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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生の「大除霊」を見ると「霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。」とあり、霊能力を持つことがすばらしいとは一言も書かれていないのです。

御神示全集にも以下のように見られる通りです。

「全ての現象を霊界より見れば、
 幻であり影である。
 たとえすばらしいことであっても、
 霊界に想念を向けて行うときは、
 神の御目より見給えば、
 実りあることとして受け取られることはない。
 人の生が三次元をその足場とする。
 三次元はそのままが神の世界なり。
 神心の現し世なり。宝の実の花園なり。

 全て愛より発して神に想念が行き、
 あらためてこの世で目に映るもの、
 耳に聞こゆるもの、
 肌で感ずるものが
 神のお姿であることを自覚し、
 天地を楽しみつつ、
 日々暮らすのが人の本文である。

 霊象霊的能力ことごとく神の望むところにあらず。
 ただ人が、あまりに神なり仏なりを
 不可思議なものとしてとらえるこころあり、
 その因を結びつける方便として
 使っているだけなり。
 神は仏教で言うようなむつかしいものでも、
 厳しいものでもない。
 ただ楽しく、面白く、美しく
 輝いている天の楽の元だと思われよ。

 中心というのは
 すみきった無心のものでなくば、
 高厳、崇貴、深遠なる神の働きや、
 姿をうかがえるものではない。」
(御神示全集、p.155)

このように、深見東州先生は、霊能力について、これまで一度も賞讃したり推奨したりされたことはないのです。何度もおっしゃっているのは、「社会人として他人と協調してまともな毎日の生活を送り、普通に給料を稼いでくることのほうがよほど大変で尊い」ということなのです。

会社に行けば、意地悪をする先輩、人のいうことにまともに耳を貸さない後輩、不適切な指示ばかり出している上司、仕事が遅くて効率が悪い同僚、こういう人達に囲まれて気の休まる暇もありません。かといって家に帰っても、なかなか話の合わない妻や夫がいたり、やはり言うことを聞かない娘や息子がいたら、それこそ身の置き所がないというものです。しかしそれでも、めげることなく、明日も出勤していかなければならないのです。多くの人がそれを約40年もの間、ひたすら繰り返して、いつの間にか人生の晩年を迎えているわけです。そして「三次元はそのままが神の世界なり。」とあるように、この現実の世界をより良くし、皆をより幸せにしていくことが実は一番尊いのです。神の意志を代行することができているからですね。

ですから、変な神がかりのようなことをしてみせて、一年先や二年先のことをいかにもそれっぽく予言するといったことをわざわざ会員になってやろうとする必要は全くないのです。

それこそ、霊能力で占いをしてみせるプロに任せておけばいいのです。霊能力が発揮される時のその仕組みを知れば、決して霊能者になりたいなどとは思わなくなるでしょうから。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

先日、知人と、そのまた知人といった感じの人達とあわせて4人でお茶しながら話をした際に、霊能者と占い師の区別がつきにくいんだなあということに気がつきました。それだけわけのわからない自称や他称の占い師がいるということなのでしょう。

普通の占い師がどういう人なのかというと、自力で勉強して誕生日とか手相とかの良し悪しを自力で判断できるようになった人のことですから、霊能者とは呼べないですね。ところが区別がつかないということですから、霊能力で占いをやってみせる占い師というか霊能者みたいな人がどうやら存在するようなのです。

それでは霊能者とはどういう存在なのかというと、深見東州先生の著作「大除霊」には以下のように記されています。

(以下引用)
-------------------------
 霊媒体質の人の話が出たので、霊との交流ができる霊能者についても簡単にふれておこう

 絶えず、霊と闘おう、闘おうと考えたがるのが中途半端に霊能の開けた人、または霊能力を多少身につけた霊能者の悲しい運命である。霊能力とは、もちろん、神力あるいは現実界の実力を身につけていれば、神や常識に知らされて、正しく霊に対する向かい方もわかってくるものだが、何事も中途半端な人間は、いったん霊がわかりだすと、そこから抜けきるのが難しくなる。しかし、これはある意味では無理のないことなのだ。なにしろ霊が見えたり霊の声が聞こえたりするのだから、霊を払いのけようと試みるのは、当然なのである。

 だが、ここで注意しなくてはならないことがある。それは、あらゆる機会にに美しいものを見、美しい世界を想い浮かべることを忘れてはならないことだ。

 霊能者は、いうまでもなく霊との闘いの日々に明け暮れている。地獄界を這いずり回る低級霊たちを相手に、毎日毎日闘っているのである。

 その低級霊たちの姿かたちがどのようなものであるか、想像していただきたい。二目と見られぬ……という程度のものではない。目が飛び出し、鼻がつぶれているのはまだましな方で、両手両足が存在しないにもかかわらず、元気にはね回ってみせる恐るべき力、奇怪な声や汚らしい化け物の姿や衣に、ゲジゲジや百足やウジ虫やクモなどが、ウヨウヨとこびりついている。さらには、人間の姿をとどめず、大蛇の姿となり、ツノや牙を生やして体中から異様な臭気を発散させる。醜悪そのものといった姿であり、とても正視に耐えるものではない。ウルトラマンに出てくる怪獣のほうが、よほど美男、美女であるという気がする。

 そんな気持ち悪い姿を毎日毎日見ていたらどうなるか。誰だって目つきが悪くなるのに決まっている。

 実はこれが、霊能者の目つきや人相の悪い理由なのである。霊能者は、よくサングラスをかけているが、霊能者で目もとが涼しく、人相がすがすがしいという人をあまり見たことがない。いるとするならば、深見東州ぐらいだ。これはいいすぎだ。謙虚さがない。だから、たとえ慈悲の心で救いを求める人たちと対応していても、たえず地獄の有り様を見ていると、どうしても目つきや人相が悪くなるのである。

 それは、警察官には目つきや人相のよくない人が多いという理由と同じである。

 警察官の仕事はいうまでもなく、犯罪者を取り締まることである。その犯罪者が例えば必死で逃げていく。その後を警察官が追いかける。そのときの警察官は、犯罪者とほとんど同じく血走って、実に怖い目つきをしている。それを、笑いながら、追いかけている人はまずいない。

 もちろん警察官は善なる人であるのだが、扱っている仕事上、どうしてもそういう目つきにならざるを得ないのだ。ごくろうさまですと、申し上げるほかはない。

 しかし、目つきや人相が悪くなるだけならまだたいした問題ではない。他人にあまりにいい印象を与えないというだけだ。それより大きな問題は、想念までが悪くなってしまうことなのである。

 醜いもの、汚いものをいつも見ていると、いつしか心まで醜くなるのが人間の常である。低級霊たちの姿を毎日見ている霊能者の心に、必ずゆがみが生じてくるのももっともな話だ。

 この点が霊界だけしか見えない霊能者の落とし穴なのである。神界の入口にも入り、現実界でも立派に生きようとするのなら、まず、その霊視、霊眼、天眼というものが、出したり、ひっこめたりできて、いつでも霊界が見えているという状態をなくせるようにしなければならない。

 そうでなければ、それは霊能力にふり回されているのであり、霊能力を使うのではなくて、使われているということになる。霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。ではこの霊界を見すぎる目をどうすればいいのか。

---------------------------------------
(引用ここまで)(「大除霊」、p.130)

「霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。」とある通り、実は、霊能力を持つことがすばらしいとは一言も書かれていないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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どんな願いでも聞いてくれるという入門篇を学んだら、いろいろなことにその祈り方を応用していくことになるのですが、どんなお祈りをすればいいのでしょうか。無理矢理大きく分けると、利他の祈りと自分の発願と、そして自分の願い事に関する祈り、この三種類になると思うんですね。

どの祈りをするのであっても、欠かすことができない登場人物は、自分と、相手と、そしてこの二人を取り巻くその他の関係者すべての人達ですね。具体的にどのようにやるのかはここでは説明いたしませんが、自分自身と、相手と、その他関係者の人達すべて、という存在は忘れてはいけないですよね。

発願というのは、自分がこのように努力したいですということを神様に投げていくわけですね。自分の願望ではなく、精進努力の目標として、どんなことでもいいから具体的なはっきりとした目標を設定して、神様に投げかけるのです。この時、自分の周囲の人達のいずれが欠けても困りますね。

精進が続くようにするには、具体的なやり方は何も特別なことではなくて、常識的なやり方、普通のやり方でいいのですね。例えば、良い習慣を持てばいいのです。読書の習慣、人形を書く習慣、参拝に行く習慣、お祈りをする習慣……、こうした努力をする習慣を身につけて、とにかく実践していけばいいのです。これが一番確実で誰もがやっていることですね。毎日、本を読む、毎日参拝してから出勤する、一日一枚命ごいを書く、とか。

でも、普通の人がやる精進努力と異なるのは、会員の場合は努力する前にひと工夫する、というところですね。

「精進を遂げゆくものは何か。
 自覚ではない。
 天地の導きによるなり。
 天地の導きこそ全てなり。
 我力精進して遂げる人こそ、
 中以下の神人候補者にして、
 真実の神人ならざることを知るべし。」
(御神示全集、p.331)

ですから、一日の始まりである朝にお祈りしたり、本を読む前にお祈りしたり、昼休みの後職場に戻る前にお祈りしたり、そんなふうにしてみるわけです。やってみた時とやらなかった時とを比べてみると、仕込みの有無で違いが出てくるのがわかりますよ。でも、それを大喜びですぐに人に話したりしてはいけません。話すと離れますから。何でも口に出して言えばいいというものでもないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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「象徴は
 天地万形にありて
 覚りを助く
 無為に人と事物を
 見るなかれ」
(御神示全集、p.62)

※象徴=形のない抽象的な思想・観念などを、具体的な事物や形象に託して表現すること。また、その表現に用いるもの。

※無為=ここでは、何もしないでぶらぶらしていること。つまり、「目の前に現れている人や物事をぼんやりと見たままで過ごしてはならない」ということ。

という御神示があるのですが、要約すると「身の回りの人や物事は、必ずあなたにとって何かの気づきのきっかけとなるはずだから、何も考えないまま、何も気づこうとしないままぼんやりとながめているだけではいけませんよ」といったくらいの意味になると思います。

「いかなるものの中にも真理あり
 あなどらず聞くべし、読むべし。」
(御神示全集、p.421)

という御神示もありますね。どちらも、身の回りの人や出来事、事柄を自分の悟りの糧にしなさいよ、ということを言っているのだと思いますが、要は深見東州先生がおっしゃっているように、「これも全部神様のお導きでそういうことが起きているのだ、全部神様のお導きでこの人に会っているのだ、全部神様のお導きでこういう出来事に遭遇しているのだ」ということですね。そしてもっと踏み込んで言うなら、「きっと全部神様の御心の現れなんだな、これを通して劫祓いして下さったのだな、これを通して徳積みの機会を与えて下さっているのだな」と思い直していけば良い、ということになろうかと思います。

ですから、良いことが起きたら、「私の努力を神様が認めて下さったのだな」と考えて感謝する、悪いことが起きたら、「劫が具体的に顕現する前に、神様がこの苦しみを通して劫祓いさせて下さっているのだな」と考えて感謝すればいいのではないでしょうか。

神様は、人の幸せしか望んでおられませんので、神なる守護があって物事が変化していく時には、必ず最終的に良い方向へ変化していくはずなのです。ですから何が起きても必ず物事は良くなっていくわけですね。

いいことも悪いこともすべて神様の導きの結果だと確信して受け止めていけば、いつも深見東州先生がおっしゃっているように、神様が本当にそのようにして下さるのです。

「新しい物事をはじめるのに
 勇気と決断が要るのは
 申すまでもないことであるが
 一つ一つは神はからいであることを忘れてはならない」
(御神示全集、p.458)

ということなんですね。そのように人が受け止めれば、神様がそのように導いて下さるのです。

(つづく)

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ものには言い方というのがありますよね。昨日ロッテリアで休憩していると、まだギリギリ20代だと思われる女性二人が着席するなり憤慨しながら、職場の上司のことを話し始めたのが聞こえてきました。「あんな言い方する必要ないでしょ?」(`へ´)、「そうよ、ねえ~」(*`Д´*)、という感じでしたが、確かに同じことを言うのでも、言い方でずいぶん印象が違ってきたりしますよね。

御神業の場でのものの言い方も、やっぱり大丈夫な言い方とやめたほうがいい言い方とが、あるみたいですね。

「権謀術数的な言葉遣いをすると、
 その瞬間に動物霊が身に現れる。
 想念界がそこに陥るからである。」
(御神示全集、p.442)


「こういうふうにして、こうなったのである」を、
自慢げに言うと天狗が出てくる。

「こうくるところを、このようにしたのです」を、
自分の智略で成功したかのように言うと、きつねが出てくる。

「このような心でいるのを、自分はこう見たのです」と、
相手の腹をいかにも自分の腹で見抜いたかのように言うと、
たぬきが出てくる。
(御神示全集、p.87)

素朴で素直が神一厘、と何度も深見東州先生はおっしゃっていますね。何か難しそうなことを言えるのが偉いと思う人もいるようですが、

「むつかしい顔をしていると
 むつかしいことがやってきて
 簡単なことがわからなくなる。
 人と神が一つであらば天真爛漫であり
 ひとつひとつが生き生きとしている。
 日本の魂はこれをもって徳とし、
 人を化する働きをもつなり。
 太平の世とは大和の心の花咲く世であり、
 神のことを喜び楽しむ世である。
 それが足らぬ故
 今までの競いやけんかがあったのである。
 あらそいのなくなる世とは、
 楽天のむねのぼたんをあけ放つ世なり。
 人も神も天真爛漫のものがより本物である。
 神も人もすばらしいものがむつかしいものや、
 あたまをひねる困難なものでないことを
 知ったのが悟りである。」
(御神示全集、p.218)

とあるように、何事かを大げさに難しそうに言うのが偉いということでは全くない、ということなんですね。

大げさなものの言い方に振り回されないようにしましょう。いかにもそれらしいものの言い方をする人がいたら、そんな言い方をすることそれ自体が神様の守護がないことの現れかもしれないと気づいて自分を守らなければいけません。

「正しいことはむつかしくない。
 自分が正しいと思えば批判の心が出ずるなり。」
(御神示全集、p.138)

「むつかしいことはない。
 自分のことを忘れ、
 人のことを思いやる人に
 神は愛をさずくるものなり。」
(御神示全集、p.184)

とあるように、理屈を前に出すとずれてきてしまうのですね。そうではなく、愛を前に出さないといけないのです。やっぱり「素朴で素直が神一厘」なのだと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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ずいぶん前に流行った歌謡曲の歌詞みたいなタイトルになってしまいましたが、さて、あなたの中で、前向きに努力しよう、進歩していこうという気持ちが強くなっている時は、運命の節目が来ている時が多いのです。守護霊が増えたり、交替しつつあるのかもしれませんね。あるいは
星の巡りで何か大きな変化が起きたりしているのかもしれません。

とにかく自分が前向きな気持ちになれたのですから、それをいかに長続きさせるか、そしてそうした気持ちに基づいて実際に行動を起こして実践し続けること、これがとても大切ですね。

ですから、そうした気持ちに合わせてさらに踏み込んで具体的な目標を立てる、具体的に発願するわけですね。そしてそれを手帳に書く、ノートに書く、部屋の壁に貼り出す、カレンダーに書き込みをする、こうしたことをして、いつでも自分の目に留まるようにするのです。忘れないようにするわけです。

そして、一つずつ、一日ずつ、積み重ねていきます。目標は必ず毎日実行するのです。

そうした時に、自分をどのように励ましていくのか。そういう御神示もちゃんと御神示全集の中にありますね。

「知らないことが解るようになった。
 それだけで、大いなる御魂の向上である。」

「もっと解るようになりたい。
 それだけで、大いなる求道心である。」

「もっと偉大な人物になるように己を磨きたい。
 それだけで立派な神人合一の道を歩んでいる。」

(御神示全集、p.303)

解るようになったと実感することが大切なのですね。同時に、もっと解るようになりたいと思い続けることも大切なのですね。そして、「進歩し続けていきたい」と願うこと。これが一番大切なのだと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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ワールドメイトの会員になると、「集中力」とか「没入する」といった言葉を以前よりは少し多く耳にするようになるのではないでしょうか。

それでは、こうした「集中力」とか「没入」というのは実際にはどういうことなのか、これも体得している人もいれば経験すらしたことがないという人も中にはいらっしゃるみたいですが、御神示全集を参考にして見てみましょう。

「注力散漫なれば事為らず。
 万事に注力の集中こそが大切である。」
(p.64)

注力ちゅうりょく、とは普通は「目標を達成するために力を注ぐこと。」という意味です。

したがって、「集中して力を注ぐということができず、しまりがなくまとまりが無いなら、目標を達成することはできない」といったくらいの意味になるでしょう。

「精進の権化となれ。
 時中に生きることが只今に生きることである。
 時を忘れ、
 道を忘れ、
 人を忘れ、
 対象物を忘れるぐらいに没せよ。
 それが神人一体となる呼吸ぞ。
 その呼吸を称して妙と申すなり。」
(p.275)

「自分が精進そのものになったかのようなところまで精進しなさい、今この瞬間に徹底して集中することが『ただいまにいきる』ということです。今が何時で、何のために、誰のために取り組んでいるのか、そして何に取り組んでいるのかすら忘れてしまうぐらいに(=自分の置かれている環境の一切を忘れ去って)集中しなさい。そこまで集中している時の自分の有り様に神人一体となるためのてがかりがあるのです。このてがかりを『妙』というのですよ」

ということですね。

これは、作品を生み出すことに命をかけてきた、というような芸術家の中に実際に体得している人が多いかもしれませんね。逆に、読書をしても10分くらいしか続かないし、絵も描いたことがない、書も志したことがない、楽器も弾いたことなどない、といった人であれば、この「神人一体の呼吸」ということが理解しにくいかもしれません。

芸術作品を完成させる、あるいは芸術が分かる審美眼を育てたり維持したりするためには、大変な集中力が必要とされます。芸術に親しんだことがない人は、「自分が知らない世界を体験している人達が存在する」ということを決して忘れてはいけないでしょう。

そして「只今に生きる」というのがどういうことかというと、

「自分で自分の苦渋を忘れるくらいの努力をする心が、
 『只今に生きる』という真義に真近い。」
(p.422)

とあります。「自分で努力しながら、『いやだなあ』とか『めんどうだなあ』と思う心を忘れてしまうほど集中することが『只今に生きる』という言葉の本当の意味に非常に近い」といったところでしょうか。

この没入感を体得することが、とにもかくにも神人合一への第一歩ですよね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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ワールドメイトは御利益信仰団体ではありません。御利益(ごりやく)という時には、神様を拝んで人が願ったことが何でもかなうということを指して言っているのではないかと思いますが、ワールドメイトでは神様の願いに人が応えて努力し真実の祈りを捧げることで、神が人に恵みを与えてくれる、という形になるのです。そして、時には人が願った以上の良き報いがもたらされることもあるし、あるいはまた、「神から見てその願い、その望みは思い違い、筋違いだぞ」という時には、全然違う形で答えが返ってくることもあるのです。

人が好き勝手に遠慮なく神に願いをかけてその通りにかなうということは、正しい神様のもとではいつも起きるとは限らないのです。なぜなら、その願いが神様から見て真に正しい願いだとは限らないし、その願いが長い目で見た時に本人にとって真の幸せにつながるものだとは限らないからです。

「神様のお仕組に、
 自分が使っていただいているのが本当であり、
 自分のしていることを、神様が守護するのではない。」
(御神示全集、p.88)

「自ら成そうとする所を助け給えと祈って出ずるものは、
 霊力であり、守護霊の働きである。」
「神力と霊力とは次元が異なり、
 自我と言ってもさまざまである。」
「世のため人のためと思って慈善事業に志す者多し。
 神のため神界の経綸のため、
 神心のままに世のあかりとならんとする、
 神人合一の人のいとも少なし。」
(p.90)

自分の祈ったことがかなわない場合、最初は、「どうしてお願いした通りにならないのかな?」「願いがかなわなくてとっても悲しい…」といったふうに考えてしまうことが多いのですが、「望んだ通りの結果にならないほうが私にとってより良いことなんだな」と思い直して受け止め直すと、次への道が開けていくのではないでしょうか。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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この世の中、現実社会の中で生活していこうとするなら、人とかかわらないで暮らしていくことはできません。人と交流すれば、自分のあり方を他人の前でさらけ出さねばならない場面が必ず生まれてきますし、逆に、相手の考え方や生き様がさらけ出される瞬間を目撃することにもなります。

そのように毎日他人と一緒に過ごす時に、どのように考えるべきか、どのような心構えを持つのがいいのか、こうした点についても「御神示全集」に書かれていますね。

「何事も好意的に受け取って、
 神様に感謝する材料をさがす。
 日々の生活修業は、
 受け取り方の修業である。」

「自分の身の回りにこそ
 全ての解答があり、
 全ての指針がある。」

「発見というのは、
 見つけようとしてできるものではない。
 その探求の態度を神は見て、
 パッと覚らさせていただく。
 是れ妙智と言うなり。」
(御神示全集、p.41)

信仰においては、心が救われ魂が磨かれることが非常に大切です。理よりも慈悲のほうが大切なのです。信仰とは科学ではないので、正しいかどうかが最も大切だとは限りません。自分の心が救われ、相手の心が救われるように受け取っていくこと、これが一番大切なことだと思うのです。

そして、何気なく過ごしている毎日の会話のやりとりや、職場や家庭で見かける出来事、こうしたことの中に全ての答えがあるわけです。ですから、朝、一番に祈る時に、今日一日の生活の中で答えを得られますように、というお祈りを忘れずにすることが大切だと思います。

また、自分で考え込んで悩みの渦中に入り込んでしまっても、答えはなかなか得られないものです。それよりも、○○の答えが見つかりますように、とお祈りして淡々とごく普通に努力を積み重ねていくほうが、より早く、そしてより正しい答えが得られると思いますよ。

信仰するからには、道を実践しなければもったいないですからね。

(つづく)

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この前会員のお友達と話していた時に話題になったのが、「自分が救霊を長期間受けないでいると、こちらから話しかけた相手がなんだか無意識にイライラするようになってくるのではないか」、という話になったのです。そして、「そういう状態になるので結局は自分から対人関係を悪くしてしまうことになり、その結果として自分で自分の首を締めることになっているのではないか」、というオチになったのでした。

「己の意志で全てが決まる。
 霊ではない。
 人ではない。
 環境ではない。」
(御神示全集、p.320)

ということなので、誰かと話しをするたびに救霊を受けたか受けないかなんてことをいちいち尋ねたりはしませんが、言われてみれば、救霊の間隔が開き過ぎるとなんとなく人間関係に支障が出がちになるような気がしないでもないですね。

学びが進んで悟りが深くなると、その分自分の感情やものの考え方の歪みが正されますから、過去の自分が持っていた「思い込み」、「誤解」、「偏ったクセ」、「マイナスの感情」が消えていくわけですね。すると、そうした歪みの陰に潜んでいた邪霊が出てくることが多くなるように思います。結局除霊する準備がどんどんできてくるみたいなものですよね。

体行奉仕をして徳を積むことだけでは学びが不十分になるのではないかとも思ったりしますが、そうとも限らなくて、昔の禅のお坊さんなんかはひたすら薪割りをやって悟ったりもしていたわけですから、活字を読むのだけが悟るための方法とは限りませんよね。自分が今取り組む必要があるテーマを意識しながら体施をなさっている方なら、毎回少なからず悟るところがあるはずです。

とにかく大切なことは集中して没入することだと思いますが、いずれにせよ内修外慈に励めば、徳積みの結果自分の歪みの陰にいた邪霊達を祓う準備、また子孫の徳積みに応じて救われる先祖霊達を救う準備、こうした救霊のための条件が整ってくるようです。

ですので、何か大きく悟った時や何か大きく発願した時、こうした時に救霊を受けるのは案外大切なことではないかと思います。

そして救霊を受けることでいつの間にか対人関係も改善され、ますますやりやすい家庭、やりやすい職場になっていくのではなるはずです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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努力のしかたにも要領の良し悪しがあります。ワールドメイトの会員であれば、とにかく要領良く努力しましょう。

深見東州先生の絶対運には次のように書かれています。

以下引用
------------------------------
 ツキというのは幸運、ラッキーのことでありそれを私は他力運と称している。…(中略)…他力運があるということは、ツキがあり強運につながることであり、それは自力運をあと押ししてくれる守護霊たちの働きが強いということである。

そして、…守護霊たちの大いなるあと押し、つまりツキを得るのは、結局、自分自身の精進・努力と正しい方向性の結果であるということである。

…ツイているか、ツイていないか。他力運があるかないか。

 それは、すべてあなた自身の内にある。他力運を得ようとするならば、自力運をまず強めなければならない。自力運を開発していくことが、即運勢をよくしていくプロセスでもある。

 ではここで、自力運と他力運とでより強力な運を獲得するための方法をまとめておこう。

1.善なる待機
2.日々、時々刻々の充実--ただ今に生きる
3.目標を持つ--さしあたり、とりあえずの目標でよい
4.こだわりの無い心
5.日々新たに

 以上の五法則を身につけよう。そうすれば必ずあなたの運勢は三〇倍、四〇倍、いやそれ以上にアップするはずである。
--------------------------------
引用ここまで

最初の「善なる待機」とは「ツキや幸運を招くべく工夫をし、努力して、そして然る後に待つこと」、ですね。きちっと目標を定めて努力を続ける、そうすると時期がきて果実が実るようにチャンスがくるし、幸運が訪れる。だからそれまでの間、ジタバタしない、あせらない、こういうことです。

次に、「ただ今に生きる」とは、やる気がなく無気力な状態、あるいは不安やあせりから物事に集中することができないという状態、これらの良くない状態から脱出するための具体的な方法のことを言っています。暇な時間をそのまま放置しないで、勉強したり体を動かして作業をしたりすることで、実際的な知識や技術を身につけるのです。過去のいやな思い出やつらい経験ばかりに思いをはせることは自分の魂を傷つけることになるので、そうした経験はあっさりと忘れましょう。

三つ目の「とりあえず目標を持て」というのも、自分の生命を生き生きとさせて、自力運を発動させるきっかけを作って、前向きに生きていれば、それにつれて他力運も動きだす、という意味です。

四つ目の「こだわりの無い心」というのは、一瞬一瞬に集中して生きて、当面の目標に向かってひたすら努力している時、こだわりの無い心を体得できますよ、という意味です。この「こだわりの無い心」を持つことがなぜ大切なのかというと、自分の感情と思考と行動を縛って動けなくさせてしまう「執着心」を乗り越えることができるからです。自分を動けなくさせていた執着から脱することができるからです。

五つ目の「日々新たに」というのは、一日一日、毎日を日々新しく生きていく気持ちで過ごしていこうと心掛ける、いうことですね。具体的には、毎朝その日一日の目標を立てる、その日一日でやることをすべて書き出す、といった方法があると思います。

しかし、ここに列挙したことだけでは、その辺の普通の人とあまり違いがありません。

そこで、入門篇の祈り方を実践することになります。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトの会員であれば、「まず自分を幸せにしましょう」という言葉を耳にすることが多くなるかもしれません。ひとりの人として一番最初に幸せにすべきなのは自分自身ですよ、ということですね。

そして「幸せだな」と実感するためには、自分の持つ価値観・幸福観(=自分が何を大切だと考えるのか、自分が何をもってしあわせだと考えるのか)というものをよりしっかりと自覚・理解することが大切ですね。目標が明確であれば、幸せを実感しやすくなるはずです。自分が幸せだと思うことが実現すると普通は幸せだと実感できますよね。

今世、生きていく時に、人によっていろいろな価値観・幸福観を持っているはずですが、その今の自分に大きく影響を与えているのが、実は「自分の前世」ではないかと思ったのです。

「天は二物を与えずとか、
 人は生まれながら
 定まった宿命をもつとか言われているが、
 本当は、全て前世でつちかった分だけしか
 今世に備わらないのである。
 人をうらやむな。
 前世の貯えが異なるだけだ。
 今世磨けば、その分だけ功徳が備わり、
 来世までも持ち越されるなり。
 来世に持ち越しが可能なものは、
 信仰、芸術、学問である。」
(御神示全集、p.124)

前世については、例えばこのように説明されているのですが、前世でいろいろとこだわりを抱いていたために、今世そういう発願を持って生まれてきているという人は実はたくさんいらっしゃるようです。要するに、前世で強く自分の印象に残ったこと、前世で自分が強く大切だと思ったこと、これらが今世に生まれてくる際の発願に影響を与えているわけですね。

次のような話を聞いたことがあります。もう今では目にすることはできないのですが、以前深見東州先生が天命神通※のお取り次ぎをして下さった時に聞いたお話しです。

ある会員さんが今現在、ケーキ屋さんを経営されているのですが、それは前世の人生にその理由があったのだ、ということがわかったのでした。その方は、前世ではどうやら町人に生まれていたようですが、貧しくて美味しいものが食べられない人生を送ったのだそうです。その時、兄弟姉妹がたくさんいて、一番上の長女で生まれてきていたのです。そして、弟たち、妹たちが「お姉ちゃん、美味しいものが食べたいね、食べたいね」と言うのを聞いて、自分が悪いのでもなかったのに、「ごめんね、美味しいものを食べさせてあげられなくてごめんね」と言いながら過ごしていたということでした。前世の人生を終えて今世生まれてくる時に、神様がいると固く信じていたこと、世の中の役に立って人が喜ぶようなことをしたいと思っていたこと、美味しいものを作って食べてもらうことで人を幸せにすることができないかと思っていたこと、きれいなものが好きで、そういう料理を作りたいと思っていたこと、こうした思いがあったので、「おいしいケーキを作ってみんなに食べてもらいたい」、こう発願して生まれてきたということです。

※天命神通てんめいしんつう
深見東州先生が、今、生まれてきている人について、どういう目標を立てて生まれてきたのか、今世での人生のテーマは何か、そのテーマを持つに至った理由は何か、こうしたことをひとりひとり、解説して下さる秘儀です。深見東州先生が神様と一体となって、その人の魂の声を読み取り、言葉にして私達にわかるように伝えて下さいます。ただし、深見先生に対してあまりに肉体的・精神的な負担がかかるため、現在は行われていません。

(上記の内容は、個人が特定されることを防ぐため、実際の内容に若干の脚色を加えています。すべてもとのお話しのままではありませんので念のため。)

さて、人はそれぞれ、皆今世生まれてくる際に、それぞれに発願して生まれてきているということなのです。あなたが今、大切だと強く思っていたり、自分はこれをやっている時が本当に楽しいと強く感じたりすること、それらが実は前世の自分の生き様に影響された結果、そう思ったり感じたりしているのかもしれないということなのです。前世で特定の価値観や幸福観というものになじんでいたことが、今世生まれてくる時のそれぞれの発願に反映されているのかもしれないのです。

今世は、前世の続きとして始まっている、そういう側面があるのかもしれませんね。

人は皆、ひとりひとりが各々の幸福観・価値観を持っています。しかし、その幸福観・価値観とは、今世になってからできあがったものではなく、前世からすでに今の自分の幸福観や価値観につながるものを持っていたのかもしれないのです。

今世であなたが持っている価値観は、前世の自分の生き方・価値観に強く影響されている可能性があるのです。

言い換えると、「今の自分が自然に感じている良し悪しが、実は前世の生き方と価値観に縛られたものかもしれない」ということになります。

ところが本当は、今の自分がこだわっている生き方や価値観よりもさらに優れた生き方や価値観がこの世の中にはあるかもしれないのです。

今世、自分が持つ幸福観・価値観が今世の自分の幸せを決め、結局は自分が送った人生に対する印象をも決めることになります。死後、自分の一生を思い返す時に、あなたが今世で持っていた幸福観・価値観が良し悪しのよりどころになるのです。そして、自分が抱いた想いが即、来世の生き方にも影響していくことになるのです。

人生というものをより大きな範囲にわたる視点から見てみると、「何をもって自分の幸せとするのか」、この点を上手に選ぶことが大切だということになるのかもしれません。

全ての人に共通する天命とは「御魂磨き」だと深見東州先生はおっしゃっています。自分をより進歩・向上・発展した自分に成長させていこうとすることが御魂磨きですね。できなかったことをできるようにしていく、わからなかったことをわかるようにしていく、そのために精進努力することが御魂磨きだと言えるでしょう。

今自分が選んだ幸せのあり様というものが、自分の一生のあり方、さらには来世の自分の一生にまで大きな影響を与えるのです。

より良い幸せとは何か、より良い目標とは何か、自分で自分を上手に導いて行くことが本当に重要だと言えるでしょう。

自分の成長に合わせて、よりふさわしい幸せを選んでいくことが、実はとても大切なことではないかと思ったのでした。

(つづく)
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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 前世

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

なかなか証しが出ない、なかなか物事が好転しない、という人の場合、その多くは自分のものの考え方が「かたくな」であることが原因ではないかと思います。かたくな、とは即ち、「人が何をいおうと、がんとして自分の意見や態度を変えないさま。強情なさま。」のことであり、要するに頑固だということです。

この頑固というのはつまり、「人の言うことを聞こうとせず、自分の考えを押し通そうとするさま。」のことですね。

この頑固、ということについて、もう一度「絶対運」から紹介しておきたいと思います。

以下引用
--------------------------------
「我見」や「我」の強さ、あるいは頑固さは教養と知性のなさが原因である。己の見識、考え方は正しいかもしれないが、それだけが正しいのではない。もっとすばらしいより優れた見識があるかもしれない……。そういう視野の広さや柔軟性は学問によって培われる

『論語』にこうある。

学びて思わざれば即ち罔し。思いて学ばざれば即ち殆うし。

まなびておもわざればすなわちくらし。おもいてまなばざればすなわちあやうし。


 前段の意味は、いろいろと学び知識はあって、自分で考え思わなかったら、つまり咀嚼しなかったらものの本質が見えない、知識ばかりであって内面性やものの本質に暗い。すなわち聡明でないということだ。

 しかし、その反対に「思いて学ばざれば即ち殆うし」である。いろいろと自分なりに思い、考えているけれども、学ぶということをしないために我見が出る。

 独善の弊害といってもいい。それが「殆うし」の言葉に象徴されている。これが後段の意味だ。

 その人物が立派で説得力があり、協調性に富んで、しかも見識があるとき、人は「我」があるとは言わない。だから「殆うくない」のである。

 頑固というのはときとして必要だが、しかし、たいてい知性と教養の厚みに欠けているために、「我」と「慢心」とがブレンドされた場合が多い。
--------------------------------------
以上引用ここまで

要するにものを知らなくて、また同時にものを考えていないから、自分の意見の他にも世間にはさまざまな考え方や主張があって、どれもそれぞれに一理あるものだ、ということがわからないわけです。

物知らずで狭量(=度量が狭いこと。人の言行を受け入れる寛大な心が小さいこと。)なのだから、人からもらえるはずのヒントを全く受け取ることができず、進歩が遅れます。他人の意見を聞かないのだから人と交流していないのと変わりません。ですからいくら都会に住んでいても、中身は田舎者と同じです。

自分を改善していく精進の第一歩は、ものの考え方には千差万別の種類があって、いろんな意見に触れて、偏りのない妥当な自己主張ができるように、読書に励み、人の話を丁寧に聞かせていただく、というところから始めるべきでしょう。活字を読むこと、読書が根源の修業であって精進の対象なのです。

スタッフさんの中には、日切りをされて、「○月○日までに△△△冊の本を読むように」という指示を出された人がかつていたという話を聞いたこともあります(その方はまだちゃんといらっしゃいますけれども)。

ものの考え方が歪んだままでは、どれだけ努力しても的外れになることが多くなる、ひとりよがりになることが多くなるからです。

妥当な考え方、説得力のある考え方というものを学んでから、自己主張すべきでありましょう。

ものごとに精進するにあたっては、次のような御神示があります。

「度を超してこそ
 修業なり
 甘えた日々を
 送るなかれ」
(御神示全集、p.54)

私の知り合いの会員に、学生時代に、一日15時間くらい勉強するという毎日を半年くらい送ったことがある、という人がいます。現在某会社の○○役をしておられますが、この人が実際に異常なくらいの集中力の持ち主で、いったん本を読み始めると止まらない、という人なのですが、とにかく一度に読んで全部覚えてしまうという能力の持ち主です。そういう人が実際にいるんですね。

精進努力のやり方については引き続き「絶対運」から紹介してみたいと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトはご利益信仰(ごりやくしんこう)のための団体ではありません。

会員の個人的な願望が何でもかなうという信仰をしている団体ではないのです。会員ひとりひとりが信仰を通じて人格の陶冶(=人の性質や才能をきたえて育て上げること)を行い、人としてよりいっそう立派となって、その結果、会員の家庭も会員が関わる社会も、いずれにも幸福がもたらされるということを目的のひとつとしている団体なのです。

したがって、会員が優れた社会人として成長していくための教えをいくつも学ぶことができるのがワールドメイトなのです。

例えば次のような御神示があります。

「精進あり、一徳(いっとく)目醒めて
 功(こう)出ずる。
 功いでて、精進に
 堂が入るなり。
 神がかりより尊きは、
 神を呼び迎える
 精進の心と功行なり。
 悟るべし。
 道なく、徳なく、功なき人、
 全ては精進の心なきが故なり。
 精進が神であり、佛であるぞ。
 人間の持つ、
 最も尊き美徳であるぞ。

 忍にまさりて尊きは、
 精進なり。
 わが神と佛との
 示現※
 なればなり。」

※示現じげん=仏・菩薩が衆生を救うために、さまざまな姿となってこの世に現れること。また、姿を現すこと。さらには、神仏が霊験を示し現すこと。

「精進して、徳をひとつ積むと神からいさおし(=功)が与えられる。功を立てていよいよ精進が本物となる。」

「精進しようという心構えと実際に精進したという形に表れた行いのほうが、神がかりよりもずっと尊い。」

「自分の行くべき道もわからず、徳を積むこともできず、いさおしも立てられない人というのは、結局は精進の心が無いからである。」

「精進することで自分の中の神や仏が現れ出るのだ。」

「精進するという姿勢とその実践こそが、人の持つ、最も尊く美しい、道徳にかなった行いなのである。」

「忍耐するよりも尊いのは、精進することである。なぜなら、精進することで自分の内なる神や仏を具体的に現すことことができるからである。」

といった意味になると思います。

神仏にご利益を祈れ、とか、拝んでさえいれば恵みがやってくるぞ、などということは少しも言っていないのです。現世利益など説いていないのです。

会員になっても何も証しが出ないと不満に思っている人は、もう一度自分の生き方を見直すべきでしょう。そういう自分の生き方こそが今の自分を作っているのだと猛省すべきです。

何事か物事を成し遂げたことがある人なら、ここで述べられていることはこれ以上説明する必要などないでしょう。物事を練習し訓練し学び続けて、結果が出るまで努力し続けることがどれだけ大変で手間暇労力がかかることなのか、努力し続けた人ならわかっているに違いないからです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

悶々と苦しむばかりでは、自分から能動的・積極的に自分の運命を切り拓いているようにはなかなか感じられないことでしょう。

あがないをすると同時に徳積みをすれば、個人としての自分と自分の生まれた家と、この二つが持つ劫を清算すると同時に徳分を積んでいくことができるわけですから、加速度的に良くなっていく人が多いのです。

そこで、自分の所有する金銭、自分が捻出することが可能な時間、自分自身の肉体、これらを使用して、神業奉仕に徹してみるのです。

交通費を出して支部まで行き、自分が自由にすることができる時間をかけて支部の当番をして、お掃除をしてみたり荷物整理をしてみたりするわけです。

現代社会においては、個人の時間を切り売りして金銭に交換することが、市場経済の制度の下で一般に広く行き渡っています。正社員であれアルバイトであれ、要するに時給に基づいて給料が計算されて、その給料を日給あるいは週給、あるいは月給という形で受け取って、そのお金で生活していますね。自分の時間を、一定の労働を提供する代わりにお金に換えて戻してもらって生きているのです。

そして、その人に与えられたこの世の時間というのは、この世に誕生することで発生するものだと考えると、時間=命、なのです。したがって、神仏に対してご寄付をさせていただく、自分の時間を使ってお掃除させていただく、これはすなわち自分の命を神仏に捧げていることになるのです。

こうして自分の命を神仏に捧げるからこそ、徳を積むことができ、また劫を祓うことができるのです。

ですから、神業奉仕を始める際には、またいろいろと作業をしてすべてを終えて帰ろうかという際には、必ずお断りのお祈りを捧げることがとても大切です。祈りを神様に受け取っていただいて、体を動かして最初から最後までやり抜いて、その時の姿勢を神様に見ていただいて、それで初めて神徳をいただくことができるのです。

そしてさらには、始めたことは止めない。貫き通す精神こそが信仰心なのですから、いったん始めたことは絶対に止めることはないのです(もちろん常識的に考えて反社会的でなく、公共の利益と福祉に反しない事柄について、言っています)。途中で止めなければ、必ず実を結ぶ時が来るのです。ですから、週に一度、必ず支部に行く。月に四度、支部に行く。年に四八回、支部に行く。これを週に二度にしてみたり、三度にしてみたりすることはあっても、いったん行き始めたなら、行かなくなるということはあり得ないのです。

そうやって、支部の都合と自分の都合をうまく合わせてみようとか、自分の家の都合と支部の都合をすりあわせてみよう等色々と工夫しているうちに、いっそう努力が要求されるようになったりします。それに合わせてさらに色々と工夫しているうちに、その姿勢が精進努力になっていったりするのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

苦しいことを抱えていて、それを誰かに相談したり打ちあけたりして心を軽くすることができない時などは、「どうして私だけがこういう目に遭うのかしら」などと考えて、恨み言を言いたくなるのが人というものです。誰でもそうですよね。

でも恨み言を口にしている時に、想念がとても明るいかというとそうではないですね。恨み言を一人でつぶやいている時に、その想念がとても良いものかというとそうではないですね。どちらかと言えば暗くて悪い想念を抱いているのではないでしょうか。

けれども、「神なる存在」を自分の考え方に取り入れて、神霊界の法則に基づいてものを判断するようになると、そんなに悪想念まみれにならなくて済むかもしれません。つまり、自分で自分を汚さなくてすむようになる、ということです。

次のような御神示があります。

「人知れず悶々と苦しむ人は、
 あがないをしているのである。
 前世のあがないとは限らない。
 今世自己の踏み違えた、
 天道のあがないが大半である。
 前世からの因縁というものは、
 大半が性の偏向にある。
 人生の苦難を経て、
 玉のごとく磨かれるのが修業である。
 それは業を修めることを云うのである。」
(御神示全集、p.403)

あがない、とは「罪のつぐないをすること。埋め合わせをすること。贖罪すること。」ですね。ですから、「人知れず苦しむような目に遭うというのは、今世自分の犯した罪の罪滅ぼしをしているんですよ」と説かれていることになります。

次ですが、「性の偏向」とはすなわち「性質の偏り」であって、「固有の気質、たちが均衡を失って偏している」ということですね。言い換えると「バランスが悪くて具合が悪い」ということです。つまり、「前世の因縁は性格の偏りとして出てくる」と説かれているのですね。

これが苦難を経ていろいろと世間を知り人を知ることで、玉のごとく磨かれる=円満になっていくのが修業なのですよ、ということですね。

性格が偏っている人ほど、自分の性格が偏っていることを自覚できないのです。なぜなら性格が歪んでいて、ものを正しく受け止めることができにくいからです。

ですから、自分のものの考え方や自分の好き嫌いのあり方に「偏り」が「必ず存在していて」、そのために、「見るべきものが見えていない、知るべきことを知ることができていない」と冷静に反省することはとても大切です。

この、「自分を冷静に省みる作業」を可能にするのが、偏りのない円満な知性と教養です。この知性と教養を得るために、偏りのない読書に努めるのです。そうすることで我見を最小限にすることが可能になり、まさに自分の偏りを自覚することができるようになっていくのです。

それ故、やはり、読書をすること、学問をすること、これが自分を救うための根源的な行動だと言えるのです。

で、話をどうして悶々と苦しむような苦労を経験させられるのか、というところに戻すと、それは「今世で自分が犯した罪の罪滅ぼしのためだ」ということですね。それと同時に、「今世の自分が持っている偏りを無くして円満な御魂になるために苦労させられているのだ」、ということでもあるわけですね。

罪滅ぼしが済んで、自分のものの考え方が改まれば、ある時突然苦労のない穏やかな日々がやってくるのです。

しかし、そのような転機が訪れるのを待っているだけでは、受身の姿勢が過ぎるというものなのです。それで、自分の時間と費用と手間暇をかけて、わざわざご奉仕をすることになるのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

悪想念を平気で出している人というのは、自分が出している念が悪想念だということに気づいていないわけです。これは本人に充分な教養が無いということであり、その教養の無さが原因で我見に陥っているのです。だから自分の心を救い人の立場と心を救うものの考え方やものの言い方ができないのです(教養が無い人ほど自分が教養が無いことを自覚していないし、言霊や想念が悪い人ほど自分の言霊や想念が悪いことを自覚できませんね)。

今回は深見東州先生の著作『絶対運』から紹介してみたいと思います。

以下引用
-----------------
 『我見』や『我』の強さ、あるいは頑固さは教養と知性のなさが原因である。己の見識、考え方は正しいかもしれないが、それだけが正しいのではない。もっとすばらしいより優れた見識があるかもしれない……。そういう視野の広さや柔軟性は学問によって培われる

『論語』にこうある。

学びて思わざれば即ち罔し。思いて学ばざれば即ち殆うし。

(まなびておもわざればすなわちくらし。おもいてまなばざればすなわちあやうし。)


 前段の意味は、『いろいろと学び知識はあって、自分で考え思わなかったら、つまり咀嚼しなかったらものの本質が見えない、知識ばかりであって内面性やものの本質に暗い。すなわち聡明でない』ということだ。

 しかし、その反対に『思いて学ばざれば即ち殆うし』である。いろいろと自分なりに思い、考えているけれども、学ぶということをしないために我見が出る。

 独善の弊害といってもいい。それが「殆うし」の言葉に象徴されている。これが後段の意味だ。

 その人物が立派で説得力があり、協調性に富んで、しかも見識があるとき、人は「我」があるとは言わない。だから「殆うくない」のである。

 頑固というのはときとして必要だが、しかし、たいてい知性と教養の厚みに欠けているために、「我」と「慢心」とがブレンドされた場合が多い。
(絶対運、p.147)
--------------------
引用ここまで

我見は、自分が正しいのだと思い込む独善につながり、別の角度から物事を見るという習慣を持たず視野が狭くなる、こういうことにつながります。

結局のところ、妄執は我見から来るのです。思い込みは教養の無さ・知性の無さによってもたらされているのです。

これを乗り越えるには、自分だけが正しいのではない、自分が知らない物事、自分が知らない事柄、自分が知らない知識、自分が経験したことがない体験、そのような、自分には思いも付かないような事柄が世の中にはたくさんあって、自分の言い分などそうした数多ある自己主張のうちのひとつでしかない。この事実を、何度も何度も自分自身に言ってきかせるしかありません。世の中にはもっと素晴らしい見識があるかもしれないのだから、といつも自分に言い聞かせながら過ごすべきなのです。そして同時に自分のものの考え方や感じ方が硬直したものにならないよう、視野の広さや考え方の柔軟性をつちかっていくために、読書をし学問をするのです。

ですから、読書をすること、学問をすること、これが自分を救うための根源的な行動なのです。

ものを学んで咀嚼力を養い、より良い想いを抱くよう心掛け、それをより良い言霊で表現してより良いお祈りをしていく、このようにしないと自分の信仰というものは深いものにはなっていかないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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自分が良くなるのに、自分が良い方向に変わっていくには、実際にどういう想念を持つべきか。この点について、わざわざお話しするまでもないだろうとは思うのですが、念のために記しておきたいと思います。

「人のつみとは、
 天の理に合わざることが
 積み重なりたることなれど、
 つみかさねた自分の悪念と、
 他から送られた悪念の
 つみかさねから起きることが多い。
 故にまず自分でまいた悪念波は
 自分で刈り取る他はない。
 刈り取るには、まず妄執を捨てることである。
 次に常に明るく前向きで、
 素晴らしい想念を持ち、
 他人にも良き想いを向け
 素晴らしい念波動を送ってやる他はない。
 それが人をも
 わが身をも幸せにするすべなり。」

(御神示全集、p.181)

神霊界の法則に合わないことをする、これが積み重なったのが罪ですよ、ということなのですが、まず妄執を捨てなさい、とも説かれています。妄執とはすなわち、「迷妄から生じる執念」ということ。すなわち、「誤りを真実と思い込むことや、そうした誤った考えを持ったことの結果、一つのことに深くとらわれて、そこから心が動かなくなっている状態。」のことです。ですから妄執を捨てるとは、つまりは「自分がしがみついている誤った考え方を捨てる」ということですね。

進歩できない人、というのは「自分の考え方が誤っていることに気づけない人」なのです。

そして、妄執を捨てたらその次は、「明るく前向きで素晴らしい想念を持て」とあります。これはすなわち、以前から何度も申し上げていることですが、例えば「明るく楽しく前向きで積極的で発展的な想念を持つと良い」ということですね。なぜこうするのが良いのかというと、神界の存在は常にそういう想いで存在しているからです。

そして、そういう想いに基づいて、人と触れ合い、人と会話し、人をもてなして、人に愛情を向けるのです。なぜそうするのが良いのかというと、神界の存在が常にそうされているからです。

人に向けられた念は悪念であれ善念であれ、その人の霊体に蓄積されていきます。生きた人間から生まれ出た念なので、善なるものであれ悪なるものであれ、生霊となってその人の霊体にくっついているのです。これがくっつけられた人の運命を大きく左右する場合があるのです。だから人には善い念波を送ってあげなさいということになるのです。また、自分がどのような念波を出すのか、これが自分に返ってくるものを決めます。自分の想いの世界にふさわしく御縁が結ばれていって、自分の世界が広がっていくのです。まさに善念を出すことで自分も人も救うことができるのです(悪念であればその正反対の結果となるのですね)。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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それでは「人としての正しいあり方」というのはどういったことを指しているのでしょうか。

こうしたことについて、私などが申し上げるのは不適当かもしれないのですが、自分が心掛けていることや人から聞いたこと、私の友人・知人たちが実践していることなどをヒントにしてお話ししてみたいと思います。

例えば次のようなことを例に挙げることができます。

次のような御神示があります。

「いつも書くべし
 神のすばらしさ、この世のうるわしさ

 いつもたたえるべし
 人の美徳、その真心のわざ

 いつも喜ぶべし
 神とともなる日々、人に育まれる日々

 いつも祈るべし
 いかにすれば、自在に神を行ずることができるか

 いつも気を回すべし
 あたらしき工夫、十字の心形

 いつも覚るべし
 神は身の内
 人は神の子

 いつも慎むべし
 自分がやっているのでない
 神や人にさせてもらっているのである

 天地のゆくえは知らず
 ただ神の御言のまにまに
 只今にあり

 祈りには正しき神への礼、儀、信
 忘るるなかれその日々の節

 素の神はいのりのこえより
 その日々のますなおな身を
 たたえますなり
 
 (以下略)」

(御神示全集、p.427)

こうして読んでみると、日々の暮らしの中で持つべき心構えのようなことが書かれていることがわかります。そして「神と他人に感謝し礼節を忘れるな、素直な自分を保つこと、こうしたことが大切ですよ」ということが書かれているともわかります。

こうした、御神示録に書かれている内容そのものを理解できないということであれば、実は、それではもう論外なのです。その程度の理解力もないということであれば、この信仰そのものに縁が無いのでは、という気もいたしますが、こういう言い方で言い過ぎると傲慢に聞こえますし愛情が足りないということになってしまいますから、それで今、説明しようとしているわけですね。

自分も人も幸せにすることができる心掛け、自分も人も幸せにすることができる自分の心の運び方、自分も人も幸せにすることができる神への祈り方、こうしたことを正しく学んでいくことがまず最初に大切になってくることですよね。

そして、神なる守護がちゃんと与えてもらえるような、正しいものの考え方と正しい想念のあり方を知って、そのあり方を保てるように実践すること、これができないと、いくら形の上でいろんなことをやってみてもなかなか良くなったと実感できないのではないかと思うのです。

自分のものの考え方や自分の振る舞い方、これらが入会する以前の古い自分の時のそれと同じままなのに、入会しただけでどうして自分に良き変化が起こると思うのでしょうか。

自分の中の良い面が前に出るように心掛けて、他人の良いところを見て、取り上げて引き出していくような振る舞いを心掛けて、自分の中の良い面が出てくるような本や物事や友人・知人と触れあうように心掛けて、自分の中の良い面が出てくるような想念を持つように心掛けていく、こうした心掛けを持って実践して初めて、物事が良い方向へと回転し始めるのです。

こうしたことがすなわち

『運不運の前に、徳と劫があり、その前に善行と悪行があり、その前に良き心と悪い心があり、その前に良き念や言霊と、悪い念や言霊があり、その前に、本当の神に向かう、人としての正しいあり方があるのです』

という文章を読んで、思い至らなければならないことではないでしょうか。

具体的にどのような想念を持てばいいのか、どのような振る舞いをすればいいのか、そういったことは、深見東州先生の著作や古今東西の古典・良書に書かれている通りで私が申し上げるまでもありません。

(つづく)

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