ワンクリック、プリーズね!


最新トラックバック


プロフィール

ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


最新記事


最新コメント


カテゴリ


月別アーカイブ


FC2カウンター


カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

ブロとも一覧


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

前世の不徳を今生で補強するとはどういうことなのか、この点について考えてみたいと思います。

人徳・地徳・天徳のうち、人徳については、内修と言い換えても大きな間違いではないでしょう。すなわち、世の中の物事の受け止め方、物の見方、物の学び方、考えの進め方、こうしたことを学び体得して、世の中の真実について学んで自分を向上させていく、本当の教養を身につけていく、正しい信仰心について学んでいく、こうしたことが人徳となるでしょう。自分が明るい人物となるよう努め、より良き自分の在り方をめざして毎日過ごしていくということになるでしょう。これは一朝一夕で積み上げられるものではありませんね。一生をかけて、継続的に積み上げていくものでありましょう。

また、地徳とは前世に積んだ徳分ですから、今となってはこの地徳を増やそうとしてもどうしようもありません。しかし、例えば、今すぐにでも世の中の役に立つこと、人の喜びにつながることをしようと発願して体施を始めるなら、すぐに徳積みを始めることができるのも事実です。そして、この徳積みを今生死ぬまで続けてやめることがなければ、来世はいっそう充実した人生となることでしょう。今おこなったことは、来世の地徳となるわけです。

ところで、これらの人徳と地徳を今世の自分の人生において活用することを可能にするのが信仰心であり、その信仰心によってもたらされる天徳なのです。神仏に帰依して正しい信仰を生涯貫いた上で、徳積みを実践し、お稽古事や勉強も同時に積み重ねていく、こうした生き方をすることで、人徳・地徳・天徳の三つが融合し、自分自身と自分の周囲の人達のどちらをも幸せにすることができる最善の生き方をすることが可能となるのです。

なぜなら、信仰心の篤い人物が人知れず神仏に願掛けをして、日頃から人徳を磨きまた地徳を積もうという生き方をすれば、自ずから神仏がその生き様をご照覧になって、本人の想いと行いに応えて神徳・仏徳をあらわして下さるはずだからです。具体的にその恵みは何かと言えば、それはより良き人、より良き事柄、より良き物との出会いということになります。なかなか具体的にならないというのであれば、より良き人と出会う準備をしている、より良き事柄と出会う準備をしている、より良き物と出会う準備をしている、このように考えればいいのではないでしょうか。

今世での幸せは、やはり正しい神仏に帰依していること、そして自分が一体何をもって自分の幸せと考えるのかということ、こうした点にかかっていると言えるでしょう。

(つづく)

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

次の記事を読む→
ここをクリック
スポンサーサイト

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

「象徴は
 天地万形にありて
 覚りを助く
 無為に人と事物を
 見るなかれ」
(御神示全集、p.62)

※象徴=形のない抽象的な思想・観念などを、具体的な事物や形象に託して表現すること。また、その表現に用いるもの。

※無為=ここでは、何もしないでぶらぶらしていること。つまり、「目の前に現れている人や物事をぼんやりと見たままで過ごしてはならない」ということ。

という御神示があるのですが、要約すると「身の回りの人や物事は、必ずあなたにとって何かの気づきのきっかけとなるはずだから、何も考えないまま、何も気づこうとしないままぼんやりとながめているだけではいけませんよ」といったくらいの意味になると思います。

「いかなるものの中にも真理あり
 あなどらず聞くべし、読むべし。」
(御神示全集、p.421)

という御神示もありますね。どちらも、身の回りの人や出来事、事柄を自分の悟りの糧にしなさいよ、ということを言っているのだと思いますが、要は深見東州先生がおっしゃっているように、「これも全部神様のお導きでそういうことが起きているのだ、全部神様のお導きでこの人に会っているのだ、全部神様のお導きでこういう出来事に遭遇しているのだ」ということですね。そしてもっと踏み込んで言うなら、「きっと全部神様の御心の現れなんだな、これを通して劫祓いして下さったのだな、これを通して徳積みの機会を与えて下さっているのだな」と思い直していけば良い、ということになろうかと思います。

ですから、良いことが起きたら、「私の努力を神様が認めて下さったのだな」と考えて感謝する、悪いことが起きたら、「劫が具体的に顕現する前に、神様がこの苦しみを通して劫祓いさせて下さっているのだな」と考えて感謝すればいいのではないでしょうか。

神様は、人の幸せしか望んでおられませんので、神なる守護があって物事が変化していく時には、必ず最終的に良い方向へ変化していくはずなのです。ですから何が起きても必ず物事は良くなっていくわけですね。

いいことも悪いこともすべて神様の導きの結果だと確信して受け止めていけば、いつも深見東州先生がおっしゃっているように、神様が本当にそのようにして下さるのです。

「新しい物事をはじめるのに
 勇気と決断が要るのは
 申すまでもないことであるが
 一つ一つは神はからいであることを忘れてはならない」
(御神示全集、p.458)

ということなんですね。そのように人が受け止めれば、神様がそのように導いて下さるのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング
ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトの会員になると、「集中力」とか「没入する」といった言葉を以前よりは少し多く耳にするようになるのではないでしょうか。

それでは、こうした「集中力」とか「没入」というのは実際にはどういうことなのか、これも体得している人もいれば経験すらしたことがないという人も中にはいらっしゃるみたいですが、御神示全集を参考にして見てみましょう。

「注力散漫なれば事為らず。
 万事に注力の集中こそが大切である。」
(p.64)

注力ちゅうりょく、とは普通は「目標を達成するために力を注ぐこと。」という意味です。

したがって、「集中して力を注ぐということができず、しまりがなくまとまりが無いなら、目標を達成することはできない」といったくらいの意味になるでしょう。

「精進の権化となれ。
 時中に生きることが只今に生きることである。
 時を忘れ、
 道を忘れ、
 人を忘れ、
 対象物を忘れるぐらいに没せよ。
 それが神人一体となる呼吸ぞ。
 その呼吸を称して妙と申すなり。」
(p.275)

「自分が精進そのものになったかのようなところまで精進しなさい、今この瞬間に徹底して集中することが『ただいまにいきる』ということです。今が何時で、何のために、誰のために取り組んでいるのか、そして何に取り組んでいるのかすら忘れてしまうぐらいに(=自分の置かれている環境の一切を忘れ去って)集中しなさい。そこまで集中している時の自分の有り様に神人一体となるためのてがかりがあるのです。このてがかりを『妙』というのですよ」

ということですね。

これは、作品を生み出すことに命をかけてきた、というような芸術家の中に実際に体得している人が多いかもしれませんね。逆に、読書をしても10分くらいしか続かないし、絵も描いたことがない、書も志したことがない、楽器も弾いたことなどない、といった人であれば、この「神人一体の呼吸」ということが理解しにくいかもしれません。

芸術作品を完成させる、あるいは芸術が分かる審美眼を育てたり維持したりするためには、大変な集中力が必要とされます。芸術に親しんだことがない人は、「自分が知らない世界を体験している人達が存在する」ということを決して忘れてはいけないでしょう。

そして「只今に生きる」というのがどういうことかというと、

「自分で自分の苦渋を忘れるくらいの努力をする心が、
 『只今に生きる』という真義に真近い。」
(p.422)

とあります。「自分で努力しながら、『いやだなあ』とか『めんどうだなあ』と思う心を忘れてしまうほど集中することが『只今に生きる』という言葉の本当の意味に非常に近い」といったところでしょうか。

この没入感を体得することが、とにもかくにも神人合一への第一歩ですよね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトは御利益信仰団体ではありません。御利益(ごりやく)という時には、神様を拝んで人が願ったことが何でもかなうということを指して言っているのではないかと思いますが、ワールドメイトでは神様の願いに人が応えて努力し真実の祈りを捧げることで、神が人に恵みを与えてくれる、という形になるのです。そして、時には人が願った以上の良き報いがもたらされることもあるし、あるいはまた、「神から見てその願い、その望みは思い違い、筋違いだぞ」という時には、全然違う形で答えが返ってくることもあるのです。

人が好き勝手に遠慮なく神に願いをかけてその通りにかなうということは、正しい神様のもとではいつも起きるとは限らないのです。なぜなら、その願いが神様から見て真に正しい願いだとは限らないし、その願いが長い目で見た時に本人にとって真の幸せにつながるものだとは限らないからです。

「神様のお仕組に、
 自分が使っていただいているのが本当であり、
 自分のしていることを、神様が守護するのではない。」
(御神示全集、p.88)

「自ら成そうとする所を助け給えと祈って出ずるものは、
 霊力であり、守護霊の働きである。」
「神力と霊力とは次元が異なり、
 自我と言ってもさまざまである。」
「世のため人のためと思って慈善事業に志す者多し。
 神のため神界の経綸のため、
 神心のままに世のあかりとならんとする、
 神人合一の人のいとも少なし。」
(p.90)

自分の祈ったことがかなわない場合、最初は、「どうしてお願いした通りにならないのかな?」「願いがかなわなくてとっても悲しい…」といったふうに考えてしまうことが多いのですが、「望んだ通りの結果にならないほうが私にとってより良いことなんだな」と思い直して受け止め直すと、次への道が開けていくのではないでしょうか。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

この世の中、現実社会の中で生活していこうとするなら、人とかかわらないで暮らしていくことはできません。人と交流すれば、自分のあり方を他人の前でさらけ出さねばならない場面が必ず生まれてきますし、逆に、相手の考え方や生き様がさらけ出される瞬間を目撃することにもなります。

そのように毎日他人と一緒に過ごす時に、どのように考えるべきか、どのような心構えを持つのがいいのか、こうした点についても「御神示全集」に書かれていますね。

「何事も好意的に受け取って、
 神様に感謝する材料をさがす。
 日々の生活修業は、
 受け取り方の修業である。」

「自分の身の回りにこそ
 全ての解答があり、
 全ての指針がある。」

「発見というのは、
 見つけようとしてできるものではない。
 その探求の態度を神は見て、
 パッと覚らさせていただく。
 是れ妙智と言うなり。」
(御神示全集、p.41)

信仰においては、心が救われ魂が磨かれることが非常に大切です。理よりも慈悲のほうが大切なのです。信仰とは科学ではないので、正しいかどうかが最も大切だとは限りません。自分の心が救われ、相手の心が救われるように受け取っていくこと、これが一番大切なことだと思うのです。

そして、何気なく過ごしている毎日の会話のやりとりや、職場や家庭で見かける出来事、こうしたことの中に全ての答えがあるわけです。ですから、朝、一番に祈る時に、今日一日の生活の中で答えを得られますように、というお祈りを忘れずにすることが大切だと思います。

また、自分で考え込んで悩みの渦中に入り込んでしまっても、答えはなかなか得られないものです。それよりも、○○の答えが見つかりますように、とお祈りして淡々とごく普通に努力を積み重ねていくほうが、より早く、そしてより正しい答えが得られると思いますよ。

信仰するからには、道を実践しなければもったいないですからね。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング
ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトの会員であれば、「まず自分を幸せにしましょう」という言葉を耳にすることが多くなるかもしれません。ひとりの人として一番最初に幸せにすべきなのは自分自身ですよ、ということですね。

そして「幸せだな」と実感するためには、自分の持つ価値観・幸福観(=自分が何を大切だと考えるのか、自分が何をもってしあわせだと考えるのか)というものをよりしっかりと自覚・理解することが大切ですね。目標が明確であれば、幸せを実感しやすくなるはずです。自分が幸せだと思うことが実現すると普通は幸せだと実感できますよね。

今世、生きていく時に、人によっていろいろな価値観・幸福観を持っているはずですが、その今の自分に大きく影響を与えているのが、実は「自分の前世」ではないかと思ったのです。

「天は二物を与えずとか、
 人は生まれながら
 定まった宿命をもつとか言われているが、
 本当は、全て前世でつちかった分だけしか
 今世に備わらないのである。
 人をうらやむな。
 前世の貯えが異なるだけだ。
 今世磨けば、その分だけ功徳が備わり、
 来世までも持ち越されるなり。
 来世に持ち越しが可能なものは、
 信仰、芸術、学問である。」
(御神示全集、p.124)

前世については、例えばこのように説明されているのですが、前世でいろいろとこだわりを抱いていたために、今世そういう発願を持って生まれてきているという人は実はたくさんいらっしゃるようです。要するに、前世で強く自分の印象に残ったこと、前世で自分が強く大切だと思ったこと、これらが今世に生まれてくる際の発願に影響を与えているわけですね。

次のような話を聞いたことがあります。もう今では目にすることはできないのですが、以前深見東州先生が天命神通※のお取り次ぎをして下さった時に聞いたお話しです。

ある会員さんが今現在、ケーキ屋さんを経営されているのですが、それは前世の人生にその理由があったのだ、ということがわかったのでした。その方は、前世ではどうやら町人に生まれていたようですが、貧しくて美味しいものが食べられない人生を送ったのだそうです。その時、兄弟姉妹がたくさんいて、一番上の長女で生まれてきていたのです。そして、弟たち、妹たちが「お姉ちゃん、美味しいものが食べたいね、食べたいね」と言うのを聞いて、自分が悪いのでもなかったのに、「ごめんね、美味しいものを食べさせてあげられなくてごめんね」と言いながら過ごしていたということでした。前世の人生を終えて今世生まれてくる時に、神様がいると固く信じていたこと、世の中の役に立って人が喜ぶようなことをしたいと思っていたこと、美味しいものを作って食べてもらうことで人を幸せにすることができないかと思っていたこと、きれいなものが好きで、そういう料理を作りたいと思っていたこと、こうした思いがあったので、「おいしいケーキを作ってみんなに食べてもらいたい」、こう発願して生まれてきたということです。

※天命神通てんめいしんつう
深見東州先生が、今、生まれてきている人について、どういう目標を立てて生まれてきたのか、今世での人生のテーマは何か、そのテーマを持つに至った理由は何か、こうしたことをひとりひとり、解説して下さる秘儀です。深見東州先生が神様と一体となって、その人の魂の声を読み取り、言葉にして私達にわかるように伝えて下さいます。ただし、深見先生に対してあまりに肉体的・精神的な負担がかかるため、現在は行われていません。

(上記の内容は、個人が特定されることを防ぐため、実際の内容に若干の脚色を加えています。すべてもとのお話しのままではありませんので念のため。)

さて、人はそれぞれ、皆今世生まれてくる際に、それぞれに発願して生まれてきているということなのです。あなたが今、大切だと強く思っていたり、自分はこれをやっている時が本当に楽しいと強く感じたりすること、それらが実は前世の自分の生き様に影響された結果、そう思ったり感じたりしているのかもしれないということなのです。前世で特定の価値観や幸福観というものになじんでいたことが、今世生まれてくる時のそれぞれの発願に反映されているのかもしれないのです。

今世は、前世の続きとして始まっている、そういう側面があるのかもしれませんね。

人は皆、ひとりひとりが各々の幸福観・価値観を持っています。しかし、その幸福観・価値観とは、今世になってからできあがったものではなく、前世からすでに今の自分の幸福観や価値観につながるものを持っていたのかもしれないのです。

今世であなたが持っている価値観は、前世の自分の生き方・価値観に強く影響されている可能性があるのです。

言い換えると、「今の自分が自然に感じている良し悪しが、実は前世の生き方と価値観に縛られたものかもしれない」ということになります。

ところが本当は、今の自分がこだわっている生き方や価値観よりもさらに優れた生き方や価値観がこの世の中にはあるかもしれないのです。

今世、自分が持つ幸福観・価値観が今世の自分の幸せを決め、結局は自分が送った人生に対する印象をも決めることになります。死後、自分の一生を思い返す時に、あなたが今世で持っていた幸福観・価値観が良し悪しのよりどころになるのです。そして、自分が抱いた想いが即、来世の生き方にも影響していくことになるのです。

人生というものをより大きな範囲にわたる視点から見てみると、「何をもって自分の幸せとするのか」、この点を上手に選ぶことが大切だということになるのかもしれません。

全ての人に共通する天命とは「御魂磨き」だと深見東州先生はおっしゃっています。自分をより進歩・向上・発展した自分に成長させていこうとすることが御魂磨きですね。できなかったことをできるようにしていく、わからなかったことをわかるようにしていく、そのために精進努力することが御魂磨きだと言えるでしょう。

今自分が選んだ幸せのあり様というものが、自分の一生のあり方、さらには来世の自分の一生にまで大きな影響を与えるのです。

より良い幸せとは何か、より良い目標とは何か、自分で自分を上手に導いて行くことが本当に重要だと言えるでしょう。

自分の成長に合わせて、よりふさわしい幸せを選んでいくことが、実はとても大切なことではないかと思ったのでした。

(つづく)
次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 前世

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトはご利益信仰(ごりやくしんこう)のための団体ではありません。

会員の個人的な願望が何でもかなうという信仰をしている団体ではないのです。会員ひとりひとりが信仰を通じて人格の陶冶(=人の性質や才能をきたえて育て上げること)を行い、人としてよりいっそう立派となって、その結果、会員の家庭も会員が関わる社会も、いずれにも幸福がもたらされるということを目的のひとつとしている団体なのです。

したがって、会員が優れた社会人として成長していくための教えをいくつも学ぶことができるのがワールドメイトなのです。

例えば次のような御神示があります。

「精進あり、一徳(いっとく)目醒めて
 功(こう)出ずる。
 功いでて、精進に
 堂が入るなり。
 神がかりより尊きは、
 神を呼び迎える
 精進の心と功行なり。
 悟るべし。
 道なく、徳なく、功なき人、
 全ては精進の心なきが故なり。
 精進が神であり、佛であるぞ。
 人間の持つ、
 最も尊き美徳であるぞ。

 忍にまさりて尊きは、
 精進なり。
 わが神と佛との
 示現※
 なればなり。」

※示現じげん=仏・菩薩が衆生を救うために、さまざまな姿となってこの世に現れること。また、姿を現すこと。さらには、神仏が霊験を示し現すこと。

「精進して、徳をひとつ積むと神からいさおし(=功)が与えられる。功を立てていよいよ精進が本物となる。」

「精進しようという心構えと実際に精進したという形に表れた行いのほうが、神がかりよりもずっと尊い。」

「自分の行くべき道もわからず、徳を積むこともできず、いさおしも立てられない人というのは、結局は精進の心が無いからである。」

「精進することで自分の中の神や仏が現れ出るのだ。」

「精進するという姿勢とその実践こそが、人の持つ、最も尊く美しい、道徳にかなった行いなのである。」

「忍耐するよりも尊いのは、精進することである。なぜなら、精進することで自分の内なる神や仏を具体的に現すことことができるからである。」

といった意味になると思います。

神仏にご利益を祈れ、とか、拝んでさえいれば恵みがやってくるぞ、などということは少しも言っていないのです。現世利益など説いていないのです。

会員になっても何も証しが出ないと不満に思っている人は、もう一度自分の生き方を見直すべきでしょう。そういう自分の生き方こそが今の自分を作っているのだと猛省すべきです。

何事か物事を成し遂げたことがある人なら、ここで述べられていることはこれ以上説明する必要などないでしょう。物事を練習し訓練し学び続けて、結果が出るまで努力し続けることがどれだけ大変で手間暇労力がかかることなのか、努力し続けた人ならわかっているに違いないからです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

悶々と苦しむばかりでは、自分から能動的・積極的に自分の運命を切り拓いているようにはなかなか感じられないことでしょう。

あがないをすると同時に徳積みをすれば、個人としての自分と自分の生まれた家と、この二つが持つ劫を清算すると同時に徳分を積んでいくことができるわけですから、加速度的に良くなっていく人が多いのです。

そこで、自分の所有する金銭、自分が捻出することが可能な時間、自分自身の肉体、これらを使用して、神業奉仕に徹してみるのです。

交通費を出して支部まで行き、自分が自由にすることができる時間をかけて支部の当番をして、お掃除をしてみたり荷物整理をしてみたりするわけです。

現代社会においては、個人の時間を切り売りして金銭に交換することが、市場経済の制度の下で一般に広く行き渡っています。正社員であれアルバイトであれ、要するに時給に基づいて給料が計算されて、その給料を日給あるいは週給、あるいは月給という形で受け取って、そのお金で生活していますね。自分の時間を、一定の労働を提供する代わりにお金に換えて戻してもらって生きているのです。

そして、その人に与えられたこの世の時間というのは、この世に誕生することで発生するものだと考えると、時間=命、なのです。したがって、神仏に対してご寄付をさせていただく、自分の時間を使ってお掃除させていただく、これはすなわち自分の命を神仏に捧げていることになるのです。

こうして自分の命を神仏に捧げるからこそ、徳を積むことができ、また劫を祓うことができるのです。

ですから、神業奉仕を始める際には、またいろいろと作業をしてすべてを終えて帰ろうかという際には、必ずお断りのお祈りを捧げることがとても大切です。祈りを神様に受け取っていただいて、体を動かして最初から最後までやり抜いて、その時の姿勢を神様に見ていただいて、それで初めて神徳をいただくことができるのです。

そしてさらには、始めたことは止めない。貫き通す精神こそが信仰心なのですから、いったん始めたことは絶対に止めることはないのです(もちろん常識的に考えて反社会的でなく、公共の利益と福祉に反しない事柄について、言っています)。途中で止めなければ、必ず実を結ぶ時が来るのです。ですから、週に一度、必ず支部に行く。月に四度、支部に行く。年に四八回、支部に行く。これを週に二度にしてみたり、三度にしてみたりすることはあっても、いったん行き始めたなら、行かなくなるということはあり得ないのです。

そうやって、支部の都合と自分の都合をうまく合わせてみようとか、自分の家の都合と支部の都合をすりあわせてみよう等色々と工夫しているうちに、いっそう努力が要求されるようになったりします。それに合わせてさらに色々と工夫しているうちに、その姿勢が精進努力になっていったりするのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

苦しいことを抱えていて、それを誰かに相談したり打ちあけたりして心を軽くすることができない時などは、「どうして私だけがこういう目に遭うのかしら」などと考えて、恨み言を言いたくなるのが人というものです。誰でもそうですよね。

でも恨み言を口にしている時に、想念がとても明るいかというとそうではないですね。恨み言を一人でつぶやいている時に、その想念がとても良いものかというとそうではないですね。どちらかと言えば暗くて悪い想念を抱いているのではないでしょうか。

けれども、「神なる存在」を自分の考え方に取り入れて、神霊界の法則に基づいてものを判断するようになると、そんなに悪想念まみれにならなくて済むかもしれません。つまり、自分で自分を汚さなくてすむようになる、ということです。

次のような御神示があります。

「人知れず悶々と苦しむ人は、
 あがないをしているのである。
 前世のあがないとは限らない。
 今世自己の踏み違えた、
 天道のあがないが大半である。
 前世からの因縁というものは、
 大半が性の偏向にある。
 人生の苦難を経て、
 玉のごとく磨かれるのが修業である。
 それは業を修めることを云うのである。」
(御神示全集、p.403)

あがない、とは「罪のつぐないをすること。埋め合わせをすること。贖罪すること。」ですね。ですから、「人知れず苦しむような目に遭うというのは、今世自分の犯した罪の罪滅ぼしをしているんですよ」と説かれていることになります。

次ですが、「性の偏向」とはすなわち「性質の偏り」であって、「固有の気質、たちが均衡を失って偏している」ということですね。言い換えると「バランスが悪くて具合が悪い」ということです。つまり、「前世の因縁は性格の偏りとして出てくる」と説かれているのですね。

これが苦難を経ていろいろと世間を知り人を知ることで、玉のごとく磨かれる=円満になっていくのが修業なのですよ、ということですね。

性格が偏っている人ほど、自分の性格が偏っていることを自覚できないのです。なぜなら性格が歪んでいて、ものを正しく受け止めることができにくいからです。

ですから、自分のものの考え方や自分の好き嫌いのあり方に「偏り」が「必ず存在していて」、そのために、「見るべきものが見えていない、知るべきことを知ることができていない」と冷静に反省することはとても大切です。

この、「自分を冷静に省みる作業」を可能にするのが、偏りのない円満な知性と教養です。この知性と教養を得るために、偏りのない読書に努めるのです。そうすることで我見を最小限にすることが可能になり、まさに自分の偏りを自覚することができるようになっていくのです。

それ故、やはり、読書をすること、学問をすること、これが自分を救うための根源的な行動だと言えるのです。

で、話をどうして悶々と苦しむような苦労を経験させられるのか、というところに戻すと、それは「今世で自分が犯した罪の罪滅ぼしのためだ」ということですね。それと同時に、「今世の自分が持っている偏りを無くして円満な御魂になるために苦労させられているのだ」、ということでもあるわけですね。

罪滅ぼしが済んで、自分のものの考え方が改まれば、ある時突然苦労のない穏やかな日々がやってくるのです。

しかし、そのような転機が訪れるのを待っているだけでは、受身の姿勢が過ぎるというものなのです。それで、自分の時間と費用と手間暇をかけて、わざわざご奉仕をすることになるのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

悪想念を平気で出している人というのは、自分が出している念が悪想念だということに気づいていないわけです。これは本人に充分な教養が無いということであり、その教養の無さが原因で我見に陥っているのです。だから自分の心を救い人の立場と心を救うものの考え方やものの言い方ができないのです(教養が無い人ほど自分が教養が無いことを自覚していないし、言霊や想念が悪い人ほど自分の言霊や想念が悪いことを自覚できませんね)。

今回は深見東州先生の著作『絶対運』から紹介してみたいと思います。

以下引用
-----------------
 『我見』や『我』の強さ、あるいは頑固さは教養と知性のなさが原因である。己の見識、考え方は正しいかもしれないが、それだけが正しいのではない。もっとすばらしいより優れた見識があるかもしれない……。そういう視野の広さや柔軟性は学問によって培われる

『論語』にこうある。

学びて思わざれば即ち罔し。思いて学ばざれば即ち殆うし。

(まなびておもわざればすなわちくらし。おもいてまなばざればすなわちあやうし。)


 前段の意味は、『いろいろと学び知識はあって、自分で考え思わなかったら、つまり咀嚼しなかったらものの本質が見えない、知識ばかりであって内面性やものの本質に暗い。すなわち聡明でない』ということだ。

 しかし、その反対に『思いて学ばざれば即ち殆うし』である。いろいろと自分なりに思い、考えているけれども、学ぶということをしないために我見が出る。

 独善の弊害といってもいい。それが「殆うし」の言葉に象徴されている。これが後段の意味だ。

 その人物が立派で説得力があり、協調性に富んで、しかも見識があるとき、人は「我」があるとは言わない。だから「殆うくない」のである。

 頑固というのはときとして必要だが、しかし、たいてい知性と教養の厚みに欠けているために、「我」と「慢心」とがブレンドされた場合が多い。
(絶対運、p.147)
--------------------
引用ここまで

我見は、自分が正しいのだと思い込む独善につながり、別の角度から物事を見るという習慣を持たず視野が狭くなる、こういうことにつながります。

結局のところ、妄執は我見から来るのです。思い込みは教養の無さ・知性の無さによってもたらされているのです。

これを乗り越えるには、自分だけが正しいのではない、自分が知らない物事、自分が知らない事柄、自分が知らない知識、自分が経験したことがない体験、そのような、自分には思いも付かないような事柄が世の中にはたくさんあって、自分の言い分などそうした数多ある自己主張のうちのひとつでしかない。この事実を、何度も何度も自分自身に言ってきかせるしかありません。世の中にはもっと素晴らしい見識があるかもしれないのだから、といつも自分に言い聞かせながら過ごすべきなのです。そして同時に自分のものの考え方や感じ方が硬直したものにならないよう、視野の広さや考え方の柔軟性をつちかっていくために、読書をし学問をするのです。

ですから、読書をすること、学問をすること、これが自分を救うための根源的な行動なのです。

ものを学んで咀嚼力を養い、より良い想いを抱くよう心掛け、それをより良い言霊で表現してより良いお祈りをしていく、このようにしないと自分の信仰というものは深いものにはなっていかないのです。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

自分が良くなるのに、自分が良い方向に変わっていくには、実際にどういう想念を持つべきか。この点について、わざわざお話しするまでもないだろうとは思うのですが、念のために記しておきたいと思います。

「人のつみとは、
 天の理に合わざることが
 積み重なりたることなれど、
 つみかさねた自分の悪念と、
 他から送られた悪念の
 つみかさねから起きることが多い。
 故にまず自分でまいた悪念波は
 自分で刈り取る他はない。
 刈り取るには、まず妄執を捨てることである。
 次に常に明るく前向きで、
 素晴らしい想念を持ち、
 他人にも良き想いを向け
 素晴らしい念波動を送ってやる他はない。
 それが人をも
 わが身をも幸せにするすべなり。」

(御神示全集、p.181)

神霊界の法則に合わないことをする、これが積み重なったのが罪ですよ、ということなのですが、まず妄執を捨てなさい、とも説かれています。妄執とはすなわち、「迷妄から生じる執念」ということ。すなわち、「誤りを真実と思い込むことや、そうした誤った考えを持ったことの結果、一つのことに深くとらわれて、そこから心が動かなくなっている状態。」のことです。ですから妄執を捨てるとは、つまりは「自分がしがみついている誤った考え方を捨てる」ということですね。

進歩できない人、というのは「自分の考え方が誤っていることに気づけない人」なのです。

そして、妄執を捨てたらその次は、「明るく前向きで素晴らしい想念を持て」とあります。これはすなわち、以前から何度も申し上げていることですが、例えば「明るく楽しく前向きで積極的で発展的な想念を持つと良い」ということですね。なぜこうするのが良いのかというと、神界の存在は常にそういう想いで存在しているからです。

そして、そういう想いに基づいて、人と触れ合い、人と会話し、人をもてなして、人に愛情を向けるのです。なぜそうするのが良いのかというと、神界の存在が常にそうされているからです。

人に向けられた念は悪念であれ善念であれ、その人の霊体に蓄積されていきます。生きた人間から生まれ出た念なので、善なるものであれ悪なるものであれ、生霊となってその人の霊体にくっついているのです。これがくっつけられた人の運命を大きく左右する場合があるのです。だから人には善い念波を送ってあげなさいということになるのです。また、自分がどのような念波を出すのか、これが自分に返ってくるものを決めます。自分の想いの世界にふさわしく御縁が結ばれていって、自分の世界が広がっていくのです。まさに善念を出すことで自分も人も救うことができるのです(悪念であればその正反対の結果となるのですね)。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

それでは「人としての正しいあり方」というのはどういったことを指しているのでしょうか。

こうしたことについて、私などが申し上げるのは不適当かもしれないのですが、自分が心掛けていることや人から聞いたこと、私の友人・知人たちが実践していることなどをヒントにしてお話ししてみたいと思います。

例えば次のようなことを例に挙げることができます。

次のような御神示があります。

「いつも書くべし
 神のすばらしさ、この世のうるわしさ

 いつもたたえるべし
 人の美徳、その真心のわざ

 いつも喜ぶべし
 神とともなる日々、人に育まれる日々

 いつも祈るべし
 いかにすれば、自在に神を行ずることができるか

 いつも気を回すべし
 あたらしき工夫、十字の心形

 いつも覚るべし
 神は身の内
 人は神の子

 いつも慎むべし
 自分がやっているのでない
 神や人にさせてもらっているのである

 天地のゆくえは知らず
 ただ神の御言のまにまに
 只今にあり

 祈りには正しき神への礼、儀、信
 忘るるなかれその日々の節

 素の神はいのりのこえより
 その日々のますなおな身を
 たたえますなり
 
 (以下略)」

(御神示全集、p.427)

こうして読んでみると、日々の暮らしの中で持つべき心構えのようなことが書かれていることがわかります。そして「神と他人に感謝し礼節を忘れるな、素直な自分を保つこと、こうしたことが大切ですよ」ということが書かれているともわかります。

こうした、御神示録に書かれている内容そのものを理解できないということであれば、実は、それではもう論外なのです。その程度の理解力もないということであれば、この信仰そのものに縁が無いのでは、という気もいたしますが、こういう言い方で言い過ぎると傲慢に聞こえますし愛情が足りないということになってしまいますから、それで今、説明しようとしているわけですね。

自分も人も幸せにすることができる心掛け、自分も人も幸せにすることができる自分の心の運び方、自分も人も幸せにすることができる神への祈り方、こうしたことを正しく学んでいくことがまず最初に大切になってくることですよね。

そして、神なる守護がちゃんと与えてもらえるような、正しいものの考え方と正しい想念のあり方を知って、そのあり方を保てるように実践すること、これができないと、いくら形の上でいろんなことをやってみてもなかなか良くなったと実感できないのではないかと思うのです。

自分のものの考え方や自分の振る舞い方、これらが入会する以前の古い自分の時のそれと同じままなのに、入会しただけでどうして自分に良き変化が起こると思うのでしょうか。

自分の中の良い面が前に出るように心掛けて、他人の良いところを見て、取り上げて引き出していくような振る舞いを心掛けて、自分の中の良い面が出てくるような本や物事や友人・知人と触れあうように心掛けて、自分の中の良い面が出てくるような想念を持つように心掛けていく、こうした心掛けを持って実践して初めて、物事が良い方向へと回転し始めるのです。

こうしたことがすなわち

『運不運の前に、徳と劫があり、その前に善行と悪行があり、その前に良き心と悪い心があり、その前に良き念や言霊と、悪い念や言霊があり、その前に、本当の神に向かう、人としての正しいあり方があるのです』

という文章を読んで、思い至らなければならないことではないでしょうか。

具体的にどのような想念を持てばいいのか、どのような振る舞いをすればいいのか、そういったことは、深見東州先生の著作や古今東西の古典・良書に書かれている通りで私が申し上げるまでもありません。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ご神業は運を良くするためにやるのではない、という話はもう以前から深見東州先生がおっしゃっている通りです。

「運不運の前に、徳と劫があり、その前に善行と悪行があり、その前に良き心と悪い心があり、その前に良き念や言霊と、悪い念や言霊があり、その前に、本当の神に向かう、人としての正しいあり方があるのです」

という説明は何度も目にされていると思います。

人としての正しいあり方がどういうものなのか、ここが原点であり、この原点を学ぶために信仰をしているのです。

また、同時に、目に見えない世界、科学ではなかなか説明しにくい世界があって、そこに霊的真実、神霊的真実がある、ということを学んでいくことによって、神なるものをより良く知り霊的法則をより深く体得して、自分の生き方をより良いものにしていけば、副産物として先天運や後天運というものがあることを理解できるようになり、さらには理解するだけでなく、そうした先天運や後天運を改善していくことができるようになるのです。

こうした信仰と祈りの実践がもたらす生き方の向上や改善は、真実の神なる存在が降臨しているからこそ可能になる話なのであって、巷にあふれている開運法や自分を解放する考え方といった小手先の方法ではとても到達することができない世界にまで、自分をもっていくことができる可能性がこの信仰の世界には秘められているのです。

「運・不運はあくまでも結果です」と書かれているのですが、それでは結果として開運しないのはなぜか?それは一言で言うなら、「人としての正しいあり方について、正しく知らないから、即ち学びが足りないから」なのだと思います。

(つづく)

次の記事を読む→ここをクリック

↓ブログランキングの応援クリック↓
 よろしくお願いします

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ

ブログランキング
ブログランキング

tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

 | ホーム | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。