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ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

一見外に現れた行動を見ると努力しているように見える場合であっても、どんどん自分で悪因縁を作り続けている場合があるのです。自分の頭の中、自分の想い描く世界が善なるもの、良きものになっていない場合ですね。

頭の中で何を想い描いているのか、何を連想しているのか、それによって、その人の霊界が決まってくるのですね。明るい未来、楽しい未来、明るい夢、発展的な将来といったものを想い描いていれば、その人の霊界は明るいものになりますよね。

言葉と行いは一見丁寧で言われた通りに素直にやっているのですが、本人が良き映像世界を想い描くことなく、気持ちも頭の中の映像の世界も暗いまま、執着心に満ちたままでやっていたのでは、なかなか人に喜ばれる結果にならないかもしれません。頭の中で悪因を作っていて、善因を作っていないから、運気が改善されないのです。

「人もよかれ、自分もよかれ」という映像をありありと想い描いて、そこに真心のこもった想念を乗せて、その上で振る舞うことが大切なのですね。

 頭の中にいい画像を作っていく。「人も良くなっている。自分も良くなっている。もうみんながすでに良くなってしまった」という映像をいつも想い描いている人というのが、頭の中に善因を作っている人だということなんですね。

(つづく)

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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

自分の想いが向かう対象によってどのような違いが生まれてくるのか、「一念の自己管理」について、参考になる内容が「絶対運」に著されていますので、改めて見てみたいと思います。

引用ここから------------------

「霊的な能力を持っている人と接するときには、少々気をつける必要がある。」

「へたをすると自分のせっかくの運を悪くする可能性があるからだ。とくに、霊能力を使って商売をしている場合、たとえそれが宗教家であっても同じである。」

「~~マイナスの霊の波動は粗雑であり、その粗い分だけ余計にはっきり見えたり、感じられたりする。その結果、霊能者はつねにマイナスの波動を持つグロテスクで邪な存在と交流をしていることになる。たえず醜悪なものと対面しているから、どうしても彼の注意はそちらに向けられる。そしてマイナスの波動をつねに浴びているうちに、醜悪な面ばかりを引き出し拡大してしまうクセがついてしまう。」

引用ここまで------------------
 
 基本的に、霊能者は悪霊にはなじみやすく、高貴な霊と交流することができる人は少ないのです。さらに言うなら神霊と交流できる霊能者はまず存在しないでしょう。霊と交流するから霊能者なのであって、霊であっても神様であっても、その霊能者の生き様に相応しい霊や神仏しか来ないからです。

 ですから、霊能者は結局低い霊界、いやな霊界、いやな霊のことしか見えないことが多い。したがって、そういういやな世界、いやな霊のことばかりに意識が向くので、結局そういういやな霊の話を聞かされることが多くなるのです。そうすると、こちらの意識もマイナスの要素ばかりを意識するようになってしまいます。

 すると自分の中からも、マイナスなものばかりが出てくるようになるのです。外から悪いものがやってきて、それに呼応して自分の内側からも悪因縁が出てきてしまうのです。これでは元も子もなくなってしまいます。

 深見東州先生が何度もおっしゃるように、よき想い・よき言霊だけを発するように心がけ、決して悪しき想いを言葉にしたり、行動にしたりしてはいけないのです。

 絶対運には続いて次のようにあります。

引用ここから----------------

「欠点以上に長所や美徳を引き伸ばし、その善なる方向に全神経を傾けさえすれば、その人物のパーソナリティを一層優れたものにすることができるはず~」

「プラスの明るい面ばかり見る努力をしていると、霊界が変化していく。そうするとお互いにプラスの面ばかりを強調し合うようになり、当然運気も急上昇する。」

「霊能力によって霊界のマイナス面しか見ることのできない人は、たとえそれがどんな教団の教祖であろうとも、いかなる団体に属していようと、真に人を幸福に導いていくことはできない。」

引用ここまで----------------

どんなに白々しくても、本当のことを言う必要はないのです。わざわざ悪い部分に意識を向けさせる必要はありません。

また、あなたが本当のことを知りたいなら、他人から聞こうとするよりも、自分の守護霊に向かって祈るほうがいいかもしれませんね。

自分の想いを野放図に(=思うままに、勝手気ままに)垂れ流して、その想いに浸っているのでは、動物と同じなのです。自分の想いを管理して、前向きで発展的な想いのみが本当の自分が出しているものだといつも自分に言い聞かせることで、ようやく自分の悪因縁を封じることができるようになるのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

「一念の自己管理」の具体的な方法として、「宇宙からの強運」には次のように記されています。

引用ここから------------------

「例えば、何か嫌なことがあった時、誰かを恨むのではなく、『ああ、これでまた一つ自分の劫が消えた。よかった、よかった』と思うようにする。あるいは、『本当はもっと不幸な目に遭うかもしれなかったのを、神様がこの程度で済まれてくれたんだろうな。ありがたい、ありがたい』と喜ぶようにする。その良い念が、良い運気と引き合って、良い守護霊の加護を強くする。マイナスの想いを媒介にして、不幸にしてやろうと思っていた邪霊も、『あらっ?』ということで近寄れなくなる。」

「これが『一念の自己管理』というものであり、天台宗を大成した中国の智顗が説いた『一念三千』の教えを、日常生活の中で活かせる応用形といえる。まさに、今現在出す一念が、三千大三千世界をかけ巡り、その念の種類にあわせて、自分の魂が天国界にも地獄界にも感応するのだ。つまり、『ただ今』の一念こそが、善悪正邪、天国地獄の分水嶺となっているのだ。それを知れば、マイナスの『想い』を後生大事に抱えていることが、いかに馬鹿馬鹿しいことかわかるだろう。」

「だから、~、マイナスの想いをプラスに変える考え方の工夫というのは、単純なようで実に大きな強運のコツだということだ。」

引用ここまで------------------

自分の中にマイナスの想念が生まれても、それをそのまま口に出すのはよしたほうがいいのです。口に出して、具体的に言葉にして言ってしまうと、それによってその世界が具体化してしまうのです。

だから、口に出す時には必ず、無理矢理にでも『業が祓われたに違いない。ありがとうございます』と言うようにするのです。必ずそうするように習慣づけておけば、自分の魂を自分で地獄界に落とすことなく済むのです。どんな時にもどこにいる時でも、必ず言い直して、思い直すようにするのです。こうすることで、自分の魂が守られるのです。

ですから、自分の感情に素直になって何でも言えばいいわけではなく、明るく楽しく前向きな時だけ、その気持ちを言葉にして自分に言い聞かせればいいのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

私の知り合いにとても短気な女性がいます。その人は、思ったことをすぐ口に出してしまうんですね。また、何か嫌なことがあると、すぐに腹を立てて怒り出してしまうのです。

ところが、皆様もご存じのように、心はコロコロと変わります。

深見東州先生の「宇宙からの強運」に、次のように書かれています。

引用ここから--------

「自分の考えは絶対だ、そう簡単に変えられないと普通は思っているが、そんなことはない。それは思い込みである。考え方なんていくらでもあるし、自分でいくらでも変えていくことができる。考え方なんて、自分でクリエイトしていったらいいのだ。

『私はこうだと思うんだけど』というのは、その『思い』にやられている。その『思い』があきらかにマイナスなものでも、『自分の思いなのだから大切にしなければ』と思うのか、その情感に浸っていたりする。しかし、自分の思いなんてどうでもいいのだ。なぜなら思いなんて、絶えず変わるものだから。

 いいものを見たら、気持ちがよくて幸せな気分になるし、嫌なものを見たら気が沈んだり、腹が立ったりする。寒い時や空腹の時は弱気になりやすいし、暑い時はやる気をなくしやすいものだ。美人を見たら元気が出るし、失恋したらドカーンと落ち込む。

 想い、それはその時々見たり聞いたりしたもの、五感で感じたものにいつも影響されて、コロコロ変わるものなのだ。コロコロ変わるから心(こころ)というのだが。

 同じように、考え方というのも絶対的なものではなく、五感で感じるものによっていつも影響を受けている。あるいは、その時々の想いを合理化して言葉で説明することを『考えること』だと勘違いしている場合さえある。だが、考え方をちょっと工夫すれば、想いなんて案外簡単に変えることができるのだ。

 だから、マイナスの想いが出た場合には、プラスの考え方を無理にでもひねり出して、『これがいいんだ』と思えばいいのである。」

引用ここまで-----------------

自分の考えていることについて、ぼんやりと自分で良し悪しを判断しようとしてもあまり意味はありません。自分だけで自分の考えていることの良し悪しを考えても「自家中毒」のようなもので、正しい結論に至るのは難しいでしょう。

自分よりも優れた人、自分よりも運の良い人、こうした人のものの見方や考え方を取り入れて初めて、自分にとって何が良く何が悪いのかがはっきりしてくるのではないかと思います。

さらに言えば、優れた人達が、その考え方や判断の仕方の根拠としている「より良き考え方=天地の法則」を学んで、「より良い考え方」を自分でもできるようにすればいいのです。

そうした天地の法則の中の一つに、「一念の自己管理」があるわけです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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「これを知る者はこれを好む者にしかず。これを好む者はこれを楽しむ者にしかず。」(子曰、知之者不如好之者、好之者不如楽之者、)という言葉がありまして、正しくは、

「子の曰わく、
これを知る者はこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」
というふうに読むということなんですね。

その意味はというと、
「先生がおっしゃった。
「道を志すことにおいて、ただ知っているというだけの人は、
それを好きな人には及ばない。
それを好きな人も、それを楽しむ人には及ばない」」
となる、ということなのです。

深見東州先生から以前聞いた時におっしゃったのは、「目標を立ててもその取り組みが義務感でやることに終始するのなら、おそらく長続きしないでしょう。長続きさせて、同時に結果も出していく、ということなら絶対に楽しむことが大切です」ということでした。そして、義務感とか面倒くさいとかしんどいとか疲れたといったマイナスの感情など完全に忘れきって、自分が精進努力していることに没入して、自分が何をやっているのかわからないくらいに没入して、それでなおかつ楽しい、楽しい、といった感覚にある時、これがどうやら三昧(ざんまい)の境地にあるということらしいですね。

この三昧の境地にすぐに没入できる、というふうになってくると、普通に手間暇や苦労が必要となるようなことでも人間がやってできることであれば、どんどん取り組んでいくことが可能になるようです。深見東州先生は、自分が若い時にした新聞配達をやっていた時に、この三昧の境地を実感したことがある、とおっしゃっていましたが、物事を成就する、成し遂げていくという時に、この三昧の境地というものと没入感というもの、こうした要素がとても大切になってくるように思います。

義務感で物事に取り組んでも、なかなかこの三昧の境地に至るのは難しいのではないでしょうか。しかし、取り組む対象が自分の好きな事柄であれば、より没入しやすいのではないでしょうか。ですから、もう何事か成し遂げようというのであれば、それを無理矢理好きになるしかないよね、という結論なのです。

逆に、どうしても好きになれない、というのであれば胃潰瘍になる前に諦めたほうがいいかもしれませんね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 守護霊

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

私の職場は都心から少し離れたところで、何回か電車を乗り換えてたどり着く駅、その駅から歩いて四、五分のところにあるのですが、その私の職場の私の所属している部署の隣の部署、にある男性社員がいます。

この人がいつも私の顔を見ると、「あれがこうでおかしい、これがああなのは間違っていると思う、あの人がそんなことをするのは要領が悪くていらいらさせられる、私にこんなことをさせるなんて云々」ということで、いつもいつも不平不満というか、他人の批判というか、まあ一言で言えば「文句」を言っているわけです。最近そういう種類の人に会うといつも思い出すのが次の御神示です。

「自分の気持ちは
 自分でしか始末できないものである。
 その気持ちを常に最高度に保つ工夫が必要で、
 それを行ずるのが人生の創造者と称せられる。
 幸福というのは
 そのようにして得られるものなり。
 幸福は常に創り上げねば、
 すぐ色あせるものなり。」
(御神示全集、p.176)

先の男性は、自分の気持ちは自分で始末しなければならないものなのだ、ということ知らないのですね。また、自分でしか始末できないのだ、ということも知らないのです。自分の抱える想念をいかにして感謝と進歩のみにしてしまうのか、これが人生の修業の本質なのですが、それを知らないで、気の向いたまま、自分の感情のままに心が流されてしまって、言いたいことをいつもそのまま口にしてしまっているわけです。

しかし、それではこの御神示にあるように、幸福を得ることはできないのです。気持ちを常に最高度に保つ工夫をし続けること、これが自分で自分の人生を創り出すということですからね。

私としては、させていただけて有り難いことじゃないですか、と言いたいところなんですけれども、そんなことは全然聞いてくれそうにありません。最後はやっぱり、お隣の部署の人達全員の百円形代を書いて、お祈りさせていただくしかなかったのでした。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

先日、深見東州先生の「神霊界」を読み直していたところ、次のところが目に留まりました。


「人欲を捨てて聖人に至れば『良知』が自ずから現れる。この『良知』は普通の知ではない。聖人のみが持つ知であり、全て理にかなう方向を示す知である。それゆえ、『良知』に従って生きるならば、いわゆる達人、聖人の生き方ができる」…

……「座禅なんかしたって、それだけで聖人にはなれっこない。瞑想したくらいで聖人になれるなら、これほどやさしいことはない。本当の修行とは日常生活の中で行うものなのだ」

つまり、役人は役人という仕事の上において人欲をなくし、教育者は教育者という仕事の上において、本来の良知を出す修行をしなければならないのだ。このように、日々の生活や仕事の中で人欲をなくし、聖人になる修行をしなければならないと、王陽明は説いたのである。そして彼は、こうした日常生活の中での修行を「事上錬磨」と呼び、これこそが最も大切であると主張したのである。……

王陽明は、山の中での修行は本当ではないという。深山幽谷で瞑想にふけっても、あるいは滝に打たれ断食しても、日常生活に戻ったとたんに欲望にかられたり、みだらな妄想にかられたとしたら、何の意味もないではないか。それより、日常生活の中で欲望を捨てるほうが、はるかに困難ではないか-このように、王陽明は説いたのである。曰く、「山中の賊を征するは易く、心中の賊を征するは難し」と。……



この部分というかこの本そのものをもう何度も読んでいるので、この内容を知らないわけではないのですが、「知っている」ことと「実際にやって、やり抜いた。貫徹した」ということとの間には大きなへだたりがあるんですよね。

だって、街を歩いていてちょっと美味しそうなケーキ屋さんがあると、立ち止まって見てみないではいられないじゃないですか。それで美味しそうなケーキの新作が売り出されていたりしたら、食べてみないわけにはいかないんですよね~

それで、こういうことを何度も繰り返していると、「今年こそやせる!スリムになる!」って何度発願してみても、どうしても目標を達成できなくて無残な結果に終わってしまうのです…

日常生活の中で、その時々に出会ういろいろな誘惑や出来事によって、一見静かに保たれていた自分の想念がいとも簡単に揺り動かされてしまう…本当によくあることですよね。

「事上錬磨」と言葉で言うのは簡単ですけど、いざやってみるとなかなか大変だなっていつも思います。みなさんはどうですか?

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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身の内の狸、身の内の狐、ときたら、次は身の内のなんです。

は、空を飛んだり、雄々しく走り出したり、飛び越えていったり、ということは普通はないですよね(インドのほうに見たことない種類のでそんなのがいたりして…)。

基本的には、地面の上をずるずるーくねくねーとはっている、のがですね。

だから、身の内の、というのは、いつもいつもしょっちゅう悩んでいて、下のほうをうろうろ、うろうろとしている、ぐるぐる、ぐるぐる悩んでいる、というのが身の内のの状態です。

さらに、身の内の女郎蜘蛛、というのもあるそうです。

これは、とにかく異性と○○○するのが好きで、今日もいたしたい、明日もいたしたい、という人、例えば男性にしなだれかかって、ねえーっと言いたくなる、という女性。異常なほどに男性と○○○するのが好きっていうのは、身の内の女郎蜘蛛なんですね。

そしてそういう女性と男性が関係をもってしまうと、事故に遭うとか、仕事で大失敗するとか、とにかく痛い目に遇ってしまうことが多いのです。蜘蛛がエサを捕らえるように、男性をつかまえるんですね。

(続く)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 女郎蜘蛛

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

身の内の狐、というのもあるわけですが、それは、気が常に張っている人。「キがツネにはっている」という人が、身の内に狐がいる人なのです。

気が常に張っているから、キーッとしているのです。

で、変に緊張してきばっていると思うと、気分屋で気がコロコロコロコロ変わるのです。今度は「気が常でない」ということなのです。身の内に狐が居るという人は、大変お天気屋でむら気の人が多いです。気まぐれで心が定まらないんですね。

でも、ようく観察しているとだんだん分かってきますが、狐が憑いている人は、気が弱い。気が弱い人が多いのです。気が弱いと狐が憑きやすいのです。

気が弱い人には狐がパッと憑いて、想いの世界を自由自在に操るのです。だから、とにかく狐と合体しているような人というのは、気が弱い。何か窮地に追い込まれると、「どうしようどうしよう」と騒ぎます。最初から気で負けているからですね。

そして、自信が無くて気が弱いからおのずからウソつきになります。自分で正直に本当のことが言えない。言いたくない。だから嘘をつくのです。狐の憑いている人間は、何かあると戦々恐々としてはらはらするものだから、あっちで嘘をついて、こっちにきて嘘をついて、その場しのぎのことばかり口先で言うようになります。気が弱いので頭を使おうとするのです。

気が弱くなくて、大丈夫だ!という太っ腹な人なら、周囲に当たり散らさないで、自分でぐっと腹にしまって、自分を抑えて静かにしているでしょうね。強い意志で気持ちを落ち着けているのです。ところが弱い犬、臆病者ほどよくほえる。気が弱いと、ああでもないこうでもないと心配してしまって、そしてとうとう自分の思い通りにいかなくなってくると、辛抱できないで周囲に八つ当たりします。本当に信念がある人なら、静かにこらえてじっとして、騒ぎ立てたりしないはずです。

(続く)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

とはつまり「自分の想念」のこと、「人の想念」のこと、「意識の塊」、でも、「肉体を持っていない意識だけが存在している塊」、といった言い方で言えると思うのですが(ちょっと変な言い方ですいません)、その自分の想念が動物のようになってしまっている人がいるのです。

これを身の内の狸(たぬき)、とか、身の内の狐、とか言ったりします。

身の内の狸という時には、狸のが憑いているのではなく、「その人の性格がまさに狸そのものになっている」という意味なのです。具体的にどういう性格なのかというと、「目上の人、強い者にはペコペコして目下の者には威張りちらして、酒をどんどん飲んじゃって、話をするととにかく堂々巡りで何のことか分からない」といった感じです。

前向きに進歩発展していこう、精進努力していこう、気宇壮大に、心意気を大きく高く持って、やるぞー、発展していくぞーという発展性がないところは、狸の堂々巡りになってしまうのです。

本人が、気の使い方を大きく、高く、向けていくと狸は消えていきます。

(続く)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 堂々巡り

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