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Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

4.霊とは何か?除霊とは何か?(2)

 人は、死ねば霊界に行きます。そこで霊界人として新たなる生活を営むのです。死後の自分の意識の在り方について、正しく認識している霊が、一般に成仏霊と呼ばれる霊です。

 そして、霊界人として生きていくことについて、認識をより深いものにし、徹底した慈悲の心や現世を達観して精進努力するという、深い悟りの想いを抱くようになった霊のことを、菩薩の位に達した霊と呼びます。菩薩とは、仏道に励む釈迦の姿と同じき有り様のことをいうのです。

 さらに、菩薩の位に達した霊が、一層揺るぎない想念の持ち主となり、おのずから不動の霊格と悟りの位を持つに至れば、その霊は如来の位に達したと言えるのです。如来とは、ある程度の天地自然、法界(ほっかい)の真相を究め、霊界や現実解で衆生を救うことが可能な仏のことを言います。人を救うことが可能となるためには、最低限、自分の悟った状態(菩薩位)が変動することがあってはなりません。ですから、如来位にして、初めて人々の救済が正しくできるようになると言えるのです。

 善霊、悪霊、どちらも様々な形で人間世界に関与しています。そして、こうした霊達の善悪を決めるのは、その霊達が発する念の善し悪し次第だ、ということなのです。霊の位が高いとか低いというのも、その霊達が抱く念の種類が、文化的に高いものか低いものかによって決まるのです。尊い霊か否かはこのように定義でき、判断できることをぜひ覚えておいていただきたいと思います。

 抱いている念が一時的、刹那的な想いではなく、心底まで徹底した想いであるなら、おのずから本人の行動となって具体的に外に表現されるのが普通です。したがって、行動も、心底深い念の表れだと考えて良いでしょう。

 改心とは、心構えや想念がちょっと変化することを言うのではありません。心が本当に改まったなら、心が変わり、言葉が変わり、行いが変わるはずです。心とは、口と心と行いを含むところまで広がりをもっているものです。この広がりを、心の上部、中部、深部と言ってもよい。深いところに行くほどに、霊があり、魂があるのです。

 ワールドメイトでいうところの「救霊する」とは、実は、悪霊の抱く悪想念がおのずから改まり、霊界での生活が真に素晴らしいものになるよう、改心させることを言います。つまり、霊を改心させ、その霊がおのずから幸せな想いのみを抱くことになるよう導き、その結果、その霊を救済するわけです。悪しき想念を抱く霊が自分の間違いを自覚し、自分から正しい成仏霊となるよう導くのです。その結果、悪霊の存在は消えてしまいます。こうして救霊という営みが完成するのです。

 ですから、人は、日々自分を救霊することができますし、そのように心がけるべきなのです。そうすれば、自分の心が堕ちてしまうのを防ぐことができます。そしてまた、ワールドメイトの会員となって、悪霊を改心させる手順を正しく習得・体得すれば、他人に憑霊している悪霊をも救霊することができるにようになるのです。これが真の除霊なのです。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

4.霊とは何か?除霊とは何か? (1)

 霊とは肉体の内や外に存在すると考えられる精神的実体だと定義づけられています。人間とは肉体と霊とが一体となった存在であり、仮に霊が肉体から離れると、たとえ肉体が生命活動を行っていたにしろ、人間とは言わないのです。生物ではあるかもしれないが、それ以上の存在だとは言い難い、ということになります。そういうわけで、人間の人間たる所以(ゆえん)は霊にあると言っていいでしょう。

 人間として存在する所以とは何でしょうか。それは、想念を抱くことですね。念を抱くことが人間であることの証明になると言うことができるでしょう。しかし、想うという行為をなすのは人間だけではないようです。植物は植物なりに、動物は動物なりに、いろいろと意識があり、想うようですね。つまり、想念といっても、想念の中に、芸術観があり、学問観があり、信仰観があってこそ、初めて人間としての想念だと言えるようです。

 一言でいうなら、想いの中に文化があることが人間であることを証明する、ということでしょうか。

 この「文化」という高度な想いの部分こそが、実は神魂(しんこん)と言われるものであり、われわれ人間の中の神なる部分なのですね。人間の霊体の中に、神なる意識が存在しているわけです。

 それゆえ、芸術観もなく、学問観もなく、信仰観もない人間とは、一見見た目は同じ人間であるように見えますが、中身が少しも人間らしくない生き物、すなわち、人間の皮を被った獣であると言えるのではないでしょうか。ですから、こういう類の人間は、死後、必ず畜生道に落ちるのです。

 以上の内容を整理しますと、「人間の本質とは高級なる霊であり、人間であることを証明するのは、文化的な念を出すことができることだ」ということになります。

 ところで、霊と念とはある程度置き換えることができますよね。例えば、強い霊とは強い念を出すことができる霊であり、大いなる念で生きている人の霊体とは、大いなるものなのです。

 さて、この「念」とは、何かということを別の角度から言い直すなら、それは即ち「今、現在」の想いこそが念なのだ、ということですね。今、その人が出した想いこそがその人の今の念なのであって、したがって、今出した念こそが、その人が今置かれている霊界を表すものだと言えかえることができます。

 そして、念即ち霊だとするなら、つまり今現在の想いが霊の状態であると考えるなら、念の種類によって、霊を分類することも可能になりますね。例えば、たたり霊とは、「たたりをしてやるぞ」という念を抱いている霊だということになります。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

自分では何も問題はないと思っている自分の想念の世界が、実は偏りのあるもので、そうした偏り、すなわち歪みの陰に霊障が隠れているのです。

なぜそうなるのかというと、

「前世からの因縁というものは、
 大半が性の偏向にある。
 人生の苦難を経て、
 玉のごとく磨かれるのが修業である。
 それは業を修めることを云うのである。」
(御神示全集、p.403)

とあるように、「前世からの因縁の大半は自分の性質の偏りとして現れている」ということなのです。これをもっと平たくいうと「自分の好き嫌い」が因縁の現れだということではないでしょうか。そして「好き嫌いだらけだったもともとの性質が、苦労を経て、円満な人格となる」、すなわち一通りの苦労を経験することで性質の偏りをなくしていくことができる、こういうことでしょう。

そして、そうした性質の偏りの結果本人が悪想念を抱くことになり、バランスを欠いた行動=悪癖を取らせているのであれば、必ずその悪想念の陰に、その想念に相応しいものが憑霊しているはずなのです。

そこで、「礼節をもって行動して、形から入って行動を変えていくことで想念を変えていく」、あるいは、「心がけをもって行動して、良い習慣を確立することで想念を変えていく」、こういった方法を取ることで、自分の想いの世界を変えていくのです。すると、偏り=悪想念が正された途端に、その悪想念に加担していた霊的存在が浮き出してくる可能性があるわけです。

そういうわけで、「学びが進んだら救霊を受けるのがいいですよ」という話になるのですね。自分の歪みを自覚し反省して、行動を改めてその実践が続いていくと、まさに想念転換が完成したことになって、除霊に非常に向いた状態になるわけです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

現在、「救霊」と呼ばれているワールドメイトでの霊の救済方法は、最初からあったわけではなかったのだそうです。深見東州先生があれこれと試行錯誤された結果、神霊界の法則を押さえて、誰がやっても安心して最低ラインが保証されるように組織立ったやり方を採用して、統一された祈り方、進め方を完成されたのですね。

救霊の方法が完成されるまでは、「想念転換」といって自分の抱いている想いの世界を変えていくことで、自分に憑依している霊たちを取り除くというやり方がなされていたようです。

私たちは毎日、お互いに確認することなく、まあこんなところであれば妥当だろう、ということで、バスに乗ったり電車に乗ったり、改札口を通ったりレストランを利用したり、スーパーで買い物をしたりしているわけですが、こうした行為はおそらく、そのほとんどが両親から躾けられたことに基づいて良し悪しを自動的に判断して、やったりやめたりしているのではないかと思います。

自分が抱く感情にしても男性であれば自分の父親を無意識に真似しているはずで、例えば短気な父親がいるのなら、その息子も、自分から父親に対して懐疑的な気持ちを持つといったことがない限りは、同じように短気な振る舞いに走る場合が多いのではないでしょうか。もちろん女性であれば、自分の母親をコピーしているはずです。

この、「親の真似をして代々受け継がれてきた躾・価値観・ものの考え方」が、実は目には見えない家代々の徳分であり劫ではないかと思うことがあります。目に見える対象としての徳と劫が凝縮したものとは、例えば血液であったり、体質であったり、あるいは先祖から受け継いできた田畑や家屋敷などがその例として挙げられるでしょう。

ところが、たとえ目に見える形を持っていなくても、考え方や価値観も実は親から受け継いだもののはずです。短気な息子は、父親に心を寄せている限りは短気な振る舞いを改めようとはせず、自分の子の短気さも容認したまま生涯を終えるかもしれないのです。短気さが代々受け継がれていくわけですね。

ところが、自分のものの考え方・想い方が当然のもので、自分は短気でいいのだと思っていると、その短気さがもたらす悪い結果が見えてこないかもしれないのです。自分にとってはなじみがあって意識すらしない自分の想念の世界に実は歪みがあって、その歪みのせいでいつも短気な言動に走っているとき、人は自分の短気さのせいでいろいろと支障が起きてきてもなかなかその短気さを改めようとはしないものです。そして、この歪みの陰に、実は霊障が隠れているかもしれないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトでは、最も素晴らしい神通力とは「愛と真心」だとしています。霊能力を持っていることが素晴らしいのではありません。

巷の霊視霊感は、狐の霊や蛇神(だしん)が見せているものがほとんどで、霊能力として高次元のものだとはいえないそうです。

ワールドメイト救霊をお取り次する時には(普通にいうところの除霊をする時、ということ)、自力だけを発揮するのではなく、本当に丁寧に祈りを捧げて、原則に基づいて行いますからね。

邪霊の集団の中には、高度な霊力を表す能力を備えているものたちもいて、その場合、「表象能力」を発揮することも多いそうです。それはつまり、いろいろな姿に「化ける」ことができるということで、そうすると中途半端に霊視霊感がある人の場合、そのためにかえって騙されて、正しく救霊を取り次ぐことができなくなります。それ故、神仙に通じる、愛と真心という最高の神通力を磨き、愛と真心でしんしんと祈って、本当の神仏に動いていただいて霊を救済するのです。これは、すべて天から来た、すなわち天来の法則と方法を用いてなされるお取り次ぎなのです。

ワールドメイトでの救霊をなぜ除霊といわないのかというと、それは、巷の除霊のように霊を単に取り除いているのではないからです。一人ひとり、救霊を受けようとすると、確かに様々な怨念霊や、動物霊といった邪霊が憑いているのですが、基本的にはすべてそうした悪霊を愛と真心で言向け和(ことむけやわ)すのが救霊です。それは、自力と他力が合一して、霊たちを改心させ悟らせて、その上で本当の神仏が改心した霊たちを救うという「神法」なのです。この方法で霊を救済すると、二度と再び戻ってくることはないのです。この点が、巷の行者や霊能者が行う、行力や霊力で無理矢理にはねのける除霊とは根本的に違うところなのです。力でねじ伏せたりはじき飛ばすようなことをしないで、愛と真心という最高の神通力で霊たちを救うという、ワールドメイト救霊の優れた点なのです。

ワールドメイトの認定した救霊師は、自力、すなわち自分の霊能力や行力で霊たちに働きかけるのではないので、霊が見えたりはしないし、どこにどれだけどのように霊が救われたりしたのかについても、わからないのです。それを霊が救われる様が見えたりわかったりしないとおかしいと考えるのは、正しい霊的法則を知らないからそのように間違って思い込むのです。

救霊師を巷の霊能者と同じように考えて、霊視ができたりや霊感があるのだと勘違いして質問したりするのは止したほうがいいのです。霊的なことに不必要に興味を持って、いろいろと質問していると、尋ねるほうもそれに答えるほうも、どちらも狐霊やその他の邪霊に憑霊されて、最終的に道を誤る危険があるからです。

ですから、救霊師も、霊的な質問には一切答えないほうがいいのです。

霊が見えないまま、愛と真心を捧げて祈り、清々しくお取り次ぎをさせていただいて、救霊師も救霊を受けた人も、どちらも何もわからないまま、清々しくお取り次ぎを終えて、そのまま清々しく帰っていくというのが一番正しい救霊だと思います。

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tag : ワールドメイト 神通力 救霊 霊視 霊感 霊能者 邪霊

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

除霊とかお祓いという話を人にしてみると、霊的な知識がほとんどないのが当たり前なので、誰と話をしていても、相手は必ず、「その除霊をしてくれる人に霊能力があるんだね」という具合に考えることが多いですよね。

お取り次ぎ、という考え方を知らないのですから、しょうがないとは思います。

取り次ぎ、という言葉を辞書で調べてみると、「取り次ぐこと。またその人。」とあります。そこで、「取り次ぐこと」という言葉を再度調べてみると、「1.両者の間に立って一方から他方へ用件・意向などを伝える。2.仲立ちをする。」とあります。

しつこいですが、「仲立ち」というのをさらに調べてみると、「二者の間に立って事をとりもつこと。また、その人。」とあります。

要は、私たち会員いう「お取り次ぎ」とは「神様と会員の間に立って、神様から会員に用件・意向などを伝えること。あるいは神様と会員の間に立って神事・祈祷会・神業をとりもつこと。また、その人。」ということになるでしょうか。

これこそまさに深見東州先生がいろいろな神事や御神業の際になさっていることですね。

そして、そのお取り次ぎのやり方の原則を深見先生から学んで、さらには神様からお許しをいただいて、やっぱり「お取り次ぎ」をさせていただいているのが、救霊師や九頭龍師ですよね。

救霊師がするのは、神様と救霊の被祈願者との間を取り持つことで、被祈願者が納めた御玉串にふさわしく神様が神徳を現されますから、その神徳の現れる過程をそのまま被祈願者の目の前で再現して、実際に御神徳によって未成仏霊たちが癒され救われ、また動物霊や邪霊たちの悪影響はより小さなものにしてしまう、ということになるのですね。

よく勘違いされるのは、「救霊師に霊能力があるんだ」とか、「救霊師に霊能力がないのはおかしい」という点です。

霊能力がない人が救霊などできるはずがない、と考える人もおられるようですが、でも、ワールドメイトで正しい神様に正しく動いていただいている限り、自分の我力である霊能力など不要なのです。お取り次ぎ者に必要なものは、愛念の情感とイメージ力、それから一つも言い忘れないようにするための、丁寧な言葉遣いでの徹底的にお祈り、ですからね。

霊能力がどのようにしてもたらされるのか、それについては次回に記してみたいと思います。

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tag : ワールドメイト 深見東州 除霊 霊能力 神様

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