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Author:ノリコ
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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

長く会員を続けていても、あんまり状況が変わりばえしない、いつも同じことでもめている、こういう人がいますが、そういう人に限って先ほどあったような「これで昔の劫を祓うことができた、有り難いことだ」といった感謝の祈りを捧げることができない場合が多いように感じます。

どんな場所に行っても、職場であれ家庭であれ、相手のものの考え方や行動を変えさせることはできません。変えることができるのは、自分のものの見方や考え方、受け止め方だけです。したがって、長く会員を続けていても、自分の心の在り方を変えて物事の受け止め方を変えて、すべて感謝で締めくくることができるように物事を受け止めていく、こうしたことをしない限り、劫を祓うこともできないし、悟りを深くすることもできないのです。我を張り通す人には未来はないのです。

そして、自分の心のあり方と自分の行動のあり方が何も変わらないなら、何も学んでいないのと変わらないということになります。

実際、自分の想念がより発展的なものにならず、したがって自分の行動もより発展的なものにならないという人は、本を読んでいない、ものをあまり考えていない、そして日々の祈りや発願をあまりしていないという場合が多いのではないでしょうか。

自分の知恵だけでやってきた結果が今の自分の有り様なのですから、それを改善しようと考えるなら、より良い知恵、より新しい知恵を学んでいく以外にないのです。したがって読書をしてより賢くなることを心がけることが必要なはずですね。それなのに、自分の環境や境遇に不満を持つ人に限って勉強しない、お祈りしない、こうした人が多いような気がします。

不平不満を抱いたまま過ごしてしまうと、自分を苦しめ続け、また周囲の人々をも苦しめ続けることになり、二重三重に罪を作ることになります。想念が明るくならず暗いままですから勉強しようという気にもなかなかなれず、怠りの罪までも積むことになるわけです。

こうした状況のままでは、物事が好転するのはとても難しいと言えるでしょう。なぜなら、原則として、暗い想念の人には暗い事柄が起き、明るい人のところには明るい事柄が起きてくるということがあるからです。霊界がそういうしくみだからですね。

今の自分を乗り越えて、脱皮して、より良いもの、より良い人、より良い事柄に出会っていくためには、自分がそうしたより良いものに相応しい自分に変化するしかないのです。

そのためには、前向きになれるような本を探して読む、もちろん深見東州先生の本を始めとしていろいろ良い本はたくさんあると思いますが、そういう読書をするということがとても大切になってくると思います。なぜなら、自分より賢い人が書いている場合が多いわけですから、本を読めば何か気づくことがあるはずなのです。

新しいことに気づくことが楽しい、新しいことを知ることが楽しいという自分を大切に守って維持していかなければなりません。誰でも子供の頃はそういう部分を持っていたはずなのです。

そして、どんなことが起きても無理矢理にでも感謝して受け止めるよう、自分を習慣づけていくことが大切なのです。それができない限りは信仰心があるとは言えません。なぜなら、何事も神様の導きだと確信し、何事も神様のお導きの結果起きているのだと思うからこそ、どんな不運も必ず劫祓いになっていると思って感謝することができるのです。

自分が楽しいと思うことがあった時だけ感謝して、一見不運ことがあった時には嘆いているというのでは、何も信心をしていないと人と違いがありませんね。そういうことでは信仰心というものに対してあまりに考えが浅すぎるのではないかと思うわけです。

そして、感謝で締めくくって落ち着いた想念で一日を終えることができない時は、何か解決しなければならない課題があるはずなのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

例えば、いつも人間関係でもめている人、こういう人がいます。職場で必ず誰かとケンカしてしまうとか、露骨なケンカではなくてもいじめられて職場に行きにくくなるとか、あるいは支部に行っても支部の中の誰かとの人間関係が険悪になって支部に行きにくくなってしまうとか、とにかく家から出てどこかへ働きに行こうとか、支部へお祈りしに行こうなどとという時に、いつもいつも揉め事ができて、結局どこへも行けなくなってしまうという人がいますね。

みずからの抱えている劫、自分の家の抱えている劫、これらを解消するには不運を経験して苦しむか、あるいは世の中や神仏に対して施し(=喜捨)をして、それを自らの苦しみの代わりとする、こうした方法を取る他ありません。劫とはこれまでに自分が他人を苦しめたことによって蓄積された負の歪みですので、今度は自分がそのようなマイナスな目に遇って業払いをするしかないわけです。歪んだことを他人にしてきたのを、今度は自分が苦しんでその歪みを正すわけですね。

深見東州先生の著作の一つ、「絶対運」の中では次のように紹介されています。

引用ここから--------------

 では、消極的因縁解消法とは何か。

 不運になることである。むろん自ら不運になることではなく、もし、今あなたが不運ならば、そのこと自体がすでにカルマの解消を行っているということなのだ。

 不運であるそのこと自体が、消極的、すなわち受身の形でカルマを解消しているのである。借金を自分から返済しているのではなく、かつて借金をしたことを忘れていて、借金取りに訪ねてこられていやいや返済しているようなものだ。

 どれくらいの借金か、どれくらい深い因縁かは、不運の度合いによってはかれる。それを重い順に列挙してみよう。

1 死
2 貧窮 貧乏のどん底
3 病気 事故
4 不運な人間関係
5 適性のない仕事

 二番目の貧乏と三番目の病気は、その度合いによって順位が入れ替わる場合がある。

 不運な人間関係とは、職場であれ家庭であれ、信頼されないとか、悪評に泣くとか、あるいはいつも同僚と対立し孤独であるとか、家庭でつねにいざこざがあり夫婦ゲンカ、親子ゲンカが絶えないといったことだ。

 この中でもっとも軽いのは、好きでもない仕事に就き、仕方なく生活のために働くという場合である。

 こういう不運に見舞われたとき、もし自暴自棄になったり、己の不運を呪い、周囲を憎んだとすれば最悪である。せっかくその不運によって過去のカルマが清算されるという絶好のチャンスに否定的になってしまっては、まったくの逆効果であるからだ。ひとつの不運がきたら、「あ、昔の借金の返済ができた、何もしないのに有り難いことだ」と、感謝するぐらいでなければならない。そのためには、カルマ=業の仕組みをよく自分に納得させておくことだ。

引用ここまで--------------------

この中で、最後の「ひとつの不運がきたら、『あ、昔の借金の返済ができた、何もしないのに有り難いことだ』と、感謝するぐらいでなければならない。」という部分に注目していただきたいと思います。これができるかできないかで、実は大きな違いが生まれてくるのではないかと思うのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生は、「いつも神仏に動いてもらえるような日々、いつも神仏が応援してくれるような毎日、こうした毎日を送ることが大切です。神仏と共に物事に取り組んでいく、神仏とともに目標に挑戦していく、こういう人にあなたもなればいいのです」とおっしゃっています。

神仏の加護をいただける生き方とは、発願して挑戦していく毎日を送るということですね。

常に神様に誓いを立てて生きていく。毎日神様に新たな誓いを立てて生きていく。こうすることで自分のもつ先天運を超える可能性が出てくるのです。つまり、自分の先天運に縛られない生き方をすることができるようになるかもしれないのです。

神様に祈る時には、まず感謝の祈りから始めますが、感謝が済んだら常に上を目指して、どんどん新しい発願をしていきます。ただし、上昇志向が強くなりすぎると、傲慢になってきたり、執着心が出てくることがあります。自分では自覚が持てなくとも、人は、何事かを成し遂げたあかつきには自信も持てるようになっていますが同時に多かれ少なかれ傲慢になるものです。

そこで、そうなったと感じた時、あるいは具体的な成功を得た時には、心を切り換えて感謝の祈りに立ち帰って、冷静な自分を取り戻します。感謝と幸福に安住していると怠りが出てきますので、再び目標を掲げ、進歩発展していくべく努力を始めるのです。

肉体がある限り、そして肉体がなくなっても、いつもより良いもの、より高いものを目指して、より難しいもの、より困難なものに常に挑戦していく。発願を立てて、そこから具体的な目先の目標を導き出して、常にお祈りの中で神様に誓いを立てていくのです。

頑張っていると疲れてきて我が出てきて傲慢になってきますので、自分を見失っているな、と思ったら一度後ろへ下がって感謝して、自分の幸せを噛みしめたら、また新たに志を立てて努力し始める。この善循環のくり返しが、御神業における進化・進歩なのですね。

このように毎日を送っている人であれば、神仏は大いに守護して下さることでしょう。

どうしようかな、と思って受身でじっと待っているだけでは守護は始まらないのですね。

志を立てて発願し、より難しいもの、より困難なことに挑戦しているという日々を送って、わが発願の成就のために守護を与え給え、力を与えて下さい、知恵を与えて下さい、何とか現状を超えて行くことができるよう足りないところを足していただけますように、と祈るからこそ、その発願と祈りにふさわしく神仏の守護がやってくるのです。

これが神仏を動かす要諦、すなわち神仏と合体するために最も大切なことなのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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難しいことや困難が伴うことに挑戦し、取り組んで、やり抜いて、仕上げていこう、完成させていこうという時には例えば次のように祈ってみてもいいかと思います(もちろんこれが一番良いという意味ではありません)。「現在、~~という発願をさせていただきまして、~~という目標を達成すべくがんばっているところです。……と……については自信がありますが、~~と~~についてはあまり自信が持てません。つきましては私の足りないところを足していただき、より多くの人達に喜んでいただくことができますように、そして、さらに工夫できるところはどこか、改善し向上することができるところをことごとく教えてくださいますように」と例えばこんな感じでお祈りを始めるのがいいのではないでしょうか。

とにかく、難しいことをやり遂げようとして神仏に素直に祈れば、必ずコツや要点を教えてくれるはずなのです。もちろん神仏があなたに聞こえるように言葉で話しかけてくることはないので、事柄、書物、人、こうしたものとの出会いによって、つまり良き事柄、良き書物、良き人との出会いによって、ヒントをどんどん得ることができるのではないかと思います。何らかの形で今の自分の水準を超えたものを成し遂げようという発願をしたなら、必ず本当の神仏の守護が始まり、具体的な形に現れてそのご守護が感じられるようになってきます。

本人が自分の御魂を発動させ、実際に行動に移して努力を始めた時にあわせて、神仏の守護も動き始めるのですね。ですから、神仏を動かすきっかけを作るのはその人本人しかいないのです。

困難を超えていこう、これを必ずやり遂げよう、こういう前向きな意欲を行動に表すと、神仏の守護が始まるわけです。行動しない人、目標に取り組まない人、自分から積極的に行動しない人には神仏のご守護もなかなかやってこないのですね。

神様に向かってたっぷりと説明してたっぷりとお祈りした後に、いよいよ自分で頑張り始めると、いよいよ神仏のご守護も始まるようです。このご守護が始まったときには、「なんとなくこうするのがいいような気がする」とか、「ちょっとこうしてみようかな」といった、明確な根拠はすぐには見つからないのだけれども、こうしてみようかな、というひらめきがやってくることがあるような気がします。そうした前向きなひらめきは絶対に口に出して人に言ったり自慢したりしないで、密密に、自分一人の胸に秘めたままにして、物事に取り組んでいくのがいいと思います。口が軽いと結局最後に魔が入るような気がします。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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何事も受身のままでは神仏に動いてもらうことはできません。発願して、その発願に基づいて努力をしていく、あるいは発願に基づいて具体的な目標を立てて、そのために努力をしていく。この、自分なりに努力を始めてそして努力を続けていく、というところが大切なようです。

発願とは、神様に誓いを立てること。この発願をしたなら、それに相応しいだけの努力をしなければ、ただの空約束になってしまいますね。発願に続けて実際にどれだけ本人が努力しているのか、この努力の過程を神仏は見ておられるということです。本人が努力する有り様を見て、誠の有無を判断しておられるのですね。

深見東州先生によれば、人として成長し続けるためには、自分ができる範囲を少し超えたところ、つまり自分の限界の少し上、これを目指していくのが良い、ということでした。

普通は誰でも、ついつい簡単なほうや楽なほうへと流れてしまうものですが、そこをそう流されないで、あえて難しいことに挑戦するようにしないと、魂も向上しないし背後霊団も応援してくれません。自分なりに、難しいものや水準の高いものに向かっていこうという姿勢に対して、神仏の守護が動き出すということなのですね。

神様も仏様も、やっぱりより良いもの、より難しいことに挑戦している人こそ喜んで守護されるということでした。神様仏様も、守りがいのある人をこそ守りたいということなのです。

それでは物事に挑戦していく時、難しいことに挑戦していこうという時に、どのように祈るのがいいのでしょうか。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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どういう家に生まれてくるのか、この点については、まず自分の徳と劫の持ち分によって決まるということを理解することが大切です。基本的には徳を積んでいれば良い家に生まれることができるようです。

生まれた家の良し悪しといいますが、これも要するに「その家にはどんな歴史があるのか」、別の言い方で言えば「その家に、どんな先祖がかつて存在したのか」ということになるのですが、生まれ変わりの際に少し特殊な事情があって、どうやら自分の生まれた家に何度も生まれ変わってくる場合もあるようなので、場合にはよってはとんでもない先祖が実は自分自身だった、ということもあるようです。けれども実際には、普通の家に生まれてきた場合、先祖がどんな人柄だったのかといったことがわかることはほとんどない、そういう記録が残っている家はそんなに多くないわけですから、自分に相応しい家に生まれてきたのだと言い聞かせることぐらいしかできないでしょう。

前世から持ち越してくることができ、また来世に持ち越していくことができる要素としては、「学問・芸術・信仰」がありますね。今世努力して学んだこと、心がけて追究したことはすべて来世の自分の才能として持っていくことができるわけです。今のあなたがいろいろと器用に勉強するのが得意だったりするなら、その理由はおそらく前世とか前々世で頑張って習得したのではないかと推測できるのです。

前世はどうだったのかわからないし、来世でどうなるかはわからないのですが、今世において間違いなく言えることは、例えば「守護霊に祈ればいくらでも聞き届けてくれる」といったことを知っている、これが挙げられます。これを知って実践する人と、何も知らないままで生涯を過ごして人生を終えてしまう人とを比べると、そこにはそれなりに大きな差ができるのではないかと思えてきませんか?

前々回に紹介したように、子孫が「このように生きていきたい!」と発願するなら、それを聞いて守護霊が導いてくれるわけですね。それではそういうことならと、「私の今世の天命は何ですか、そこから逸脱することなく、今世の天命を忘れることなく最期の最期まで生き抜くことができますように!」と発願するなら、おそらくそのように生き抜くことができるように必ず守護がもたらされることでしょう。

今世ではそのような「前向きな発願をすることが大切なのだ」と知っているのですから、発願しないで生きていくなどあり得ないわけで、次々と発願して、毎日新しいことを発願して、生きていけばいいのです。今世ではこうした知識を得てそしてまたその知識を実際に実践できるわけですから、今世とはこれまでの自分の魂の歴史の中でまさに千載一遇の好機だと言えるでしょう。

まさにこの機会を逃すことなく、守護霊に祈り、神仏を動かす方法を知ってそれらの神仏に祈ることで、自分の命運を改善していくべきでありましょう。

今世において、神縁を得て神霊界にまつわる知識を学ぶことができるということ、これは、一人ひとりにとって前代未聞のチャンスなのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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生まれつき運が良い人、あるいは生まれながらに不幸な境遇にあるといった生まれつきの運の善し悪しは、否定することはできないでしょう。みんな同じで平等だと言いたいところですが、実際にはそうではありませんよね。

この幸運と不運について、深見東州先生の「絶対運」には次のように説明されています。

引用ここから------------

 ひと口に運・不運というが、それは、大きく三つの要素から成り立っている。


●本人の境地と(後天的)精進・努力
●本人の前世におけるカルマ
●家代々の因縁

 世の霊能者や超能力者の多くは、ツキを呼ぶとか、運をよくしようといったテクニックを駆使し、本人の精進・努力のみをあつかう。でなければ、本人の前世も家系の因縁も一緒くたにしてカルマで考えようとする。

 だが、…(中略)…ひとりの人のカルマ(業)はさきにあげた三つの要素によって動いていくということなのである。

 いわば、それが命を運ぶこと、すなわち運命ということになるのだ。

「なぜ、あなたがいま幸運なのか」、「なぜ不運に泣いているのか」といえば、ひとつは、あなたが前世で何を為したか、どんな原因を作ったか、何の種子を播(ま)いたかによる。

 人を苦しめ、いたぶり、物品のみに価値を置いて生きた前世であったのか、また次から次と女人を漁り、酒池肉林のなかであけくれていなかったか、あるいは逆に人々を救い、困窮にあえぐ人に手をさしのべたか……、などなど、前世の生き方によって決められた今生のあなたのカルマと、あなたが縁あって生まれてきた父母の家代々のカルマとがからみ合って人の運は変わる。つまり、個人と家の因縁が組み合わさるわけだ。

 したがって、本当に運命を改善しようとすれば、それらをよく知って、自分の前世のカルマと、家代々受け継がれてきたカルマという借金の合計額をつかんで、その返済に励むことが必要である。

(絶対運、p.238)

引用ここまで-------------------

前世で自分がなしたことに相応しく、今現在この世に生まれてきている、ということなのですね。

それでは、その一つ前の人生だった「前世」は何によって条件づけられていたのかと考えてみると、おそらく二つ前の前世すなわち「前々世」の自分の生き様の影響を受けたのだろうと推し量ることができます。

そして、今度は時間について逆の方向を向いて、来世について考えたなら、今の生き様がたぶん自分の来世の中身を創り出していくことになるのだろうと予想できるわけです。

(つづく)

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発願することで運命を変えることができますよ、というお話しを以前に書いたことがあったと思います。いろいろと過去のノートや深見東州先生の本を読んでいたところ、またまた思い出したことがあったのでちょっと書いてみます。

ある時、親子で会員をしている人の、その息子さんのほうから深見東州先生にお手紙が来たということなのです。その中には「僕は日本一のアイドル歌手になりたいと思います」とまず書かれていました。そしてその後の部分には、「人からうらやましがられるような、運の強い人間になりたいと思います。守護霊様を見ていただいて、ぜひそのように運をつけて下さい」としたためてあったということでした。

これを読んで、深見東州先生が実際にご本人の守護霊さんに確認してみたところ、守護霊さんも微笑んでいて、「可愛いやつだ」と思っていることが分かったのでした。「愚かなやつだ」とか「バカなやつだ」といったことは守護霊さんは決して言わなかったようです。何しろ、まだ高校生ですからね。

それで守護霊さんの答えはというと、「汝の希望をかなえてやろう。だが、アイドル歌手がずっとアイドルでいられるのは運がいいからではない。運がいいのではなく、徳が高いからなのである。自分が前世で積んだ徳、家代々に伝わる徳、こうした徳分によって成功や名声が長続きするのである。徳が無いままではアイドル歌手として長らえることはできない。そう考えたところ、アイドル歌手として名声を保つには、今のお前はいささか徳分が不足している。だから日本一のアイドル歌手になりたいのなら、あと三回生まれ変わってくる必要がある。三回転生をくり返し、徳を積み続けるなら、必ず大成功するアイドル歌手になれるだろう。」というものでした。

そしてさらに、「今、もし歌手になろうと思えばなれなくもない。しかし徳分が足りないので2年ぐらいで歌手を廃業して友人の勧めでスナックを開くことになる。そして、自分一人でボーイを兼ねたマスターをすることになるだろう。その生活は25年くらい続く。その途中で、一度結婚して二人の子供に恵まれるものの離婚してしまい、自分の母親に子供達の面倒を見てもらうことになるだろう」という答えまで守護霊さんは教えてくれたのだそうです。

その子の純粋な想いに、守護霊が丁寧に答えてくれたのだということでした。

前向きで努力を惜しまないといった発願に対しては、守護霊さんも守護神さんも応援を惜しまず、かわいいかわいいと思ってくれて、どんどん応援してくれるのだそうです。間違った発願であれば、具体的に丁寧に人の言葉や物事との巡り会いなどでやはり間違っているところをちゃんと知らせて下さるのだそうです。

深見東州先生がおっしゃっていたのは、「とにかく目標を持つこと、志を立てること、これが大切ですよ」ということでした。

やっぱり発願することが大切なのですね。そして、発願は必ず聞き届けられると確信して、実際に努力を続けていくこともまた大切なのではないかと思いました。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 守護霊

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いろいろと具体的にお祈りしようとする時には、細かく分け入ってはっきりと述べ上げないといけませんが、抽象的に「話し合いが盛り上がりますように」、「話し合いで結論が出ますように」というだけではなかなかうまく祈った結果の証しが出ないかもしれません。

例えば話し合いに参加する参加者の一人ひとりについて、具体的に性格や癖を知っているとやっぱりお祈りする時に役立ちます。話し合う内容についても、話し合いの目的が明確になっていて、これまでの経緯を理解していると、より具体的にお祈りするのにやっぱり役に立ちますね。人数も、もちろんその場にいる顔ぶれだけでなく、一人ひとりを守っている守護霊さん達などもいるわけですね。

克明に描き出して、その描き出した様子に合わせて自分の気持ちが高揚してくると、なかなかうまくいっているという感じになってきます。

それに現実世界に強い神様をちゃんと選んでいるかどうか、それも要点のひとつですね。高級神霊や大神霊には大きく抽象的に祈りますが、具体的な証を出してくれる神様には、具体的に事細かく描き出した祈りの文言を述べ上げることになりますよね。

担当官や窓口に向けて、丁寧に細やかにいろいろとあれこれと祈っていきますと、自分でも祈りながらどんどん気持ちが乗ってくるし、さらにいろんなことに気づくようになってきます。そうすると実際に物事に取り組む時に気をつけるところがわかってくるので、いっそう祈り方も具体的になってくるのです。それでますますお祈りの言葉が細かに出てくることになります。

もちろん祈る順序もちゃんとあって、祈り方も明確に決まっているわけですから、順序と方法を無視して祈りたいように祈るだけではうまく行かないこともありますね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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先日、ご近所の自治会の打ち合わせがあって、会合に参加させていただいたのですが、これが思わぬ良い結果というか、予想以上に関係者全員が満足できる結果に終わることになったのですが、自分でもなかなか上手にお祈りして準備できたのではないかと思ったのでちょっとこちらで紹介させていただきたいと思います。

会合そのものについて詳しく書くことはできないのですが、まあ、いくつか難しい議題が出てくることはだいたいわかっていましたので、事前に祈り込んで参加することに決めていたのです。

参加者一同の名前を確認し、開始時間・終了予定時間を確認し、会合のある場所の住所を確認し、当日議長を担当する人についてももう一度確認し、参加者一人ひとりについて、事柄について、地域の関連する人達や事柄について、その他様々な約束事についても今という時代に合ったものは残って時代遅れな約束事は廃止となりますよう、その他いろいろ含めて、とにかく言葉を尽くして産土神社で七日間の御祈願をしてから、その会合に参加したのです。

すると、気難しい人もそれほど難しいことを言うことなく、興味があまりない人も興味がないことを露骨に出しすぎることなく、いつも一人で話しすぎる人もしゃべりすぎることなく、いつも無口な人も黙ったままで押し通すことなく、それなりまともな会合になって、なんだかんだと言いつつもちゃんと結論が出ることになったのでした。

自分でしつこくくどく言葉を重ねてお祈りして、それで本番を迎えたのですが、予想外にうまく話し合いが進んだので本当に驚きました。もちろんこれまでも「明日の会合が皆さんにとって云々」というお祈りはしていましたが、丁寧に隅から隅まで言葉を足して祈るとやっぱり違うものだなあということを実感したのでした。

具体的に祈ると、やっぱり本当に具体的に結果が出るものですね(もちろん事柄についてだけお祈りしたわけではありませんよ)。

(つづく)

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自分の心を信じてはいけません、ということは、皆さん早いうちに学んでいらっしゃってご存じかと思います。

もう一つ、信じてはいけないものに、「自分の中の負の感情」がありますね。

マイナスの感情に基づいて物事を判断してしまうと、当然、相手の欠点、人や事柄の良くないところ、不満足だと自分が感じてしまうところ、こうしたことばかりが見えてきます。マイナスのフィルターを心にかけて人や物事に接しているのですから、当然そうなりますよね。

そこで自分の感情、自分の気持ちをどのように扱うのか、といったことを少し考えていたところ、ずいぶん前になりますが、伊勢神業の際にこのことについてお話しがあったなあと思い出したのでした。

その時に聞いた内容というのは、「どんなことでも喜び、どんなことでも最高に幸せだと思い、どんなことにも無理やりにでも感謝できる人になれるようにしましょう。そのように無理矢理に自分を持っていけることが悟りであり、修養(=学問をおさめ徳性を養って、人格を高めるように努力すること)であり、意志の力なのです。」というものでした。

それまで私は、腹が立つことがあれば腹を立てて、悲しいことがあれば悲しいなあという顔をして悲しいという気持ちになって、という具合に、自分の感情のまにまに素直に浮いたり沈んだりしていたのでした。ところが先の話を聞いた時に、なるほど、と本当に反省したのでした。この話にはまだ続きがあるのですが、その内容とは

「イヤだと感じた時にイヤだなと思って、また、気に入らないと感じた時に気に入らないんだといちいち嘆いているのでは動物と変わるところがないですよ」

というものでした。これを聞いた時に、自分はいかにも知性が無くて女子高生みたいだなあと思って猛省し、それからいろいろと古典を読んで勉強するようになったのでした。

単なる読書ではなく、わざわざ古典を読むようにしたのは、物事の中庸(=特定の考えや立場にかたよらず、中正であること。行き過ぎや不足がなく、常に調和がとれていること)を押さえることが大事なのではないかと思っていたからなのですが、今ではいろいろと読んでみてよかったと思っています。機会があれば、またそうした古典についてもご紹介してみたいと思います。

(つづく)

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神社に行ったからといって、その場に着いてすぐ自分の気持ちが昇殿参拝に向けて準備ができているとは限りませんよね。

子供の時に遠足に行く前などに、何日も前からその校外学習に気持ちを向けて、お菓子を買いに行ったりして準備をして、待ち遠しく思いながら当日を迎えて、大喜びででかけて行った、なんていう記憶がある方も多いのではないでしょうか。

やっぱり事前にその事柄に気を向けて、気持ちを調えたり準備を調えたりしているとおのずから当日の気の凝結が違ってくるものですよね。

ですから、来週参拝にみんなで行きますという場合には、一週間前からチラチラとその参拝のことを自分の毎日のお祈りに入れておいたりします。そして前の晩はもちろんいよいよ明日伺いますので、というお祈りをしてみたり。当日も、朝出かける前にもう一度その参拝について、お祈りしてから出かけるわけですね。

こんなふうにすると、やっぱり実際に現地に到着した後も、気持ちの盛り上がりが違うと思います。

いっそう念入りに祈り込みたいというのであれば、電車を利用していくのであれば、行く間じゅうずっと現地に着くまで祈り続けて、さらに現地に着いてからは鳥居の手前で軽く祈って、そして本殿の前でさらに祈り込んで、それからいよいよ正式参拝の申し込みをする、なんてことをしています。

移動して着いたのでそのままツルツルと申し込みをして、呼ばれたので参拝しました、というのではちょっと仕込みが足りないような気もしますけれども。もちろん人によっていろいろとやり方はあると思いますが、どうせ参拝するならご神徳がたくさんいただける参拝にしたいものですよね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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ワールドメイトはお蔭信仰をする団体ではありません。実在の神様、すなわち生ける神々の息吹きを直接感じたり、そうした神々にいろいろと語りかけたり祈ったりすることで、神々とやりとりをして、その結果としての証(あかし)・手ごたえを実感できることがワールドメイトワールドメイト足る所以でありましょう。

けれども、中にはどうしても証が実感できない、とおっしゃる方もいらっしゃるようです。

それではどうして証が実感できないのでしょうか。

いろいろな理由があるでしょうが、代表的な理由の一つとして、「お祈りが実はお祈りになっていない」ということが挙げられるのではないかと最近思うようになりました。

私の知人の会員に、一人、「なかなかお祈りのセリフが出てこなくて困っている」という人がいます。

この人がいつも神社参拝の時でも、支部で御祈願する時でも、「どう祈ればいいのか分からない」とすぐに言い出す人なのです。

私はいつもこの人には、「自分が素直にこれを祈りたい、これを神様に聞いて欲しい、そういうことをそのまま言えばいいのよ」と何度も繰り返して言っているのですが(もちろん支部では我が事を祈るのはダメですが)、それでもなかなか実際に祈る際にはそううまく言えないのだそうです。

「自分のことで言いたいことが特にない場合は、世界のこと、日本のこと、今私たちが住んでいる○○県のこと、地域のことなんかを祈ってもいいのよ。支部の会員のことを祈ってもいいし、自分が感謝したり心配している会員のお友達のことを祈ってもいいのよ」と何度も言うのですが、それでもやっぱりなかなかうまくお祈りできないのだそうです。

この人の場合、国語力といいますか、順に述べ挙げていく言葉遣いのようなところが分からないのだと思います。それで、先日の深見東州先生の氷見での祝詞を聞いていれば、「ああ、あんなふうに祈るのか」と分かりそうなものですが、なかなかうまくできないのだということなんですね。

それで、私はこの人に祈るべき内容を順に1番から10番くらいまで書いたメモを渡して、「ひとつひとつの内容のおわりに、自分と相手と、関わるすべての人達という存在について言葉を足しながらお祈りを進めていくんですよ」という具合にお伝えしたところ、まあ、なんとかできるようになりそうな感じみたいです。

それでも言葉が足りているからというだけで、必要十分なお祈りになっているとは限らないんですけどね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

先の氷見神業の際に深見東州先生がお話しになっていましたが、やっぱり占い師のところに通うよりは自分で産土神社に御祈願したほうがよさそうですね。占い師の心構えそのものが占い師をダメにしてしまうという話があったのですが、それはちょっとここに書くことはできませんが…。

今回も深見東州先生の「絶対運」からご紹介しますが、深見先生がはっきりと書かれているのは、

「占いの類いでいう不運の時期は誰にでもあてはまるというわけではない」

ということなんですね。

以下、「絶対運」からご紹介いたしますと…

「占いの類いでいう不運の時期は誰にでもあてはまるというわけではない。占いや相学家の言う不運期が、宇宙の定理のようにぴたりとあてはまるものであるというのではないのだ。占いは、ときと場合によって当たるが、ときと場合によってはずれる。そういう不確かなものに、貴重な人生のすべてを賭けてはいけない。」

「もともと、不運期とか盛運期とかいうのは、人間の目から見た尺度にすぎない。人間という立場をはなれれば、また意味が違ってくるのである。」

「宇宙という尺度で万象をながめるとき、あらゆる事柄が陰と陽に集約されていることがわかる。」

神様の目から見たとき、盛運期とは陽であり、不運期とは陰であると言えるようです。そして、陽の時期とはすなわち社会において積極的に自己表現し、その結果具体的な成果を得る時であり、陰の時期とはすなわち外に向けた自己表現に走るのではなく、自分の内面を充実させ、実力を内に貯える時なのです。

詳しい人から教えてもらったところでは、運命というのは東洋の占い、すなわち四柱推命であっても、あるいは西洋の占い、例えば西洋占星術であっても基本的には12年周期になっているのだそうです。したがって今年、2016年がどういう一年になるのかということは、その概要については12年前とか24年前を思い出せばだいたい分かるのだそうです。大きな傾向は変わらない、ということみたいですね。

世間一般では天中殺の時が一番不運の時だ、と思い込んでいる人も多いようですが、逆運といって、天中殺の時にどんどん開運する人も中にはいるようです。素人判断ではなかなかそういうひとは分からないですよね。

神仏に対してはどんどん発願し、自分が日々努力していくのに際してもご守護をどんどんお願いするのが良いという考え方からすれば、占い師の言う通りに物事が運ぶのをそのまま受け取るだけというのは、生き方としてあまりに受身すぎるというものでしょう。何かいやなことが起きそうだなと感じたら、「一番良いやり方で解決して乗り越えていくことができますように」と祈って取り組んでいけばいいだけのことですね。

神仏のご守護があれば、占い師のところに行く必要は、もうありませんね。

(つづく)

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良き出会い535

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無事氷見でのご神業が終わりましたね。星の功徳で皆さんにいっぱい良い出会いがあるみたいですが、なかなか自分自身で良い出会いなのか悪縁なのかを見極めるのは難しいものです。自分の場合も含めて、悪い出会いに振り回されることなく良い出会いと良い相手を見極めて、毎日をいっそう素晴らしいものにしていきたいと思いましたので、ちょっとまとめてみました。

以下、深見東州著「絶対運」から出会いについて書かれた部分を見てみたいと思います。

「自力、才能や能力の発見の端緒というのは、たいてい人との出会いによってである。その意味では、人との出会いは大切にしたい。再三述べてきたが、どんな人物に会うかによってプラスの影響を受けたりマイナスの影響を受けたりするか、注意深く観察すれば、その見分けはすぐつくはずである。」

「ある人物に会うと、お互いにジョークを連発しながら仕事のアイデアが次々に出てきたり、わけもなくヤル気が湧いてきたりする。また、ある人物と一緒にいると、ちょっとしたことから大きいことまでいい事が起きるとか、自分のいい面がどんどん引き出されてくるといったことがある。」

「ときとしてきびしい忠告もあろうが、それは自分の反省点であったり、自分で見落としていた重大な仕事上のポイントや思い違いの点を指摘してもらっていると解すべきである。」

「このような人物は、きっとあなたによい運気をもたらしてくれる運の強い人である。誠意を尽くして大切にすべき人物なのだ。」

「人との出会いが、その人の眠っている前世の記憶を呼びさますのである。」

「幸運をもたらす人との出会いというのは、とくに前世ですばらしい環境で、内面的にも経済的にも恵まれた生活をしていたときに築きあげられた関係の友人の生まれ変わりの場合が多のである。だから、今生でそういう人物に会うと、心楽しく、意識の奥の奥にしまわれているその当時の素質や才能パーソナリティが表に出てくるのである。出会いという外からの刺激がそうした資質を引き出してくれるのだ。」

「その人物は強運であると同時に、自分の良さをも引き出してくれる人であることがベストである。客観的にはたしかに運のいい人なのだが、その人物に会うと苦境時代の前世や最悪だった前世の記憶を呼びさまされてしまうという場合は、気をつけなければならない。潜在している自力のマイナス面を引き出す人物には、意識的に会わないようにすることである。」

「まずその人間がどんなイメージや雰囲気をもたらすかを自分の感性で素直にとらえるほうがベターである。」

「その人と会ったときに明るく発展的な話ができるかどうか、そして出会った後の自分の状態をしばらくチェックしてみる。といっても大ゲサに考える必要はない。あなた自身がその人物に会ったあと、何事に関してもプラスの面を評価しようとしているのか、マイナスの方向に注意が向きがちであるかを振り返ればいいのだ。」

「感情的に少しぐらい対立しても、一緒に組めば仕事は必ず成就するというのも発展的な関係といってよい。」

以上、深見東州先生の「絶対運」から、人との出会いについて書かれた部分を抜き出してみました。

相手がどんな人物なのか、それを知る方法についての秘伝も書かれていますが、この点についてはぜひ「絶対運」をご覧いただきたいと思います。

この「絶対運」に書かれている内容は、相手が人ではなく書物や場所・事柄などの場合もそのまま同じように考えることができます。自分の中の良いものを引き出してくれる本、自分の中の高貴な部分が自然と出てくるような場所、自分の中の例えば芸術性が自然と発揮されるような事柄、そうしたものを選んで、日頃から接するようでないといけないということです。興味をそそるから、好奇心に訴えるからという理由だけで、なんでもかんでも見たり触れたりすればいいということではありません。

人に対しては、愛情を前に出して接していれば全てが善となります。しかし、本や映画、物事に関しては、良いものだけを選んで楽しく過ごしたいものですね。

(つづく)

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何事かを学ぶのに、活字を読む、すなわち読書が必要不可欠なのだということ、これが、いろいろと人からお話を伺ったりしても、また勉強法の本を読んでみたりしても何度も繰り返し出会う結論なのでした。

そこで、勉学、書物、読書といった言葉に関係のある御神示はないかなあと思って探してみたところ、次のようなものを見つけることができました。

 一、宝は時であり、寸時を惜しんで勉学に励むことなり。
 (御神示全集、p.84)

 時をかまわず勉学に励め。
 机がなくても、目があり、口があり、耳がある。
 空気に字をかけば紙などいらぬ。
 条件を創り変えてやる気を持続させる修練が
 むら気の人を自在にさせる。
 (御神示全集、p.114)

 (Ⅰ)
 人間の妙なる悟りや智恵とは
 ほとんどが高貴なる書物を精読した後に
 触発されて出てくるものである
 それを研鑽の第一となせ

 (Ⅱ)
 高貴なる書物を読んでも
 何の智恵も浮かんで来ぬのは
 蓄積が足りないからである
 焦るに及ばず

 (Ⅲ)
 高貴なる書物とは
 名文であり
 明智であり
 明解であって
 著者の生き様が立派で
 尊かった書物である
 (御神示全集、p.307)

 次元の違う本を読め
 無駄な駄本は不要なり
 天と日常から学べば
 偉才、聖人、道始めの人となる
 人知を集むるなかれ
 二級賢者となるなり
 (御神示全集、p.310)

人それぞれで読むべき本は違ってくるだろうし、同じ一人の人でも「大天運」を読みたいと思ったり「大除霊」を読むことが必要な時があったりもするだろうと思います。それでは今、自分は何を読めばいいのかな、と考えてみたのですが…

「次元の違う本を読め」というのはやはり洋の東西を問わず、古典のことを指しているのでしょうね。というので、もう一度「論語」を読み直してみようなんて思ったのでした。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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これまで六回連続で「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)を紹介してきました。英会話ができるようになるためには、単語を覚え、文法を覚えることが必要です。そのためには、たくさん英文を読みましょう。そして、努力を継続することが必要です。こういう結論になっています。まさに「学問に王道なし」という言葉そのままの結論が書かれていたのです。

今回は最終章である第十五章をご紹介して、この話題を終わりたいと思います。

外国語を学ぶことは、この言葉が使用される国や地域の文化をも学ぶことにつながる、という主張が展開されています。

本文中では以下のように述べられています。

「英語に限らず、どのような外国語を学習するにしても、言語に潜む文化を無視しては、外国語を学ぶことにはなりません。~目に見えない深い部分に根ざしている価値観や信条など、本人も気づかないまま身についている文化です。~しかも文化は言語にも深く関わっていて、切り離すことができません。人間は誰もが母語を持っていて、母語が持つ世界観に支配されています。すると、自分が意識せずに持っている価値観とは異なる価値観を持った言語を学習する際に、衝突や葛藤を起こすことがあります。~それゆえ、外国語を学ぶことは、おおげさに言えば『未知の世界に遭遇すること』で、これまでの自分が知らなかった『異質性と格闘する』ことを意味します。」

ある言葉が使用されている地域や社会の価値観は文化という形で確立しひとまとまりになっているわけですが、外国語を学ぶ際には、そうした文化がその外国語の端々ににじみ出ていることを無視することはできません。その社会の言語は、その社会におけるものの考え方と切っても切れない関係にあるからです。

ですから、ある外国語を学ぶ際には、自分が学ぶ言語がもたらす価値観に即して自分の頭を切り換える必要が出てきます。この切り換えがうまくできない人は、外国語を学ぶことにどうやら抵抗を感じるようになるようです。

そして次に、外国語の学習を一人でやるべきなのか、それとも集団でやるほうが良いのか、という話題が提示されます。

「英語学習というのは、一人でやった方が効率的なのか、仲間と一緒に練習した方が良いのか、ということです。~最近は、言語学習には自ら学ぶ自律性が不可欠なことが判明し、これに矛盾しているようですが、グループで学ぶ共同学習という方法が成果をあげるとも言われています。~同じ目的を持った仲間と切磋琢磨しながら共に学ぶことは大切ですし、それは外国語教育でも有効です。ただ、それだけで良いのか、というと、そうとも言いきれないのが難しいところです。なぜなら、外国語学習が『異質性との格闘』だとすると、慣れ親しんだ仲間と居心地よく楽しく学ぶことで『異質性との対応』という部分が可能になるのか、という疑問が出てもおかしくないからです。」

仲間同士で適当なところで折り合いを見つけて終えるという学習や練習を繰り返しているうちに、心地良く感じられる内容だけに取り組みがちになったり、葛藤しないで済む練習ばかりに偏ってしまうようなことも少なくないのではないでしょうか。こうなってくると、本来の趣旨から外れ、目的を達することが危うくなってきます。すなわち、「異質な世界と対峙して意思疎通を図る」という目的を忘れて、自己満足に陥ってしまうのです。

これに対して、本文では、「自律性が決め手」だとして、以下のように述べています。

「仲間と学んでいるうちに、ナアナアになってしまうのでは、異質性とぶつかることになる実際のコミュニケーションで英語を使えるようになりません。そうならないために必要なのは『自律性』です。自分をしっかり持って、自主的に学ぶことです。~外国語は、自らが学ぶ意欲を持って主体的に取り組まなければ成果が出ない、というのは、外国語が基本的に『未知』であり『異質』であることが大きく関わっているからです。」

そしてさらに、次のように続きます。

「外国語学習に自律性が欠かせないのは、言語というのは生涯かけて継続して学ぶものだからです。母語である日本語だって、およそのことは分かって日々使っていても、知らない単語はいくらもあり、言葉遣いを間違えることも多々あり、毎日が学びです。母語でさえそうなのですから、文化や社会を異にする外国語を学ぶとなったら、学びは一生続きます。~ここで必要なのが『自律性』です。一人でも学びを継続できる力。英語学習の成否を決めるのは『自律した学習者になること』です。」

※自律性=自分の立てた規律に従って自らを規制しながら行動するありさま。

「よく考えてみれば、人生すべて『自律性』でしょう。他人と協調しなければ社会で生きていくことはできませんが、同時に、自らを律し、主体的に生きることも不可欠です。仲間と協働することを決めるのは自分なのですから、まずは自律性が肝要だともいえます。そういう視点から考えると、英語を学ぶことは、人生を学ぶことにつながるわけで、一生をかける価値があると分かります。」

ということで、最終章の最後は次の文章で締めくくられて、本文は終わりとなります。

「『自律した学習者』として、常に新たな出会いを求め、自らの進む道を切り拓くことが、英語学習です。英語を学ぶことが自分にとってどのような意味を持つのかを考え、自律的に、地道に、着実に、学習を継続したいものです。」

外国語というのは、自らを律して、一生をかけて、主体的に学んでいくものなのだ、という結論だったのでした。要するに、外国語をお手軽にしゃべれるようになる方法など無い、ということですね。

単語の暗記をするのがいやだったり、文法を勉強するのがいやで、それでも英語でしゃべれたらかっこいいかなあ、なんていう考えを持っていた人にとってはありきたりな結論になってしまっていますが、別の見方をすれば「英会話のできる人になりたいと思ってこの本を読み始めたところ、結果として英語の習得方法を学ぶことを通して、ものを学ぶ時の心構えやものを習得する時のコツ、これらを知る良い機会になった」と考えることもできるのではないでしょうか。

ここで述べられている「外国語を学ぶ時の姿勢」というのは、一人ひとりが自分の人生を生きていく時のあり方に通じるものがあると私には感じられました。私達会員にとってみれば、そのまま御神業に取り組む時の姿勢とでも言えそうです。

ものごとを学んで習得し体得しようとする時のあり方は、取り組む対象が何であれ、結局は同じ答えに落ち着く、ということではないでしょうか。一人ひとりが「自律的に、地道に、着実に、学び続けていく」ことで、信仰の道もまた必ず成就される時がやってくるのではないでしょうか。

(つづく)

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前回まで五回連続で「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)を紹介しています。英会話ができるようになるためには、単語を覚え、文法を覚えることが必要です。そのためには、たくさん英文を読みましょう。要するにこういうことだったのです。

六回目の今回でできれば最後まで概観してまとめてしまいたいと思うのですが、外国語、まあ今回の話では英語ですが、語学を学ぶことにほとんど興味がないという方もいらっしゃると思います。そこでまず、英語ができることでもたらされる「有利さ」とは何か、この点について、確認しておきたいと思います。

本文中では以下のように述べられています。

「英語力があれば検索する対象の情報量が倍増します。英語で検索して得ることのできる情報の質と量は、日本語だけで得た情報とは比較にならないほどです。~それだけではなく、英語力があれば、玉石混交の情報の山から必要な知識を取り出すことを可能にする理解力と批判力(critical thinking)が備わります。英語格差を超えることは情報格差を超えることになるわけです。」

実際に読んで比較してみれば分かりますが、ウィキペディアなどでも、日本語版と英語版とでは内容の質と量に大きな違いがある項目が存在します。これは一目で判別することができます。英文が読めないままでは、日本語版と英語版を比較した時の情報の質の差異を実感することがなかなかできないのではないかと思われます。つまり、自分がどれだけの情報にアクセスできないのか、はっきりと自覚することが難しいのです。明らかに情報格差が生じているのにも関わらずです。

この英語ができるかできないかで生じる情報格差について、別の本からご紹介しておきましょう。

「情報の強者」(伊藤洋一、2016)では、以下のように述べられています。

「発信する母体が大きいということは、その言語が持つ情報発信力が高いということでもあるが、英語が事実上の世界共通語として通用している点も重要だ。世界でもっとも影響力のあるアメリカをはじめ、世界の多くの国がこの言語を使っているだけでなく、国際的なコミュニケーション・ツールとして普及しているということだ。~英語はこれを公用語とする国だけでなく、多くの国や企業が公式の発信言語としてこれを使用している。だからこそ、英語の情報源に触れることで飛躍的に情報量が増える。さらに言えば、大統領など各国政府の要人の発言や、国際会議の発表は、原語を参照した方がいいケースが多い。」

さて、「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)に話を戻して、仕事上で英語を使用する場合について書かれた部分を見てみます。多くの職種に共通することとして以下のように述べられています。

「Eメールに対応するため、英語を書く力が必要だ」
「英語でプレゼンテーションを行い、議事録も英文で作成した経験から、『英会話以上に英作文力が必要である』と結論づけています。」

英会話の能力よりも、書かれたものをちゃんと読み取って、またちゃんと書いて返答する能力、あるいは英文で他人が読んで理解できる書類を作成する能力、こうした能力のほうが重視されているようです。

そして、自分にとってどのような英語が必要なのか、この点を明確にすることが必要だとして以下のように述べています。

「まずは自分の得意分野、専門とすること、話したい内容をもつことです。次に、自分の人生にとって、自分の仕事にとって、どのような英語が必要かを見極めることです。~海外に駐在している企業人の中には、現地での商談相手はほとんどが非ネイティヴ・スピーカーであることから、発音はお互いさまで、あまり気にしない。それより、交渉し契約書を交わすので、読み書きがきちんとできないことには仕事にならない、という理由から読み書き重視派が大勢います。漫然と『英語が話せるようになりたいなあ』と願っているだけでは英語ができるようにはなりません。まずは、どんな英語を自分が必要としているかを考えて目標を決めます。」

「英語学習の成否を決めるのは、自ら意欲的に未知と出会い、緊張感を持って努力を継続できるかということです。それができるような力は、英語が専門であろうと別の分野での仕事であろうと、どのような場でも必ず生きるはずだと、英語を駆使するさまざまな人びとを見て、確信しています。」

ということで、学ぶ対象が英語であったとしても、結局は「ものを学び習得する」ことに変わりはないのであって、学ぶ主体である本人の努力次第であるという、これもまた至極当然な結論に至ったのでありました。

最終章である第十五章をご紹介できませんでしたので、残りは次回に。

(つづく)

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