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Author:ノリコ
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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

中東問題の根本的な原因を作り出したのはイギリスです。

19世紀(1801年~1900年の期間)は、帝国主義・植民地主義の時代でした。

19世紀には、例えば日本では、1867年(慶応3年)に大政奉還、王政復古の大号令がありそして翌年に明治改元が行われ、明治元年旧9月8日を1868年10月23日とするといったことがありました。イギリスは1840年に清国との間で阿片戦争を起こし、中国大陸への侵略を始めています(このイギリスの振る舞いが日本を刺激し明治維新につながる)。ロシアは1853年にクリミア戦争で、フランス、イギリス、オスマン帝国などと戦っています。

エルサレムとその周囲のパレスチナは当時、オスマン帝国が支配していました。オスマン帝国は、1453年、東ローマ帝国を滅ぼしてその首都であったコンスタンティノープル(今のイスタンブール)を自分たちの国の首都としました(日本では1467年に応仁の乱が京都で起きている)。オスマン帝国の支配層はトルコ人であり、イスラム教徒だったのですが、その版図は広大で、各地に様々な民族と宗教を抱えたため、イスラム教の信仰が強制されたわけではなかったようです。

イギリスは第一次世界大戦(1914年~1918年)でオスマン帝国と戦います。イギリスが支配していた植民地とイギリス本土を結ぶ位置にパレスチナがあったため、どうしてもイギリスはパレスチナを支配下に置きたかったのでした。

そこでイギリスは、オスマン帝国を倒すために、オスマン帝国を敵視する可能性がある勢力をすべて利用する、という方法に訴えることになります。それはイギリスの「三者を騙す外交交渉」とでも言うべきものでした。

その三者とは、1.オスマン帝国内のアラブ人たち、2.フランス、3.ユダヤ人、でした。

イギリスは、オスマン帝国内のアラブ人と「フサイン=マクマホン協定」を結び、オスマン帝国に対する反乱を行えばアラブ人の独立を支援すると合意します。しかし同時にフランス、ロシアと、1916年のサイクス・ピコ協定でアラブ人の土地も含むオスマン帝国領を三分割する密約を交わしていたのです。さらに、1917年にはイギリスはライオネル・ウォルター・ロスチャイルド卿に対して、パレスチナでのユダヤ人居住地(ユダヤ人民族郷土)建設の約束(バルフォア宣言)を交わしたのです。

その結果、第一次世界大戦の後、パレスチナはイギリスのものとなりますが(パレスチナをイギリスの委任統治領とした)、そこに、世界中からユダヤ人が集まってくることになったのです。こうしてアラブ人とユダヤ人との間でトラブルが起きるようになります。

その後、第二次世界大戦を経て、イギリスは、1947(昭和22)年に「パレスチナの委任統治を終了する」と発表し、パレスチナの取り扱いを国連に任せることにしたのです。

このとき以来、パレスチナの地ではずっと紛争が続いているというわけなのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 バルフォア宣言

中東戦争475

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

中東問題とは、要するにアラブ人とユダヤ人の陣取り合戦だ、ということです。「土地を返せ」と主張するパレスチナ人と、「もともと神から授かった土地だ」と主張するユダヤ人との間で、争いが繰り返されて現在に至っています。

1948(昭和23)年から1973(昭和48)年までの間に大規模な戦争が4度起こっており、それぞれが第一次中東戦争、第二次中東戦争、第三次中東戦争、第四次中東戦争と呼ばれています。

第一次中東戦争は、イスラエルが建国を宣言した翌日に起こります(イスラエルでは独立戦争と呼ばれている)。1948年5月14日、イギリスによるパレスチナの統治が終了するその日に、ユダヤ人はイスラエル建国を宣言しました(イスラエル独立宣言)。これに対してその翌日である5月15日、周囲のアラブ諸国、すなわちエジプト、シリア、ヨルダン、レバノン、イラクの5ヵ国で構成されるアラブ連合軍がイスラエルに侵攻し、第一次中東戦争が始まるのです。この戦争はイスラエルが優位な状況で停戦を迎え、イスラエルは、国連による分割決議以上の範囲の領土を確保することができたのです。

第二次中東戦争は、スエズ動乱、スエズ戦争などと呼ばれます。イスラエル軍がシナイ半島に侵攻する形で始まったのですが、その裏ではイスラエルとイギリス、フランスが密約を交わし結託していたというものです。発端は、エジプトがスエズ運河を国有化したことで、これに対してイギリスとフランスが運河を取り戻したいと考え、イスラエルを扇動したのでした。開戦後仲裁の名目でイギリスとフランスが介入しますが、結局国際世論に負け、スエズ運河は本当にエジプトの国有財産となってしまいます。

第三次中東戦争は、「6日戦争」とも呼ばれます。イスラエルの周囲にあるエジプト、ヨルダン、シリアが、イスラエルに対して不穏な動きを示したたことから、イスラエル側が先制攻撃に出て、6日間で戦いを終結させました。アラブ各国の空軍基地に対してイスラエル側が空襲を行い、壊滅的打撃を与えたことが勝因です。イスラエルは短期間のうちにヨルダン領ヨルダン川西岸地区、エジプト領ガザ地区とシナイ半島、シリア領ゴラン高原を占領し、「エルサレムはイスラエルの首都である」と宣言します。これ以降イスラエルはエルサレムに首都を移しますが、国際社会からは認められていません。

第四次中東戦争とは、「十月戦争」と呼ばれるものです。1973年10月6日、エジプトがシリアとともにイスラエルに先制攻撃をかけ、第四次中東戦争が開始されます。緒戦ではエジプト軍がシナイ半島に進出、シリア軍がゴラン高原を脅かしますが、最終的にシナイ半島、ゴラン高原のいずれにおいてもイスラエル軍が押し返し、イスラエル優位で戦争は終わります。緒戦においてエジプト軍が押し出し勝利を得たことから、エジプト・イスラエル両国首脳の認識に変化が生じ、後のキャンプ・デービッド合意(エジプト-イスラエル和平合意)に結びつくことになります。なお、アラブ各国はこの戦いを有利に展開するため、イスラエルを援助する西側諸国に対して石油戦略を発動し、世界でオイルショックを引き起こしたのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州

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中東問題は別名、「パレスチナ問題」ともいいます。

パレスチナには2000年前まで、ユダヤ人(すなわちユダヤ教徒)の王国がありました。ユダヤ人の聖典「モーゼ五書」には、パレスチナはかつて「カナンの地」と呼ばれた、神がユダヤ人に対して与えた約束の地だとされたことが述べられています。

しかし、王国はローマ帝国によって滅ぼされ、ユダヤ人たちはこの地を追い出されて世界各地に離散することになります。このユダヤ人の離散を「ディアスポラ」と言います。そして、イスラム教徒であるアラブ人たちがそのディアスポラの後、パレスチナに住むようになったのです。

ユダヤ人たちはディアスポラの結果、ヨーロッパへ渡っていくのですが、キリスト教社会では常に差別され続けます。中世ヨーロッパでは、「ユダヤ人がイエス・キリストを十字架にかけたのだ」と言われ、迫害されたのです。

20世紀に入り、ナチス・ドイツが多数のユダヤ人を殺戮したこと、「アンネの日記」が世界中で出版されたこと、こうしたことでユダヤ人に対して同情が集まります。そしてユダヤ人自身も、「迫害を受けるのは、自分たちの国を持っていなからだ。自分たちの国をもう一度つくろう」と考えるようになります。そして、聖典に約束されている「カナンの地=パレスチナ」に戻ろうという運動が活発となるのです。これを「シオニズム運動」と言います。

しかし、パレスチナには、既にイスラム教徒のアラブ人が多数居住していたのです。そのため、国際連合で、「パレスチナ分割決議」が1947年11月29日に採択されることになります。この決議案では「イギリスの委任統治を終わらせアラブ人とユダヤ人の国家を創出し、エルサレムを特別な都市とすること」が謳われていました。エルサレムは国連の管理下に置く、ということだったのです。しかし、アラブ諸国ならびにパレスチナのアラブ人指導者たちはこの分割案を拒絶します。

そして、1948年5月14日の午後、イギリスの委任統治が終了するその日に合わせてイスラエルの独立が宣言されますが、アラブ諸国はこの宣言を踏まえた上でパレスチナに侵攻し、翌5月15日、第一次中東戦争が始まります。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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本来「イスラム原理主義」とは、「本来のイスラムの教えに基づいた生活をしよう」と呼びかけるもので、暴力的なものではないようです。イスラム法を厳格に実践して、社会を正していこうとするイスラム復興主義というべきもののようですね。

ところが、このイスラム復興主義の運動に携わる人たちの一部に、「暴力的な手段、過激な手段に訴えてでもイスラムの理想を実現すべきである」と考えて実際にそうしてしまった人たちがいたことが問題なのですね。

「ジハード」とは「イスラムのために努力する」という意味なのだそうです。イスラムの教えを守るのがジハードなのですね。だから例えば、「一日5回のお祈りのために早起きする」、「断食の月は昼ご飯は食べないでがまんする」、「異教徒がイスラムの土地に攻めてきたら、イスラムの土地を守るために、防衛という意味で戦う」、こうしたことはすべてジハードなのだそうです。

ところが「コーラン」には「こちらから不義をしかけてはいけない」という一節があるそうです。つまりコーランの教えに忠実であろうとする限りは、こちらから攻めてはいけないのです。あくまで「防衛のためだけ」なら戦っていい、ということなんですね。

イスラム教は、本来、平和を求める宗教なのだということです。でも知識として教えてもらわないと、イスラム教=過激で恐い、と思ってしまいますよね。

(つづく)

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イスラム教徒の中でアラブ人ではない、という人たちの一例として、「イラン人」を挙げることができます。イラン人とはペルシャ人であって、ペルシャ語を使用して生活しています。なお、現在のペルシャ語にはずいぶんアラビア語が入ってはいるようです。

イラン人は自国の歴史にプライドを持っており、他のアラブ諸国とは折り合いが悪いようです。宗派の上でもイランではシーア派が力を持っており(国民の90パーセントがシーア派)、中東地域でもイランだけが孤立することが多いようです。

イスラム教はエジプトでも中心となっている宗教ですが(国民の90パーセントがイスラム教スンニ派)、アラブ人という点も共通しているにもかかわらず、アラビア半島に位置するサウジアラビアのことを内心では蔑視しているのではないか、という意見もあります。

サウジアラビア国内には、ムハンマドが生まれた都市メッカがあります。また、ムハンマドが布教を始めた街メジナもあります。したがってサウジアラビアの国民の多くは、この二つの街が自分の国に存在することを大変誇りに思っているようです。

サウジアラビアの特徴とは、イスラム教スンニ派の中でも特に厳格にコーランとハディースを守るという「ワッハーブ派」の教えを国教にしている点にあります。要するに、ワッハーブ派というのはイスラム教原理主義の中の一つです。

サウジアラビアについては、あまり良い印象が持てないのですが、というのも、まず男女の分離が徹底していて、はっきりと男尊女卑が定められているからです。女性は外で働くことができないし、家族以外の男性に姿を見せるのも不可です。女性が外出する時には、全身をアバヤというマントで覆って隠し、顔はニカブというベールで隠します。なおかつ男性が保護者として同伴しない限り外には出られないのです(これらのルールを破ると即座に宗教警察に逮捕されます)。

さらに言うなら、サウジアラビアには法律も国会もありません。コーランが法律なのです。そして国民が選挙で自分たちの代表を選ぶことも当然ありません。

なお、サウジアラビアは観光客の受け入れはしていません。また、サウジアラビアは世界最大の石油輸出国です。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 エジプト イラン サウジアラビア

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イスラム教の国の中には、厳しい戒律をきちんと守っている国もあれば、女性が顔を堂々と出してジーンズをはいて歩いているような国もありますね。この違いは何が原因となって起きているのでしょうか。

イスラム教では偶像を拝むことは禁止されているので、「~の肖像画」や「○○の像」といったものが公然と飾られていることは無いだろうと思って調べてみると、イランの首都テヘランなどではどこにでもホメイニ師の肖像画があるのだそうです。よく調べてみると、イランはイスラム教シーア派の国なんですね。

一方で、例えばサウジアラビアは、「スンニ派」の国のひとつです。スンニ派の中でもサウジアラビアは、特に厳格にイスラム法を守り、男尊女卑が徹底している(ワッハーブ派)ということです。ですからサウジアラビアでは、映画までもが偶像崇拝に当たるとして禁止されており、映画館も劇場も無いのです。

イスラム教の中に、大きく分けてこの二つの宗派、シーア派とスンニ派があり、シーア派はイスラム教徒のおよそ15パーセントを占める少数派、スンニ派は85パーセントを占める多数派、ということなんですね。

ムハンマド達はイスラム教徒の国として、アラビア半島を拠点としてイスラム共同体をつくり、その規模はだんだんと大きくなっていくのですが、預言者ムハンマドが亡くなった後、イスラム国家の指導者として「カリフ」を選んでイスラム国の運営が続けられます。ムハンマドが亡くなった後の4人の指導者を「正統カリフ」というのですが、初代正統カリフにはアブー・バクル、二代目はウマル、三代目にはウスマーン、四代目にはアリー、こうした人達が選ばれます。そして、初代を除いて、その後の三人はすべて、暗殺されたのです。四代目のアリーが暗殺された後、ムアーウィヤという人物がイスラム教徒の帝国の一つである「ウマイヤ朝」を建国します。これが歴史上最初のイスラム王朝の始まりです。

正統カリフ四代目のアリーはムハンマドのいとこで、かつムハンマドの娘と結婚していたのですが、「アリーこそがムハンマドの正当な後継者であって他のカリフを認めることはできない」と主張する集団が存在しました。このグループが「アリーの党派」と名乗り、後に「シーア派」と呼ばれるようになります。

これに対して、血筋に関係無くハディースを通じてイスラムの慣習を守っていくのならそれでよい、という考え方をしたのが「スンニ派」だということです。

四代目の正統カリフであるアリーの息子がサザン朝ペルシャの王の娘と結婚したため、シーア派はペルシャに広まります。このペルシャが、今のイランなのです。そこでシーア派は主にイランで支持されているのです。

ウマイヤ朝は、その版図(はんと)を拡大し続け、東ローマ帝国の領土の大部分、そして北アフリカまでもその支配下に置くことになります。その結果として、イラン人やトルコ人、そしてベルベル人など「アラブ人ではない」イスラム教徒が誕生することになるのです。

(つづく)

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イスラム教とキリスト教の争いと言えば、やはりまず「十字軍」を思い起こす人が多いでしょう。

十字軍とは、1096年から以後約200年間(日本では、摂政藤原道長が1027年に没し、その子の関白藤原頼通が1052年、宇治殿を寺院に改め、翌1053年に平等院鳳凰堂を建立している。1083年から1087年にかけて、源義家が後三年の役を起こす。この源義家の子が源義親、その子が源為義、その子が源義朝、さらにその子が源頼朝)、断続的に繰り返して行われた軍事行動のことを言います。遠征軍に対しては、何人かのローマ教皇によって認可が与えられていたのです。

1095年、ビザンチン帝国の皇帝アレクシオス1世コムネノスは、ローマ教皇ウルバヌス2世に使節を送り、移住しながらアナトリアから西進していたトルコとの間で起きている衝突に対する軍事的援助を要請したのです。ローマ教皇ウルバヌス2世はこれに応えてキリスト教徒達に遠征軍に参加するよう呼びかけたのですが、これが後に第一回十字軍として知られるようになったのです。

その後、十字軍は合わせて8回派遣されたのですが、キリスト教勢力が勝利したのは最初の一回だけであり、残りはすべてイスラム教勢力の勝利に終わっています。また、1244年にイスラエルがイスラム教徒に攻撃されて陥落した後は、20世紀までずっとイスラム教徒がイスラエルを支配することになります。

このエルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という3つの宗教の聖地なのですが、その理由は、次のようないわれによります。アブラハムが神様から試されて、「本当におまえが神のことを信じているなら、わが子(長男のイサクのこと)を私に捧げることができるか」と問われた時、アブラハムは苦悩するものの結局は息子を連れて丘の上まで来て、息子を殺そうとします。その時に「お前の信仰心はわかったから、もうその子を殺さなくてもよい」という声が聞こえ、殺すのを止めます。この丘がユダヤ人の聖地となって神殿が建てられたのです。イエスはユダヤ教徒だったので、この神殿まで来て布教をしていたのですが、その結果神殿のすぐ近くのゴルゴダの丘で十字架にかけられます。現在、このゴルゴダの丘があったとされる場所にイエスの墓が造られ、聖墳墓教会とされたため、この教会がキリスト教徒の聖地となっています。

ムハンマドはエルサレムには来たことはないのですが、「コーラン」の中に、「ムハンマドが天使に連れられて遠くの町に行き、アッラーの神、あるいは歴代の預言者たちに会って戻ってきた」という内容の部分を読んで、「エルサレムにある聖なる岩を触ってきたのに違いない」という話になって、その岩を丸い屋根で覆って「岩のドーム」と呼び、これがイスラム教の聖地となっているのです。

現在は、この3つの宗教の信者がそれぞれ、自分たちがエルサレムを管理したいと主張し対立しているということです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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現在、イスラム教は北アフリカから東南アジアのインドネシアまで広がり、イスラム教の信者数は、全世界でおよそ15億人と言われています。世界で最もムスリムが多い地域は、東南アジアであり、国ではインドネシアなのです。21世紀の現在、東京を訪れるイスラム教徒の多くは、インドネシアからの訪問者です。

日本でいう飛鳥時代の頃から、つまり7世紀頃から、イスラム教徒たちはアラビア半島から東に向けて貿易の相手を探して船出を繰り返していました。

16世紀(1501年から1600年まで。織田信長が今川義元を討ったのは1560年、室町幕府の将軍足利義昭が信長によって追放されるのは1573年のこと)に入り、1526年にはムガル帝国が成立します。この帝国は今のインドにできたイスラム王朝です。総大理石の建物であるタージ・マハルは、このムガル帝国の第5代皇帝シャー=ジャハンが王妃のために建てたお墓なのです。

インドにイスラム教が広まると、その東側のインドネシアへもイスラム教が広がっていったのです。

これまで、日本の学校教育では、イスラム教徒は異教徒に対して「右手にコーラン、左手に剣」という態度で厳しく改宗を迫った、と教えられてきましたが、検証の結果、実際にはイスラム教徒が異教徒に対して改宗を強制したことはなかったと訂正されています。税金を納めさえすれば、改宗を無理強いされることはなかったようです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

六信五行468

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ムハンマドが神から預かった言葉をアラビア語で著した本が「コーラン」です。ムハンマドは読み書きができなかったので、人々に口頭で教えて、暗記させたのです。

「コーラン」とは、「声に出してよむべきもの」という意味だそうです。

「コーラン」には114の章があります。

お祈りの時に必ず読み上げるのが第1章です。

「神はアッラーのみであり、決して違う神様を拝まない」と宣言します。「神アッラーは全世界の主であり、世界の終わりには最後の審判を行う主宰者である」と書かれているのだそうです。

「コーラン」には、アダムとイブも登場します。神に食べてはいけないと言われた「禁断の木の実」を食べてしまい、それまで住んでいた楽園を追われることになります。

「コーラン」によると、人間は2人の天使によって行動を見張られていて、その天使たちがすべての行動を記録に取っているということです。そして世界の終わりが来ると、神の前に一人ひとりが呼び出されて、「最後の審判」と呼ばれる裁判にかけられます。ここで、天使がつけていた記録帳が提出されるのです。善行が多ければ天国に行くことができる。悪行のほうが多いなら地獄へ行くのです。

イスラム教と言えば「一夫多妻制」を思い浮かべる人も多いでしょう。コーランには4人まで妻を娶ることができると書いてあるわけですが、これは背景として、この啓示が下ろされた当時、夫を戦争で失った未亡人、父親を戦争で亡くした子供たちがたくさん存在していた、という事情があったのです。そうした未亡人や子供たちを救うための手段として、「未亡人と結婚して、その子供も育ててあげなさい」という意味があったのですね。

その他、日常生活で守るべきことの中に、「豚肉を食べてはいけない」、「酒を飲んではいけない」、「偶像を拝んではならない」、「女性は美しいところを人前で見せてはいけない」といった決まりがあります。

イスラム教徒は天国へ行くために「アッラー」、「天使」、「経典」、「預言者」、「来世」、「天命」の六つを信じ、「信仰告白」、「礼拝」、「喜捨」、「断食」、「巡礼」を実践しなければなりません。これらをまとめて「六信五行」というのだそうです。

(つづく)

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6世紀から7世紀(501年~700年)の頃は、アラビア半島では多神教が崇敬されており、カーバ神殿には多数の偶像が祀られていました。そうしたアラビア半島でムハンマドは唯一神を説いたため、メッカの大商人たちから迫害されることになってしまいます。

結局メッカにはいられなくなり、メディナに移ってイスラム教の布教活動を続けます。このメディナへの移住を「ヒジュラ」と言います。これは西暦622年のことです。

622年というと、日本の大化の改新(645年)よりも23年前のことになるのですが、聖徳太子が亡くなったのがこの622年なのですね。ちなみに冠位十二階が定められたのが603年、十七条憲法が制定されたのが604年です。

ムハンマドはメディナで信者を増やした後、メッカに戻りメッカを占領します。そして異教の多神教の神殿であったカーバ神殿の偶像を全て破壊して、今のイスラム教の正殿となるカーバ神殿を完成させます。

その後ムハンマドは632年に亡くなるのですが、ムハンマドに降りた啓示を信者たちがまとめたものが「コーラン」だというわけです。

イスラム教は「人間は神の前で平等」だと説いているのですが、奴隷は例外扱いでした。奴隷は人間としては扱われなかったのです。イスラムの国家であるサウジアラビアで奴隷制度が廃止されたのは、1962(昭和37)年11月26日のことでした。戦争をして領土を拡大し、男を皆殺しにして女性と子供を奴隷にするということを繰り返してきたのですが、ここに至ってようやく奴隷制度が消滅したのです。

ムハンマドの言動は多くの人たちに目撃され、記録されました。この目撃談を集めたものが「ハディース」です。イスラム教の第二聖典ですね。第一聖典はもちろん、コーランです。

(つづく)

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tag : コーラン ハディース ワールドメイト 深見東州

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さて、イスラム教とは、唯一神である「アッラー」を信じ、神がムハンマドに対して下した「啓示」を信じる宗教だと言えます。人間は神の前では皆平等であり、神の言葉の通りの生活を送っていれば、死後、天国に行くことができるとされているのです。

イスラム教徒にとっての天国とはどんな世界かというとコーランに具体的に描写されているのですね。その内容は、72人の処女と交わることができる、酒、肉、果物を好きなだけ楽しむことができる、ということらしいです。女性が亡くなった場合は、可愛い男の子達が身の回りの世話をしてくれるそうです。

こうしたことが書かれているため、熱心に神に祈りを捧げるのだそうですが、果たしてこういうことが動機となって熱心にお祈りすることができるものなのでしょうか?

「イスラム」という言葉は、「神にすべてを委ねる」という意味なのだそうですが、皆様がご存じの通り、神にすべてを委ね過ぎても、神様は動いてくれなくなってしまうはずです。というか、まず私たちが第一歩を踏み出さないと、神様の守護が始まりませんからね。

神様に動いていただいて、病気を治していただくとか奇跡を現していただく、といったことを果たして理解してもらうことは可能なのでしょうか?

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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さて、「アッラー」というのは、アラビア語での「神」という言葉なのだそうです。

イスラム教徒がどのように考えているのかというと、最初にまず神はユダヤ人に神の言葉を教えた、次にイエスを預言者として選んで神の言葉を教えた。すると、イエスの教えを聞いた人々がイエスのことを「神」だと言い出した。

それで、神があらためてムハンマドという人間を選んで神の言葉を教えた。神様が最後に選んだ預言者がムハンマドなのだ、という理屈なのです。

そういうわけで、イスラム教徒にとっては、「旧約聖書」も「新約聖書」も聖典にはなるのですが、やはり「コーラン」が最も大切なものだと位置づけられているわけです。

ちなみにキリスト教では、二度の公会議を経て、三位一体論が調えられた結果、イエスが神の子であるということになったようです。

しかし、これはイスラム教にしてみれば、ムハンマドを神だと言うようなもので、「間違いだ」ということになるようです。

預言者とは「神の言葉を預かった人」のことです。未来のことを予知して言葉で言い表す人のことではありません。

イスラム教が成立するより以前は、アラブでも多神教が信仰されていました。6世紀(501年~600年)の頃、メッカは商業と金融の中心地となっていました。この頃、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)が、ササン朝ペルシア(イラン人の王国)と戦争を繰り返していたためシルクロードが使えず、隊商が戦地を避けてメッカを経由したため、メッカが繁栄したのです。ペルシアはイラン人の国、というかペルシア人の国であってアラブ人の国ではないのですが、この点が後になって重要になってきます。

ともあれ、ムハンマドはこのメッカに生まれたのですが、25歳でハディージャという40歳の未亡人と結婚します。この未亡人は裕福で、結婚後、ムハンマドも行商で大儲けします。

その後、40代になってムハンマドは瞑想にふけるようになります。ある時、洞穴で彼が瞑想していると、ガブリエル天使が出現し、ムハンマドに啓示を与え始めたのです。

それ以来、ムハンマドは神から下された言葉を周囲の人々に伝えるようになります。この、ムハンマドが神から預かった言葉を人々に伝え始めたことが、イスラム教の始まりになるのです。

こうしてムハンマドは最後の預言者として位置づけられることになるのですが、コーランには25人の人物が預言者として記されているそうです。そして、その中でもノア、アブラハム、モーゼ、イエス、ムハンマドの5人を五大預言者というそうです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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ユダヤ教の選民思想を批判したのがイエス・キリストだったのですね。気がついてみるとキリスト教の教会が家の近くにあったりして、あの十字架のネックレスがなんとなくわくわくさせるようなものに見えたりして、キリスト教がなんとなく身近ではあったのですが、いろいろと
調べてみると、実際には知らないことがわんさかありました。虚心坦懐にいろいろと再確認してみたいと思いました。

イエスは「すべての人間はみんな平等で、神を信じる者は誰でも救われる」と説いたようです(しかし、後にキリスト教徒がやったことの中には、この教えとはずいぶん矛盾したこともたくさんあると思うのですが)。

このキリスト、という言葉は「メシア」をギリシア語に訳した言葉なんだそうです。イエス・キリスト、という言い方を人の名前だと思っている人もいるが、そうではないんですね(私も人の名前だと思っていました)。イエスは捕らえられ、ゴルゴダの丘で十字架にはりつけにされ、処刑されたのだと考えられています。

イエスは死後、復活し、信者たちに教えを説いたとされています。そして、「イエスこそ救世主である」と考える人たちがキリスト教徒と呼ばれるようになったようです。

イエスの教えは弟子たちがまとめました。それが「新約聖書」です。キリスト教をつくったのはイエス自身ではなく、弟子たちだったのです。

ユダヤ教とキリスト教の教えでは、人間は死後もその身は亡びることなく、地中で眠り続け、「世界の終わりの日」が来ると、眠りから目覚め、最後の審判を受けるのだそうです。そして天国もしくは地獄のいずれかに行くことになる、というのですが、これを復活、と呼んでいるのですね。この復活の日のために、肉体を燃やすことなく、すなわち「火葬」にしないで、「土葬」にしているということなのです。からだがないと天国に行くことができなくなる、と考えているようです。イスラム教でも同じだということです。

(つづく)

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以前はイスラム教を始めた予言者のことを「マホメット」と言っていました。最近は「ムハンマド」と呼ぶみたいですね。つまりムハンマド=マホメット、ということです。「コーラン」も、アラビア語での音により忠実に書くなら、「クルアーン」となるようです。

イスラム教の聖典である「コーラン」には、キリスト教の「イエス」も、旧約聖書の「モーセ」も出てくるんですね。読んだことがないので知りませんでした。

そして、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の神様は同じなんですね。キリスト教の元はユダヤ教。イスラム教の元はユダヤ教とキリスト教。すべて一神教、つまり神様はその一体しか存在しない、という考え方で、唯一神を信じている、ということなんですね。

そして、これも初めて知ったことなのですが、イスラム教はキリスト教よりもユダヤ教に似ているのだそうです。

紀元前13世紀から紀元前12世紀にかけて、イスラエルの民衆はエジプトに移住していたのですが、徐々にエジプト人から圧迫されるようになります。そこで、モーゼがラエルの民衆を率いてエジプトから脱出することになります(出エジプト)。この脱出のときに、モーゼが持っていた杖を海に向かってふりかざすと海が2つに割れて、そこをイスラエルの民衆が渡ったという例の有名な話があったということです。そして、このモーゼの一行がカナンに戻る途中、モーゼがシナイ山に入り、神から十戒を授かるのです。その後、ユダヤ人は現在のエルサレムがある土地に王国をつくります。このイスラエル王国の最盛期の王様が、ダビデ王とソロモン王なのです。英語ではDavidとSolomonです。ソロモン王が死ぬと、ユダヤ王国の民はバビロンに連行され、奴隷にされます。これをバビロン捕囚といいます。こうしたユダヤ人の歴史の中から成立したのがユダヤ教なのですが、その教えの中に、選民思想(神はユダヤ人だけを救ってくれる)があり、この世の終わりにメシア(救世主)が現れ、ユダヤ人だけが救われる、と考えているのです。

ユダヤ教の戒律は厳格で、十戒のほかに「律法の書(=トーラー)」には613の戒律があるそうです。

イエス・キリストはユダヤ教徒だったのですが、「ユダヤ人しか救われない」というユダヤ教を批判し、改革運動を始めたのです。

まずユダヤ教まで戻って、そこから順に理解していこうということで整理してみたのですが、こういう知識を再確認した上で秘鍵開示会を見ていくといっそう納得がいくのではないかと思います。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

2020年の東京五輪・パラリンピックの開催が決まり、ムスリム(=イスラム教徒)が食べてもよい食品であることを示す「ハラル認証」を取得する食品会社が増えているということなんですね。最近は東南アジアからの観光客が増えているということなのですが、東南アジアでもインドネシアが実は世界最大のイスラム人口を抱える国なのです。マレーシアもイスラム教の国ですね。そしてこの東南アジアからの観光客の増加を追い風となって、土産物のお菓子やしょうゆ、みそなどの調味料まで、認証マークを貼った食品が登場しているそうです。

そして、イスラム教徒が食べてよい食品を日本国内だけではなく、海外に輸出して積極的に売っていこうという動きもでてきているようです。例えば、アルコールが含まれない味噌などを製造して輸出する、という動きがあるようです。

このように、イスラム教徒の人達がどんどん日本を訪れるようになり、イスラム教徒向けの食品や食事が日本国内で準備されるようになり、さらには輸出も行われ始めているにもかかわらず、私達はあまりイスラム教やイスラム教徒のことを知っているとは言えません。

そこで表面的ではありますが、ざっと調べてみたのですが、以下にその要点を簡略にまとめてみました。

「イスラム教は一神教であり、聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐ宗教である。イスラム教徒は、コーランの内容について、その一言一句すべてが神(=アッラー)の言葉であると考えている。そしてイスラム教徒の大部分は、コーランの中の教えや規範の一つひとつが、神が使わした最後の預言者であるムハンマドによるものだと考えている。イスラム教徒のことを『ムスリム(英語ではマズリム)』と呼ぶ。

イスラム教徒は、神は唯一にして他に比較対照するものが無い存在であり、そして自分達イスラム教徒が存在するのは、神を崇拝するためであると考えている。イスラム教徒はまた、イスラム教のことを、原始時代から存在し、かつ以前からアダム、ノア、アブラハム、モーゼ、イエス・キリストといった預言者達によって明かされてきた、根源的な宗教が発展して完全無欠で普遍的な形を取った結果今のイスラム教になったと考えている。イスラム教徒は、過去の神託や啓示は時を経るうちに部分的に誤って解釈されてきたのだと主張している。それにもかかわらず、コーランによると、古い聖典も最大限の敬意をもって取り扱うことが義務だとされている。」

ということなんですが、どうやら「多神教がより発展して一神教となるのだが、その一神教とはイスラム教のことである」というふうに考えられているようです。

日本の神道は、まさに多神教なんですね。山川草木すべての存在に神様を見出すのが日本の神道なのです。だから八百万の神々、というわけですね。

(つづく)

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深見東州先生のお取り次ぎで、「第一天国ニュージーランド開き」が終了しました。お取り次ぎ前の深見先生のお話しも随分興味深いものでしたが、無事に素晴らしいお取り次ぎが終わり、いよいよ日本と世界に、この第一天国の素晴らしさが広がっていくのでしょう。精神的な中身の素晴らしさと現実界の繁栄と、この両方が日本国にもたらされる、ワールドメイトにもたらされる、会員の一人ひとりにもたらされる(というか、そういう国となり団体となり個人となっていくよう成長・変化していく)、というお話しを深見先生がおっしゃっていました。

今回のお話しも、舌鋒鋭く解説しておられましたけれども、案外深見先生がおっしゃる通りなのでしょう。私の生活圏にはお話しの中で登場したような芸術家の方々はいらっしゃいませんので、実際にお話ししたこともないし、あんまり関わりをもったこともなかったのですけれど、そう言われてみればそうなのかもしれない、という感じで本当にくすって笑ってしまいながら聞いてしまいましたね。

ところで、ワールドメイトの神事に連動して世の中のいろいろな出来事が起きることが多いのですが、今回は、いよいよ夜からニュージーランド開きが始まるという2月7日土曜日の朝、北朝鮮がミサイルを打ち上げましたね。

北朝鮮と言えば、なくなるとかなくならないとか、一度に消滅させると大変だということで今だに国家として存在が続いているわけですが、朝鮮半島の歴史について、近代以降の部分を少し確認してみたいと思います。

朝鮮半島では、1392年(足利義満の頃)に高麗が滅んで李氏朝鮮という国家が成立します。この李氏朝鮮は19世紀(=1801年から1900年までの期間)に近代化の波が東アジアへも押し寄せる中で弱体化し、1910年の大日本帝国による韓国併合によって消滅します。ちなみに日本では、1867年に大政奉還・王政復古が成し遂げられ、1868年には明治に改元されて、いよいよ明治時代が始まりました。近代化への歩み(富国強兵、殖産興業)が始まったのです。そして明治43(1910)年に朝鮮を併合するのです。これは、ロシアが自国の領土を拡張するために南に下る「南下政策」を採り、満洲(中国東北部)と朝鮮半島の利権をめぐって日本と対立したことが原因の一つです。朝鮮半島を日本の保護下に置き、日本がロシアからの脅威にさらされないようにすることが目的でした。

日本は朝鮮総督府を設置して朝鮮の統治を行なったのですが、1945(昭和20)年、太平洋戦争において日本が敗北し、日本の朝鮮統治が正式に終了します。その結果、朝鮮半島は北緯38度線以南をアメリカ合衆国(米国)に、38度線以北をソビエト連邦(ソ連)に占領され、両国の軍政統治を受けることが決まったのです。当初、米ソ両国は朝鮮を信託統治する予定だったのですが、その実現方法をめぐって決裂し、それぞれの支配地域で政府が樹立されることとなりました。その結果、アメリカ軍政によって1948年8月15日に李承晩を首班とする大韓民国が朝鮮半島南部単独で樹立され、朝鮮の分断が確実なものになります。これを受けて朝鮮半島北部でも独立準備が加速し、同年9月9日に金日成首相の下で朝鮮民主主義人民共和国が建国されました。

南北朝鮮の両国は、いずれも、自らが「朝鮮における唯一の正統な政府」であると主張して対立を深め、武力による南朝鮮の「解放」を目指す朝鮮人民軍(=北朝鮮軍)が1950(昭和25)年6月25日に南進した、すなわち38度線を越えて南下したことで朝鮮戦争(祖国解放戦争)が始まります。

当初は、分断国家朝鮮両国の武力衝突に過ぎなかったのですが、東西冷戦構造の中で、大韓民国側に立ったダグラス・マッカーサー元帥率いる「国連軍」の参戦と、「国連軍」の朝鮮半島北上に対抗して朝鮮民主主義人民共和国側に立った中国人民志願軍の介入によって国際紛争へと拡大します。戦争は1953年7月27日に休戦を迎えますが、38度線に軍事境界線が制定され朝鮮の分断がその後も続くこととなりました。南北の間で平和条約が結ばれていないため、朝鮮半島の分断は停戦状態のまま固定されています。朝鮮統一問題は、北朝鮮の最重要課題となっているのです。

つまり、南北朝鮮の間では、「まだ戦争は続いている」という状態なんですね。

この北朝鮮という国が、第一天国開きの御神業の時にタイミングを合わせて、主に北東アジア地域に脅威をもたらす大陸間弾道ミサイルを打ち上げる実験を強行したのはなぜか、この点は、この後の氷見の御神業で明かされるかもしれませんね。

今回の御神業では「エホバの神、ヤーヴェの神、アッラーの神」に、中東とヨーロッパにおける宗教と政治の混沌が平和のうちに解決されますように、ということも御祈願させていただきました。こちらも今後どういう変化が起きるのか、注目していきたい点ですね。中東の問題、イスラム教の問題についても知らないことが多いので、こちらもおいおい整理してみたいと思っています。

天国に行く条件で忘れてはならないのは、「この世で善行を行い、徳と功(いさおし)を積むことが大切だ」という点ですね。一定以上の徳と功(いさおし)が積まれていないと天国には行けないのだということ、徳の絶対量によって天国のランクが決まる、ということですね。

いろいろなやり方・考え方があるとは思いますが、その本質として忘れてはならないのは、神仏のために生き、人々と社会のために徳を積み、功を積んでいく、という生き方です。そして善行を本物の善行たらしめるのは、慈悲と慈愛、愛と真心、博愛の精神が常に伴っているということですね。

これからも神様にお仕えする心構えを忘れることなく、一歩ずつ、歩みを重ねていきたいものだと思ったのでした。

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結婚にまつわるいろいろなお話しは、いろんな人からいろいろとうかがってはいるのですが、結婚したことでその後の人生が大きく変わってしまう例も少なくありません。

私達一人ひとりを守って下さっている守護霊さん達も、子孫が結婚するのに際して、実はそれが良い結果となるのか、それとも反対に悪い結果となるのか、だいたい事前に分かっておられるようです。そして、深見東州先生はと言えば、そうした守護霊さん達と交流されて(もちろん意識のレベルで、ということです)、それぞれの守護霊さん達がどのように考えておられるのかを一瞬にして把握されるようですね。

けれども、人というのは誰でもそうじゃないかと思いますが、体験しなければ分からないこと、失敗しなければ分からないことがたくさんありますよね。だから、子孫が失敗してつまずくのをあえて黙って見ているというのも守護霊さん達の選択肢としては「あり」なのでしょう。

実際に世の中で生きていかなければならないこちらとしては、失敗したり間違ったことをしたらもう本当に恥ずかしいし本当に後始末が面倒だし、「ちゃんと事前に分かるように導いてくれたらこんなに面倒なことはしないで済んだはずなのに!」って思わず当たり散らしたくなってしまいますが、事柄の渦中にあってその出来事の最中にある時には、もう目の前のことに夢中になっていますからなかなか自分を冷静に省みることなんかできなくて、後から「あーあ…」ということになってしまうんですね。

結婚に失敗したと思ったら早いうちに離婚しても良いかもしれません。それで次の結婚で間違った相手を選ぶようなことをしなければ、最初の失敗が活かされることになりますよね。でも、それも子供がいない場合でしょうね。お子さんがいらっしゃるなら、やっぱりできればご夫婦の仲が改善されて、別れないで済むほうがいいのではないかと思いますけれども。

結婚前は二人とも熱心な会員だったのが、結婚した途端に夫が急に御神業に距離を置くようになって、入籍する前には二人で足繁く現地会場に通っていたのに、結局今では奥さんまでも全く足が遠退いてしまって、あんまり神事に参加しなくなったご夫婦、なんていう方もありますしね。

最初に結婚した相手が歌手でうまく行かなくなって離婚して、次に結婚した相手がイラストレーターでこれも結局うまく行かなくなって離婚して、三度目に結婚した相手が今度はちょっと性格にものすごくカーブがかかっている相手で、今は別居して暮らしている、まだ離婚はしていない、というか、もう離婚したくないんだけど、という人もいらっしゃいますね。

かと思うと、自分がワールドメイトの会員に先になっていて、たまたま結婚した夫は一部上場の会社勤めで、結婚する時にワールドメイトのことを夫に全部話したら喜んで入会してくれて、その後も御神業にとても協力的なのですが、そのご主人の会社での仕事の内容と勤務状況があまりにも過酷で、ご主人の帰宅は毎日毎日午前様で、悩み事は全部奥さんに相談して、それを奥さんがパートから帰った後に、毎日毎日ひたすら御祈願して、人形を書いてみたり、土偶神化伝をやったり、昆布縛りをやったり、九頭龍祈願をやったり、大仁に参拝してみたり、という形で、もう20年以上たった、というご夫婦もおられます。奥さんも毎日毎日御祈願してみたり人形に書いてみたりと大変みたいですが、ご本人に言わせると、「いつの間にか20年経ってしまっていた」ということのようです。結果的に奥様のほうは、ものすごくお祈りが上手になって、お取り次ぎも積極的にされるように変わっていったようです。そしてご主人のほうはというと、奥様が祈ってお取り次ぎをしてくれた後には、やっぱり物事が一番良い結果になる、つまり関係者全員にとって最善の結果になることがだんだん増えてくるのを見て、ご主人も奥様と一緒にお祈りするようになったということのようです。

長く続いていらっしゃるご夫婦はと言えば、ご主人か奥様のどちらか、あるいは両方が、「まあそれでもあの人にも良いところはあるし、頑張っているのを支えてあげられるのは私なので」というようなことをおっしゃっていて、そしておそらくこれもご守護の結果だと思うのですが、ご主人が女性によって迷わされるようなことも、奥様が男性に迷わされるようなこともなく、無事に今日まで来ることができた、ということではないかと思います。

長く続けて会員でおられる方ほど、神なる守護の有り難みを深く実感しておられるようですね。

神仕組は神様がなさっておられることですから永遠に発展していくもの。私達も毎日毎日、毎月毎月、毎年毎年、永遠に成長し、発展していって、いっそう良い形で神様の御用のお役に立ちたいものですね。

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