ワンクリック、プリーズね!


最新トラックバック


プロフィール

ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


最新記事


最新コメント


カテゴリ


月別アーカイブ


FC2カウンター


カレンダー

04 | 2016/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

ブロとも一覧


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

英語の学習法について書かれた「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)という本について紹介しています。

さて、前回は「英語力をつけるには、会話の類型を暗記しているだけでは効果が薄く、ともかく『読む』ことです。なぜなら、前後関係・文脈・脈絡の中で生き生きと使われている言葉を学ぶことを可能にしてくれるのは、何といっても読むことだからです。」という話で終わったのですが、今回からは文法についての説明になります。とはいっても、文法の内容そのものを解説しているわけではありません。

第五章では、「話すためにこそ文法」というタイトルで文法を学習することの意義と文法の役割について説明されています。

「『文法なんてやるから英語かしゃべれない』という主張をよく聞きます。~一九九〇年代から、文法は百害あって一利なしのように非難され、~公教育における英語の授業で文法の影は薄くなっています。そのせいか、~今の学生は語彙力がないので読み書きが苦手な上に、英語の文法を知らないようで、主語や動詞がない英語を書く、現在と過去が判然としない、単数と複数の区別がつかない、いったいどうやっているのだろう、と英語教員は頭を抱えます。」

「いったいどうして学校では、文法を教え続けるのでしょうか。理由は、英語を使えるようになるためには、基本的な文法を教えないわけにはいかないからです。」

「文法を知らなければ思いつくまま単語を言ってみるしかないのですが、そうなると表現できる範囲は極めて限定されます。~相手の話を理解し、それに対して自分の意見を言う、交渉で双方の言い分を調整して落としどころを見つける、などという複雑な意思疎通の場合は、単語をどう並べて文にするかという規則を知らないでは、まともな話ができません。」

「文法が間違っていると、単純に『教養がない』と思われてしまいます。メールで書いた英語が文法的な間違いだらけだと、『うーん、この人、教育程度が低そう』と誤解されてしまいます。」

「やはり文法規則は知っている必要があるのです。なぜって、知らないと文を組み立てられないし、文を作れないとまともな会話ができないからです。~文の成り立ちを理解しないと意味がとれないということになります。~構文を分析すればどんなに複雑な英文も意味が取れること、そのためには、文法力、そして語彙力と(話題となっている事柄についての)背景の知識が役立つということです。」

「文法にかまわな過ぎるとハチャメチャ英語になってしまうし、文法的な正確さにこだわり過ぎると完璧主義に陥り怖くて話せません。」

ということで、ごく当たり前の内容が記されています。

もし、あなたの周囲に「日本人ではない日本語の話し手」がいるとして、その人がいつも、単語を並べることしかできないような話し方をする場合、最初はよいとしても、いつまでもそんな話し方のままであなたと複雑なやりとりをしたり、入り組んだ相談をあなたと一緒にすることが本当にできると思いますか?もしあなたがとても忙しい人だった場合、毎日そんな「何を言いたいのかなかなか分からない人」の相手をしなければならないとしたら、多分、うんざりするのではないでしょうか。

それでは、文法を確実に習得するのに要領の良い方法はあるのでしょうか。

続きを読んでみると以下のように記されています。

「文法的な正確性に過度にこだわらず、無理せず確実に文法力をつけるには、どうしたら良いのでしょうか。万能薬はありませんが、ひとつ言えるのは、語彙と同じで、回り道のようでも、たくさんの英文に接していると効果があるということです。英語を読むという練習をしっかりしていると、だんだん英文の構造に慣れてきて、複雑な文も霧が晴れるように分かってきます。内容のある話を英語でするには、基本文型をおさえた上で、もう少し高度な規則も要りますが、これも基本は同じで、読むことで規則を体得します。」

とあります。

前に、「外国語を習得するにはとにかく単語と文法をやるようにと教わった」と書きましたが、単語だけでなく文法を習得するにあたっても、やはり「英語を読む」ということが役に立つようです。

言語を習得するのにあたっては、どうやら「読む」あるいは「読書をする」ということを抜きにして物事を考えることはできないようですね。

考えてみれば、国語、あるいは言語を身につけるということは人間として生きていくための根本的能力(のひとつ)を身につけるということです。なぜなら、言葉を用いて相互に意思疎通することで、日々の社会生活すべてが成り立っているからです。

結局、「活字を読む」、あるいは「たくさん読む」といったこと無しに手っ取り早く結果だけを手に入れることができる方法などあり得ないのではないでしょうか。活字を読まないままで語学力や国語力を伸ばしていくことは、おそらくできないのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング
スポンサーサイト

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

英語の学習法について書かれた「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)という本について紹介しています。

さて、前回は「語彙を増やすには、ともかく英文を大量に読んでみましょう。」という話で終わったのですが、今回ももう少し語彙についての説明が続きます。単語の意味を丸暗記するだけでは使いこなせるようには中々ならない、という話です。

深見東州先生がお話しになっていましたが、「安倍首相が、サミットでのコーヒーブレイクの時に各国首脳との会話に積極果敢に挑戦していた」といった話を聞くと、「やっぱり英語が大事なんだわ…」という気持ちに益々なりますよね。

さて、同書の第四章では

「英語を使えるようになるためには、語彙が欠かせません。そこでよく見られるのが、日本語では○○、英語では△△と対にして暗記する方法です。~でもこれは二つの理由で、問題ありの学習方法です。ひとつは単語というのは前後関係・文脈・脈絡によって意味が変わってくるので、まとまった文なり文章の中でどう用いられているかを知らないと、結局は使えないことになるという問題です。もうひとつは、英語の△△=日本語の○○という等価(同じ意味)の関係は、言語が異なるとありえないということです。それぞれの単語のニュアンスが違ったり、意味範囲が微妙にずれていることが多く、完全に同じ意味になることはむしろ稀なのです。~(単語の意味は)すべて前後の文脈や、その場の状況などの前後関係・文脈・脈絡によって違いが出てくるのです。~意味が前後関係・文脈・脈絡で変わるのは、単語だけでなく熟語も同じです。」

とあり語彙や熟語の意味を決めるのに文脈・脈絡は不可欠であり、背景となる文脈を抜きにした丸暗記には問題がある、と記されています。

さらに、

「言語が違えば単語の意味や語句・表現などの微妙な意味合いが変わり、完全に同じ意味とはならない例としてalertと『警告』があります。~もともとalertは『警告する』『注意を喚起する』という意味で、英和辞書を引けば、warnもalertと同じ『警告する』『注意する』という日本語訳が出ています。では、両者は完全に同じ意味かといえば、そうともいえないのです。~(中略)~ つまり、同じ『警告』でも、英語ではalertより深刻な場合にwarnとなる意味合いであることが分かります。このような違いを知るには、多くの英文に当たるしかありません。英文をふんだんに読んでいると、それぞれの単語は前後関係・文脈・脈絡によって使われ方や意味が異なってくることが分かってきます。」

とあります。

語彙を増やした後、実際に覚えた語彙を使いこなすためにも、やはり英文をたくさん読むことが必要になってくるようです。上記の部分の続きはどうなっているかとというと、

「英語の単語や語句は、日本語のそれと等価ではない。だから単語カードで機械的に覚えても使いこなせるようにはなりません。日本語で言い表すことができない外国語の意味をどうやって把握するのかといえば、その言葉が前後関係・文脈・脈絡の中でどういう意味で、どう使われているかを考えるしかありません。逆にいえば、前後関係・文脈・脈絡があるから単語や語句の意味が分かる、ともいえます。」

とあります。

そして第四章の最後です。

「英語力をつけるには、会話の類型を暗記しているだけでは効果が薄く、ともかく『読む』ことです。なぜなら、前後関係・文脈・脈絡の中で生き生きと使われている言葉を学ぶことを可能にしてくれるのは、何といっても読むことだからです。」

これが第四章の結論だったのです。やはりここでも、読むことが強く勧められています。

もしかすると外国語というか、「言葉」を学ぶ時には、読む(=活字を読む)ことがその成否の鍵を握っているのかもしれませんね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

前回から、英語の学習法について書かれた「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)という本について紹介しています。

さて、前回は語彙数の不足が英語が使えないことの原因だという話だったのですが、以下、単語の暗記について、説明が続きます。

「単語の暗記がつらいのは、無理に覚えようとしても、忘れてしまうからです。脈絡もなくひたすら暗記しようとすることほど退屈な苦行はありませんし、脈絡がないので、すぐに忘れてしまいます。~外国語の場合は、~ある程度の暗記は避けられない部分があります。~単語や表現を知らなければ、英語を読んでも聞いても分からないし、書いたり話したりできない。つまり英語を使えるようにならない。それには、『覚える』という作業はある程度は欠かせないのですが、むやみに丸暗記しても効果は薄いのです。」

単語をむやみに丸暗記しても効果は薄いということなのですが、それではどうしたらいいのかと思ったところ、続いて単語を暗記するための方法が記されていました。

「では、どうするのかといえば、回り道を覚悟して、ゆっくり着実に語彙を取り込むしかないように思います。どうやって?英文を読むのです。それも、たくさん読むのです。読み方には『精読』(intensive reading)と『多読』(extensive reading)」の二種類がありますが、自習では多読がお勧めです。~『多読』というのは、広範囲にさまざまなものを読むことで、外国語学習に効果があるとされます。~もちろん、ゆっくりと熟読する『精読』も大切です。学校の勉強だけでなく、自分に興味のある本や雑誌の特集なり新聞記事なりを、丹念に読む。この場合は、丁寧に辞書を引きますし、目についた単語や表現を書きとめておくという勉強法もあります。」

と、単語の暗記のために、読書を勧める内容となっていたのでした。

「語彙を増やすには、だから、読むことです。読むことは、英語を聞く力、話す力、書く力など、すべての土台となります。」

「『多読』『精読』を組み合わせて、ともかく英文を大量に読んでみましょう。」

というのが、語彙をどのようにして増やしていくのか、その説明がなされている第三章の締めくくりの言葉だったのです。

結局、英語でおしゃべりしてみたい、というところから始まってこの英語学習法の本を読んでみたのですが、その最初のまとめらしきものとして、「英文を大量に読んでみよう」という結論にたどりついたのでした。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

前回から、英語の学習法について書かれた「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)という本について紹介しています。

さて、続く第二章では、

「英語を使えるようになるには、度胸も必要ですが、もっと必要なのは、~『語彙』です。~単語や語句を知らなければ、言いたいことは何も言えません。~語彙についての問題は、大きく分けて二つあります。ひとつは、『どのくらいの単語数を覚えたら良いの?』という数の問題。もうひとつは、『どうやって覚えたら良いの?』という方法の問題です。~『語彙』は、どの程度あったら良いのでしょう。話したり書いたり使いこなすことのできる発表語彙は、読んだり聞いたりした時に理解できる受容語彙より少ないとされているので、たくさん知っていればいるほど良いに決まっていますが、~これを見きわめるには、『何のために英語を学ぶのか?』という、そもそもの目的を確認する必要があります。~仕事で英語を使おうという場合は、8,000語は必要です。何かの問題について議論するとなれば、1万語は欲しいところです。~アメリカの一流大学が入学の条件としているTOEFLスコアを見ると、およそ8,000から1万語レベルであるのが分かります。ちなみに英語母語話者の語彙サイズは2万語くらいと言われています。」

とあります。やはり英語を何に使うのか、その目的が明確になっていることが必要だと記されています。

続いて

「これは日本人にとってなかなかの関門です。現行の学習指導要領で定められている中高の六年間で学ぶ語彙数は、およそ3,000語。たった3,000語なのです。~仕事で使う英語となれば8,000から1万語が必要だというのに、これでは太刀打ちできるわけがありません。文法訳読ばかりやって会話をやらないから仕事に使えないのではなく、そもそもヴォキャブラリーがまるで足りないのです。まずは、その厳しい現実を認識することから始めなければなりません。英語が思うように使えないのは、語彙数が圧倒的に不足しているからだと自覚することが第一歩です。」

とあります。会話の練習をしていないから話せないのではない、ということなのですね。そして続いて、

「読んで分からない単語は、聞いても分からないのですから、意識して自力で頑張るしかありません。自律した(=他からの支配や制約を排し、自分の立てた規律に従って自らを規制しながら行動するような)学習者になり、自分で語彙数を増やすしかない。語彙研究で高名な研究者は、『仕事で英語を使うには、少なくとも8,000語から1万語は必要だ』とした上で、『それほどの語彙を習得するには、何となく勉強していたのではダメで、自ら意識的に学ぶことが必須だ』と断言します。」

と記されています。やはり、最低でも1万語程度の語彙を運用できるようでないと仕事上では使い物にならないようです。私が学生時代に語学を教わった時には、「何はさておき外国語の学習では、単語と文法が必要」と教わったのですが、英語に関しては、この語彙については1万語程度が必要だということのようです。単語を自ら積極的にどんどん覚えていくしかないのですね。それでは、単語を暗記しようとした時に、何か要領の良い方法があるのでしょうか(第三章については次回に)。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

このまま何も大きな変更がなければ、東京オリンピックが2020年の7月24日から始まることでしょう。

現在もすでに多くの外国人観光客が日本中の観光名所にやってきていますが、この後も、日本を訪れる外国人の数は例えば円安が続く限りはあまり減らないだろうというのが一般的な見方のようですね。

そこで、増加する外国人に合わせて、日本語以外の言語でいろいろと案内板を用意するといった取り組みも増えているようですが、そうなってくると、やっぱり英語ができるようになっておいたほうがいいのかな、なんてことが気になったりしますよね。

できるなら、英語がぺらぺらしゃべれたらいいなあなんて思ったりしますよね。

最近、人から紹介されたこともあって、英語の学習法について書かれた本を読んでみました。「本物の英語力」(鳥飼玖美子、2016)という本なのですが、なかなか面白いことが書かれていました。

「英語学習の成否を決めるのは、まずは『何のために英語を学ぶか』という、英語学習の〈目的〉です。」

というのが第一章の、本文の一番最初に書かれている文言なのです。この言葉に全てが集約されているんだなあと思いましたが、以下順に読んでいくと、第一章には

「日本社会で、英語は日常的にそれほど必要ではありません。~英語ができないから暮らしていかれないという光景は見られません。~『英語は必要だ』と誰もが念仏のように唱えますが、実のところ英語は日本人にとって『絶対に必要な存在ではない』のを誰もが知っています。~ふだん使わないのですから、上達しないのは当たり前です。」

「ところがそのような環境の中でも英語が使えるようになる日本人はいます。~自分でさまざまな勉強法を工夫し、あれこれやっているのです。~そのような努力を継続させる原動力は、英語を学ぶことを必然とする何らかの理由です。~尊敬する祖父が『英語をちゃんと勉強しなかったことを後悔している。原書が読めたらと思うけれど、翻訳書に頼るしかないのが残念だよ』と語ったことが心に残ったから(英語を学ぶようになった)。~『英会話が趣味』という人に限ってなかなか英語力がつかないのは、目的が明確でなく、何となくやっているだけだからかもしれません。」

とあります。やはりまず「英語学習の目的を明確にすること」が大切なようです。英語でおしゃべりしてみたい、といった程度の動機では、実際に英語でおしゃべりすることができるようにはなれないようです。(第二章以下は次回に)

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

氷見での深見東州先生のお話しは、どれも興味深い内容のものばかりでしたが、その中に、「人は主体性を持った人生を歩むことが大切なのです」というものがありましたね。一人の大人として、自分で考えて自分で責任を持って自分の人生を歩んでいくということが大切なのですね。

会員の中には、善意から、ついつい熱心過ぎるくらいに人のお世話をしてしまう人もいるようですが、ひとさまの面倒を見させてもらってお育てさせていただこうとすると、時には難しい壁に直面することもありますよね。

そんな話を何人かのお友達と一緒にお話していたところ、その場いた一人、Aさんがご主人に起きたエピソードを話してくれました。(このご主人をSさんとします。)

Sさんの会社では、毎年五月中一ヶ月、新入社員がOJTということで様々な職場での体験を通して訓練するという研修を行っているそうです。

ある年、Sさんの部署に例年通り何人かの新人女子社員が人事部から指示されてやってきました(Sさんはもちろんワールドメイトの会員で、職場のことも熱心にお祈りしていくつも証しが出ていたということです)。新しく女子の新人さんが来たということで、Sさんを始め、同じ部署の人たちが熱心にいろいろと教えてあげていたそうなのですが、新人の女子社員のうちの一人が少し陰気であまり覇気を感じさせないことが最初から気にかかったのだそうです(この女子社員をB子さんとします)。

研修期間中、Sさんは新人さん達のことでいろいろと心を砕いて面倒を見てあげていたということなのですが、いよいよ研修ももう残り数日となった五月の下旬のある日、件のB子さんに対して「○○という際には、~して△したほうが運気が良くなると思うよ」と少しだけ「運の善し悪し」という観点からアドバイスをしてしまったのです。ところがそのアドバイスをしてあげた直後、そのB子さんが泣き出してしまい、さらに不都合なことには、その様子の一部始終をたまたま人事部の関係者が目撃していたことから少し話が大きくなってかつ本当のことが確認されないままよそのいろいろな部署に伝わってしまい、事態を収拾するのに少々手間がかかることになったということでした。

Sさんは後からふり返って奥さんであるAさんに、「頼まれてもいないのに余計なことを言うものではないと痛感した。確かに自分は先輩なのだが、先輩面し過ぎていたかもしれない。傲慢になっていたのかもしれないと思って反省した。でも、神業的なものの言い方にはやはり注意が必要なのかもしれないとも思った」と話していたということでした。

その後、B子さんはどうなったかというと、結局そのなんとなく暗い雰囲気がどうやら原因となって、自分が配属された部署での業務に支障をきたして一年ほどで退職していったということなのです。

なき衆生は度し難し」(=仏は、この世の中のすべての者を救おうとするものではあるが、仏の教えに接する機会のない者は救いようがない、という意味から、『人の言うことに耳を貸そうとしない者や話の分からない者には、いくら説いて聞かせてもどうにもならない』というたとえ。)と言いますが、やっぱり話が分からない人についてはどうしようもないと思うのです。本当に陰で人形や霊璽を書いてお祈りしてあげるしかないのだろうと思います。そして、本人自らが自分から進んで深見東州先生の本を読んだり、いろいろなビデオ教材を見たりして学んでいくという姿勢を身につけなければ、「話が分からないまま」ですから、知識の無さ、理解力の無さ、読解力の弱さが弱点になって、必ずまたつまづいてしまう時が来ることでしょう。

自分から積極的に「私ももっと学びたい」とか、自分の意思で「もっと神事に参加したい」というところまでお導きすること、それも干渉し過ぎることなくまた言葉足らずにならないように注意しつつお導きすること、これをやるのはやっぱりエネルギーと工夫と知恵が必要とされることだなあと改めて思ったのでした。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

私の職場は都心から少し離れたところで、何回か電車を乗り換えてたどり着く駅、その駅から歩いて四、五分のところにあるのですが、その私の職場の私の所属している部署の隣の部署、にある男性社員がいます。

この人がいつも私の顔を見ると、「あれがこうでおかしい、これがああなのは間違っていると思う、あの人がそんなことをするのは要領が悪くていらいらさせられる、私にこんなことをさせるなんて云々」ということで、いつもいつも不平不満というか、他人の批判というか、まあ一言で言えば「文句」を言っているわけです。最近そういう種類の人に会うといつも思い出すのが次の御神示です。

「自分の気持ちは
 自分でしか始末できないものである。
 その気持ちを常に最高度に保つ工夫が必要で、
 それを行ずるのが人生の創造者と称せられる。
 幸福というのは
 そのようにして得られるものなり。
 幸福は常に創り上げねば、
 すぐ色あせるものなり。」
(御神示全集、p.176)

先の男性は、自分の気持ちは自分で始末しなければならないものなのだ、ということ知らないのですね。また、自分でしか始末できないのだ、ということも知らないのです。自分の抱える想念をいかにして感謝と進歩のみにしてしまうのか、これが人生の修業の本質なのですが、それを知らないで、気の向いたまま、自分の感情のままに心が流されてしまって、言いたいことをいつもそのまま口にしてしまっているわけです。

しかし、それではこの御神示にあるように、幸福を得ることはできないのです。気持ちを常に最高度に保つ工夫をし続けること、これが自分で自分の人生を創り出すということですからね。

私としては、させていただけて有り難いことじゃないですか、と言いたいところなんですけれども、そんなことは全然聞いてくれそうにありません。最後はやっぱり、お隣の部署の人達全員の百円形代を書いて、お祈りさせていただくしかなかったのでした。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

自分で何でも決められる人はそれはそれで楽だと思うのですが、なかなかそうもいかないという人もいらっしゃると思います。それでも自分の可能性はどこにあるのか、誰でも一歩踏み出そうという時には期待と不安で胸が一杯になったりするものですよね。そういう時にはやっぱり産土神社に御祈願に行くのもいいのではないでしょうか。

「人生に神ある人
 一切の可能を十倍化す。
 可能は人の為すべきもの。
 不可能は人の為すに難あるものなり。
 神ある人は、心に勇あり。
 結末に善あり、成就あればなり。」
(御神示全集、p.328)

「神様に祈りながら進んでいく人は、そうしない人にくらべて、できること・やるべきことが十倍になりますよ、できることというのは人がやるべきことで、できないことというのは人が取り組むのはよしたほうがいいものです、神様を心にいつも抱いている人は、ものを恐れない心の強さを持っています。結末は必ず善に落ち着き、物事が成就することを知っているからですね」

だいたいこんな感じの意味だと思うのですが、こういう御神示を読むと、産土神社に参拝して二十一日祈願をやって、いろいろと発願したり神様にお伺いを立ててみたりするのも悪くないかな、って思いますよね。

実際に神社を訪れた時には、きちんと準備をして、それから余計なことは一切無視して神様に集中します。

「人知れず祈れ。
 人知れず願え。
 全ては蜜々の心で
 神仙に通ずるなり。」
(御神示全集、p.318)

ここに記されている「蜜々」とはすなわち「密々」のことで、「他人に知られないよう、人に気づかれないように物事をするさま」のことですね。

ですから、大切なこと・心配なことは誰かに相談したりなどせずに、神社に行って、執念深くなく、大げさにならないように、しかし二十一日の間繰り返して御祈願するといいのですね。そうして連続祈願に行くと、心配だったこと、気にかかること、なんとなく問題だったこと、こうしたことの解決策を自然に教えてもらえることが多い、こんな証しが多いというお話しを聞きました。直接祈っていないことについても、本を読んでいたりお友達と話しをしていたりする時に、答えに出会うことが多いみたいですね。一石二鳥、三鳥で物事が解決することもあるみたいですね。

やっぱりわざわざ時間を取って二十一日間参拝に行くと、ちゃんと良い証しをいただけるのですね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

自分でやってみたい仕事というのがあると思うのですが、それが本人にとって本当に最善の選択なのかどうか、なかなか難しいところがありますよね。もちろん、自分の好きなことを追究してさらに追究して、それで立派に成功しておられる方もいらっしゃるし、そうかと言えば、結局何をやっても鳴かず飛ばずで仕事運そのものがとっても悪そうな人もいますよね。

才能とは何か、といったことを誰でも一度は考えてみたことがあるのではないかと思いますが、この「才能」について、深見東州先生の「大金運」では次のように説明されています。前世や生まれ変わりといったことを信じないという人もいらっしゃるでしょうが、とりあえずご覧下さい。

引用ここから
-------------------------
 ところで、才能とはいったいどこからやってくるのであろうか。たいていは、生まれ落ちたときから、すでに才能の芽は身に備わっているものであり、才能がなければ、いくら本人が好きな分野にあって努力したとしても、現世においては、さほどの実績を残せないのが常である。 ~(中略)~ どうみてもその分野の才能がないのに、一生懸命に努力している人を時々見かける。本人には大変失礼だが、もっと別の、才能に合った方面で力を発揮されればよいのに、などと思ってしまう。

「そういうことをいったら、努力する甲斐がないではないか」

 とお叱りを受けそうであるが、さにあらず、もう少し、私の話を聞いてほしい。

 神霊界から見ると、才能とはその人物の前世の勉強や特技、あるいは努力といったものに大きく影響されている。前世とは文字通り、その人物が生まれる前の人生であるが、前世と現世の人物が同一かといえば、そんなことはない。前世の自分の要素が残っているのだ。拙著『強運』でも説明したが、前世の魂は、現世の人物の脳の奥底、一般にいわれるところの潜在意識の中に住んでいるのである。

 たとえば漫画家の■■氏は前世が中国の□□である。□□と■■氏はまったくの別人であるが、歴史を発掘しようとする□□の意識は今も■■氏の潜在意識の中にあって、■■氏が歴史に対して、強烈な興味をもつように仕向けているともいえるのである。

 また、今までに私が前世を鑑定させていただいた人の中では、○○さん(前世は、かぶき踊りの創始者・出雲の阿国)や作家の△△さん(前世はフランス人で、弁護士で教育者、しかも文筆家でもあるラ・ブリュイエール)などは、現世で才能を伸ばして発揮している職業と、前世が非常に深く関わっていると言える。もちろん、前世に名を残した人が今世にも名を残し、前世に無名だった人が今世も無名とは限らない。むしろ、その逆の方が多いくらいである。神霊界の法則から言えば、一般に、無名の時に徳と精進を残した人は、それが積み重なった次の世では、よき名を残すことができる。ところが、名を成した時に、徳分と精進を残さなかった人は、次の世では無名で過酷な生涯を送ることになるのである。ところで、人は前世と共通する職業につき易いというのは、決して偶然ではない。というのは、前世の意識が本人に「なんとなく、こういうことがやりたいなあ」と思わせるのである。この「なんとなく」というあたりが、実は前世の意識なのである。理論や理屈では割りきれない部分、ここが大切なのだ。

 だから、あなた自身がなんとなく気が向く、興味が湧く、好きになる、勉強もしないのに結構成績のあがる課目があるというのは、前世にその分野で一生懸命努力して、才能を伸ばそうとしていたのだと考えられる。だから、現世もその分野に全力投球すれば、前世でやり遂げられなかった、偉大な実績を残すことができるかもしれないのである。
--------------------
引用ここまで

「なんとなく好き」とか、「ついつい興味を持っていろいろと調べてしまう」といったことの奥には、やっぱりそれなりの理由があるわけですね。それでも自分のことについて、将来どの方向に進むのが良いのかわからない、自分の決断に自信が持てない、そういう時にやってみると良いのが、「二十一日祈願」です。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

発願の内容によっては、志がより高いものになることもあれば身近なものになることもありますね。社会的に大きな目標を発願することもあれば、個人的な内容を発願する場合もあるでしょう。人に言うものではありませんから、個人的な内容の場合はどんどん好き勝手に発願すればいいのではないでしょうか。

今回は、発願して具体的に神仏を動かすやり方について、深見東州先生の「絶対運」から見てみたいと思います。

引用ここから
-------------------------
 大きく発願すれば大きな幸運が、小さく発願すればそれなりの運気が来ると書いたが、他力運を動かすには、それなりのコツがあるのでそれをマスターしてもらいたい。

 他力運というのは、守護霊様をはじめ、守護神様、諸々の仏様や神様のわれわれを応援してくださる働きのことをいう。

 したがって発願し神仏にその実現を祈ることは、遠慮することなく積極的にどんどんやるといい。

 いや、そうやることこそが「発願」でもある。つまり、仏様や菩薩が衆生(しゅじょう)を救おうと誓願(せいがん)をおこすこと。一大決意の表明が発願のはじめの意味であり、そこから神仏に願を立てることをいうようになったものだからである。

 神仏への祈願の仕方のコツは、大きな願いにはそれを実現できる大きな働きを持つ神様に、小さな日常的な希望ならばそれ担当の神様や仏様に、焦点をしぼってするということである。

 つまり、発願の大小・種類によって神仏の担当がそれぞれ違うということをよく知っておくことが大切だ。これを知らない人が意外に多く、働きが違う神様に見当違いの祈願をして、「何の効果もない」と愚痴ったりケチをつけている人がいる。

「これは八百屋で魚を求める」ようなものである。

 もうひとつは、発願した内容、大小によって、実現する期間が違ってくるということだ。たとえば、伊勢の天照大御神様は日常的な小さなことを祈願してもお動きにならない神様である。大きな局面で大きく動き、しかもその効果が出てくるのが早くて六ヵ月ぐらいで、一般的には一年以上かかる。ところがそれを知らない人が、伊勢に行っても何の効果もないなどと本に書いていたりする。

 伊勢神宮は、国家を預かる政治家とか、会社を運営する経営者やその幹部、あるいは個人であっても、自分だけの小さな願いではなく、ひとりでも多くの人々に何らかの形でプラスになる活動の祈願などに反応してくださる神様なのである。

 同じ会社でも、月々の売り上げや年商を上げるにはどうするかといった内容ならば、会社の近くの産土の神様が担当であるし、その日その日の問題ならば、自分の守護霊様や相手の守護霊様、あるいは荒神様に祈るとよい。

 大きな働きをする神様であればあるほど、その効果が現れてくるのに時間がかかり、小さな働きの神様ならば小さな願いにふさわしくすぐに実現する。

 このように、自分の願いの大小、時間の早さ遅さ、願いの種類によって、神様の働きをよく見きわめて、使い分けをしなければいけない。

 しかし、われわれが祈る他力の中心というのは、この宇宙天地の創造のス神であることを念頭におくことだ。そのス神は、日本では天照大御神様であるが、この大御神様にフォーカスを合わせる一方、さらにそのもとで直接担当窓口となっている産土様や荒神様や守護霊様に祈ると一層効果が高い。
--------------------
引用ここまで

ここにあるように「自分の願いの大小、時間の早さ遅さ、願いの種類によって、神様の働きをよく見きわめて、使い分けをしなければ」というところが要点みたいですね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

一念発起して発願することで、自分の運命を具体的に改善していくためのきっかけを作ることができます。

一念発起とは、「あることを成し遂げようと決心すること。」

それで、一念発起というと、いつも思い出すのが次の御神示です。

「心掛けをもて。
 修業に来ている者は、一般の人とどこが違うか。
 それは、日々の行いの中で、
 人の目にも輝かしく思える程の、
 よき心掛けをもち、
 かつ実践している所にある。
 神佛の道にめざす者が、
 一念発起して
 御魂を輝かすことなくして、
 いかにして神佛の加護と応援を得られようか。
 (以下略)」
(御神示全集、p.51)

一念発起することはとても大切なことだと思います。ここにあるように、一念発起することなくしては、自分の命運を乗り越えていくことはなかなかできないようです。

発願するのに内容は何でもいいのですが、何を発願したらいいのか分からない、何を目標にしたらいいのかもよく分からない、お祈りする内容になるとピンと来ない、という人のためにさらにご紹介してみましょう。今度は「大金運」からです。

引用ここから
-------------------------

「そういう人のために、即席ではあるが、魂を充実させ、内面世界と霊的パワー、そして才能を引き出す『極意』をお教えしよう。(~中略~)

 まず三ヵ月間、死にものぐるいで頑張る。不平不満などもってのほか。与えられた仕事はもちろんのこと、トイレに入っている間も、電車に乗っている時も、エレベーターの中でも、とにかく、死ぬかと思うぐらい、徹底して打ち込むのである。自分という存在を完全に忘れ去り、ひたすら目的完遂のために頑張るのだ。打ち込むべきものは、仕事でもよいし、自己の才能を伸ばすものでもよい。

 次は三年間である。この三年間、きちんとした生活をする。衣食住ともに規則正しく、かつ清楚にして、無遅刻無欠勤無早退はもちろんのこと、仕事の準備や余暇のすごし方まで、他の模範となるくらい、しっかりやることである。そんなことはわかっている、それができれば苦労はない、と思うだろうが、最初の三ヵ月、なんでも無茶苦茶に没頭することで、自分の内部と背後霊の構成が変化することも多く、守護霊交替が為される可能性が強いのだ。最低、本人の頑張りを支えようと、背後霊の数が増員されることはまず間違いない。すると不思議なものである。以前は辛いと思っていたことなどが、ちっとも苦にはならなくなる。運気は急に上昇し、なんでもうまくいくようになって、勇気や活力、体力が旺盛となるのである。だから、三年間はまるで自分でないような自分が、大活躍するようになるのである。

 こうすれば、だいたい最高の自己のペースというものが作られ、能力や才能が自然と発揮できるようになるのである。それは自己の魂が確立され、背後の守護霊もバック・アップ態勢がこの期間に整うからだ。その呼吸を体得することが重要なのである。」

--------------------
引用ここまで

ここにある通り、没我没入した三年間を過ごすと、本当に自分の運気が変わってくるのが実感できるようになってきます。この三年間の山を越えると、まさに今までの自分が見たことがない風景が視界に入ってくるのです。これは実際に挑戦した人でないと分からないと思います。

注意しなければいけないのは、他人に、「こんな目標を持ってこんなふうに努力している」といったことは口外してはいけないという点です。努力できない人は、努力している人を実際に目の前で見ると必ず嫉妬します。ですから、自分が頑張っている様子を人に言ってしまうと嫉妬の生霊に邪魔されてしまうことが多くなります。軽々しく自分のことを語ってはいけません。黙って、黙々と三年間努力し続けるのです。

また、人に余分な相談をするのも良くありません。自分が取り組んでみたいと思ったことがごく自然に目標になるなら、それでいいのです。人に自慢するために努力するわけではありませんからね。

発願して実践することで自分の運気をどんどん上げていくことができる。ぜひ挑戦してみていただきたいと思います。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

会員として活動している内に、遅かれ早かれ、なんとなく今のままではいけないかなあっていう気持ちになってくると思います。脱皮に向けて行動する時がやってきたのですね。もちろん誰にでもあることなんですが、会員でいると、ペースがちょっと早くなるかもしれません。で、次に行かないと、という時こそ発願するのにちょうど良い時なのです。以下に再び「絶対運」からお借りしてきましたが、必ずしも気持ちが落ち込んでいる時に発願をするとは限りません。発願はいつでもできますからね。

どんな時であれ新たに発願をするなら、その時点からより積極的・能動的に、自分で自分の枠を乗り越えて行くための取り組みが始められると言えますよね。

引用ここから
-------------------------
 失意のとき、どんな発願をするかが、それ以降のあなたの人生を決める。小さな発願をすれば小さいなりに、大きく発願すれば大きいなりに、運命の歯車は確実によい方向へ回転しだす。それが転機である。

 したがって、絶望したり失意のどん底のときこそ、大いなる転機だと考えるべきなのである。大失敗したり、不運の波をもろにかぶっているときこそ、あわてないことだ。そういうときに限って周囲の人は、親切心を発揮したり、したり顔でアドバイスをしてくれる。その一言一言に感動したり、あるいは胸にささる思いをするだろう。

 だが、他人の助言めいた批判にけっして反論してはならない。自分が今どん底の状態だなと思ったら、批判されようと、助言されようと、一切弁解しないで黙って聞くことである。もし反論したり弁解すれば、その何倍もの批判が返ってきて、評判をますます悪くする。

(中略)

 転機だと思って、うろたえたり、あせってはならないのである。泳げない人ほどジタバタしてますます溺れる。流れに身をまかせて静かにしているとチャンスは必ずくる。

 第一、本当にどん底ならばそれ以下になりようがないのだから気分も楽なはずだ。大きな運命の流れを静かに見つめながら、一切の余分なもの、見栄や虚栄を投げ捨てて、自分の本心が望むもの、魂が欲求していることだけに耳を傾け、それを実現しようと発願することである。

 発願するとき、あなたの自力運が頭をもたげだし、他力運が自力運に合体して幸運の大波を引き寄せてくれるのだ。

 災難に遭う時期は、災難に遭うがよく候
 死ぬる時期には、死ぬるがよく候

 といった気持ちで発願するとき、あなたは世の一流の人物たちと同じように、転機を得たことになり、このとき正しく人生の方向転換を行えば、人も驚くほどのチャンスに恵まれるはずである。

---------------------------
引用ここまで (たちばな出版、「絶対運」)

なかなか人間関係がうまく行かなくて気分が落ち込んだ時に、あるいは仕事で大失敗をしてがっかりしてしまったといった時に、そのままの気分を引きずって何日も過ごしたりしては時間がもったいないと思いませんか。すぐに気分を切り換えて、前向きな姿勢でいることを絶対にやめないで、わざわざ新たな決意表明を神様に向かってするのです。それが「発願する」ということです。

それこそ小さなことでいいのです。悲壮感が漂ってしまうような大きすぎる目標を立てる必要はありません。重たすぎることを始める必要はないのです。前向きな努力を継続するコツは、ちょっとの無理にとどめておいて、実行できることを目標にすることです。無理をし過ぎないことですね。

どんな発願をすればいいのか、それはまた次回に。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

次に、何かを体得しようとして努力してきたのであれば、物事に集中すること、物事に没入すること、これを体得しているはずなのです。対象に集中しないで何かを身につけることなどできないからです。これも神に通る祈りを捧げる際の、非常に大切な技術のひとつだと言えるでしょう。

そして、一芸を体得しようとする時には、「何かが違う」、「どこかが違う」、「まだまだできていない点がたくさんあるように思える」、こうした気持ちにいつもなるのが普通です。まともな向上心がある人なら普通はこう思うものです。ですので、謙虚になって教えていただく、真剣に向かっていって学ばさせていただく、そして余計なことに心を奪われないでとにかく集中する、こうやって勉強や練習を続けていくわけです。これは日々の御神業においても、神様に祈り向かう時でも、全く同じことをすればいいわけですね。

そして、何か一芸を修得しようと今日も練習を始めようかという時には、いろいろな心配事やイライラさせられること、面倒なこと、こうした心をわずらわせるような事柄すべてを一瞬で忘れて、自分を切り換えて、集中・没入の真中に自分をもっていかねばならないのです。また、気持ちが乗っていようが乗っていなかろうが、無理矢理に形から入って体を動かしてその集中・没入の境地に自分をもっていかねばならないのです。

こういう毎日を繰り返すことで、いついかなる時にも、どこででも、自分の気持ちや感情の浮き沈みに関係なく、的確な祈りを的確な心の状態でもって祈っていく、これができるようになるのです。

一芸を身につけようとして様々な障害や苦労を乗り越えてきたという経験は、それがそのまま、毎日の祈りをより良いものにしていこうとする時の技術の拠り所となり、また、信仰を貫いていこうとする時の自分の姿勢を支える知恵になるのです。

そして、忙しい毎日の中で物事を成就完成させるためには、どのように取り組んでいけばいいのかというと、

「忙しくなればなる程
 物を続ける価値がある。

 忙しいからという理由で物事を投げ出すと、
 自分を甘やかし
 永遠に何事も完成できない人間になる。」
(御神示全集、p.482)

ということで、とにかく投げ出さないでやるしかない、ということのようです。

私の実感としては、「これを続けることが私にとって必要ならば、必ずそのための時間を与えてください」と祈ると、取り組むための時間がうまく取れるような気がします。

一芸を身につける過程で体得できる、自分を上手に運んでいくための様々な技術は、御神業を続けていく上で本当に大切なものとなるはずです。どんなことでもいいので、世の中に表現できて、自分にも相手にもプラスになるような一芸をぜひ身につけたいものですね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

信仰心とは貫く精神のことである、というお話しはお聞きになったことがあると思いますが、その信仰心を貫き通していくときに大切になるのが、例えば、自分の心を運ぶための技術、自分の感情を自分で運んでいく技術、自分のやる気の有無とつきあっていく技術、自分の感情の浮き沈みを乗り越えて前進し続けていくための技術、こうした「自分の心を扱う技術」ではないでしょうか。

物事を継続していくという姿勢は、一芸を身につけようとする時にも全く同じように必要とされる心構えですね。途中で投げ出してしまっては一芸が身につくことは永遠にないわけです。すなわち、一芸を身につけ工夫し続けている人=その一芸に対する信仰心はある人といってもいいのではないでしょうか。

もちろん「書道を一日も休まず二十年練習し続けてきました」という人を、「二十年間一日も怠ることなくスの神様を始めとする神々に一日四時間の祈りを捧げ続けてきました」という人と全く同じように考えることはできないでしょう。でも、書道を二十年やってきているのなら、その人が筆を握って半紙に向かった途端、それなりの守護霊団がかかって素人には書けない作品ができあがるかもしれないことは、想像に難くありません。信仰者が誠の祈りを捧げようとしみじみと祈り始める瞬間に非常に似ているところがありますよね。

「一芸は万芸に通ずるというが、
 何が通ずるかといえば、向上意欲であり、
 一心に集中することであり、
 謙虚に学ぶ姿勢であり、
 真剣に事に向かって、
 無想無念になることである。

 柔軟に自己を妙の中にもってゆく呼吸と
 タイミングを体得することであり、
 一切をその瞬間に、
 忘れ切る心と気持ちと感性の霊徳の
 切り替え方を学ぶことである。
 自在性も、とらわれなきことも、
 只今に生きることも、気をめぐらすことも、
 全て一芸にずば抜けるプロセスの中で、
 修得されるのである。
 神の道に生きる学人よ。
 すべからく中途半端でない一芸を体得成就せよ。
 妙適、妙趣、妙境の体得成就は、
 おのずからその中にあることを知れ。」
(御神示全集、p.273)

という御神示がありますが、ここに、祈り方を体得するための鍵のようなもの、さらには信仰心を貫いていくための鍵のようなものが記されていますね。

まず、とにかくより良いお祈りをしたい、自分をより向上させたい、あの人のためにもっとお祈りしてあげたい、このように考えて実行していこうとすれば、当然ですが向上心が不可欠となりますね。一芸を身につけようとする過程で向上意欲を盛り立てる方法を体得していれば、御神業においてもそれを応用することができるわけです。いつも前向きに物事を考えていこうとする姿勢が身についているわけですからね。この姿勢は神様という存在と向き合っていこうとする時に、とても大切になる要素のひとつだと言えるでしょう。(つづきは次回に)

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

会員一人ひとりが神徳をよりいっそういただけるかどうか、そして何よりも大切な、本当に神様が降臨する神事になるのかどうか。こうしたことは、会員一人ひとりが待ち時間をどのように過ごすのかにかかっています。神業の成功不成功はどこで決まるのか、何で決まるのかというと、自分が本番までにどれだけ祈りを重ねることができたかで決まってくるようです。準備の段階から祈っていくわけですね。

どんな時も、どんな場所でも、祈りを捧げる本人の中身が極まった分だけしか神様は出てこられません。そして、神事が本当に名実ともに神事となるため、すなわち神様に来ていただくために、いろいろと準備をしているわけです。したがって、神事会場に行くために荷物をまとめたり、交通手段の手配をしたり、御玉串のことを考えたりして準備をしている時に、自分の中で御神業に向かう姿勢と覚悟をだんだんと作っていくのです。

目に見えない神様は、誠が極まって初めてやってこられます。陰で、一人ひとりが目に見えない仕込みを丁寧にするからこそ、本番で神様が降臨されるのです。神様は会員一人ひとりの内面の極まり具合を総合的に判断しておられるのですね。

人というものは、一人静かに待っている時に陰の世界が熟してくるようです。他人と大きな声でおしゃべりしていたのでは、感性と情感が高揚してくることはなかなかありません。丁寧に一つひとつ準備をして、手間暇をかけてやってきて、そして当日、会場で気が凝結する。こういうひとつひとつの段階がどれも大切です。神事に参加するときには、参加する側は待っている時間を大切にする必要があるのです。

深見東州先生がなさるのは、「目に見えない世界」をお取り次ぎされるということ。このお取り次ぎをしっかりと受け取るためには、受ける私たちも目に見えない世界を充実させることが何よりも大切です。自分たちの内面が充実しない限り、十分に神様を受けることはできないのです。

そして、自分が手間暇をかけた分だけ、自分がなした労力の分だけ神様が動いて下さいます。すなわち神様が動いた分だけ神徳を授かることができるのです。神様は絶対的に平等ですから、苦労した分はすべて報いて下さいます。こう確信することがとても大事なのです。そして確信すればするほど、本当にそのように導いて守護して下さるのです。

信仰するとはこういう確信をたくさん持って積み重ねていくことです。それはアルバイトやパートの労働ではないのですから、具体的に報われないと信仰を続けていけないというのではおかしいのです。それではただの御利益信仰ごりやくしんこうに過ぎません。

ワールドメイトで皆が取り組んでいることは何かというと、良き祈りを神仏に捧げて良き想いを結集していこう、そして具体的に神様に現れていただいて、その神なる力によって人の力だけではなし得ない奇跡を現していただき社会を良くしていこう、ということです。そして同時に、一人ひとりがより良き人として脱皮していけるよう・成長していけるよう努めていこう、そしてそうした努力の結果、より良い家庭やより良い社会がもたらされるよう社会的な貢献もしていこう、こうした面もあると言えるでしょう。人として神仏の御心にかなう生き方をしていれば、おのずから神仏の恵みももたらされるよ、ということですね。ですから、自分にこれが与えられないのはおかしい、という気持ちを持つこと自体、信仰としては違うのではないかと思うのです。

陽の残像が残っているのを静かにして、気持ちも霊体も静めるようにすると陰の世界が開いていきます。そうすると、そこからが先が、霊なるものを受け取るという段階に入っていくのです。そうして初めて、深見東州先生のお取り次ぎが始まることになるのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

自分では何も問題はないと思っている自分の想念の世界が、実は偏りのあるもので、そうした偏り、すなわち歪みの陰に霊障が隠れているのです。

なぜそうなるのかというと、

「前世からの因縁というものは、
 大半が性の偏向にある。
 人生の苦難を経て、
 玉のごとく磨かれるのが修業である。
 それは業を修めることを云うのである。」
(御神示全集、p.403)

とあるように、「前世からの因縁の大半は自分の性質の偏りとして現れている」ということなのです。これをもっと平たくいうと「自分の好き嫌い」が因縁の現れだということではないでしょうか。そして「好き嫌いだらけだったもともとの性質が、苦労を経て、円満な人格となる」、すなわち一通りの苦労を経験することで性質の偏りをなくしていくことができる、こういうことでしょう。

そして、そうした性質の偏りの結果本人が悪想念を抱くことになり、バランスを欠いた行動=悪癖を取らせているのであれば、必ずその悪想念の陰に、その想念に相応しいものが憑霊しているはずなのです。

そこで、「礼節をもって行動して、形から入って行動を変えていくことで想念を変えていく」、あるいは、「心がけをもって行動して、良い習慣を確立することで想念を変えていく」、こういった方法を取ることで、自分の想いの世界を変えていくのです。すると、偏り=悪想念が正された途端に、その悪想念に加担していた霊的存在が浮き出してくる可能性があるわけです。

そういうわけで、「学びが進んだら救霊を受けるのがいいですよ」という話になるのですね。自分の歪みを自覚し反省して、行動を改めてその実践が続いていくと、まさに想念転換が完成したことになって、除霊に非常に向いた状態になるわけです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

現在、「救霊」と呼ばれているワールドメイトでの霊の救済方法は、最初からあったわけではなかったのだそうです。深見東州先生があれこれと試行錯誤された結果、神霊界の法則を押さえて、誰がやっても安心して最低ラインが保証されるように組織立ったやり方を採用して、統一された祈り方、進め方を完成されたのですね。

救霊の方法が完成されるまでは、「想念転換」といって自分の抱いている想いの世界を変えていくことで、自分に憑依している霊たちを取り除くというやり方がなされていたようです。

私たちは毎日、お互いに確認することなく、まあこんなところであれば妥当だろう、ということで、バスに乗ったり電車に乗ったり、改札口を通ったりレストランを利用したり、スーパーで買い物をしたりしているわけですが、こうした行為はおそらく、そのほとんどが両親から躾けられたことに基づいて良し悪しを自動的に判断して、やったりやめたりしているのではないかと思います。

自分が抱く感情にしても男性であれば自分の父親を無意識に真似しているはずで、例えば短気な父親がいるのなら、その息子も、自分から父親に対して懐疑的な気持ちを持つといったことがない限りは、同じように短気な振る舞いに走る場合が多いのではないでしょうか。もちろん女性であれば、自分の母親をコピーしているはずです。

この、「親の真似をして代々受け継がれてきた躾・価値観・ものの考え方」が、実は目には見えない家代々の徳分であり劫ではないかと思うことがあります。目に見える対象としての徳と劫が凝縮したものとは、例えば血液であったり、体質であったり、あるいは先祖から受け継いできた田畑や家屋敷などがその例として挙げられるでしょう。

ところが、たとえ目に見える形を持っていなくても、考え方や価値観も実は親から受け継いだもののはずです。短気な息子は、父親に心を寄せている限りは短気な振る舞いを改めようとはせず、自分の子の短気さも容認したまま生涯を終えるかもしれないのです。短気さが代々受け継がれていくわけですね。

ところが、自分のものの考え方・想い方が当然のもので、自分は短気でいいのだと思っていると、その短気さがもたらす悪い結果が見えてこないかもしれないのです。自分にとってはなじみがあって意識すらしない自分の想念の世界に実は歪みがあって、その歪みのせいでいつも短気な言動に走っているとき、人は自分の短気さのせいでいろいろと支障が起きてきてもなかなかその短気さを改めようとはしないものです。そして、この歪みの陰に、実は霊障が隠れているかもしれないのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

前回、「あなたが何に価値を見出し、その結果どういう想念界に自分の内面が今位置づけられているのか、この点をふり返れば、今自分が死んだらどういう霊界に自分が行くことになるか、おのずからわかるのです。」と書いたのですが、これに関して思い出したことがあるのでさらに追加で書いてみたいと思います。

以前、といってもごく初期の頃ですが、ワールドメイトでは何度か「文化祭」のようなイベントが開催されたことがありました。それぞれが色んな芸や出し物を発表していたのですが、その時、ある男性が、別の人の出し物を食い入るように見つめていたのです。その時は歌謡曲か何かの曲が演奏されていて、その曲にその男性は聴き入っていたわけですね。その男性は、自分では楽器を演奏することはできない人で、それで他人が演奏する様子を熱心に見て聴いていたわけです。

その頃は、深見東州先生もその出し物のうちの一つということでもの真似を披露されたりして、ご自身も登場されていたのですが、その深見先生が会場内を歩いていて、先程の「ある男性」に出くわすことになったのだそうです。するとそこで深見先生曰く「○○さん、今死んだら来世はミュージシャンになって生まれてくるね」と大真面目に言われたそうで、そう言われた○○さんはというと、そこで初めて我に返って自分が熱中していたことに気づいたのだということでした。

他人が演奏する様子を見て、○○さんは思わず「すばらしいなあ、かっこいいなあ、自分もあんなふうに演奏したい。これまで自分は楽器を習うという機会には恵まれなかったが、今度は自分もあんなふうに楽器を演奏したいなあ」と心の底から思ったのでしょう。

この話は正確に言うなら、「今自分が生まれ変わるなら」という話になるのでタイトルとは少し違ってしまうのですが、死後の霊界の行き先、また生まれ変わった後の人生のあり方、どちらを決めるのも、結局は今の自分の想いの在り方なんだということがこの話を聞いた時にわかったことだったのですね。

「一念三千」と言いますが、自分の出す念次第でこの世のどんなものにもつながっていくことになる、自分の出す念次第で良いものであれ悪いものであれどんなものにでも発展していくことになる、こういうことなのですね。

「運不運の前に、徳と劫があり、その前に善行と悪行があり、その前に良き心と悪い心があり、その前に良き念や言霊と、悪い念や言霊があり、……」ということなのですが、自分の行いや運の善し悪しを決めるのは、自分がまさに今出す念次第なのだな、ということを思ったのでした。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

霊能力とは何か、霊能者とはどういう存在なのか、こうした点について、深見東州先生の「神霊界」に基づいてご紹介してみたいと思います。

霊能力、たとえば霊視、透視、空間移動、高度な除霊といった能力は、普通は念力だけで可能になることではありません。こうした霊能力を発揮する人物には、その背後にそうした力を与えている霊的な存在が必ず憑依しているのです。

背後でそうした応援をしてくれる存在がどういう霊なのか、それによってその人の霊能力の特色・種類や次元の高低が決まってきます。その霊能者の霊能力は、正神界の存在がもたらす正神界からの霊能力の場合と、邪神界の存在がもたらす邪神界からの霊能力の場合と、大きく分けてこの2種類に分類することができます。正神界の霊能力としては、例えば、最も次元の高い正神界の極微天界からの高級神霊、次に産土神霊、次に霊となって、高級守護霊が応援しているもの、こうした例を挙げることができます。これらは次元が高いもので、共通点としては清々しく美しい、おどろおどろしい感じを与えない、教えすぎない、見世物のように能力を披露しない、ごく普通の日常生活を送っている、こうしたことが挙げられます。高級神霊、正神界の霊達の目的は、本人の御魂の成長を助けることにあるので、決して過度な自己主張をすることは無いのです。

ところが人間の霊能を開かせているものは、必ずしも正神界の存在ばかりとは限りません。魔界や邪神界の存在が霊能を与えている場合も多いのです。

正神界からのものでない霊能力の例をご紹介しますと…

1.邪神界の龍、天狗、キツネ、蛇がその人に憑依して、霊能を開かせるもの。

2.死後・行者界に堕ちた行者の霊がその人に憑依して、霊能を開かせるもの。

3.死後、魔界に堕ちた霊能者が毒グモ等の姿に化身して、これが人に憑依して霊能を開かせるもの。

4.死後、魔界に堕ちた白魔術、黒魔術の霊能者がサソリ等に化身して人に憑依し、霊能を開かせるもの。

正神界からの霊能であれば、普通、人の幸福を第一に考えた言動をするでしょう。人に何か伝えるのであれば、どんな内容であれ本人が絶望してしまうような形で言うのではなく、希望をもって生きていけるように助言するのが、正神界からの霊能です。

ところが魔界・邪神界からの霊能に共通するのは、人を不幸に導く、あるいはいたずらに人心を惑わすということなのです。そして、正神界の霊的存在と邪神界の霊的存在の最大の違いは何かというと、「美しさ・芸術性のあるなし」なのです。

ですから、真に芸術的か否か、普遍的な意味での美しさが見られるか、こうした点を尺度にすると、正神界からの霊能力なのかそれとも邪神界の力なのか、その区別ができる場合があるのです。

そして、最も大切な点は以下の点です。ごく普通の社会人として、この三次元の世界で四苦八苦しながら仕事をしたり勉強したりして自分を成長させ自分の御魂を磨いていく、この御魂磨きにきちんと取り組むことなく、霊能力に憧れ、何がしかの霊に憑依されて霊能力を発揮するようになり、霊能力に振り回されたまま死んで行くとどうなるかというと、憑依していた動物霊の奴隷、あるいは先に述べたように、行者界あるいは魔界に堕ちて、自分もまた新たな邪神界の手先という存在になり果ててしまうのです。

というのも、人は何かに心を寄せると、その心を寄せた対象の霊流を受けることになるからです。自分の心の中で認め、賞讃し賛同して、受け入れるから、霊流を受けることになるのです。そして、霊流を受けるとどうなるかというと、同じ存在になる、すなわち同じ霊界に住むという結果になります。なぜなら、霊界とは想いの等しいものたちが同じ世界に集まるという世界だからです。

心を寄せるとは、例えば信仰するということであり、心酔するということであり、ファンになるということであり、入門して弟子となるということであり、後援者の一人になるということです。

あなたが何に価値を見出し、その結果どういう想念界に自分の内面が今位置づけられているのか、この点をふり返れば、今自分が死んだらどういう霊界に自分が行くことになるか、おのずからわかるのです。

詳細については、ぜひ深見東州先生の「神霊界」そして「神界からの神通力」をご参照くださいますようお願いいたします。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ごく普通の社会生活を通じて、「人としての悟りを深めていくこと」、「物事の道理の本質を見きわめて、正しく振る舞える自分になること」、「徳を積んで人を幸せにし、神仏に対する功績を積むこと」、「愛をもって人々を救うこと」、こうした人生の本来の目的を達成するのが正しい生き方と言えるでしょう。

ところがこうした普通の毎日に飽き足らず、霊能力に興味を持ったり霊能者のことを素晴らしいと思い込んで霊能者巡りをしたりすると、どうなるのでしょうか。以下、もう一度「大除霊」からご紹介いたします。

(以下引用)
------------------------
「ここで参考までに、中途半端な霊能が開いた人はどうなるか、具体的に事例をあげてお話ししておこう。

 あるとき、私たちのところに、いろいろな宗教団体を遍歴してきた人が訪ねてきた。仮にAさんとしておこう。

 Aさんはむろん、さまざまな霊能者のところも巡り修業した。その結果、ある程度霊視もでき、また、霊界の事象を聞いたり、感じるようなレベルまで到達していたのだが、そんな折、私の著書を読んで感じるところがあったらしく、除霊を申し込んできたのである。

 そこで私は、いつものようにごく普通の除霊をしてさしあげたのだが、霊能者巡りをしてきただけあって、自分でもそのことがわかったらしい。「あっ抜けていった。霊が出ていった」と、たいそう感激したわけである。

 それ以来このAさん、「先生、先生」と非常に熱心に私のところに通うようになった。だが、Aさんのそれまでの足跡を見ると、私は安心しておられなかった。

 というのも、夫がいながら平気で浮気をしたり、礼節を無視するなど、およそこの世の常識外のことを、Aさんは平気でしてきたからだ。それでいて、一方では熱心に神様を求める。それも、以前に一度すばらしいお蔭を体験したことがあるからなのだ。よく見られる、熱心に信仰する中年層の信仰者パターンである。

 このような人は、それまでの生き様と人格の基礎になっている性質が、どうしても低次元霊界の波長と合うため、どんなに高級な神様を求めても、霊的感性が鋭くなれば逆に悪霊を呼びやすくなるのである。出口王仁三郎が、鎮魂法帰神術を一般にはやらなくなった経緯と、事は同じである。

 いろいろなことから私も常々心配していたのだが、この不安はみごとに的中してしまった。ある日突然、Aさんは、

深見東州には悪霊がついている。魔ものがついている。』

 といいはじめたのである。そればかりか、ほかの会員たちに次々と電話をしては、

深見東州は悪霊にやられているから、行ってはいけない』

 と、ふれ回ったのである。

 そこである会員の方が、「なぜそのようなことをいうのか」と問いただしてみたらしい。彼女はいった。

『私の独自な方法でわかったんだ。お告げがあったんだ。それに、先生のところへ来てからというもの、はじめはよかったのだが、途中から自分はおかしくなった。だから、先生は悪霊にやられているのに違いないのだ』

 客観的に見て、先生がおかしくなったのなら、それは『先生が悪霊につかれておかしくなったのだ』といっても、ごく常識的な論理であるといえるだろう。だが、『先生は誰から見てもごく正常で、自分だけがおかしくなった』場合、なぜ、先生に魔ものがついていることになるのか。良心的な常識からいえば、まず、『自分がおかしくなった原因は、自分のどこかに思い違い心得違いがあったに違いない。それは何か、どこか』そう心得て神様の前で自分を謙虚に省みるのが普通だろう。

 おかしくなった原因は簡単である。少しばかりの霊能を鼻にかけて、人に忠告をしたり、めんどうをみたりする。そうしているうちに、すっかり先生気分になってしまって自惚れ、傲慢と増長魔、自我、慢心の魔境に自らが陥ってしまったからなのだ。これに、悪霊が完全感応したわけである。」
--------------------------
(引用ここまで)(「大除霊」、p.91)

その人にふさわしい霊的存在しかやってくることはないので、前世や前々世から大きな使命を持って生まれ変わってきたといったような人の場合を除けば、ほぼ100パーセント低級霊しかやってこないのです。その人の腹の奥とその人の人格と日常の生き様に合った霊しか来ないからですね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

 | ホーム | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。