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ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

619の続きです。寄付玉串とは料金ではありません。ですから、納める時の境地が非常に大切です。どういう心持ちでお金を扱っているのか、この点がとても大切になります。それでは玉串料・供養料の金額を決める時の目安というものはあるのでしょうか。

深見東州先生の「神霊界」には以下のように記されています。

以下引用。

「一般に、神社、仏閣や宗教団体などで、玉串料や供養料、献金を行う場合、どれくらいが適当であるかについて述べてみたい。ひと言でいえば、自分なりに『ちょっと痛いな』と感じるぐらいが適切なのである。楽すぎても、苦しすぎてもよくないのである」

「要は、いかに誠がこもるために、自分自身が真剣になれるかである。だから、『ちょっと痛い』ぐらいが適切なのである。」

「かつて、私が、ワールド・チャリティー・ファンドをつくって、チャリティ講演会をしたとき、御玉串料に一円玉が一枚ポッキリ入っていたことがある。本人にとってみれば、ジョークのつもりであろうが、その一円玉に残る気を審神してみたら、

『何をいっているのだ。気持ちさえあれば、一円だってないよりはましなのだ。気持ちなのだ。ゼロよりは一円のほうがいい。一円でもあるほうがいいと思うがいい』

というものであった。

これに対し、黄金まばゆい三千五百円があった。そのお金に残る気は、

『今、財布には四千円しか残っていないが、電車代とバス代を残せば、三千五百円を献金できる。これをさせていただこう。役立てていただこう。神様に……』

というものであった。一万円札もあった中で、この三千五百円が最高であり、一円玉を出した人の五万円ぐらいの値打ちに匹敵していたのである。」

引用おわり。

このように前向きに真心がこもる金額を無理なく出せばいいわけですね。これは人によって当然尺度が違いますし、だからこそ出せる金額も違ってきます。ですから他人と比較する必要はないのです。また、自分の真心の極まり次第で、その値打ちを五倍、十倍にすることができるのです。神様に向けて祈りを捧げながら納めることで、結局は何倍にもなって自分に返ってくることにもなるのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

寄付玉串とは料金ではありません。ですから、納める時の境地が非常に大切です。どういう心持ちでお金を扱っているのか、この点がとても大切になります。払えばいいというものではないのです。

深見東州先生の「神霊界」には以下のように記されています。

以下引用。

「誠とは、形に出して真となり、形に真がこもって誠が完成するという、日本神界の法則があることだ。だから、真に意義を見出されたときのみご参加下さい。」

「そして、その際は、ワールドメイトのためでも、深見東州や植松愛子のためにするものでもなく、神様に捧げるおつもりでしていただきたいのである。」

「そうしてなさったお金は、即座に黄金色に輝き、神霊界に貯金する御玉串になるからであります。」

「お金とは恐ろしいものだが、真に運用する心の準備と誠の道を知れば、人を動かし、物を動かし、神霊世界をも動かすものであることを知っていただきたい。」

「是非、そのようにして向かわなければ、お金が単なるお金となり、神霊的にみれば至極もったいないことであるといわざるを得ない。」

引用おわり。

ということで、御玉串は「神様に捧げるおつもりでしていただきたい」とあるのです。自分が神仏というものを本当に信じて、その神様に対してみずからの誠の想いから、自分の中の本物の信仰心から捧げた御玉串であったなら、決して後悔することはないでしょう。すべて神様にお任せいたしますから、という姿勢でお供えした御玉串であれば、返して欲しいなどということは考えつくはずがないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

寄付玉串は喜捨するものですから、値引きなど論外なのですが、それでもいろいろな金額を見れば、高いと思ったり安いと思ったり、人によっていろいろな感想をお持ちのことと思います。また、神様事をするのにお金を取るなどおかしいと主張する方もいらっしゃいますが、これも実は一個人の欲求や要求に応えるために無料で何かをするほうがよほど歪んでいるし、無料でそうした要求に応えたからといって望ましい結果をもたらすことはないのだと知れば、自分の主張が世間知らずだとわかるはずなのです。

深見東州先生の「神霊界」には以下のように記されています。

以下、引用。

「他人様の貴重な時間をさいてもらって、一身上のことに、霊的にも現世的にも明解な答えをいただくのだから、当然、ご神霊に対しても、その人の時間拘束に対しても、充分なお金を出します。いや出させていただきます。また、除霊にしても、生涯に一度か二度のことでしょう。本当は、神徳を積む程に御魂が清浄化するので、霊障が浮き出てきます。だから、救霊は何度もやったほうがいいのです。」

「ところで、生涯に一度といえば結婚式、葬式、入学式……。結婚式、葬式なら、当然の如く、数百万円のお金を出す人が……。また、病気で入院すれば、入院費はどれだけかさみますか……。それなのに、生涯一度きりかもしれない除霊で、病気が劇的に改善し、急に家運もよくなっていながら、『除霊や相談の三万円は高い』とは、いったい人間の金銭感覚はどうなっているのですか」

引用、終わり。

何事であれ具体的な形の無いものに対して金銭を支払わねばならないという時に、「値段を安くして欲しい」、「この金額では高すぎる」と主張する人にまともな人がいた試しがありません。寄付をするのがイヤなら、受けなければいいだけのことです。誘われたからといって、無理をしてまでもその誘いに応じる必要はありません。

そもそも、寄付玉串とは何度も申し上げているように料金ではないのですから、納める時の境地がとても大切になってくるのです。どういう心持ちでお金を扱っているのか、この点がとても大切になってくるのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

先日、「対価(=労力・財物などを人に提供した報酬として受け取る財産上の利益)をもらう」ということに関して、面白い話を聞きました。ネット上で見かけた話なので、もちろん既にご自身でご覧になった方もいらっしゃるでしょうが、こちらでも紹介してみたいと思います。

あるところに、イラストレーターの仕事をしている男性がいました。最近、その男性のクライアントの一人が、「実際に仕事をしているところを見たい」と言ってきたのだそうで、そこでそのイラストレーターの彼は、実際に仕事場にクライアントを招き入れて、自分が描いているところを見せたそうです。

すると、そのクライアントが、「こんなに簡単に描いているならもっと安い金額でいいよね」と言い出したということなのです。どのくらいの金額を希望しているのだろうかと思ってそのイラストレーターが尋ねたところ、「一枚につき2,000円で」と言うので、イラストレーターは、「その値段ではどこへ頼みに行っても引き受けてくれるプロはいないから、自分で描いたほうが早いですよ」と返事をしたのでした。すると、「俺は絵が描けないから」とクライアントが言い返します。イラストレーターの彼は、「今は描けなくても、絵は練習すれば描けるようになりますよ」と諭すように言葉を返しました。

すると、なんということか、そのクライアントがバカなことを言うなとでも言いたげな、あきれたような表情をしながら、次のように言い返したのでした。「描けるようになるまでにどれだけの時間と労力と金がかかると思っているんだ?」

以上のようなお話しを人づてに聞いたので、ご紹介してみました。

自分が玉串を納める時に、誰に対して何のためにその金銭を納めているのか、わかっていますか?その寄付玉串はどういう意味を持つお金なのか、ちゃんと理解できていますか?

寄付玉串は料金(=物品の使用や制度の利用などに対して払う金銭)ではないので、何かに対する対価として払うものではないのです。自分から喜んで納めさせていただく喜捨(=寺社や困っている人に、進んで金品を寄付すること)なのです。

(上記の話の引用元はこちらです→ http://line.udama.jp/archives/884 )

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

あなたが寄付玉串を納めるという時に、誰に対して何のためのお金を納めているのか、理解されているでしょうか。

金銭を支払えば、それに見合った分、こちらの要求に応えてサービスを提供してくれるのは「サービス業」です。この時支払う金銭は「受講料」とか「代金」とか「利用料」といった名前で呼ばれますが、要するに料金ですね。サービスを受けて、その代償として料金を払うわけですね。

しかし宗教はサービス業ではありませんので、金銭のやりとりに料金に類するものは一切存在しません。宗教団体では神仏を崇敬し、神仏と同じ心で生きることができるよう学んで実践し、寄付(喜捨)をして、その結果として徳積み・劫祓いが可能となります。そしてそれを積み重ねていきます。この徳積みと劫祓いが長く続いていくと、いよいよ神徳・仏徳も満ちてくるところとなって、なんとなく毎日の生活において物事の歯車がうまく回るような感じになってくるのです。

会員になってすぐに証が具体的に実感できる方の多くは、ワールドメイトに入会される以前に他の宗教団体でいろいろと試行錯誤され苦労を重ねてこられた方ではないでしょうか。ワールドメイトに巡り会うまでに、徳積みと劫祓いがいくらかは済んでいるという人達でありましょう。

会員になってもなかなか証が感じられないという方とお話しすると、これまで宗教をしたことはなくて、ワールドメイトに入会して初めて「お祈り」とか「ご奉仕」といった単語を知ったとおっしゃる方が多いですね。こういう人の場合、なかなかすぐには具体的な証が出ないかもしれません。

というのも、以前から徳積み・劫祓いをなさっている方であれば、おそらく、積み上がった徳がもうコップが溢れる直前まで注がれたお水のように蓄えられていて、いよいよ入会後の体行奉仕や寄付玉串の入金などで溢れ出ることになるのでしょう。この溢れ出た部分が具体的に形を取って証となるのではないかと思います。

しかし、徳積みが始まったばかり、劫祓いが始まったばかり、こういう方であれば、コップに水を注ぎ始めたばかりということですから、コップが満ちて水が溢れ出るにはまだまだ時間と手間暇がかかるわけですね。

神徳を実感するには、徳を積む、劫を祓う、この二つをセットで同時に行っていくことがとても大切です。その具体的な方法として手っ取り早いのはやはり「物施」なのです。なぜなら、自分の時間を使い手間暇をかけて稼いだお給料、これはまさに自分の命で作ったお金であり、これを真心をもって神仏に差し出すことは、まさに命がけで信仰することになるからです。そうしたお金で徳積みをするよりもご奉仕のほうがいいという人ももちろんいらっしゃいます。体施でも
もちろん徳積みになりますよね。

しかし、やはり物施をすることができるということは、それだけ本人にすでに徳が備わっているということなのです。それだけのお金を動かすことができるからこそ、そうした金銭での寄付も可能となるわけですからね。

このお金の扱い方について、お金の支払い方について、面白い話を聞きましたのでこの後紹介してみたいと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

玉串に関して、深見東州先生の「神霊界」に説明がありますので、そちらをご紹介したいと思います。

引用ここから---------

 ところで、全ての行事に参加される方にお願いしたいことがある。

 それは、誠とは形に出して真となり、形に真がこもって誠が完成するという、日本神界の法則があることだ。だから、真に意義を見出されたときのみご参加下さい。

 そして、その際は、ワールドメイトのためでも、深見東州や植松先生のためにするものでもなく、神様に捧げるおつもりでしていただきたいのである。

 そうしてなさったお金は、即座に黄金に輝き、神霊界に貯金する御玉串になるからである。

 お金とは恐ろしいものだが、真に運用する心の準備と誠の道を知れば、人を動かし、物を動かし、神霊世界をも動かすものであることを知っていただきたい。

 ぜひ、そのようにして向かわなければ、お金が単なるお金となり、神霊的にみれば至極もったいないことであるといわざるを得ない。

引用ここまで----------

ここで深見東州先生がおっしゃっていることをくどく繰り返してみますが、まず最初に、「真に意義を見出されたときのみご参加下さい」とあります。意義が見出せないなら、参加なさらないで下さい、ということですね。神事にせよ、神法にせよ、必ず何のためにそれが執り行われるのか、そして参加者はどのように祈るべきなのか、必ず説明されているのです。そうした解説を丁寧に読んで意義を理解することなく、せっかちに結果だけを求めて参加してはいけません。そのままではいつか必ず証しが出なくなる時がやってくるかもしれないからです。

そうした神事を行う理由、そうした神法が世に出る理由というのがちゃんとあって、その意味が理解できないまま参加するのでは、極論を言うならパチンコをするのと変わらなくなってしまいます。別の言い方をするなら「おかげ信心そのもの」ということですね。

神事・神法が執り行われる背景や、神事・神法そのものが持つ意義・意味を理解して、相応しく誠の祈りを捧げてこそ、始めて参加する準備ができたと言えるでしょう。

そして、誠の祈りというのは、「どうかお金が儲かりますように」とか、「どうか志望校に合格しますように」といった、誰もがつぶやくセリフとは全く異なるものなのだということをよくよくわきまえていなければなりません。

自分の情熱と言葉で、神仏に届く祈りを捧げることができないなら、神仏が動くことはないのです。祈り方がわからないままでは証しは出ない場合が多いのです。

正しい祈り方を体得した上で、正しい玉串の納め方を実践し、ぜひとも証しを体験していただきたいと思います。

玉串料は料金ではありません。玉串とは人や団体に対して支払うものではありません。神徳を授けてくれるのは神様仏様なのです。

(つづく)

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tag : 深見東州 ワールドメイト

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

ワールドメイトの寄付玉串の金額が高すぎる、というお話しをされる方がありましたので、ちょっとお話しを聞いてみました。

そうしたら、その方は、何か神事や祈祷会がある時には一番低い式階か、だいたい5,000円の式階を申し込むようにしていたということでした。

つまり、一番下の式階の申し込みがほとんどだったということなのです。

それなら、とりたてて高いとは言えないと思うのですが、ご本人はそれでもまだ「値段が高い」と言っておられました。

そこで、玉串や寄付について深見東州先生がこんなふうにおっしゃっていたことを思い出しました。

「どんな人でも、自分が純粋にお祈りして、誠を捧げます、といって純粋に捧げた玉串や寄付は、どんな神社仏閣やグループに向けてしたものであったとしても、絶対に後から悔やんだり惜しいと思ったり嘆いたりしてはいけないのです。

というのは、たとえ寄付した相手が偽物だったり、詐欺だったりしたとしても、自分がその時真心から出したお金は、霊界では光り輝く黄金色の誠となっていて、ちゃんと神様にその誠意が届いているからなのです。そして、あなたの誠が届いた証として、神様は、仏の姿となって顕現したり、またはあなたの先祖霊を派遣したりして、あなたの劫を帳消しにし、あなたの徳として徳分を添えてくれたりしているのです。

あなたが純粋な真心で神仏に捧げた玉串や寄付、また時間や労力やエネルギーは、全て、宇宙のス神の受け取るところとなっているのです。宗門宗派や、何にお金を出したのかは関係ないのです。

神仏のためにと思って捧げた、体施、物施、法施は、大宇宙根源のス神が、ことごとく誠として受け取っておられるのです。そして、自分の魂も、また私たちを守護して下さっている守護霊団も、その事実を自覚し、認識しているのです。」

深見東州先生はこうおっしゃっていました。

ですから、自分が本当に誠を捧げて実行したことは、決して無駄にはなっていないと確信することが大切です。それが信仰心の一つの現れです。自分の為した善行や善徳を嘆いてはいけないんですね。

私が思うには、たとえ、自分がかつて所属していた宗教団体の教祖が今さっき逮捕されたとしても、自分が真心で為した善行を嘆いてはいけないのだと思います。その寄付が、真実の神様に向けて捧げたものなら、それは真実の神徳になって、あなたに返ってきているからです。ところが形の上で「教祖が逮捕された」せいで、自分に起きつつある霊的な真実(=真心から出した寄付が自分の神徳となっていること)に気づかないまま「ダマされたのか!」と嘆いてしまうと、自分で自分の善徳を踏みにじり、帳消しにしてしまうことになるのです。これほど馬鹿馬鹿しいことが他にあるでしょうか。

ですから、繰り返しになりますが、あなたが、お蔭を期待してではなく、「どうかこのご寄付が、世のため人のため、神様のために役立ちますように」と祈って、真心の現れとしてその寄付を出したのなら、必ずその誠は神様に届いていますから、神徳が授かっていることを微塵も疑うことなく確信することが大切なのです。

ところで、話を戻しますが、金額が高すぎると感じられてどうしても抵抗があるなら、やっぱり無理に申し込みされるのはやめたほうがいいですよね。

全然強制的なものではないんだから、無理に参加するのはやめたほうがいいですね。

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