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Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

思い出す、思い浮かべる、ということがあるわけですが、それでは、そうした行為はどういう意味を持つのでしょうか。

思い出す時にせよ思い浮かべる時にせよ、何を想い描いているのかというと、「相手の顔かたち、姿、それからなんとなく感じている印象」ですね。こちらが強く相手のことを想い描くと、それは、実は自分の分魂が相手に飛んでいっていることになるのです。分魂が飛んでいくということはすなわちこちらから生霊を飛ばして相手にくっつけていることを意味します。それほど強くない場合であっても、想い出して電話や返答を期待して待っているという状態であれば、十分に念波が届いていますので、それはすなわち霊的なつながりが確立する、つまり霊線が結ばれることを意味します。

霊的なつながりができあがれば、こちらからの霊的な影響が先方に届くこともあれば、逆に、向こうから来る霊的な影響を受けることも考えられるのです。

したがって、自分が、「良き対象、即ちすがすがしいもの、美しくて神界や天国界を表しているもの、あるいは神様そのもの」を想い描いて、こうした対象に向けて霊線が結ばれるように思念を働かせるなら、おそらくそうした良き対象からの良き霊的影響を受けることができるでしょう。

神仏に対して祈りを捧げるということは、即ち神仏を相手に霊線を積極的に結ぶということに他ならず、だからこそ、正しい、神います神社で熱心に正しい祈りを捧げることで神徳をいただくことができる結果になるわけです。

それでは、思い浮かべる対象が悪しきものであればどうなるのでしょうか。

単刀直入に言うなら、それはすなわち悪影響を受けることに他なりません。「すがすがしくないもの、美しくないもの、下品で汚らしいもの、普通の感覚では嫌悪感を催すもの」を思い浮かべるということは、そうしたものとの間に霊線が結ばれて、自分に向けてそうしたものがもっている霊的世界が影響を与えることになるわけです。

知性と観念が先に立って、どんな価値観やどんなに屁理屈に見えることにもひとつひとつ意義がある、と考えている人の場合、素直な「感性」が鈍麻(どんま=感覚がにぶくなること)している場合があり、そのままに感覚的に良し悪しを判断できないことがあります。ところが、理屈は立たないながらも素朴に素直にいい感じ・悪い感じと感じることができる人の場合、人、物、書物、場所、食べ物などの良し悪しを素直に受け取れることがあって、それが神なるものの視点から見たときの良し悪しと一致していることがあるかもしれないのです。

実際に私たちは、自分が心酔している作家や画家、あるいは自分が応援している俳優、あるいは自分が惚れ込んでいる何ものか、こうした「相手」や「世界」から、たぶん、様々な霊的影響を受けているのです。

絶対的な神なる存在を理解し受け入れるということは、世の中に、必ず絶対的な良し悪しの尺度が存在しているのだということを認めることに他なりません。人間の理屈だけで言うなら、何事にも意義や意味があるかのように主張することは確かにできるのですが、神なる尺度から見た場合には、やはり本来の意味で有意義なものや事柄がある一方で、どう解釈を施してみても神様の目から見た場合には間違っているといったことが起きるでしょう。

どんなに理詰めでつきつめていっても、神なる存在を人間の理屈で証明することはできないのです。科学で神仏の存在を証明することは不可能なのです。そんなことを考える暇があるなら、家族・友人・知人・地域の人々・天皇陛下を始めとする日本国のすべての国民、こうした人々の幸せを祈って何かを為すほうがよほど尊いと言えるのではないでしょうか。なぜなら、それは神仏の尺度に則って考えた時に、最も神仏の想いに添う行いの一つになっているからです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

会員一人ひとりが神徳をよりいっそういただけるかどうか、そして何よりも大切な、本当に神様が降臨する神事になるのかどうか。こうしたことは、会員一人ひとりが待ち時間をどのように過ごすのかにかかっています。神業の成功不成功はどこで決まるのか、何で決まるのかというと、自分が本番までにどれだけ祈りを重ねることができたかで決まってくるようです。準備の段階から祈っていくわけですね。

どんな時も、どんな場所でも、祈りを捧げる本人の中身が極まった分だけしか神様は出てこられません。そして、神事が本当に名実ともに神事となるため、すなわち神様に来ていただくために、いろいろと準備をしているわけです。したがって、神事会場に行くために荷物をまとめたり、交通手段の手配をしたり、御玉串のことを考えたりして準備をしている時に、自分の中で御神業に向かう姿勢と覚悟をだんだんと作っていくのです。

目に見えない神様は、誠が極まって初めてやってこられます。陰で、一人ひとりが目に見えない仕込みを丁寧にするからこそ、本番で神様が降臨されるのです。神様は会員一人ひとりの内面の極まり具合を総合的に判断しておられるのですね。

人というものは、一人静かに待っている時に陰の世界が熟してくるようです。他人と大きな声でおしゃべりしていたのでは、感性と情感が高揚してくることはなかなかありません。丁寧に一つひとつ準備をして、手間暇をかけてやってきて、そして当日、会場で気が凝結する。こういうひとつひとつの段階がどれも大切です。神事に参加するときには、参加する側は待っている時間を大切にする必要があるのです。

深見東州先生がなさるのは、「目に見えない世界」をお取り次ぎされるということ。このお取り次ぎをしっかりと受け取るためには、受ける私たちも目に見えない世界を充実させることが何よりも大切です。自分たちの内面が充実しない限り、十分に神様を受けることはできないのです。

そして、自分が手間暇をかけた分だけ、自分がなした労力の分だけ神様が動いて下さいます。すなわち神様が動いた分だけ神徳を授かることができるのです。神様は絶対的に平等ですから、苦労した分はすべて報いて下さいます。こう確信することがとても大事なのです。そして確信すればするほど、本当にそのように導いて守護して下さるのです。

信仰するとはこういう確信をたくさん持って積み重ねていくことです。それはアルバイトやパートの労働ではないのですから、具体的に報われないと信仰を続けていけないというのではおかしいのです。それではただの御利益信仰ごりやくしんこうに過ぎません。

ワールドメイトで皆が取り組んでいることは何かというと、良き祈りを神仏に捧げて良き想いを結集していこう、そして具体的に神様に現れていただいて、その神なる力によって人の力だけではなし得ない奇跡を現していただき社会を良くしていこう、ということです。そして同時に、一人ひとりがより良き人として脱皮していけるよう・成長していけるよう努めていこう、そしてそうした努力の結果、より良い家庭やより良い社会がもたらされるよう社会的な貢献もしていこう、こうした面もあると言えるでしょう。人として神仏の御心にかなう生き方をしていれば、おのずから神仏の恵みももたらされるよ、ということですね。ですから、自分にこれが与えられないのはおかしい、という気持ちを持つこと自体、信仰としては違うのではないかと思うのです。

陽の残像が残っているのを静かにして、気持ちも霊体も静めるようにすると陰の世界が開いていきます。そうすると、そこからが先が、霊なるものを受け取るという段階に入っていくのです。そうして初めて、深見東州先生のお取り次ぎが始まることになるのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

今だに霊が見えるとか見えないとか、霊能力がどうのこうの、という話をする人がいらっしゃいますが、そんなことは会員には必要のないことなんですね。

この点については深見東州先生がすでに「霊能力など全く必要ない」と明確におっしゃっていて、霊能力を発揮できるのは即ち別のものの力が外に向かって表現されているのにすぎない、とはっきりと教えていただいています。

ご神示録にも

「全ての現象を霊界より見れば、
 幻であり影である。
たとえすばらしいことであっても、
 霊界に想念を向けて行うときは、
 神の御目より見給えば、
 実りあることとして受け取られることはない。
 人の生が三次元をその足場とする。
 三次元はそのままが神の世界なり。
 神心の現し世なり。宝の実の花園なり。

 全て愛より発して神に想念が行き、
 あらためてこの世で目に映るもの、
 耳に聞こゆるもの、
 肌で感ずるものが
 神のお姿であることを自覚し、
 天地を楽しみつつ、
 日々暮らすのが人の本分である。

 霊象霊的能力ことごとく神の望むところにあらず。
 ただ人が、あまりに神なり仏なりを
 不可思議なものとしてとらえるこころあり、
 その因を結びつける方便として
 使っているだけなり。
 神は仏教で言うようなむつかしいものでも、
 厳しいものでもない。
 ただ楽しく、面白く、美しく
 輝いている天の楽の元だと思われよ。
 
 中心というのは
 すみきった無心のものでなくば、
 高厳、崇貴、深遠なる神の働きや、
 姿をうかがえるものではない。」
(御神示全集 p.154)

とある通り、「霊象霊的能力ことごとく神の望むところにあらず」ということなのです。

そしてまた別のページには、

「己の意志で全てが決まる。
 霊ではない。
 人ではない。
 環境ではない。

 (以下略)」
(p.320)

とあり、自分がどのように意志を持つのか、自分が持っている目標や考え方がどのようなものなのか、これらが一番大切なのだ、ということもはっきりと書かれています。

ですから、自分が意欲が湧かなくてやる気がしないのを自分以外のもののせいにするのは間違いなのです。自分の心は自分で運んでいくしかないのです。

霊的なことをいちいち言葉に出して自分の言い訳にするのは、全く間違ったことなのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

深見東州先生のお取り次ぎによって、「血統転換」が再び行われることになりましたね。

血脈というのは、先祖先祖の、そのまたご先祖から途切れることなく連綿と続いてきたものですよね。遺伝によって、はるか昔の遠いご先祖からずーっとプラスのものもマイナスのものも、受け継がれてきたわけです。プラスのものとは例えば才能であり、マイナスのものとは例えば悪因縁が当てはまるかと思います。

血と先祖について、深見東州先生の大除霊の中では、次のように説明されています。

「本当のことをいえば、私たちの先祖代々の素質や霊は、すべてこの血の中に内包されているということなのだ。これは、恩師植松愛子先生が私におっしゃったことである。

 『私たちは、皆、先祖の代表としてこの世に出されているのです。いわば、背中に位牌を背負っているようなものです。そして、私たちの血の中にこそ、先祖代々行ってきたいいことも、悪いことも、また、才能や素質も全部ねむっているのです。だから、日常生活の中でいい想念をもち、正神界の神様からのいい波動や気をいただいていると、自然に血が清められて、先祖伝来のいい血が蘇ってくるのです。それで、いい才能やいい素質も開化するわけです。〈いのち〉っていうでしょう。〈い〉は意であり、〈の〉は納であり、〈ち〉は血なのです。先祖や神様のご意志や思いが、私たちの血の中に納まっていて、刻々に息づいているものが〈いのち〉ということになります。また、〈ち〉は〈智〉でもあって、いろいろな叡智が血液の中から出されてくるという意味でもあります。つまり、生活の智恵ともいえる本当の生きた叡智とは、いくら本を読んだって、人から話しを聞いたって、決して出てくるものではありません。やはり、実際に身体を動かして、全身の血をグルグル巡らしてはじめて湧きあがってくるものです。だから、何でも体で覚えなさい、体で表現しなさいっていうのです。それでないと、頭ばっかりよくったって、実生活では何の役にも立たない人間になりますよ。大学で勉強したことが、実社会でどれだけ役に立ちますか。本当の叡智を出したかったら、体当たりでいくしかありません。』」

この、血の中に秘められている良い要素と悪い要素のうち、悪い要素を神様のお力によって組み替えるのが、「血統転換」なのですね。

血液の中に眠る、霊的遺伝子の組み換えを行っていただけるこの「血統転換」が久しぶりにお取り次ぎされるのですから、まさに千載一遇の機会といえますよね。

それは、長い間背負い続けてきた、そしてこれからも背負い続けていかなければならない悪因縁を縮小して薄めて、悪因縁のためにあきらめてきた不運を、これを機会にして好運に切り換えていくことができる、ということなのですね。

霊界におられるご○○の霊体を、一気に○○して、霊界における環境を変え、霊界での待遇を改善していただくということですから、考えてみれば本当にすごい秘儀だといえます。

会員は、この機会にぜひ受けたいものですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 血統 半田晴久 血脈 先祖 霊界

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

最初にものごとに取り組む時の情熱ということについて、松尾芭蕉のことを記してみたいと思います。彼は次のようなことを言っていたそうです。

『つひに無能無芸にして、ただ此の一筋に繋がる』(笈の小文、から)

この言葉の前後には文章がちゃんとあるのですが、それらを踏まえて現代語に訳したものを記してみますと、

彼(=松尾芭蕉のこと)は風狂ともいえる俳諧の魅力にとりつかれて久しく、ついに俳諧で生計を立てるに至った。ある時は飽きて投げ出そうとし、ある時は進んで人に勝つことを誇り、あれこれと思い悩んで、いつも安堵できない日々を送ってきた。ある時は仕官して立身出世することも願ってみたが、結局は俳諧への執着心に妨げられ、ある時は暫く学んで自分の愚かさを悟ろうともしたけれども、やはり俳諧への執着心のために挫折を余儀なくされ、ついに無能無芸にして俳諧一筋の人生となってしまった。

といった内容になるようです。(http://www12.ocn.ne.jp/~mizutori/basyou.htmを参考にさせていただきました。)

いつもいつも俳諧に対する情熱が存在して、俳諧が忘れられず、俳諧の道を窮めたいという想いから、結局他に何も身につくことなく、俳諧しかできない自分がここにいる、という意味だと思います。

俳諧に対する情熱に動かされてきた人生だった、ということなのでしょう。そこまで情熱的に取り組むからこそ、その道一筋の人生になったわけですね。

次に、水野南北という江戸時代中期の頃の観相学の大家の人の話です。この人は節食すると運が開く、という説を唱えた人だそうですが、この人が言ったという言葉に次のようなものがあります。

ある人が水野南北が高名な人相見だというので、次のように質問した。
「私は仕事が長続きせず、職を転々としているのですが、どういう仕事が私には合っているのでしょうか?」

これに対して水野南北
「一つの仕事で十年我慢できないで、どうして大成できるでしょうか。(一つのことに打ち込んで最低十年は続けないと何をやっても自分の運を開くことはできないだろう)。」
と答えた。

この水野南北の話を踏まえて、話を松尾芭蕉に戻しますが、芭蕉が言うには、他の生き方もいろいろと考えてみたのだが、俳諧に対する情熱が抑えられず、結局は俳諧一筋の人生となってしまった、ということですね。すなわち、自ら無能無芸の道を選んで、俳諧一筋の人生を選んだ、ということですね。

つまり、何事であれ、真剣に物事を極めていきたいと考えるのなら、最低十年は腰を据えて取り組まないと、その対象の本質は見えてこない、分からない、ものにならない、ということのようです。

これしかないと思って腰を据えて取り組んできて、ただひたすらに打ち込んで十年やってくると、ある時、突然ある人がやってきて、「あなたにこれをお願いできないでしょうか」と依頼があったりする。そうしてようやく次への新しい展開が始まる。このように物事は推移していくようです。

そして、こういう状況であればこそ、次の人生の新しいテーマにうまく移行できるのでしょうが、気持ちがなかなか落ち着かないで、ああでもない、こうでもない、新しいことはないかな、と目移りして、新しいことに手を出すと、やっぱり途中で飽きてしまって、また次のことに手を出す、こういう同じことの繰り返しになってしまう。こうした人の場合は、何をやっても大成することはできないのではないでしょうか。

この十年続ける、ということについて、深見東州先生はさらに、十年を一つの単位として、陰陽太極で三十年で考えて欲しいとおっしゃったことがありました。最初の十年が陰、次の十年が陽、まとめの十年が太極、ということですね。

信仰はお稽古事と同じ、というお話しもありますし、ワールドメイトに入会された方は何はともあれ、まず十年、会員としていろいろと試行錯誤されてはいかがでしょうか。そうすれば必ず自分の因縁を越えて、徳を積むことができている新しい自分に生まれ変わっていることと思います。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 松尾芭蕉 水野南北

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

現実世界では、人から念を飛ばされ、相手にもこちらから念を出したりして、毎日が過ぎていきます。念の交換会みたいなものですね。

こちらが出す念が気負いであったり相手の競争心を刺激するような勝ち気な念である場合は、自然に相手も同じような念を出すことになり、結果として少しとげとげしいような霊界が広がってしまいます。

相手がとげとげしい想念でこちらに向かってきても、それに対して「だあいじょうぶですよ!」「きっとなんとかなりますよ!」「すばらしいですねー」と柔らかく、温かく切り返して対応していくと、こちらの包容力で相手を包むことができて、とげとげしい雰囲気にならないで済みますね。

努力の糧、魂のバネにするのに、その源が怒りの感情や競争心ばかりでは、やっぱり運気もカドが立つような、とげとげしたものになってしまいます。「何とかしてみんなに喜んでもらいたい」とか、「きっと素晴らしいものになるから、そういう素晴らしいものにしていきたいから」といったような想念で努力していく自分にを作っていくと、そこから一流への仲間入りが始まるんですよ、というようなお話を深見東州先生から聞いたような覚えがあります。

そして、ここからが肝心な話なのですが、例えば「自分が抱いている理想というのは、こういう世界なんだ」といったように、何でもかんでも言葉に出して他人に話してしまうと、相手から嫉妬されたり負けないぞと張り合う気持ちを持たれたりして、物事がうまく行かない場合が出てくる、こういうことを知っておくことが大切なんですね。

相手から嫉妬の生霊がやってきて、自分の夢と希望とロマンの世界が壊されてしまうということが起きるのです。

だから、自分が持っている理想、いい話、自分の夢といったことは、軽々しく口にしない、人に言わない、これが大切なのです。

いい話、夢と希望とロマンはいつも自分の内側に秘めておくこと。そして、それが凝結するとやがて形になって表れてきます。自分の内面が陰であり、外の世界が陽ですね。自分の内側に善なる因を抱えて、つまりいい想念を持って、日々の生活を送っていくと、ある時から必ずいい結果として結実し始めることになります。

この、内面に持ついい想念や高い理想という部分を人に口外してしまうと、「現実を知らないやつだ」という冷静で冷たい想いとか、「いつもいつも前向きで、うらやましいなあ」といったような嫉妬の念とか、「私だって負けないわよ」といった競争心の念とかをぶつけられてしまう場合があるのです。

「天機漏らすべからず」ということなのですが、内面の良き想い、尊い思い、高い理想といったものは大切に大切に秘めておいて、口にしない。人に言わない。そして嫉妬されたり競争心とかを受けないようにしていく。だから生霊を受けたりしないですむ。相手の餓鬼霊に、自分の大切な霊界を盗まれないですむのです。

だまってコツコツと実行して、仕事や努力の成果・結果をずばりと出した後にいろいろというようにすれば大丈夫なのですが、努力や理想が具体的な結果として実を結ぶ前に人にあれこれもらしてしまうと、自分が持っている福徳を盗まれてしまうのです。運気を盗られてしまうんですね。

だから、成果が形として出るまでは、大切なこと・肝心なことは口外しない、浮き浮きわくわくしていても、決して大事なことは口にしない。

この点を徹底すれば、最後のところでダメになってなかなか物事が完成しない、といったことが起きないで、物事を最後まで成就できるという人になれるんですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 生霊

深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。また、ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。

2回目の霧島神業が終わりました。深見東州先生が本当に言葉では言い表せないほどの大変意義のある事柄を明らかにされたのですね。本当にお疲れになったことかと思います。深見東州先生誠にありがとうございました。

今回深見東州先生が明らかにして下さった内容はあまりに壮大で、ちょっと普通の想像力の範囲を越えているという感じがしますが、いろいろと教わって「何事もより良く動かしていく」という心掛けとお祈りと行動、これらが本当に大事になるのかなーっていう印象を持ちました。ますます日頃の想念の状態に注意しないといけないと思いました。

ところで、神事会場でいろんなお友達と話している時に、やっぱり支部の場所って大事、それから自分の家とか部屋の場所って大事、いい加減にできないよねーっていう話になったのです。

さっき帰ってきたのですが、一休みしてから改めて深見東州先生の「大除霊」を久しぶりに読んでいたら、こんな文章がありました。

大除霊20120506A02


「…直感、概念、認識という順で、人の人生観が決まってしまう…すべての原因が『ふとした感覚』にあるのだから」

そして、続きに

「では、この良き『ふとした感覚』を生むためにはどうしたらいいのだろうか。明るく発展的な感覚にし、自分自身のご本霊を発動させるためにはどうしたらいいのだろうか。」

「まず第一が、少しでもいい土地に住むことである。」
「第二に少しでもいい人間とつきあうことである。」
「第三に少しでもいい自然の景色と気にふれることである。」
「第四に少しでもいい神気にふれることである。」
「第五に、少しでも人生を明るく前向きにする言霊の宿る、いい本を読むことである。」
「第六に少しでも美意識を高める芸術にふれることである。」
「第七に少しでもいい心と感覚を呼び起こす、色彩とムードのあるインテリアを選ぶことである。」
「第八に少しでも明るく前向きですがすがしい感覚になれるファッションを選ぶことである。」
「第九に少しでも日あたりのいい家と部屋に住むことである。」
「第十に少しでもいい念と感覚が出てくるよう、いい思いを湧かせる祈りを習慣化させることである。」
「第十一に少しでもいい感覚を人に与えるような態度、言霊、礼を行い、相手がそう思う感覚を自分にはね返らせることである。」

「このようにして自分を豊かに明るくし、意欲的で、発展的で、美しく、すばらしい世界を大切にしている人間は、ますますいい感覚といい人、いい認識、いい運気に恵まれるようになるのである。」

とあって、やはり「どこに住むのか、それが一番大切だ」と書いてあったのです。

これまでも、支部を新しく選ぶ際に、何度も場所選びの大切さを痛感してきたのですが、改めて土地の因縁というものについて考えさせられました。

引っ越しをしてから何となく落ち着かないとか、怪我が増えたとか、もめごとが続いているような気がするとか、とにかくいろいろあるなあ、なんて感じる人は、もう一度引っ越し直すほうがいいかもしれませんね。でもその時には、本当に慎重に方位と場所を選ぶようにして下さいね。

それからもう一つ、軽々しく考えてはいけないと思ったのは、この中の十一番目、一番最後ですが、

「第十一に少しでもいい感覚を人に与えるような態度、言霊、礼を行い、相手がそう思う感覚を自分にはね返らせることである。」

というものです。

実は相手の出す念、周囲からもたらされる念で、かなりの程度、運気を左右されているのではないかと思わされることがあったのです。

詳しくは次回に書きたいと思います。


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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

319合霊状態

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

天神様ってありますけど、みなさん、学問の神様ということで入試の前とかによくお祈りしに行ったりしてたと思います。

天神様というのは、ようするに神様の位の一つらしいのですが、この天神という位に達するといくつにも分身の術のように分かれて、同時に霊体を出現させることができるそうです。

最初に一本のろうそくに火を灯して、そこから次の新しいろうそくに火を分けて、次にもう一本のろうそくに火を分けて、と繰り返していくと、同じ火が、どんどんろうそくが増えて分かれていきます。これが分魂とか分け御魂とかいう時の考え方のようです。

ところが、一人一人、別々の人がいて、何人もの人が同時にいる時に、一本一本のろうそくの火がまとまって大きな火になる。つまりさっきの分けていく場合の逆なんですが、そういうことってあるのかな、と思ったのですが、実はあるんですね。

この、一人一人が寄り集まって、その霊体というか御霊が合体して大きな集合体になった状態のことを合霊状態というのです。

この合霊状態は、みんなが一つのテーマで会議をしたり、あるいは深見東州先生のお話しを聞いたりして、なるほどー!とか、そうだったのか…とか、一斉に感動した時に起きるんですね。また、団体参拝などで、みんなが一つのことを真心込めて祈る時にも起きていると思います。そして、この合霊状態が起きると神様を受け取りやすくなるのです。団体参拝では、一人で参拝すればろうそく一本ぶんの真心なのですが、三千人で参拝すれば、ろうそく三千本ぶんの真心の炎になるのです。そしてこの大きな合霊状態の炎に、神様が降りてこられて、一人一人に三千人ぶんの功徳が行き渡るのです。つまり、三千人で参拝すれば、三千杯の功徳になるのです。

話を戻しますが、三千人で祈れば、一人で祈る時の三千倍の炎の大きさになるのですが、この大きな炎が合霊状態なのです。そして、合霊状態となっている時にこそ神様が降りてこられるからこそ、団体で参拝して、団体で神事をするのです。人の真心を大きく合体させて、神様に降臨していただき、その御力によって日本の国民と国家が救われるよう、祈りを捧げるわけですね。

(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊体

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