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Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

奉仕をするのはなぜか。どうして損得を越えて、みずから自分の時間や金銭を神様の御用に捧げようとするのでしょうか。

自分の損得にとらわれず、自分の好き嫌いを乗り越えて、我を捨てて奉仕にいそしむ理由は、そうした「自我を捨てて神様の御用のお役に立つことをしたい」という姿勢が、それこそ神様、天使、菩薩と同じものだからです。自分の体を動かして奉仕をする「体施」や自分の言葉で神様のことを他人に伝えるという奉仕である「法施」をすることで徳積みができる、そしてそれが同時に御魂を一番向上させることにもなる、こうした理由があるからこそ、奉仕活動をするのです。

真心で奉仕に打ち込めば、その心と行いの誠が、神仏や守護霊に通じます。その結果が良くなるのです。

が良くなるからといって、「が良くなりたい」と念じながら形だけ奉仕をしてもが良くなるとは限らないのです。というのも、形の奥の動機が不純で打算がそこに入っているからです。

が良くなる、因縁が取れる、といった御利益(ごりやく)信仰の団体のような言い方をすると勘違いしてしまう人が出てくることでしょう。

神仏に通じる誠と、実際にが良くなるために必要な徳分、この二つが揃わないと、本当に運が良くなることは難しいのです。

したがって、本当に運が良くなるためには、いったん目の前の自分の願望をすべて棚上げにして、自分の願いは一度忘れてしまって、一心に神仏に利他の想いの祈りを捧げるということ、あるいは一心に奉仕にいそしんで我執を捨てるということ、こうした段階を通過しなければならないのです。

(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

使命感が九分九厘の時、残りの一厘とは一体何なのか?

使命感だけではストレスが溜まります。そして、使命感だけではやっていけない、続かない、ということなのです。

それでは、残りの一厘とは何かというと、それは「ロマン」だと深見東州先生はおっしゃっています。

深見東州先生が二十五歳で植松先生のもとに修業に来られてから、それまでの人生の百倍、千倍、大変な毎日が続いたそうですが、思い出してみると「幸福だった」という思い出しかない、ということです。

どうしてでしょうか。それは、深見東州先生たちが、と希望に生きておられたからなのだそうです。二十代の若い時は、と希望に生きていた、ということなのですが、それではどういうと希望だったのでしょうか。

「ミロクの世はどうなっているんだろうか」
「二十一世紀はどうなっているのかな」
「二百年後はどんなふうになっているのか」
「来年はこんなことをしてみようか。三年後はこんなことをしよう。四十歳になったらこんなふうになっていたいな」
と漠然とした未来のに生きること。そういう時は魂が浮き立って幸せなのです。

若い時だけでなく、八十歳、九十歳になっても、一生から醒めないこと。あの世はそういう夢の世界の延長線上にありますから、この世のことをあまり見過ぎてはいけないのだそうです。魂が枯れてしまうんですね。皆で語り合うと、いつか夢は叶うんですね。

深見東州先生は、使命感で押しひしがれそうになる時は、ピアノを弾いて、歌を歌い、俳句を詠み、絵を描くそうです。そうすると夢とロマンの世界に魂がいるので、使命感の重い縄で縛られていたのが切れて、若々しい柔らかい気に戻るのだそうです。神様に夢を語り、使命感の重圧をはね返すんですって。

夢というものは無理矢理作らないといけないんだよ、と深見東州先生はおっしゃっていました。そして、夢を語ったり作ったりしながら、その夢の中に入って陶酔していくことが大切なのだそうです。夢とロマンが魂の栄養なんですね。若ければ若いほど、夢がないままでは生きていけないのです。というのも、若い時は先が見えないから不安で、まるで真っ暗な夜のような状態ですが、その夜空には「可能性」という明かりがたくさんかかっているのです。それを一つずつ現実界に降ろしていくのです。歳を取ると夜が明けて、空全体が明るくなった感じで、先のことが見通せるようになりますが、その分、きらきらとした「可能性」という明かりもなくなっていくものです。

しかし、深見東州先生は今でも、可能性と夢という明かりとを次々に現実界に降ろして、同時にそれ以上に新しい夢のランプをかけ続けていらっしゃるんですね。だからキラキラとした少年のような感性が失われずに保たれているんですね。そして、この少年少女のような感性、この「妙」こそが、神界に感応するための一厘なんですね。

研鑽し、学び、使命感を確立しながら、同時に夢とロマンの力で上へ上へと上がっていくことが大切なのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 使命 ロマン

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

以前、会員の皆の前で御神業された時に、深見東州先生が次のようなお話しをされたことがありました。

「私の使命感は、神様に対する義の心、そして皆さんに対する愛情、ここから来ているのです。そして、義と愛と使命感があるからこそ、体力も頭脳も精神力も自己の限界を乗り越えていくことができるのです。また、ワールドメイトでの私の御神業というのは、自らの研鑽と自分の修業を積むことはもちろんですが、忘れてはいけないのは仕組を背負っているという点なのです。仕組みを担っているからこそ最高の神様が降臨し、直接に教えていただけるのです。さらに言うなら、その神様が託しておられる使命というものがあり、その使命をやり遂げるためには学問、勉強が必要なのです。」

深見東州先生は、15歳で神様の道に志し、25歳で数人の仲間とともに植松先生のもとに修業に来られたわけですが、使命感があり、皆への愛情があり、その奥に透徹した信仰心をお持ちだったからこそ、使命を遂行できる自分になろうと研鑽され、皆のために様々な苦労を忍耐してくることができたのでしょう。そういう深見東州先生だからこそ、その言霊の御稜威も霊力も祈りの集中力も、普通の人の百倍、千倍と磨かれたのでしょう。

菩薩や如来といった位の御仏たち、エンゼルたち、こうした神様のお使いの方たちの修業とは、ご奉仕が基本となるそうです。皆のために、自然に、抵抗なく体が動く。使命感に燃え、かつ喜んでご奉仕するのでないと、本当のご奉仕にはなりません。死後、霊界に行った後も同じ修業が続いていくのですから、生きているうちからそういう境地にあった人は、亡くなるとすぐに菩薩や如来になることができます。

しかし、使命感というのは九分九厘なのだそうです。それなら、最後の一厘とは一体何なのでしょうか?

(次回に続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 使命感 仕組 神様 言霊

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