には魔界に引き込まれてしまうことになってしまうのです。

人が、みずからが正しい努力をすることなく、結果だけ、お陰だけを求め続けていると、そうしたその人の内面に感応して、邪霊が憑依するということが往往にして起きるのです。この邪霊によって、魔界に引き込まれてしまうわけですね。
 
 人として生まれてきたからには、御魂を向上させるべく常に精進努力していかなければならない、これが天地の法則に基づいた、正しい人生観なのです。

(つづく)

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2.「教祖存命中の、神仕組の天啓宗教」

ワールドメイトとは「教祖存命中の、神仕組の天啓宗教」なのです。

ひらたく言いますと、「私達と同じ毎日を教祖が生きていて、遠い過去から綿々と続いてきた神仕組が実際に活き活きと降りている、すなわち天啓=神が知らしめる人智や人力をはるかに越えた事柄、が出されている宗教である」ということです。

従来の伝統宗教は、その重み、発言や行動の信頼性の根拠を、その伝統=歴史的なつみかさねに求めます。

では、ワールドメイトは何を信頼の拠り所とするのか?

それは、教祖深見東州先生の生き様に対してであり、その生き様を神々が愛でて、次々と降臨し、その結果神事や芸術作品に、教祖の歌唱や書や執筆活動等に、神なる息吹きが活き活きと充満している、その様子に対して拠り所を求めるのです。

つまり、深見東州先生が、生きた神を実際に行じていらっしゃるその有り様こそが、ワールドメイトの信頼性の拠り所なのです。

言い換えれば、生ける神々が次々と降臨するという事実こそがワールドメイトの信頼性の拠り所だとも言えます。

またこうも言えます。自分達会員一人一人が、深見先生に教えられた通りに、正しく順序立てて神仏に祈りを捧げたなら、その結果として活き活きと神々の脈動が実際に分かるような「息吹き」を実感できること、神仏の動いた結果としての「証」を実感できること、これらもまたワールドメイトの信頼性の拠り所です。

「ワールドメイトは、
 内修として、スの神より降ろされた
 『実在の神を掌握する』
 『神を行ずる』
 『神人合一の道を歩む』の
 三法を以て基本とし、
 会員各個の宗教的人格を磨かしめ、
 各々の内的向上を目指す。
 また外慈として、
 神人合一の道実践の五ヶ条であり、
 ミロクの世の定義でもある五ヶ条、
 すなわち『信仰心』『愛念』『秩序』
 『調和』『平和の心』が兼ね備わった
 ミロクの世実現の為に、
 政治・経済・学問・芸術・福祉、
 あらゆる分野に貢献し、
 公共に益する活動を行うことを旨とする。」

つまり、活き活きと生ける神々を実際に感じ、またそれだけではなく神々にお願いして動いていただいて、自分も他人も幸せとなり、社会に具体的に貢献できるという実感を持てる、こうした点にこそ、ワールドメイトがワールドメイトたる所以(ゆえん=理由、わけ、いわれ)があるのです。

次に、深見東州先生が日頃から何度もおっしゃっている事柄のうち、特に重要だと思われるものをご紹介いたします。

それは、「人は何のために生まれてきたのか」、「霊とは何か?除霊とは何か?」、「運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である」、「先天の修行と神人合一の道」、この四つについて、この後順に説明してみたいと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生は、ワールドメイトの教祖です。つまり、リーダーですね。そして、ワールドメイトとは神道をその基本において活動している宗教法人です。そこで、深見東州先生とワールドメイトについて紹介させていただきたいと思います。

まず、ワールドメイトについて、ご紹介いたします。

1.ワールドメイトとは?

まずワールドメイトの在り方、ワールドメイトがどういう方針で運営されているのかをご紹介いたします。

ワールドメイトの3つのポリシー
「宗教団体としての、弱者救済の立場に立った、慈悲慈愛の実行」
「人道的見地に立った、会員や社会への対応」
「社会良識に基づく誠実な対応」

これが、ぜひ皆様に覚えておいていただきたい、ワールドメイトの運営方針ですね。

ワールドメイトはサービス業ではありません。ですから、会員も、サービスを受けるために会員でいるのではないのです。自分を救い、人を救い、神様の御用をお手伝いするために会員というご神縁が用意されているのです。しかし、あたかも他人が勝手に用意したかのように用意されているのではなく、自分でもそうした機縁があることを無意識のうちに知っていて、自ずから神なるものに導かれて会員となっているのです。

信仰とは、神様の御心を想い神様に喜んでいただこうと考え続けることです。自分が儲かるからという理由で神様のところへ通うのは、御利益信仰です。

信仰心とは、貫く精神のことであり、何事も決して途中では止めないという決意を行動で表すことです。神様のことが好きだからといって、信仰心があるとは限りません。物事を途中で投げ出すことなく長く続けている人、例えば、「書というものを30年追究し続けています」という人のほうがよほど信仰心があると言えます。

(つづく)

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先祖供養、寿符、お送り迎え符と、先祖達に向けて祈りを捧げる機会が今年もやってまいりました。

先祖に向けて祈りを捧げると言っても、実際にやってみたことがない方にしてみれば、「なんだか良くわからない」といった感じになりますよね。

そこで、今回は、両親が亡きわが子を供養したいと思って一生懸命祈った結果、神仏に祈りが届いて、その子の霊が救われた、という話をご紹介したいと思います。

その救われた子が今世、生まれ変わってきて、ワールドメイトの会員になって、そして「天命神通」を受けて、深見東州先生が魂の声を読み取って初めてわかった内容なのです。

※天命神通についてはこのブログの以前の記事で説明しているはずですので、分からないという方はそちらをご確認下さい。

それでは以下、天命神通の際の深見東州先生がある会員の方に向けてなさった解説をご覧下さい。まず、ある男性の「今世の天命についての解説」の部分です。



以下、深見東州先生の解説 ------------------------------

「両親はいたが里子に出されて、そこで折檻されて苛められて、十四歳で木に首を括って死にました。親元に帰りたかったのに…。こんな一生が続いても、何も生きていく値打ちが無いと、鎮守様に願かけて、百日目に死にました。」

「大山祗の神様が…死んで三日後に、里子に出した親が見に来て泣き崩れて、この子を手許に置いておけばよかったと。母親は泣き崩れて…母親は子供のために毎日、千日供養をして、五百日目に閻浮堤(えんぶだい)の冥府魔道の親神様に祈りが届いて、大山祗の神様が、直々に出てこられて、『お前の意志の弱さもはかなさも苦しさも分かるが、八割までは親の責任だ、獄界から救ってやろう』とおっしゃった。」

「六十五年の寿命があったのに自ら命を絶ったから、今世は、六十五年間はどんなことがあっても生きて、精進努力して、世のため人のために生きて、仏心堅固に努めねばならぬと、それで生まれてきた。」

以上、深見東州先生の解説終わり ---------------------------



ここまでが、この男性の「今世の天命と、なぜそのような天命を持つに至ったのか、その背景の説明(即ち、前世で起きた出来事についての説明)」にあたります。

実際に母親の祈りが届いて、その結果救われたのだということが分かります。

続いて、「天命を必ず成就するにはどうすればいいのか」という対策についての説明が続きます。



以下、さらに深見東州先生の解説が続く ------------------------

「このままでいくと六十五歳で、たとえ努力しても七十代で帰幽する。寿命が六十五歳だったところを天命と運命を差し換えて五年足された。七十歳。」

「しかし、この白山に来て、長寿を全うし、八十九十まで生きて、ご神業をして、神業第一として世のため人のため神様のために生きんとする発願を、御縁のある人のため神様のために生きんとする発願を、一日に三度、毎日三度、これを五年間一日も休まず続ければ、自らの命運を改めて、八十九十まで生きることができる。」

「これが神の愛であり慈悲であり自らの発願と菩提心であり、神と共に生きんとする人が報いられるところ。」

「今生は二つ。一つは、苛められようと折檻されようと、不遇の目に遭おうと、これを喜びとし感謝し、御魂磨きの糧とし脱皮し乗り越えていく糧とすること。二つ。良き御神業が八十九十まで、出来ますようにと発願して祈ること。」

「(実は)、役行者の弟子で、霊力は充分に磨いたが、神仏のために、布施行のために命を徹しきること、これがまだ充分出来ていなかったので今生これを全うしたい。幸不幸は一過性のもの、発願により神仏が動くことは永遠の理なり。永遠をつかみ取るべし。永遠が本当の神への誠であり、永遠が本当の愛の本質、常にそれを目指して進むべし。祈りの行が出来ても、思い切りが悪いと神仏は動かないから、今度からは、思い切りよく、よく考えて、思い切りよく、両様が出来るように。」

深見東州先生の解説はここで終わり -------------------------



ということなのですが、たったこれだけの解説の中にいかに多くのヒントが含まれているか、皆様、御理解いただけるでしょうか。ぜひ何度も読み返して、ご自身の毎日の御神業のヒントにしていただければと思います。

(つづく)

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暑いです。真夏ですね。本当に先祖の皆様の「重み」を実感しておりますが…豆木の潔斎も同時にありますので、年に一度の定例の「先祖に想いを馳せる時期」ですね。

先祖が私達の想念にどれだけ影響しているのかについて、深見東州先生がメルマガで説明して下さっているので、今回はそちらを紹介してみたいと思います。

聞いたことのある話をご紹介したいと思いますが、支部にお越しになれば詳しい説明をご覧いただくことができますので、皆様、ぜひお近くの支部まで足を延ばしていただければと思います。

どうやら、獄界の先祖霊が出てくると、胸が沈んで本当に奈落の底に落ち込んでいくような気分になるようです。これが生霊になると、胸が締めつけられたり、何かが刺さったような感じになって気持ちが落ち込む、こうなるようです(以下、深見東州先生のお話しが続きますが、説明の中には現在の医学的見地による判断とは食い違うものもあるかもしれません。ですので、以下の説明をお読みになっても、その説明ひとつだけでいろいろと即断せず、早計に結論を出そうとしないで、必ずお近くの病院や医者で受診してもらい、現実的な観点からの診断と治療法を仰ぐようにして下さい。)。

うつ病になるのもいろいろと原因があるようです。例えば、積極的に神仏にお祈りすることをせず怠った結果、御魂が沈滞してしまったという場合であっても、うつ病になるようです。また、首の頸椎(けいつい)が損傷し、気分が沈んでしまうことが原因の場合。あるいは、女性で30代後半以上の人、男性で40代半ば以上の人で起きるホルモンのアンバランスが原因の場合。これは成長ホルモンの分泌が低下することから来るようです。この成長ホルモンの分泌量が低下するのを乗り越えていくには、筋力を鍛え、運動することで成長ホルモンの分泌量を増加させるのが良いようです。多くの場合、運動不足がもたらす筋肉の退化が、成長ホルモンの分泌量低下の原因となるようです。また、冷たい飲み物・食べ物を摂りすぎることで低体温症の症状が現れ、これが原因となって免疫機能が低下し、やる気がなくなります。そして、この免疫機能の低下が腸内ウイルスや常在菌の暴走を招き、この腸内ウイルスや常在菌が脳に浸入して悪影響をもたらした場合もうつにつながります。

思い込みや妄想の結果、未来に対して不安や絶望を抱いている場合、また、志や夢や目標を持てず、毎日を締まり無く過ごしてしまって御魂の発動が無くなり、気が下がる場合、これらもうつにつながるということです。

社会経験の無い人が、強烈な上司や先輩からさんざんにこき下ろされてしまい、自信を喪失して引き籠もってしまい、御魂が帰ってしまったという場合もうつになるということです。新たな夢や未来の理想を丁寧に想い描いて、良き霊界を作り直すと御魂が帰ってくるようです。

悪方位や悪家相が原因で、気が過度に停滞している場合もうつにつながります。吉方位に引っ越す、吉相の家に住む、こうした対処法で元気になることが多いようです。

さらには、日光を浴びる量が不足することで自分の体の細胞やミトコンドリアが不活性になってうつを発病することもあるようです。夜寝て昼は外に出るという生活を送り、昼夜が逆転しないようにすることが大切です。

霊的な事柄がうつの原因になっている例としては、浮遊霊が憑霊している場合、動物霊や教団霊が憑依している場合、先祖の回忌供養がきちんとできていない場合、自殺した先祖が憑霊している場合、こうした例があるということです。

私個人の主観的な意見としては、この時期に、胸が沈むとか気持ちが浮かないというのであればやっぱり豆木、足がだるいというのであれば先祖供養、こういう感じではないかと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

先祖供養の季節がやってきました。皆さんはもうお申し込みになりましたか?

私は、この季節になるといつもなんですが、どうにも体が重くなって本当に苦しく感じる時が出てくるので、毎年必ず申し込みをしています。

この季節が来たら、必ず先祖に言ってきかせるようにしている言葉がありますので、そちらを紹介してみたいと思います。もちろん、もっと上手になさっている方もいらっしゃることでしょうが、とりあえずということで。

「わが父方△△家のご先祖の皆様、△△家の直系ならびに傍系のご先祖の皆様、いつも私をお守りいただきまして本当にありがとうございます。また、わが母方●●家のご先祖の皆様、●●家の直系ならびに傍系のご先祖の皆様、いつも私をお守りいただきまして本当にありがとうございます。」

「まもなく先祖供養のお取り次ぎがございますが、恵みを下さるのは神様、仏様でございます。神様からの恵み、仏様からの恵みによって、ご先祖の皆様が救われるのです。つきましては皆様も、私達子孫と同じく、神様仏様にどうか感謝のお祈りを捧げて下さい。」

「そうした神様からの恵み、仏様からの恵みを取り次いで下さるのが深見東州先生です。お取り次ぎ当日には、お坊さんの格好をした深見東州先生が神様の功徳、仏様の功徳を取り次いで下さいます。皆様はどうか静かに、お取り次ぎの妨げにならないよう、供養を受けていただきますようお願いいたします。お取り次ぎの前も、最中も、皆様は話しかけたりくっついたりなさらず、静かに供養を受けていただきますように。そうでないと供養が始まらないし、深見先生の邪魔になってしまいますので。」

「供養はあくまで、直系ご先祖が主ですから、傍系ご先祖の皆さんは控えめにしていて下さい。しかし、傍系といってもご縁があって、家に尽くされた方もあって、身分があった方もあって、実力があった方もあったことでしょうから、供養はきちんといたしますので、控えめな形ではありつつも、しっかりと供養を受けて下さいますように。」

そして最後に

「最初に申し上げましたように、ご先祖の皆様に恵みを下さるのは神様仏様でございます。必ず供養をいたしますので、直系先祖の皆様も傍系先祖の皆様も、どうかお取り次ぎの当日まで霊璽(れいじ=先祖の霊達の一時的な拠り所)におかかりになってお待ち下さい。私達の肉体におかかりになると私達が苦しくなってしまいますので、どうか霊璽におかかり下さいますように」

このように申し上げます。

こうすると、「体がダルい」というのが改善されることが多いですよ。一度お試し下さい。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

日頃から、事細かに祈ること、できる限り具体的に祈ること、こうした祈り方を練習しておいて、神様や仏様に自分の考えをできるだけ事細かに説明した上でお願いする、といった習慣を確立しておくと、やはり証が具体的に出ることが多くなるような気がします。

事細かに具体的にしつこく何度も祈るというのは、なかなか手間と時間と労力と忍耐力と国語力が必要になってくることなんですね。その場で即興でお祈りの言葉をどんどん出していくというのが苦手な人は、紙に書いて祈ってみてもいいかと思いますが、目が開いていて自分の周囲の景色を冷静に見ているというのでは、実は深見東州先生がおっしゃっているように、自分の祈りの中に入っていくというか情感を盛り上げていくのにはなかなかうまく行かないんですね。目が開いている祈り方では集中し没入することがむずかしくなってくるのです。したがって、お祈りの際に発揮される力もまた、目を閉じて祈りに集中している場合よりは若干弱くなっているかもしれません。

しかしそうは言っても、やはり言葉足らずになるのでは困るのですね。言い忘れ・祈り忘れが起きるのはできる限り避けたいですね。

以前に人形の証であったと思いますが、教員をしている会員が、自分のクラスの子供達について丁寧に人形に書いてお祈りしたところ、自分のクラスのその子達はことごとく入学試験に合格して幸せにはなったけれども、隣のクラスの子供達がその分試験に失敗してしまって、全体として見た場合に、あまり成績が良くなっていなかった、といった証があったように思います(記憶違いがあったらすいません)。

この例では、祈り方を変えて、学校全体を範囲とした祈りに変え、また、「自分の担当するクラスの子供達が皆~」という尺度の祈りだったのが、その尺度も別の観点からの祈り方に変更したところ、全校の成績が向上してどの子も喜べる結果となったという話だったのではなかったでしょうか。

結局、自分がどういった観点から祈っているのか、ということと、どういう尺度でもって祈っているのか、といったことが結果を左右することが多いように思います。ですので、自分が何を祈りたいのか、優先順位の高い事柄は何か、逆に、どちらでもいい内容はどれか、こうした点を整理してからお祈りに入ると、うまく祈ることができるように思います。

問題点と自分の本音を整理しておくことが大切なのかもしれません。

(つづく)

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