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ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

 善行を為し、を積みたいと行動に移す時に注意しなければならない点が、三点あります。それは「独善」「偽善」「小善」です。
 
 独善とは、自分ひとりが善だと思うこと、つまり独りよがりです。世の中の客観的な尺度や価値観を知らないからこうなるのです。
 
 偽善とは、形の上だけ善で、心の中が善ではないということ。
 
 目に見えない無形のとは、まず無形の心、動機=発するところを善にしなければ、本当の善とはならないんですね。それを確かなものにしないで、形の上ばかり善、目に見える結果だけが善なのが「偽善」になるんですね。本当の善には、無形の真実である愛と誠がこもっていないとおかしいのです。
 
 偽善の例としては次のようなケースがあげられます。天理教の信仰をしていたお婆さんが、生前、体施・物施に励んでいました。ところが死んでみたら真っ暗な暗闇地獄に落ちてしまった。そのお婆さんが憑霊した子孫は、「ちゃんと起きているのにまぶたが閉じてしまう」という奇病にかかって、どうしようもないので深見東州先生のところに除霊に来られたのです。
 
 深見東州先生が審神(=霊的な判断を下すこと)した結果わかったのは、「お婆さんが打算的な心、計算ずくの心で奉仕活動や寄付をしたため、神仏に対する誠になっておらず積みになっていなかった」、つまり「自分が救わるために」という想いがあったために、生きていた時にその時その場で真心を尽くすことをしないで、死後の自分のことばかりを心配したので、その計算ずくの心の世界=冷たく暗い世界に死んで落ちてしまったのだ、ということです。
 
 小善とは、自分なりに善だと思っても、より大きな目で見たら、むしろ悪になることもあるということです。口と心と行いの全部が善であっても、それだけでは充分とは言えなくて、より大きな視点から見ても善であって初めて、本当の善になるというわけなんですね。
 
 本当に人に益する行いをしたいと考えるのなら、この三点を注意することが重要なのです。
 
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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 独善 偽善 小善

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

無形の宝とは何でしょうか。

それは、霊的な視点から考えたときに、「と功侯(こうこう)」というもののことになります。だけでは無形の宝とは言えないのです。と功侯の両方がそろって初めて、無形の宝になるのです。

「無形のを積み、功侯を授かること」、これが無形の宝であり、すなわち「一陽」の「福」となります。そして、無形の宝を積み続けていくと、やがて「化する働き」によって具体的な幸福、すなわち有形の宝になるのです。

それでは目に見えないを積むとはどういうことをさすのでしょうか。

について、ひとことでいうなら、「人に益する行いをすること」となります。人に益する行いこそが善であり徳なのです。目に見える形で益するか、見えない形で益するかはともかく、人にプラスになること、人に益することをしてあげることが、徳を積むことになるというわけです(地徳といいます)。

自分の足りないところを改善し、知らないことを学んだり、自分の悪いところを直そうと努めたりすることで、自分のオーラは大きくなっていくのですが、これは「人徳(じんとく)」といいます。

何ものにも動かされない信仰心によって神力を動かし、不可能を可能にしていく努力を天徳といったりします。

話を戻しますが、人に益する行いとは何か、という問題になるのですが、それは「人によかれ、という想いをもって口と心と行いで表現したこと」が「人に喜んでいただいていい結果となる場合」のことを言うのです。

言い換えれば、「善なる想念を内に抱いて行動した結果が、人様の幸せと喜びに結び付くこと」、ということでしょうか。これが徳となるのです。

しかし、この善行を為して徳を積もうとする時にも、注意すべき点が3点あります。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 善行

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

 冬至以降、無形の世界では春が始まっている、ということなんですが、陽が一つ現れ出て、だんだん大きくなっていく、ということなのです。

そして、このぽつりと現れ出た陽を「一陽」といい、「一陽来復」という言葉があるのです。これは、陰が極まって陽にかえる、という意味の他に、悪い事が続いたあと、ようやく好運に向かう、という意味もあるのです。つまり、幸せの始まりを表しているのですね。

無形の世界で春が始まり、しばらく間を置いて、有形の世界でも目に見えて春が始まっていくように、私たちも兆しが現れるまで無形の宝を積んでいくことが重要なのです。特に、神の道、人の道、信仰の道にめざすという人なら、無形の宝を積むことに集中しなければいけないのです。そうすれば、冬至がすなわち一陽来復であるように、つまり冬の一番暗くて夜が一番長い時こそが春の始まりであるように、一番人生の大変なところを乗り越えることは、同時にその時には春が訪れ始めているという法則があるのですから、無形の徳を苦労して積むほどに、春になってもたらされる幸せも大きくなるものなのです。

無形の宝を積めば積むほど、幸福の根が太くなります。すなわち、滅びないということです。無形の世界に蓄積があるから、いつでも有形の世界に現れ出てくることができるからです。

地位、名誉をどこまでも永らえ、大道(だいどう=根本の道理)や信仰をどこまでも続けていくには、根が太くなくてはならないのです。この根が太いなら、どんどん新しい芽が出て、どんどん新しい実が生り、永遠に朽ちることはないのです。そしてこの法則は、人生すべてに当てはまるのです。どんな時も運がいいという人は、実はこうした無形の宝を蓄積している人なのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 有形 無形

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

無形の目に見えない宝を積んでいけば、有形の目に見える宝に「化する」ということは、『易経』にある言葉

「陰極まりて陽」

と言うことができます。

無形の宝は陰、有形の宝は陽ですね。陰が主であり陽が従です。陰が中心であって、陰から始まり、陽が出てくるのです。しかし、簡単に陰から陽が出てくるわけではなく、あくまでも「陰極まりて陽」、陰が本当にとことんまでつきつめられて、いよいよ熟して、初めてそこから陽が出てくるということです。

これはつまり、「化する」と同じことを表しているのですね。

たとえば時間のサイクルで陰と陽とを考えてみると、一日の循環で考えるなら、夜が陰であり昼が陽ですね。陰陽が交互に巡って繰り返され、一日一日と時が過ぎていきます。

季節で考えてみると、例えば、春分の日・夏至・秋分の日・冬至、とありますが、春分の日は昼夜の長さが等しい時で、それ以降は昼が長くなっていきます。そして夏至(毎年6月21日前後)が一番昼が長く、陽が極まっている時なんですね。それ以降は今度は途端に夜が長くなり始め、秋分でもう一度昼夜が等しくなります。そしてそれ以降は夜が長くなっていくのですね。そして冬至(12月22日前後)に至ると、一番夜が長い時で、それ以降は再び昼が長くなり始めます。

余談ですが、春分は牡羊座、夏至は蟹座、秋分は天秤座、冬至は山羊座と、それぞれの星座のの始まりに一致するんですね。そして、これらの星座はすべてカーディナルサインだということを教えてくれた人がいました。

話を戻しますが、夏至の時は、陽が極まっていて、その直後から陰が長くなり始める。見た目は夏が続いているのに、もう秋に向けて変化が始まっているのですね。そして、冬至の時は陰の極まりですが、直後からは陽が長くなり始める。つまり、見た目では冬が続いているのに、実は春に向けて変化が始まっているのです。

目に見えて秋や春の訪れが感じられるようになるより以前から、秋に向けて、あるいは春に向けて、無形の世界では変化が始まっているのです。

この「陰極まりて陽、陽極まりて陰」の法則は天地自然の運行だけではなく、人の一生、国家の運勢にも当てはまります。

人から評価されて人気者になり、この世の春を謳歌している内に、いつの間にか落ちぶれてしまって消えてしまう、というのは、陽極まりて陰、という法則を知らず、有形の宝が開花しているときにそれに溺れてしまい徳を積み忘れ、次への準備を怠った、ということなのです。

逆に、冬が厳しくとも、無形の世界では実は春がやってきている。最も冷え込みがきつい一月や二月には、実は昼が長くなり始めているのですから、今自分の運命が一番辛いところにさしかかっていると思うなら、それは実は無形の世界では春が始まっている、ということですから、絶望する必要はないのです。まもなくやってくる春を楽しみにして、悲観することなく勇気をもって目前の困難に向かっていけばいいのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 無形 有形

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

無形の宝といっても、何のことなのでしょうか。

「変化」という言葉がありますが、私たちは「国際情勢の変化」とか、「意識の変化」と言ったりして使っています。

深見東州先生のお話しでは、「実は、無形の何かが有形なものになっていくことを『化する働き』と言い、有形のものが無形のものになっていくのを『変ずる』というのです」ということです。

そして、この化と変とを合わせた言葉が「変化」という言葉なんですね。

化する働きとは具体的にどういうことを言うのかというと、あくまで例えであって化学の視点からの話ではないのですが、空気中の水蒸気が凝結して水滴となって、つまり雨となって降るとき、これを化する働き、と考えていただいていいと思います。

目に見えない状態から具体的に形を取って現れ出てくることを化する働きというのです。

これとは反対に、氷が溶けて水となり、さらに水が蒸発して水蒸気となって消えていくのを「変」と言います。

無形の宝とは何かを理解しようとする時、この「化」と「変」がキーワードになるのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 有形 無形

179無形の宝

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

娑婆即地獄にならないようにするにはどうしたらいいのでしょうか。それには、「心を無形の宝に向ける」ようにすればいいのです。有形の宝ではなく、無形の宝を積むように心を向かわせれば、有形の世界に偏するのを避けられるのです。この無形の宝を正しく理解し受けとめて、自分の心をそれに向けていけば、やがて無形の宝が有形のものとなって、自然に身に備わるようになるのです。

無形の宝がいつのまにか有形の宝に変化して、自分に備わるようになるのです。

この一点が大変大切なことで、ここを忘れると、自分の修養もできないし、世のため人のために生きることもできなくなってしまいます。そして、天運もつかめなくなってしまうのです。少なくとも、己を磨こうという人、あるいは信仰の道に生きようという人、神霊世界を探究しようという人は、絶対にこの点を忘れてはならないのです。

もし、仮に、無形の宝を無視して有形の宝ばかりに心奪われている宗教者がいるとしたら、その人は、天地自然のことが何ひとつとしてわかっていないということになります。もっとはっきりいえば、無形の世界に心が向いていない人は、信仰しているとはいえないのですね。

例えば、

「お金がもうかりますように」

とか

「入学試験に合格しますように」

といったことしか祈らないという人、こういうことばかり祈願して手を合わせるというのでは、まさに「お蔭信仰」でしかないのです。これでは決して正しい信仰とはいえないのです。

しかし、無形の宝だけでいいかというと、それもまた間違いなのです。有形、無形、両方の宝が大切なのですが、無形の宝が主で有形の宝が従とならなければ本当ではないのです。有形の宝には一切執着せず、絶えず無形の宝を積んでいくことで、結果的に有形の宝も生み出されていく。そしてこの生み出された有形の宝に執着せず、さらに無形の宝を積もうと努める。こういう姿勢が大切なようです。天運とは、こういう積み重ねの結果、もたらされるものなんですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 無形 有形 地獄 天国

178安心

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

娑婆即地獄というあり方に対して、心の中が無執念、無執着になると、平和で安らかな恍惚とした世界になります。これが仏教でいう、安心立命ですね。

これまでの宗教は、有形の宝のもたらす悪い面を強調しようとした結果、結局は有形の宝を全面的に否定することで、心の中に平安を見出そうとしたわけです。もちろんこれはあくまでも一般論ですけれども。

現代は、物質的生活は豊かになってきて、社会的制約・身分差別も少なくなっています。こういう時代に、有形の宝を全否定して、その有益な面を考えてみたり活用することを一切しないという態度では、人々の幸福になかなかつながっていかないのではないでしょうか。現代は、主神の本来のお気持ちを、そのまま伝えても納得のいく時代になってきているのです。

昔風に、山の中に分け入っていき、瞑想にふけるだけなら、争ったり葛藤したりすることもなくて済むでしょうが、それは主神の本来の願いではないのです。また、それが真の幸福につながらないことは、私たちの心が一番よく知っています。

物質的にも恵まれ、同時に心が平安な時に、私たちは真に幸福を感じるのですね。だから肉体を持って生まれてきた以上、有形の宝も必要なのです。

肝心なことは、「私たちの心の置き所が有形の世界だけに偏ってしまうことがないように注意する」ことなのです。異性、財産、地位、名誉……こうした目に見える事柄だけに執着心をもつから生きながらにして地獄を味わうはめになる人が出てくるのです。

娑婆即地獄を避けるためにはどうすればいいのでしょうか。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 有形 無形 地獄 天国

177妄念妄想

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

有形の宝に大きな問題があるのもまた事実です。

有形の宝ばかりを追求していると、執着心が生まれ、妄念妄想がわいてくることなんですね。それが霊的な視点から見ても、現実界という視点から見ても、不幸の種となるからなんですね。

執着心とはしばしば生霊の形で他人や自分に悪影響を及ぼしてしまうという話しは以前にしたことがありますが、執着心とはすなわち、妄念妄想へと「進化」していくわけです。

あまりに財産ばかり追い求めると、ついには物欲のとりこになって、心の中が地獄と化してしまいます。これが問題なのです。それは、異性であっても、名誉(=仕事上の出世や業績など)であっても同じことです。

ですから、古来から、多くの宗教が有形の宝に対する欲を捨てるよう、教えてきたのですね。

法華経には、「地獄とは、妄念妄想、これ正体なり」と書かれているそうです。

すなわち、有形の宝に執着して、妄念妄想を出すことによって、心の中が地獄界になっしまうことを言っているのです。そして、心の中だけで済むならまだいいのですが、この心のあり方=自分の想念が常頃あるあり方、が死後、自分が行くべき霊界の高低までも決めてしまうのです。

死後、迷い苦しむことになるのは、まさに今の現実において自分が誤った生き方をしていることが原因なのです。

そして、欲にとらわれた結果ほとばしり出るようになってしまった妄念妄執は、心の外にまではみ出してしまうようになり、悪想念の念波や、生霊となって、他人との争いや葛藤、いがみあい、果ては殺し合いにまで発展することさえあるのです。ここまできたら、娑婆即地獄(=今自分がいる現世がそのまま地獄になってしまっている様子)ですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄 生霊 妄想 妄念

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

自分を磨いて天運をつかみ、自分も人も、ともに幸せにしていくことについて。

無形の、という言い方があります。

私たちが「もの」と言うときには、人によっていろいろと思い出すものが違ってくると思います。あなたにとって「」とは何か、と尋ねられたら、その答えは、金銀財であったり、地位だったり、名誉だったり、先祖代々受け継いできた土地だったり、所有している株式だったりと、いろいろな言い方があるでしょう。子、というくらいですから、子供が物だという人もいらっしゃると思います。

いずれにせよ、通常私たちが宝と呼ぶものは、現実界の宝、つまりこの三次元の世界の形のある宝ですね。金銀財宝にせよ、田地田畑にせよ、いずれも有形なものであって、この三次元世界に肉体をもって生きている間は所有できても、死後の世界にまではもっていくことはできません。

そういう意味では大変「刹那的な宝」ということが言えますね。

ここをとりあげて、

「有形の宝は空しいだけ。有形の宝を追うものではない。無形の実相や天国にこそ真実があるのです」

と教えてきたのが宗教ですね。

でも、有形の宝、この三次元世界の宝が悪なのかというと、そうとばかりも言えないと思います。有形の宝も必要ですよね。

それは、有形の宝と無形の宝と、この両方がそろって、人間は幸せを実感すると言えますし、実際に神様は有形無形、両方の宝を与えようとなさっているようです。

有形の宝を追求することが、間違っているとばかりは言えないんですね。

ただし、有形の宝には大きな問題があるのも事実です。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天運

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

それでは、有形有限の存在である私たちが、無形無限の神に向かっていくことはできないのでしょうか。

もちろん、そこには向い方というものがあるのです。

無形なるものを前にして、その無形なるものに向かうには、こちらの、自分の中の無形の部分で無形なものを感じ、真に、善に、永遠に、広く、高く、深く、繊細に、濃く、無限に向けて進歩発展していったらいいのですよ、と深見東州先生はおっしゃっています。

そして、無限に向かって進歩発展していく過程で、目の前に現れる神とは、宇宙森羅万象を統率される絶対神のごく一部が具体的に現れた顕現神であるとわかった上で、謙虚にこれを味わい、楽しみ、進歩発展と幸せのために活用していけばいいんですね。

神様から見たら、人間とは有形有限であるとともに、永遠に未完成であり、永遠に不完全なものです。それをはっきり認識して、素直で謙虚で、しかもひとつわかっては味わい楽しみ、ひとつ実感して感動しては、味わい楽しんで幸せであれば、それでいいのです。

絶対者であられる神様は、人間がこのようにして絶えず進歩発展し、常に幸福であることを何よりも望んでおられるようです。

頭で知的に理解して、神とはこんなもの、私の出会った神とはこうだ、という人物よりも、例えば少年ジャンプを夢中になって読み、主人公の生き様に感動して目を輝かせている少年のほうが神様により好まれる存在なのです。

毎日毎日、人生と道を完結させ、進歩と発展の余地を残しておけば、もうそれ以上考える必要はない。森羅万象、人事百般、すべてから学び続け、それを神様の一部として会得し、感謝感動して、幸せに日々を生きているなら、それこそがまさに神様の御心にかなう素晴らしい人生だということです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 有形 有限 無形 無限

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

絶対神は無限絶対無始無終なので、だから、どんなに努力しても、これを知ったり体得することはできないのです。その限りでは、神と人の間には永遠の溝があると言えます。

でも、神は人に分かりやすくするために、無限極から有限の仮の姿となってお出ましになるわけですね。これが、神霊とか「顕現神」とか呼ばれるものです。この神霊や顕現神から、知ることもできるし、体得もできるものに切り替わるのです。

旧約聖書の中に、アダムが神と語ったり、モーゼがヤーウェと対話したりするところがありますが、あのヤーウェの神は絶対神ではなく、絶対的なスの権限を与えられた顕現神なのです。あるいは、日本の天照大御神や国常立命、また、守護神などもすべて顕現神だと言えます。

見えた聞こえたという場合の神様というのもすべて顕現神のことで、絶対神のことではありません。無形、無限の絶対神が光りや霊気を放ったり声を出したりすることなど絶対にないからです。

したがって、神人合一という場合の神様も、顕現神のことを言っているのですね。無限極から仮の姿をとっりて有限の世界に現れた顕現神と一体になって、そこを基点として、さらに高く、広く、大きく、自らの御魂と霊性と実力とを発展させ、絶対神に無限に近づいていこうというのが、神人合一の道なのです。

自分が見たり聞いたりした神様、これは、誰であっても一人ひとりに相応しく現れ出た神様なのであり、人に見えたり聞こえたりする以上、有限の相対神であることは間違いありません。したがって、「自分が見た神こそ絶対である」という主張が間違っているものだと分かります。

人間が感知できる神は顕現神であり、だからどんなに真実の神に思えたとしても、それは絶対神のごくごく一部でしかないのです。

この三次元の相対世界に起居している限り、私たちの出会う神とはすべて相対神でしかなく、私たちが神様のことを知ろうとすると、まさに「群盲象を撫でる」ということになってしまうのです。そして、一人ひとりの霊能者がさも自分が一番正しいかのように主張するのですが、一人ひとりの霊能者とはまさに「群盲」の中の一人でしかないと言えます。それぞれが正しく真実の一部を写したり告げたりはしているものの、決して全ての真実を語っていることにはならないのです。、

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 絶対神 霊能者

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

ちょっと抹香くさいと思われる方もあるかと存じますが、ここで絶対神と顕現神という考え方というか、存在について、お話ししておきたいと思います。

結論から申し上げますと、宇宙創造のス神とは、真を極めれば科学や法、理に通じ、善を
極めれば宗教や道徳、倫理に通じ、美を極めれば芸術に通じるものなんですね。

要するに、「真・善・美」の三つが宇宙創造のス神の一部なわけです。そして、その真・善・美の広がりというのはあまりに広大無辺であり、人間の知恵なんかをはるかに越えているわけです。

無限絶対無始無終、至大至小、至剛至柔であり、全知全能を内包しておられるのが宇宙創造のス神なのです。

だから、人間がその頭脳や知性で完全に理解したり、体得できるものではないんですね。たかだか垣間見た霊界や神仏の様子が、たとえ本当のものだとしても、どれほどのことだと言えるでしょうか。神様から見たら、チリ一つにも足りないほどの、わずかな部分でしかないわけです。

そう考えてみると、私こそが皆さんを救う霊能者だ!といばっている人がどの程度の人物か分かるというものですよね。

次のような言葉があります。

郡盲象を撫でる
(ぐんもうぞうをなでる)

この言葉の意味とは、

「多くの盲人が象をなでてみて、各々が、その手にふれた部分だけで象のことを云々(うんぬん)するように、凡人は大人物や大事業の一部分しかつかめず、大局からの見方はできないということのたとえ。「北本涅槃経」巻三二、「菩薩処胎経」巻三などに見えるたとえ。衆盲象を模す。」

と辞書にあるのですが、

人間が本当の神を理解しようとする時には、同じようなことが起きているのです。

神様というものが、有形のもので有限のものなら、そのうち真髄や真理、真実の神様というものに到達できるかもしれません。

しかし、実際には、本当の神様というものは、無形かつ無限なので、有形で有限の人間がどんなに知覚力を使ってがんばっても、絶対神のすべてをとらえることはできないのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

形あるものはすべて、無形の真髄を自分で体得して、実感するためのきっかけなんだというお話しを前回したわけですが、今回はもう一つの誤解についてお話ししてみます。

よくあるもう一つの、真髄についての勘違いとは、「真髄とは到達するものだ」という意見です。

しかしこれは間違いなのです。真髄とは到達すべきものではありません。

結論を先に言いますと、真髄とはこの世に生まれる以前から、私たち一人ひとりの中にすでに存在しているもので、ただ、自分ではそれを分からないだけのことなのです。

実は、生まれつき私たちに内在している真髄は、私たちが日頃見たり聞いたりする何かに触れて初めて、出てくるものなのです。外からの刺激に共鳴して出てくるものなのです。

たとえば、「君に読む物語」っていう映画があったと思いますが、私はこの映画がすごく好きなんですけど、ああいう映画を見ている時に、次はどうなるかなー、きっとこうなるんじゃないかなーってワクワクしながら見ている時に、私の中に存在している真髄が共鳴して出てくるわけです。

つまり、真髄とは、御魂の世界に没入した時の感触って言うことができるんですね。

時を忘れて映画や小説に没入して、我を忘れてハラハラドキドキしているその瞬間、瞬間に真髄が浮き出ている、ということなのです。

真髄とは到達するものではないんですね。

毎回、胸を躍らせて読むマンガや小説、お話しなんかを読むその時に、私たちの魂が感動で喜んでいるわけです。それが実は真髄を体験している、ということなんですね。信仰と神の道も同じで、毎回浮き浮き、ワクワクしながら向かうというのが本当の向い方なのです。

とにかく真髄、本質奥義というものは、到達するものではなくて、私たち一人ひとりが没我の境地の一瞬一瞬にあって、感動しながら楽しみ、学び、向上し続けている時の、自分自身の中に活き活きと生きているんだ、ということをご理解いただければと思うのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 本質 真髄 奥義

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

本物の神様っているの?本物の宗教ってあるの?本当の結婚ってあるの?こういう疑問に行き当たっている方も少なくないと思います。いろんな相手とつきあってみて、どんなに本を読んでも分からないままですよね。

誰でも、自分が追求している物事の「本質、奥義、極意」を極めたいと一度は思いますよね。そして、誰もがやる間違いがあって、これにまず気づかないと、間違いを何度もくり返してしまうのです。

それはどんな間違いかと言うと「真髄とはすなわち、形に出された説明や教えの中にあるものだ」と考えてしまうことです。これが根本的な勘違いなのです。

自分のさまよう心を納得させ、いいかげんなところで落ち着きたい。そして、以後、決して迷わないためには、何に気づかないといけないのでしょうか?

答えはこうです。「物事の本質とは、形のないもの。真髄とは無形のもの。そして、真髄とは体得して、知性ではないところで実感するもの」

この点を理屈抜きに実感できていると、物事の大事な点が理屈抜きに分かるようになります。

つまり、考えて分かっても意味がないこと=体得して知性ではないところで実感するもの、なので、どんなに理屈が上手に言えても何も得られないのです。何も分かっていないのです。どんなに考えても「悟る」ことはできないのです。

絵画の本質とは何なのか、これが知りたいなら、頭でいろいろと考えたりしないで、とにかく最初は絵をどんどん見ていけばいいのです。理屈を越えた魂の感動を感じ取ることができるでしょうか。そして同時に、自分でも実際に絵筆を取って画いてみればいいのです。そして、絵画をどんどん見て味わった感動に向かって、自分も向上していけばいいのです。

芸術というものはすべて、知的に考えるものではなく、体験し、体得し、実感するものですね。

そうすると、例えば、美術大学や、絵の先生というものは、一日一日と向上していく自分にとって、本質をつかむためのきっかけでしかないと分かります。そして同時に、物事の本質をつかむための自分の進歩というものを大切に考えるようになるので、きっかけとなってくれる美大の授業や絵の先生とのおつきあいも大切にするようになるのです。

これが本来あるべき姿勢のはずなんですが、「物事の真髄が有形なものの中にあると、間違って考えてしまっているために」絵画の真髄が美術大学で分かると思い込んでしまったり、美術の本に書いてあると勘違いしてしまったり、絵の先生が教えてくれると思ってしまいます。こうして間違って思い込むから、分からなくなってしまうのです。

宗教についても同様で、世界中のすべての宗教団体と師を巡ってみても、真髄にはめぐり会えることはないのです。また、人や団体はすべて有形のもの。それ故、矛盾のまったくない組織や師、書物が存在することはあり得ないのです。形あるものはすべて、無形の真髄を自分自身が体得し、実感するための媒介に過ぎないからです。

ですから、どこからでも吸収できる自分、何からでも体得できる自分、こういう自分を確立することが大切なのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

地獄に落ちている先祖が救われる方法には三つある、ということで説明したんですが、もう一度繰り返しますと

 1.子孫徳積みをする。徳積みとは、体施・法施・物施をすること。

すなわち、荷物運びをしたり、お掃除をしたりという、自分の肉体を使った奉仕活動をするのが体施、神仏の道や、神霊界の法則を説いて、正しい神霊界の事実や法則を人々に伝えていくことが法施、神社仏閣に寄付・寄進をしたりして、自分の財産を神仏に捧げることを物施、といいます。

 2.地獄で本人が改心する

地獄に落ちた先祖霊本人が改心することで、自分自身を救うということですが、これは、先祖が学問を積んで、神仏の道の法則を知っている、あるいは悟ったという体験がある、そういう先祖でないと改心できないのです。

 3.恩赦・特赦

これは、神様が、霊能者を通じて地獄に落ちた霊たちを救うか、時代の大きな変わり目で、特命を帯びて許されるか、といったケースですが、前者は霊能者を知っていないと依頼することができません。また後者は、時代の変わり目で働けるような、偉人?を先祖に持っている場合にしかおきないことです。

こう考えてみると、私たち子孫が具体的にすぐにできることは、1の「子孫徳積みする」ということだと分かります。そして、家伝の病気、兄弟姉妹の奇病、家の姉妹全員がまったく結婚できない等、特定の傾向が自分の家にある場合、地獄に落ちた先祖霊が影響を与えている場合も多いのです。そう考えると、私たち子孫徳積みで、先祖も、自分たちも、両方とも救うことができると言っても間違いではなさそうです。

それでは、開運につながる「徳積み」とはどういうことを指すのでしょうか?

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄 先祖 子孫 徳積み

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

先祖の地獄での刑期を短くしてもらうには、三つの方法があるのです。

一つは、子孫が徳を積み、「おつとめ」の期間を短縮てもらうという方法。徳を積むには、神仏に対する寄付、神社の修復をする、人助けをする。一身を神仏に捧げたり、といった方法、すなわち「体施・物施・法施(たいせ・ぶっせ・ほっせ)」をするわけです。子孫が徳を積むと、その功績が地獄にも報告されて、先祖の罪が実際に軽減され、八〇〇年の地獄行きが、四〇〇年になったりするそうです。

二つめの方法としては、地獄にいる本人が改心することです。改心とは、「考え方が改まり、言葉遣いが直り、行動が改善される」ということです。この三つが常に揃ってくるようになると、改心できた、というんですね。でも、もともと地獄にいるわけですから、つまりその考え方のせいで地獄に落ちたわけですから、それがすぐに改心できるわけがありません。改心できる人というか改心できる霊であるかどうかには条件があって、その条件がないと改心できないのです。

そしてその改心できるための条件とは、「生前ある程度の徳を積んだことがある人、あるいは学問・信仰の基礎があり、最低、悟るということを覚えた人である」ということです。

地獄から自分を救うのは、自分自身で学んだ事柄、自分自身が学習した学問や信仰なのです。ここからも、生きている間に学問をしたり、信仰について考えたり実践したりすることがとても大切なのだと分かるのです。

地獄では、本人が改心したとみなされると、神様は霊界の長を呼び、「仮出所」の許可を与えます。すると、鬼が本人のところへやってきて、その霊だけを別のところへ連れていくのです。こうして刑期が短縮されることになります。

三つめの方法とは、特赦、恩赦です。この世でも皇室の慶事や重要な国家行事があるときに特赦、恩赦が行われるのですが、地獄界でも、特赦、恩赦が行われるのです。しかし、この方法はどの家の先祖にも当てはまるというわけにはいかないかもしれませんが…

霊界での特赦とは、神様がその霊に特別任務を与えて「仮出獄」させることを言うそうです。その特別任務によって、償(つぐな)いの機会を与えるわけです。ただし、ここで特別任務を与えられるような霊とは、一つの時代を動かしてきたパワーのある霊のことで、例えば豊臣秀吉とか徳川家康といった人の霊がこうした特赦の扱いで明治維新の時に霊界において活躍したりしたそうです。維新を動かした中心人物たちの守護霊として導いたのです。なお特赦のケースでは、実際に生まれ変わってくることもあるそうで、その場合、大変な苦労をした末に、結果として大きな業績を上げるような人物になることが多いようです。

恩赦というのは、神仏が除霊や霊的救済によってその霊の罪を許し、霊を救済される場合のことを言います。この場合では、神様が人を使って除霊される場合、霊能者にそうしたお取り次ぎをさせることが一般的なのだそうです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天国 地獄

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

死後の世界のお話しがあると、たいてい、「天国界に行っている先祖は幸せだからいいけど、地獄に落ちている先祖を救いたいという気持ちになります。もし自分の先祖の中で地獄に落ちている人がいた場合、どうしたらいいでしょうか」という質問が出ます。

生前、悪業を重ねると死後、地獄へ落ちますよね。この場合、その所業によって八〇〇年間とか、無期懲役とか、いろいろ「刑期」が決まってくるみたいです。そして、その期間中は、「血の池地獄」とか「焦熱地獄」「八寒地獄」などで、いろいろな種類の、というかあらゆる種類のさまざまな責めを受けることになるのです。

ここで味わう痛みや苦しみは、現実界のそれとまったく同じで、しかも霊界では肉体が失われている、というか肉体を脱ぎ捨てているため、神経と感性が剥き出しになっていますから、痛みや苦しみは現実界の十数倍になって感じられることになるのです。この想像を絶する痛みと苦しみが、何度も何度もくり返されながら、三〇〇年、八〇〇年、あるいは永遠に、続いていきます。最高に辛い世界ですね。

この地獄で苦しみうめいている霊たちをどうにか救いたいという発想は、当然誰でも思いつくところなんですが、実はできるのです。すぐに無罪放免というわけにはいかないのですが、地獄にいる期間を短くしてもらうことはできます。たとえば、無期だったのを五〇〇年にとか、八〇〇年だったのを三〇〇年にとか、この世の刑務所務めと同じように短縮できるのだそうです。

そして、刑期短縮のための方法は、全部で三つ、あるのだそうです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄

167第一天国

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。


第二天国のもう一ランク上にあるのが第一天国です。第一天国は人間界最高の霊界で、篤い信仰心を持ち、そして同時に地位や名誉や財産を持った人が行くところなのです。

しかし、地位や名誉や財産を持っているだけではここには入れないのです。至純な信仰心に基づいて、財産を世の中に還元し、地位や名誉を活用して世のため人のために尽くした、という人がこの第一天国に入ることができるのです。

ですので、純粋な信仰心だけでも第一天国には入れないのです。信仰心とともに、社会的地位、名誉、富がそろって、初めて第一天国に入ることができるのです。つまり、天、地
人の徳がある程度バランスよく完成されていなければならないというわけです。天に愛され、人に愛され、物質にも恵まれるという、ある一定以上の徳の積み重ねが必要だということなんですね。要するに、地獄の反対なんだということです。

第一天国に入る基準をの数値で言うと、最低でも一億五千万の徳が必要だということです。

第二天国の場合なら最低百五十万の徳、第三天国は最低十五万の徳がなければ入ることはできないということでした。

繰り返しになりますが、説明しておきますと、(こう)とは善行をなして本人の徳となる行いをした時にその善行の量を量る尺度の単位のようなものです。そして、一(いちこう)とは、寝たきり老人を三日間徹夜で看病し、衣服や食べ物、飲み物を与えた行為に匹敵する、ということです。

さらに言うなら、この第一天国に入る人はごく少数であり、決して多くはないとのことです。ちなみに言えば、特に西洋人には少ないようです。西洋人は、第二天国、第三天国に行く人が多いようです。

もう一度まとめると、第三天国は、信仰心は薄くても世のため人のために尽くした人が行くところ、第二天国は、信仰一途に生きた人、第一天国は、その両方を兼ね備えた人が行くところ、ということですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天国 信仰心

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

天国界も、地獄界と同じように、上から三つに分かれているのだそうです。

一番上が第一天国、次が第二天国、そして、中有霊界上段のすぐ上になるのが第三天国になっているようです。

もちろん、細かく見ていくともっと細かく分かれているようですが、大きくはこの三つにまとめられるようです。

第三天国は、世のため人のために尽くした人が行く霊界です。そこでは太陽が輝いていて、住む人もみんな立派で、自分の功績を自慢するような人は一人もいません。人々は、ただ感謝感謝の心で生きていて、慎み深く、争いなどはありません。

第三天国では、リーダーがいる小さな村がいろいろとあって、一つひとつの村に何か共通項を持つ人々がグループごとにまとまって住んでいます。志を同じくする人々が、一つの村に住んでいるわけです。

第二天国は、信仰の道を至純に全(まっと)うした人が行く霊界です。汚い服を着ていてもいい、地位や名誉がなくてもいい、苦労を通して神への誠を全うし、至誠至純の真心を、口と心と行いで貫き通した僧侶やクリスチャンのような人が行く霊界です。

信仰とは、ただ信じていればそれでいいというわけではないんですね。体施、物施、法施を実践して真理を探究し、身のうちの神なるものを実践しなければ本当の信仰とは言えないのです。

信仰心があると自分で言っている人であっても、あるいは何かの宗教団体に属しているといっても、実際の行動が神様の教えから遠く離れているような人がいますが、そういう人がこの第二天国に行くことは当然ありません。

本当の意味で信仰に生きた人が行くのがこの第二天国ですから、僧侶や神父、牧師以外の一般人であっても、この「神への誠を全うし、至誠至純の真心を、口と心と行いで貫き通す」という法則を実践した人なら、死後誰でもこの第二天国に行くのです。

この第二天国は、慈善事業を行っただけの人が集まる第三天国よりも一ランク上に位置しているのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天国

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

地獄の上、というか、三段階に霊界を分けた時の一番下を「地獄」、そして真ん中を「中有霊界(ちゅうゆうれいかい)」、一番上を「天国」と言いますが、今度は、その真ん中の「中有霊界」の様子について、深見東州先生が解説して下さったことを書いてみます。

中有霊界は、現実界にたとえるなら、中流階級の人たちが住むところ。ここではだいたい、普通の人間社会の生活が営まれているんですね。現世の生活とほとんど同じです。

本を書いている人もいれば、農業をしている人もいます。あるいは漁業の人もいます。

中有霊界は、生前とりたてて悪いことはしなかったが、良いこともしなかったという人が行く霊界ですが、ここも何段階かに分かれています。生前のプラス点とマイナス点を差し引きして、ほとんどプラスマイナスゼロ、という場合は中有霊界の真ん中に行き、プラス点が増えるとそれより上へ、マイナスが増えるとそれより下の段へ行くのです。

そして、ある一定の基準より下の場合は地獄行きとなります。

この基準というのは、「功(こう)」と「劫(ごう)」です。

深見東州先生が直接閻魔大王様に尋ねたら、一万五千劫以上に値する「悪行」をなした場合に地獄行きが決定し、その一万倍悪い数値にあたる、一億五千万劫以上に値する悪行を積むと、最下段の地獄へ行くことに決まるとのことです。

劫とは徳の逆、あるいは功の逆のことで、一劫とは「罪なき人一人に、冷水を浴びせて罵倒し、5回~6回殴ったうえ、2回~3回蹴り上げるというひどい目に遭わせること」だそうです。

では、一功とはどのくらいの善行なのかというと、「寝たきりの老人を三日間徹夜で看病し、衣服や食べ物、飲み物を与えるという行為」だそうです。

自分でやったひどいことは誰でもなかなか自覚がないものですよね。でも、長い期間にわたって大勢の人の心や体を精神的あるいは物理的に苦しめ続けた場合には、劫数が飛躍的に可算されるようです。

中有霊界の上段は、現実界でいう上流社会にあたります。食べ物、飲み物、住むところ、それぞれが豊かで美しいのですが、天国ほど豪華ではないようです。

これに比べて、中有霊界の下段は、現実界の下流社会にあたり、労働の割に報酬が少なく、食べ物や飲み物の量も少なく、品も粗悪なんだそうです。そして、下に行けば行くほど肉体労働の要素が多くなるのです。街で見かける浮浪者のような格好をしている人も、中有霊界の下段にはいるそうです。

そして、生まれ変わりのプロセスという点から言うと、死後この中有霊界に行く人が一番多く、そしてここへ行った人はだいたい三〇〇年から四〇〇年するともう一度現世に生まれ変わるのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄

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