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Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

前回、「あなたが何に価値を見出し、その結果どういう想念界に自分の内面が今位置づけられているのか、この点をふり返れば、今自分が死んだらどういう霊界に自分が行くことになるか、おのずからわかるのです。」と書いたのですが、これに関して思い出したことがあるのでさらに追加で書いてみたいと思います。

以前、といってもごく初期の頃ですが、ワールドメイトでは何度か「文化祭」のようなイベントが開催されたことがありました。それぞれが色んな芸や出し物を発表していたのですが、その時、ある男性が、別の人の出し物を食い入るように見つめていたのです。その時は歌謡曲か何かの曲が演奏されていて、その曲にその男性は聴き入っていたわけですね。その男性は、自分では楽器を演奏することはできない人で、それで他人が演奏する様子を熱心に見て聴いていたわけです。

その頃は、深見東州先生もその出し物のうちの一つということでもの真似を披露されたりして、ご自身も登場されていたのですが、その深見先生が会場内を歩いていて、先程の「ある男性」に出くわすことになったのだそうです。するとそこで深見先生曰く「○○さん、今死んだら来世はミュージシャンになって生まれてくるね」と大真面目に言われたそうで、そう言われた○○さんはというと、そこで初めて我に返って自分が熱中していたことに気づいたのだということでした。

他人が演奏する様子を見て、○○さんは思わず「すばらしいなあ、かっこいいなあ、自分もあんなふうに演奏したい。これまで自分は楽器を習うという機会には恵まれなかったが、今度は自分もあんなふうに楽器を演奏したいなあ」と心の底から思ったのでしょう。

この話は正確に言うなら、「今自分が生まれ変わるなら」という話になるのでタイトルとは少し違ってしまうのですが、死後の霊界の行き先、また生まれ変わった後の人生のあり方、どちらを決めるのも、結局は今の自分の想いの在り方なんだということがこの話を聞いた時にわかったことだったのですね。

「一念三千」と言いますが、自分の出す念次第でこの世のどんなものにもつながっていくことになる、自分の出す念次第で良いものであれ悪いものであれどんなものにでも発展していくことになる、こういうことなのですね。

「運不運の前に、徳と劫があり、その前に善行と悪行があり、その前に良き心と悪い心があり、その前に良き念や言霊と、悪い念や言霊があり、……」ということなのですが、自分の行いや運の善し悪しを決めるのは、自分がまさに今出す念次第なのだな、ということを思ったのでした。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

霊能力とは何か、霊能者とはどういう存在なのか、こうした点について、深見東州先生の「神霊界」に基づいてご紹介してみたいと思います。

霊能力、たとえば霊視、透視、空間移動、高度な除霊といった能力は、普通は念力だけで可能になることではありません。こうした霊能力を発揮する人物には、その背後にそうした力を与えている霊的な存在が必ず憑依しているのです。

背後でそうした応援をしてくれる存在がどういう霊なのか、それによってその人の霊能力の特色・種類や次元の高低が決まってきます。その霊能者の霊能力は、正神界の存在がもたらす正神界からの霊能力の場合と、邪神界の存在がもたらす邪神界からの霊能力の場合と、大きく分けてこの2種類に分類することができます。正神界の霊能力としては、例えば、最も次元の高い正神界の極微天界からの高級神霊、次に産土神霊、次に霊となって、高級守護霊が応援しているもの、こうした例を挙げることができます。これらは次元が高いもので、共通点としては清々しく美しい、おどろおどろしい感じを与えない、教えすぎない、見世物のように能力を披露しない、ごく普通の日常生活を送っている、こうしたことが挙げられます。高級神霊、正神界の霊達の目的は、本人の御魂の成長を助けることにあるので、決して過度な自己主張をすることは無いのです。

ところが人間の霊能を開かせているものは、必ずしも正神界の存在ばかりとは限りません。魔界や邪神界の存在が霊能を与えている場合も多いのです。

正神界からのものでない霊能力の例をご紹介しますと…

1.邪神界の龍、天狗、キツネ、蛇がその人に憑依して、霊能を開かせるもの。

2.死後・行者界に堕ちた行者の霊がその人に憑依して、霊能を開かせるもの。

3.死後、魔界に堕ちた霊能者が毒グモ等の姿に化身して、これが人に憑依して霊能を開かせるもの。

4.死後、魔界に堕ちた白魔術、黒魔術の霊能者がサソリ等に化身して人に憑依し、霊能を開かせるもの。

正神界からの霊能であれば、普通、人の幸福を第一に考えた言動をするでしょう。人に何か伝えるのであれば、どんな内容であれ本人が絶望してしまうような形で言うのではなく、希望をもって生きていけるように助言するのが、正神界からの霊能です。

ところが魔界・邪神界からの霊能に共通するのは、人を不幸に導く、あるいはいたずらに人心を惑わすということなのです。そして、正神界の霊的存在と邪神界の霊的存在の最大の違いは何かというと、「美しさ・芸術性のあるなし」なのです。

ですから、真に芸術的か否か、普遍的な意味での美しさが見られるか、こうした点を尺度にすると、正神界からの霊能力なのかそれとも邪神界の力なのか、その区別ができる場合があるのです。

そして、最も大切な点は以下の点です。ごく普通の社会人として、この三次元の世界で四苦八苦しながら仕事をしたり勉強したりして自分を成長させ自分の御魂を磨いていく、この御魂磨きにきちんと取り組むことなく、霊能力に憧れ、何がしかの霊に憑依されて霊能力を発揮するようになり、霊能力に振り回されたまま死んで行くとどうなるかというと、憑依していた動物霊の奴隷、あるいは先に述べたように、行者界あるいは魔界に堕ちて、自分もまた新たな邪神界の手先という存在になり果ててしまうのです。

というのも、人は何かに心を寄せると、その心を寄せた対象の霊流を受けることになるからです。自分の心の中で認め、賞讃し賛同して、受け入れるから、霊流を受けることになるのです。そして、霊流を受けるとどうなるかというと、同じ存在になる、すなわち同じ霊界に住むという結果になります。なぜなら、霊界とは想いの等しいものたちが同じ世界に集まるという世界だからです。

心を寄せるとは、例えば信仰するということであり、心酔するということであり、ファンになるということであり、入門して弟子となるということであり、後援者の一人になるということです。

あなたが何に価値を見出し、その結果どういう想念界に自分の内面が今位置づけられているのか、この点をふり返れば、今自分が死んだらどういう霊界に自分が行くことになるか、おのずからわかるのです。

詳細については、ぜひ深見東州先生の「神霊界」そして「神界からの神通力」をご参照くださいますようお願いいたします。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ごく普通の社会生活を通じて、「人としての悟りを深めていくこと」、「物事の道理の本質を見きわめて、正しく振る舞える自分になること」、「徳を積んで人を幸せにし、神仏に対する功績を積むこと」、「愛をもって人々を救うこと」、こうした人生の本来の目的を達成するのが正しい生き方と言えるでしょう。

ところがこうした普通の毎日に飽き足らず、霊能力に興味を持ったり霊能者のことを素晴らしいと思い込んで霊能者巡りをしたりすると、どうなるのでしょうか。以下、もう一度「大除霊」からご紹介いたします。

(以下引用)
------------------------
「ここで参考までに、中途半端な霊能が開いた人はどうなるか、具体的に事例をあげてお話ししておこう。

 あるとき、私たちのところに、いろいろな宗教団体を遍歴してきた人が訪ねてきた。仮にAさんとしておこう。

 Aさんはむろん、さまざまな霊能者のところも巡り修業した。その結果、ある程度霊視もでき、また、霊界の事象を聞いたり、感じるようなレベルまで到達していたのだが、そんな折、私の著書を読んで感じるところがあったらしく、除霊を申し込んできたのである。

 そこで私は、いつものようにごく普通の除霊をしてさしあげたのだが、霊能者巡りをしてきただけあって、自分でもそのことがわかったらしい。「あっ抜けていった。霊が出ていった」と、たいそう感激したわけである。

 それ以来このAさん、「先生、先生」と非常に熱心に私のところに通うようになった。だが、Aさんのそれまでの足跡を見ると、私は安心しておられなかった。

 というのも、夫がいながら平気で浮気をしたり、礼節を無視するなど、およそこの世の常識外のことを、Aさんは平気でしてきたからだ。それでいて、一方では熱心に神様を求める。それも、以前に一度すばらしいお蔭を体験したことがあるからなのだ。よく見られる、熱心に信仰する中年層の信仰者パターンである。

 このような人は、それまでの生き様と人格の基礎になっている性質が、どうしても低次元霊界の波長と合うため、どんなに高級な神様を求めても、霊的感性が鋭くなれば逆に悪霊を呼びやすくなるのである。出口王仁三郎が、鎮魂法帰神術を一般にはやらなくなった経緯と、事は同じである。

 いろいろなことから私も常々心配していたのだが、この不安はみごとに的中してしまった。ある日突然、Aさんは、

深見東州には悪霊がついている。魔ものがついている。』

 といいはじめたのである。そればかりか、ほかの会員たちに次々と電話をしては、

深見東州は悪霊にやられているから、行ってはいけない』

 と、ふれ回ったのである。

 そこである会員の方が、「なぜそのようなことをいうのか」と問いただしてみたらしい。彼女はいった。

『私の独自な方法でわかったんだ。お告げがあったんだ。それに、先生のところへ来てからというもの、はじめはよかったのだが、途中から自分はおかしくなった。だから、先生は悪霊にやられているのに違いないのだ』

 客観的に見て、先生がおかしくなったのなら、それは『先生が悪霊につかれておかしくなったのだ』といっても、ごく常識的な論理であるといえるだろう。だが、『先生は誰から見てもごく正常で、自分だけがおかしくなった』場合、なぜ、先生に魔ものがついていることになるのか。良心的な常識からいえば、まず、『自分がおかしくなった原因は、自分のどこかに思い違い心得違いがあったに違いない。それは何か、どこか』そう心得て神様の前で自分を謙虚に省みるのが普通だろう。

 おかしくなった原因は簡単である。少しばかりの霊能を鼻にかけて、人に忠告をしたり、めんどうをみたりする。そうしているうちに、すっかり先生気分になってしまって自惚れ、傲慢と増長魔、自我、慢心の魔境に自らが陥ってしまったからなのだ。これに、悪霊が完全感応したわけである。」
--------------------------
(引用ここまで)(「大除霊」、p.91)

その人にふさわしい霊的存在しかやってくることはないので、前世や前々世から大きな使命を持って生まれ変わってきたといったような人の場合を除けば、ほぼ100パーセント低級霊しかやってこないのです。その人の腹の奥とその人の人格と日常の生き様に合った霊しか来ないからですね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生の「大除霊」を見ると「霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。」とあり、霊能力を持つことがすばらしいとは一言も書かれていないのです。

御神示全集にも以下のように見られる通りです。

「全ての現象を霊界より見れば、
 幻であり影である。
 たとえすばらしいことであっても、
 霊界に想念を向けて行うときは、
 神の御目より見給えば、
 実りあることとして受け取られることはない。
 人の生が三次元をその足場とする。
 三次元はそのままが神の世界なり。
 神心の現し世なり。宝の実の花園なり。

 全て愛より発して神に想念が行き、
 あらためてこの世で目に映るもの、
 耳に聞こゆるもの、
 肌で感ずるものが
 神のお姿であることを自覚し、
 天地を楽しみつつ、
 日々暮らすのが人の本文である。

 霊象霊的能力ことごとく神の望むところにあらず。
 ただ人が、あまりに神なり仏なりを
 不可思議なものとしてとらえるこころあり、
 その因を結びつける方便として
 使っているだけなり。
 神は仏教で言うようなむつかしいものでも、
 厳しいものでもない。
 ただ楽しく、面白く、美しく
 輝いている天の楽の元だと思われよ。

 中心というのは
 すみきった無心のものでなくば、
 高厳、崇貴、深遠なる神の働きや、
 姿をうかがえるものではない。」
(御神示全集、p.155)

このように、深見東州先生は、霊能力について、これまで一度も賞讃したり推奨したりされたことはないのです。何度もおっしゃっているのは、「社会人として他人と協調してまともな毎日の生活を送り、普通に給料を稼いでくることのほうがよほど大変で尊い」ということなのです。

会社に行けば、意地悪をする先輩、人のいうことにまともに耳を貸さない後輩、不適切な指示ばかり出している上司、仕事が遅くて効率が悪い同僚、こういう人達に囲まれて気の休まる暇もありません。かといって家に帰っても、なかなか話の合わない妻や夫がいたり、やはり言うことを聞かない娘や息子がいたら、それこそ身の置き所がないというものです。しかしそれでも、めげることなく、明日も出勤していかなければならないのです。多くの人がそれを約40年もの間、ひたすら繰り返して、いつの間にか人生の晩年を迎えているわけです。そして「三次元はそのままが神の世界なり。」とあるように、この現実の世界をより良くし、皆をより幸せにしていくことが実は一番尊いのです。神の意志を代行することができているからですね。

ですから、変な神がかりのようなことをしてみせて、一年先や二年先のことをいかにもそれっぽく予言するといったことをわざわざ会員になってやろうとする必要は全くないのです。

それこそ、霊能力で占いをしてみせるプロに任せておけばいいのです。霊能力が発揮される時のその仕組みを知れば、決して霊能者になりたいなどとは思わなくなるでしょうから。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

先日、知人と、そのまた知人といった感じの人達とあわせて4人でお茶しながら話をした際に、霊能者と占い師の区別がつきにくいんだなあということに気がつきました。それだけわけのわからない自称や他称の占い師がいるということなのでしょう。

普通の占い師がどういう人なのかというと、自力で勉強して誕生日とか手相とかの良し悪しを自力で判断できるようになった人のことですから、霊能者とは呼べないですね。ところが区別がつかないということですから、霊能力で占いをやってみせる占い師というか霊能者みたいな人がどうやら存在するようなのです。

それでは霊能者とはどういう存在なのかというと、深見東州先生の著作「大除霊」には以下のように記されています。

(以下引用)
-------------------------
 霊媒体質の人の話が出たので、霊との交流ができる霊能者についても簡単にふれておこう

 絶えず、霊と闘おう、闘おうと考えたがるのが中途半端に霊能の開けた人、または霊能力を多少身につけた霊能者の悲しい運命である。霊能力とは、もちろん、神力あるいは現実界の実力を身につけていれば、神や常識に知らされて、正しく霊に対する向かい方もわかってくるものだが、何事も中途半端な人間は、いったん霊がわかりだすと、そこから抜けきるのが難しくなる。しかし、これはある意味では無理のないことなのだ。なにしろ霊が見えたり霊の声が聞こえたりするのだから、霊を払いのけようと試みるのは、当然なのである。

 だが、ここで注意しなくてはならないことがある。それは、あらゆる機会にに美しいものを見、美しい世界を想い浮かべることを忘れてはならないことだ。

 霊能者は、いうまでもなく霊との闘いの日々に明け暮れている。地獄界を這いずり回る低級霊たちを相手に、毎日毎日闘っているのである。

 その低級霊たちの姿かたちがどのようなものであるか、想像していただきたい。二目と見られぬ……という程度のものではない。目が飛び出し、鼻がつぶれているのはまだましな方で、両手両足が存在しないにもかかわらず、元気にはね回ってみせる恐るべき力、奇怪な声や汚らしい化け物の姿や衣に、ゲジゲジや百足やウジ虫やクモなどが、ウヨウヨとこびりついている。さらには、人間の姿をとどめず、大蛇の姿となり、ツノや牙を生やして体中から異様な臭気を発散させる。醜悪そのものといった姿であり、とても正視に耐えるものではない。ウルトラマンに出てくる怪獣のほうが、よほど美男、美女であるという気がする。

 そんな気持ち悪い姿を毎日毎日見ていたらどうなるか。誰だって目つきが悪くなるのに決まっている。

 実はこれが、霊能者の目つきや人相の悪い理由なのである。霊能者は、よくサングラスをかけているが、霊能者で目もとが涼しく、人相がすがすがしいという人をあまり見たことがない。いるとするならば、深見東州ぐらいだ。これはいいすぎだ。謙虚さがない。だから、たとえ慈悲の心で救いを求める人たちと対応していても、たえず地獄の有り様を見ていると、どうしても目つきや人相が悪くなるのである。

 それは、警察官には目つきや人相のよくない人が多いという理由と同じである。

 警察官の仕事はいうまでもなく、犯罪者を取り締まることである。その犯罪者が例えば必死で逃げていく。その後を警察官が追いかける。そのときの警察官は、犯罪者とほとんど同じく血走って、実に怖い目つきをしている。それを、笑いながら、追いかけている人はまずいない。

 もちろん警察官は善なる人であるのだが、扱っている仕事上、どうしてもそういう目つきにならざるを得ないのだ。ごくろうさまですと、申し上げるほかはない。

 しかし、目つきや人相が悪くなるだけならまだたいした問題ではない。他人にあまりにいい印象を与えないというだけだ。それより大きな問題は、想念までが悪くなってしまうことなのである。

 醜いもの、汚いものをいつも見ていると、いつしか心まで醜くなるのが人間の常である。低級霊たちの姿を毎日見ている霊能者の心に、必ずゆがみが生じてくるのももっともな話だ。

 この点が霊界だけしか見えない霊能者の落とし穴なのである。神界の入口にも入り、現実界でも立派に生きようとするのなら、まず、その霊視、霊眼、天眼というものが、出したり、ひっこめたりできて、いつでも霊界が見えているという状態をなくせるようにしなければならない。

 そうでなければ、それは霊能力にふり回されているのであり、霊能力を使うのではなくて、使われているということになる。霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。ではこの霊界を見すぎる目をどうすればいいのか。

---------------------------------------
(引用ここまで)(「大除霊」、p.130)

「霊能力が一切なくなってもぜんぜん平気で、普通の現実界の人としても、人々が尊敬できるような立派な行いと人間性をもつことができて、はじめて、神界とともに生きる人となることができるのだ。」とある通り、実は、霊能力を持つことがすばらしいとは一言も書かれていないのです。

(つづく)

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