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ノリコ

Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生のお話しでは、人の運命の8割まではだいたい決まっている、ということです。

深見先生が「先天の星差し替え神徳祈祷」をお取り次ぎ下さる際には、先天の先天、先天の後天、後天の先天、後天の後天、という順で星を差し替えて下さるのですが、今ここで、「8割までは決まっている」というのは後天の先天のことを言っています。

後天の先天が8割まで決まっているからこそ、後天の後天、つまり現実世界に起きることがだいたい決まってくるわけです。

「この世の物事はすべて運命が決まっている」というお話しの続きです。

以下引用------------------------------------

 天体の運動を計算した一例として「ハレー彗星」の事例があります。彗星の存在は古代から知られていましたが、その動きは惑星とは全く異なり、それがどのような軌道を描いているのかは大きな謎でした。地動説が受け容れられた後にも、彗星は単に直線を描いて太陽系を横切るとみなされたり、放物線軌道で太陽に接近して永遠に遠ざかると考えた天文学者もいました。

 ところが、ニュートンの「プリンキピア」の重力理論により、彗星も惑星と同じように、太陽の重力に束縛された楕円軌道を描くのではないかという仮説が、考え出されました。

 ニュートンの親友だった天文学者エドモンド・ハレーは、過去の彗星の観測記録を調査して、1682年に彼の観測した彗星の軌道が、1607年、1531年、1456年に観測されたものと非常に似ていることを発見しました。この彗星は、他の惑星と同じように楕円軌道を描いていますが、その軌道は非常に細長く、太陽に非常に接近した後は、土星を遙かに超えた地点まで遠ざかることが計算されました。

 そこでハレーは、1705年、この彗星はおよそ76年周期で太陽を周回するはずであり、他の惑星の重力の影響を計算したうえで、次回は1758年頃に回帰するに違いないと発表しました。

 そして1758年12月25日のクリスマス、実際にこの彗星が太陽に接近する姿が観測されたのです。ハレー自身はすでに亡くなっていましたが、彼の功績をたたえて、この彗星は「ハレー彗星」と命名されました。

 こうしてニュートン力学は、当時の科学の集大成と考えられるようになりました。ニュートン力学は、この宇宙の基本的な自然法則を明確に表現するものと考えられるようになったのです。

 そこで非常に興味深い考え方を提起したのが、ラプラスという人です。この人は「偶然とは無知の告白である」と言ったことで知られていますが、この宇宙の出来事はすべて決定されており、不確定要素の入り込む余地はないと考えたのです。

 例えば、ハレー彗星はニュートン力学にしたがって公転していますから、ある時点の軌道を計算すれば、今どの位置にあり将来いつ地球に接近するかも計算できます。同様の考え方で、日食や月食も計算できるし、球を投げればどのように落下するかも正確に計算できるのです。つまり、初期状態さえ分かれば、後はそれをニュートン力学に当てはめればよいのです。ある瞬間の状態が分かれば次の瞬間の状態が決まり、さらに次の瞬間の状態が決まる、というふうに続いていくのです。

 1814年、ラプラスは「確率の哲学的試論」において、「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速度を知ることができるならば、未来永劫にわたって宇宙がどうなるかを知ることができる」と述べています。これが「機械論的決定論」と呼ばれる考え方です。

 もちろん人間技では「ある瞬間に宇宙のすべての原子の位置と速度を知る」といったことは不可能なので、ラプラスは、人知の限界を超えた悪魔を考えました。この「ラプラスの悪魔」は、ある時点で宇宙のすべての原子の位置と速度を認識し、しかも瞬時に次の位置と速度をニュートン力学によって計算できるとするのです。

 例えば、ラプラスの悪魔が、現時点で宇宙のすべての原子の位置と速度を知ったとします。すると一秒後には宇宙はどうなっているか、悪魔はあらゆる原子の位置と速度から一秒以内に計算して、それを知ることができるというわけです。

 いわば、宇宙全体が、一度動き始めれば、後は自然法則どおりに動き続ける自動機械のようなものであり、あらゆる出来事は決定されているとみなされたのです。したがって、もしラプラスの悪魔が存在したら、森羅万象は余すところなく知り尽くされ、すべては予測通りに従うことになると、そのように考えられたのです。

引用ここまで---------------------------------

以上の内容は、高橋昌一郎著「理性の限界」(2008)からお借りしました。20世紀に入ってから発見された「不確定性原理」によれば、上記の「決定論」は否定されるということなのですが、詳細は煩雑になるので省略します。

21世紀に入った現在でも、この決定論、すなわち物事が「運命で決まっている」という考え方は根強く流布しているようです。しかし神仏の道に生きて、実在の神を掌握し、生きる神を行じる生き方をするなら、この「持って生まれた運命」を超えることができるのです。

それは、「神業を第一として、世のため人のため神様のために生きていこうという発願をして、その発願に相応しい努力をし続け、その発願に相応しい結果を出し続けていこうと念じ続け、くり返し神仏に祈り続けるなら、徐徐に命運は改まり、いつのまにか本来の命運を超えた生き方をしている自分に生まれ変わることができる」というものなのです。

鍵になるのは、「発願」、「相応しい努力を続ける」、「くり返し神仏に祈り続ける」という点ですね。

これが、深見東州先生が折りにふれておっしゃっていることであり、この生き方を実践して具現しておられるのが、深見東州先生その人なのです。

この深見東州先生の生き方こそ、ぜひとも見習いたいものですね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

長く会員を続けていても、あんまり状況が変わりばえしない、いつも同じことでもめている、こういう人がいますが、そういう人に限って先ほどあったような「これで昔の劫を祓うことができた、有り難いことだ」といった感謝の祈りを捧げることができない場合が多いように感じます。

どんな場所に行っても、職場であれ家庭であれ、相手のものの考え方や行動を変えさせることはできません。変えることができるのは、自分のものの見方や考え方、受け止め方だけです。したがって、長く会員を続けていても、自分の心の在り方を変えて物事の受け止め方を変えて、すべて感謝で締めくくることができるように物事を受け止めていく、こうしたことをしない限り、劫を祓うこともできないし、悟りを深くすることもできないのです。我を張り通す人には未来はないのです。

そして、自分の心のあり方と自分の行動のあり方が何も変わらないなら、何も学んでいないのと変わらないということになります。

実際、自分の想念がより発展的なものにならず、したがって自分の行動もより発展的なものにならないという人は、本を読んでいない、ものをあまり考えていない、そして日々の祈りや発願をあまりしていないという場合が多いのではないでしょうか。

自分の知恵だけでやってきた結果が今の自分の有り様なのですから、それを改善しようと考えるなら、より良い知恵、より新しい知恵を学んでいく以外にないのです。したがって読書をしてより賢くなることを心がけることが必要なはずですね。それなのに、自分の環境や境遇に不満を持つ人に限って勉強しない、お祈りしない、こうした人が多いような気がします。

不平不満を抱いたまま過ごしてしまうと、自分を苦しめ続け、また周囲の人々をも苦しめ続けることになり、二重三重に罪を作ることになります。想念が明るくならず暗いままですから勉強しようという気にもなかなかなれず、怠りの罪までも積むことになるわけです。

こうした状況のままでは、物事が好転するのはとても難しいと言えるでしょう。なぜなら、原則として、暗い想念の人には暗い事柄が起き、明るい人のところには明るい事柄が起きてくるということがあるからです。霊界がそういうしくみだからですね。

今の自分を乗り越えて、脱皮して、より良いもの、より良い人、より良い事柄に出会っていくためには、自分がそうしたより良いものに相応しい自分に変化するしかないのです。

そのためには、前向きになれるような本を探して読む、もちろん深見東州先生の本を始めとしていろいろ良い本はたくさんあると思いますが、そういう読書をするということがとても大切になってくると思います。なぜなら、自分より賢い人が書いている場合が多いわけですから、本を読めば何か気づくことがあるはずなのです。

新しいことに気づくことが楽しい、新しいことを知ることが楽しいという自分を大切に守って維持していかなければなりません。誰でも子供の頃はそういう部分を持っていたはずなのです。

そして、どんなことが起きても無理矢理にでも感謝して受け止めるよう、自分を習慣づけていくことが大切なのです。それができない限りは信仰心があるとは言えません。なぜなら、何事も神様の導きだと確信し、何事も神様のお導きの結果起きているのだと思うからこそ、どんな不運も必ず劫祓いになっていると思って感謝することができるのです。

自分が楽しいと思うことがあった時だけ感謝して、一見不運ことがあった時には嘆いているというのでは、何も信心をしていないと人と違いがありませんね。そういうことでは信仰心というものに対してあまりに考えが浅すぎるのではないかと思うわけです。

そして、感謝で締めくくって落ち着いた想念で一日を終えることができない時は、何か解決しなければならない課題があるはずなのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

例えば、いつも人間関係でもめている人、こういう人がいます。職場で必ず誰かとケンカしてしまうとか、露骨なケンカではなくてもいじめられて職場に行きにくくなるとか、あるいは支部に行っても支部の中の誰かとの人間関係が険悪になって支部に行きにくくなってしまうとか、とにかく家から出てどこかへ働きに行こうとか、支部へお祈りしに行こうなどとという時に、いつもいつも揉め事ができて、結局どこへも行けなくなってしまうという人がいますね。

みずからの抱えている劫、自分の家の抱えている劫、これらを解消するには不運を経験して苦しむか、あるいは世の中や神仏に対して施し(=喜捨)をして、それを自らの苦しみの代わりとする、こうした方法を取る他ありません。劫とはこれまでに自分が他人を苦しめたことによって蓄積された負の歪みですので、今度は自分がそのようなマイナスな目に遇って業払いをするしかないわけです。歪んだことを他人にしてきたのを、今度は自分が苦しんでその歪みを正すわけですね。

深見東州先生の著作の一つ、「絶対運」の中では次のように紹介されています。

引用ここから--------------

 では、消極的因縁解消法とは何か。

 不運になることである。むろん自ら不運になることではなく、もし、今あなたが不運ならば、そのこと自体がすでにカルマの解消を行っているということなのだ。

 不運であるそのこと自体が、消極的、すなわち受身の形でカルマを解消しているのである。借金を自分から返済しているのではなく、かつて借金をしたことを忘れていて、借金取りに訪ねてこられていやいや返済しているようなものだ。

 どれくらいの借金か、どれくらい深い因縁かは、不運の度合いによってはかれる。それを重い順に列挙してみよう。

1 死
2 貧窮 貧乏のどん底
3 病気 事故
4 不運な人間関係
5 適性のない仕事

 二番目の貧乏と三番目の病気は、その度合いによって順位が入れ替わる場合がある。

 不運な人間関係とは、職場であれ家庭であれ、信頼されないとか、悪評に泣くとか、あるいはいつも同僚と対立し孤独であるとか、家庭でつねにいざこざがあり夫婦ゲンカ、親子ゲンカが絶えないといったことだ。

 この中でもっとも軽いのは、好きでもない仕事に就き、仕方なく生活のために働くという場合である。

 こういう不運に見舞われたとき、もし自暴自棄になったり、己の不運を呪い、周囲を憎んだとすれば最悪である。せっかくその不運によって過去のカルマが清算されるという絶好のチャンスに否定的になってしまっては、まったくの逆効果であるからだ。ひとつの不運がきたら、「あ、昔の借金の返済ができた、何もしないのに有り難いことだ」と、感謝するぐらいでなければならない。そのためには、カルマ=業の仕組みをよく自分に納得させておくことだ。

引用ここまで--------------------

この中で、最後の「ひとつの不運がきたら、『あ、昔の借金の返済ができた、何もしないのに有り難いことだ』と、感謝するぐらいでなければならない。」という部分に注目していただきたいと思います。これができるかできないかで、実は大きな違いが生まれてくるのではないかと思うのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

深見東州先生は、「いつも神仏に動いてもらえるような日々、いつも神仏が応援してくれるような毎日、こうした毎日を送ることが大切です。神仏と共に物事に取り組んでいく、神仏とともに目標に挑戦していく、こういう人にあなたもなればいいのです」とおっしゃっています。

神仏の加護をいただける生き方とは、発願して挑戦していく毎日を送るということですね。

常に神様に誓いを立てて生きていく。毎日神様に新たな誓いを立てて生きていく。こうすることで自分のもつ先天運を超える可能性が出てくるのです。つまり、自分の先天運に縛られない生き方をすることができるようになるかもしれないのです。

神様に祈る時には、まず感謝の祈りから始めますが、感謝が済んだら常に上を目指して、どんどん新しい発願をしていきます。ただし、上昇志向が強くなりすぎると、傲慢になってきたり、執着心が出てくることがあります。自分では自覚が持てなくとも、人は、何事かを成し遂げたあかつきには自信も持てるようになっていますが同時に多かれ少なかれ傲慢になるものです。

そこで、そうなったと感じた時、あるいは具体的な成功を得た時には、心を切り換えて感謝の祈りに立ち帰って、冷静な自分を取り戻します。感謝と幸福に安住していると怠りが出てきますので、再び目標を掲げ、進歩発展していくべく努力を始めるのです。

肉体がある限り、そして肉体がなくなっても、いつもより良いもの、より高いものを目指して、より難しいもの、より困難なものに常に挑戦していく。発願を立てて、そこから具体的な目先の目標を導き出して、常にお祈りの中で神様に誓いを立てていくのです。

頑張っていると疲れてきて我が出てきて傲慢になってきますので、自分を見失っているな、と思ったら一度後ろへ下がって感謝して、自分の幸せを噛みしめたら、また新たに志を立てて努力し始める。この善循環のくり返しが、御神業における進化・進歩なのですね。

このように毎日を送っている人であれば、神仏は大いに守護して下さることでしょう。

どうしようかな、と思って受身でじっと待っているだけでは守護は始まらないのですね。

志を立てて発願し、より難しいもの、より困難なことに挑戦しているという日々を送って、わが発願の成就のために守護を与え給え、力を与えて下さい、知恵を与えて下さい、何とか現状を超えて行くことができるよう足りないところを足していただけますように、と祈るからこそ、その発願と祈りにふさわしく神仏の守護がやってくるのです。

これが神仏を動かす要諦、すなわち神仏と合体するために最も大切なことなのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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難しいことや困難が伴うことに挑戦し、取り組んで、やり抜いて、仕上げていこう、完成させていこうという時には例えば次のように祈ってみてもいいかと思います(もちろんこれが一番良いという意味ではありません)。「現在、~~という発願をさせていただきまして、~~という目標を達成すべくがんばっているところです。……と……については自信がありますが、~~と~~についてはあまり自信が持てません。つきましては私の足りないところを足していただき、より多くの人達に喜んでいただくことができますように、そして、さらに工夫できるところはどこか、改善し向上することができるところをことごとく教えてくださいますように」と例えばこんな感じでお祈りを始めるのがいいのではないでしょうか。

とにかく、難しいことをやり遂げようとして神仏に素直に祈れば、必ずコツや要点を教えてくれるはずなのです。もちろん神仏があなたに聞こえるように言葉で話しかけてくることはないので、事柄、書物、人、こうしたものとの出会いによって、つまり良き事柄、良き書物、良き人との出会いによって、ヒントをどんどん得ることができるのではないかと思います。何らかの形で今の自分の水準を超えたものを成し遂げようという発願をしたなら、必ず本当の神仏の守護が始まり、具体的な形に現れてそのご守護が感じられるようになってきます。

本人が自分の御魂を発動させ、実際に行動に移して努力を始めた時にあわせて、神仏の守護も動き始めるのですね。ですから、神仏を動かすきっかけを作るのはその人本人しかいないのです。

困難を超えていこう、これを必ずやり遂げよう、こういう前向きな意欲を行動に表すと、神仏の守護が始まるわけです。行動しない人、目標に取り組まない人、自分から積極的に行動しない人には神仏のご守護もなかなかやってこないのですね。

神様に向かってたっぷりと説明してたっぷりとお祈りした後に、いよいよ自分で頑張り始めると、いよいよ神仏のご守護も始まるようです。このご守護が始まったときには、「なんとなくこうするのがいいような気がする」とか、「ちょっとこうしてみようかな」といった、明確な根拠はすぐには見つからないのだけれども、こうしてみようかな、というひらめきがやってくることがあるような気がします。そうした前向きなひらめきは絶対に口に出して人に言ったり自慢したりしないで、密密に、自分一人の胸に秘めたままにして、物事に取り組んでいくのがいいと思います。口が軽いと結局最後に魔が入るような気がします。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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生まれつき運が良い人、あるいは生まれながらに不幸な境遇にあるといった生まれつきの運の善し悪しは、否定することはできないでしょう。みんな同じで平等だと言いたいところですが、実際にはそうではありませんよね。

この幸運と不運について、深見東州先生の「絶対運」には次のように説明されています。

引用ここから------------

 ひと口に運・不運というが、それは、大きく三つの要素から成り立っている。


●本人の境地と(後天的)精進・努力
●本人の前世におけるカルマ
●家代々の因縁

 世の霊能者や超能力者の多くは、ツキを呼ぶとか、運をよくしようといったテクニックを駆使し、本人の精進・努力のみをあつかう。でなければ、本人の前世も家系の因縁も一緒くたにしてカルマで考えようとする。

 だが、…(中略)…ひとりの人のカルマ(業)はさきにあげた三つの要素によって動いていくということなのである。

 いわば、それが命を運ぶこと、すなわち運命ということになるのだ。

「なぜ、あなたがいま幸運なのか」、「なぜ不運に泣いているのか」といえば、ひとつは、あなたが前世で何を為したか、どんな原因を作ったか、何の種子を播(ま)いたかによる。

 人を苦しめ、いたぶり、物品のみに価値を置いて生きた前世であったのか、また次から次と女人を漁り、酒池肉林のなかであけくれていなかったか、あるいは逆に人々を救い、困窮にあえぐ人に手をさしのべたか……、などなど、前世の生き方によって決められた今生のあなたのカルマと、あなたが縁あって生まれてきた父母の家代々のカルマとがからみ合って人の運は変わる。つまり、個人と家の因縁が組み合わさるわけだ。

 したがって、本当に運命を改善しようとすれば、それらをよく知って、自分の前世のカルマと、家代々受け継がれてきたカルマという借金の合計額をつかんで、その返済に励むことが必要である。

(絶対運、p.238)

引用ここまで-------------------

前世で自分がなしたことに相応しく、今現在この世に生まれてきている、ということなのですね。

それでは、その一つ前の人生だった「前世」は何によって条件づけられていたのかと考えてみると、おそらく二つ前の前世すなわち「前々世」の自分の生き様の影響を受けたのだろうと推し量ることができます。

そして、今度は時間について逆の方向を向いて、来世について考えたなら、今の生き様がたぶん自分の来世の中身を創り出していくことになるのだろうと予想できるわけです。

(つづく)

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一念発起して発願することで、自分の運命を具体的に改善していくためのきっかけを作ることができます。

一念発起とは、「あることを成し遂げようと決心すること。」

それで、一念発起というと、いつも思い出すのが次の御神示です。

「心掛けをもて。
 修業に来ている者は、一般の人とどこが違うか。
 それは、日々の行いの中で、
 人の目にも輝かしく思える程の、
 よき心掛けをもち、
 かつ実践している所にある。
 神佛の道にめざす者が、
 一念発起して
 御魂を輝かすことなくして、
 いかにして神佛の加護と応援を得られようか。
 (以下略)」
(御神示全集、p.51)

一念発起することはとても大切なことだと思います。ここにあるように、一念発起することなくしては、自分の命運を乗り越えていくことはなかなかできないようです。

発願するのに内容は何でもいいのですが、何を発願したらいいのか分からない、何を目標にしたらいいのかもよく分からない、お祈りする内容になるとピンと来ない、という人のためにさらにご紹介してみましょう。今度は「大金運」からです。

引用ここから
-------------------------

「そういう人のために、即席ではあるが、魂を充実させ、内面世界と霊的パワー、そして才能を引き出す『極意』をお教えしよう。(~中略~)

 まず三ヵ月間、死にものぐるいで頑張る。不平不満などもってのほか。与えられた仕事はもちろんのこと、トイレに入っている間も、電車に乗っている時も、エレベーターの中でも、とにかく、死ぬかと思うぐらい、徹底して打ち込むのである。自分という存在を完全に忘れ去り、ひたすら目的完遂のために頑張るのだ。打ち込むべきものは、仕事でもよいし、自己の才能を伸ばすものでもよい。

 次は三年間である。この三年間、きちんとした生活をする。衣食住ともに規則正しく、かつ清楚にして、無遅刻無欠勤無早退はもちろんのこと、仕事の準備や余暇のすごし方まで、他の模範となるくらい、しっかりやることである。そんなことはわかっている、それができれば苦労はない、と思うだろうが、最初の三ヵ月、なんでも無茶苦茶に没頭することで、自分の内部と背後霊の構成が変化することも多く、守護霊交替が為される可能性が強いのだ。最低、本人の頑張りを支えようと、背後霊の数が増員されることはまず間違いない。すると不思議なものである。以前は辛いと思っていたことなどが、ちっとも苦にはならなくなる。運気は急に上昇し、なんでもうまくいくようになって、勇気や活力、体力が旺盛となるのである。だから、三年間はまるで自分でないような自分が、大活躍するようになるのである。

 こうすれば、だいたい最高の自己のペースというものが作られ、能力や才能が自然と発揮できるようになるのである。それは自己の魂が確立され、背後の守護霊もバック・アップ態勢がこの期間に整うからだ。その呼吸を体得することが重要なのである。」

--------------------
引用ここまで

ここにある通り、没我没入した三年間を過ごすと、本当に自分の運気が変わってくるのが実感できるようになってきます。この三年間の山を越えると、まさに今までの自分が見たことがない風景が視界に入ってくるのです。これは実際に挑戦した人でないと分からないと思います。

注意しなければいけないのは、他人に、「こんな目標を持ってこんなふうに努力している」といったことは口外してはいけないという点です。努力できない人は、努力している人を実際に目の前で見ると必ず嫉妬します。ですから、自分が頑張っている様子を人に言ってしまうと嫉妬の生霊に邪魔されてしまうことが多くなります。軽々しく自分のことを語ってはいけません。黙って、黙々と三年間努力し続けるのです。

また、人に余分な相談をするのも良くありません。自分が取り組んでみたいと思ったことがごく自然に目標になるなら、それでいいのです。人に自慢するために努力するわけではありませんからね。

発願して実践することで自分の運気をどんどん上げていくことができる。ぜひ挑戦してみていただきたいと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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努力のしかたにも要領の良し悪しがあります。ワールドメイトの会員であれば、とにかく要領良く努力しましょう。

深見東州先生の絶対運には次のように書かれています。

以下引用
------------------------------
 ツキというのは幸運、ラッキーのことでありそれを私は他力運と称している。…(中略)…他力運があるということは、ツキがあり強運につながることであり、それは自力運をあと押ししてくれる守護霊たちの働きが強いということである。

そして、…守護霊たちの大いなるあと押し、つまりツキを得るのは、結局、自分自身の精進・努力と正しい方向性の結果であるということである。

…ツイているか、ツイていないか。他力運があるかないか。

 それは、すべてあなた自身の内にある。他力運を得ようとするならば、自力運をまず強めなければならない。自力運を開発していくことが、即運勢をよくしていくプロセスでもある。

 ではここで、自力運と他力運とでより強力な運を獲得するための方法をまとめておこう。

1.善なる待機
2.日々、時々刻々の充実--ただ今に生きる
3.目標を持つ--さしあたり、とりあえずの目標でよい
4.こだわりの無い心
5.日々新たに

 以上の五法則を身につけよう。そうすれば必ずあなたの運勢は三〇倍、四〇倍、いやそれ以上にアップするはずである。
--------------------------------
引用ここまで

最初の「善なる待機」とは「ツキや幸運を招くべく工夫をし、努力して、そして然る後に待つこと」、ですね。きちっと目標を定めて努力を続ける、そうすると時期がきて果実が実るようにチャンスがくるし、幸運が訪れる。だからそれまでの間、ジタバタしない、あせらない、こういうことです。

次に、「ただ今に生きる」とは、やる気がなく無気力な状態、あるいは不安やあせりから物事に集中することができないという状態、これらの良くない状態から脱出するための具体的な方法のことを言っています。暇な時間をそのまま放置しないで、勉強したり体を動かして作業をしたりすることで、実際的な知識や技術を身につけるのです。過去のいやな思い出やつらい経験ばかりに思いをはせることは自分の魂を傷つけることになるので、そうした経験はあっさりと忘れましょう。

三つ目の「とりあえず目標を持て」というのも、自分の生命を生き生きとさせて、自力運を発動させるきっかけを作って、前向きに生きていれば、それにつれて他力運も動きだす、という意味です。

四つ目の「こだわりの無い心」というのは、一瞬一瞬に集中して生きて、当面の目標に向かってひたすら努力している時、こだわりの無い心を体得できますよ、という意味です。この「こだわりの無い心」を持つことがなぜ大切なのかというと、自分の感情と思考と行動を縛って動けなくさせてしまう「執着心」を乗り越えることができるからです。自分を動けなくさせていた執着から脱することができるからです。

五つ目の「日々新たに」というのは、一日一日、毎日を日々新しく生きていく気持ちで過ごしていこうと心掛ける、いうことですね。具体的には、毎朝その日一日の目標を立てる、その日一日でやることをすべて書き出す、といった方法があると思います。

しかし、ここに列挙したことだけでは、その辺の普通の人とあまり違いがありません。

そこで、入門篇の祈り方を実践することになります。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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なかなか証しが出ない、なかなか物事が好転しない、という人の場合、その多くは自分のものの考え方が「かたくな」であることが原因ではないかと思います。かたくな、とは即ち、「人が何をいおうと、がんとして自分の意見や態度を変えないさま。強情なさま。」のことであり、要するに頑固だということです。

この頑固というのはつまり、「人の言うことを聞こうとせず、自分の考えを押し通そうとするさま。」のことですね。

この頑固、ということについて、もう一度「絶対運」から紹介しておきたいと思います。

以下引用
--------------------------------
「我見」や「我」の強さ、あるいは頑固さは教養と知性のなさが原因である。己の見識、考え方は正しいかもしれないが、それだけが正しいのではない。もっとすばらしいより優れた見識があるかもしれない……。そういう視野の広さや柔軟性は学問によって培われる

『論語』にこうある。

学びて思わざれば即ち罔し。思いて学ばざれば即ち殆うし。

まなびておもわざればすなわちくらし。おもいてまなばざればすなわちあやうし。


 前段の意味は、いろいろと学び知識はあって、自分で考え思わなかったら、つまり咀嚼しなかったらものの本質が見えない、知識ばかりであって内面性やものの本質に暗い。すなわち聡明でないということだ。

 しかし、その反対に「思いて学ばざれば即ち殆うし」である。いろいろと自分なりに思い、考えているけれども、学ぶということをしないために我見が出る。

 独善の弊害といってもいい。それが「殆うし」の言葉に象徴されている。これが後段の意味だ。

 その人物が立派で説得力があり、協調性に富んで、しかも見識があるとき、人は「我」があるとは言わない。だから「殆うくない」のである。

 頑固というのはときとして必要だが、しかし、たいてい知性と教養の厚みに欠けているために、「我」と「慢心」とがブレンドされた場合が多い。
--------------------------------------
以上引用ここまで

要するにものを知らなくて、また同時にものを考えていないから、自分の意見の他にも世間にはさまざまな考え方や主張があって、どれもそれぞれに一理あるものだ、ということがわからないわけです。

物知らずで狭量(=度量が狭いこと。人の言行を受け入れる寛大な心が小さいこと。)なのだから、人からもらえるはずのヒントを全く受け取ることができず、進歩が遅れます。他人の意見を聞かないのだから人と交流していないのと変わりません。ですからいくら都会に住んでいても、中身は田舎者と同じです。

自分を改善していく精進の第一歩は、ものの考え方には千差万別の種類があって、いろんな意見に触れて、偏りのない妥当な自己主張ができるように、読書に励み、人の話を丁寧に聞かせていただく、というところから始めるべきでしょう。活字を読むこと、読書が根源の修業であって精進の対象なのです。

スタッフさんの中には、日切りをされて、「○月○日までに△△△冊の本を読むように」という指示を出された人がかつていたという話を聞いたこともあります(その方はまだちゃんといらっしゃいますけれども)。

ものの考え方が歪んだままでは、どれだけ努力しても的外れになることが多くなる、ひとりよがりになることが多くなるからです。

妥当な考え方、説得力のある考え方というものを学んでから、自己主張すべきでありましょう。

ものごとに精進するにあたっては、次のような御神示があります。

「度を超してこそ
 修業なり
 甘えた日々を
 送るなかれ」
(御神示全集、p.54)

私の知り合いの会員に、学生時代に、一日15時間くらい勉強するという毎日を半年くらい送ったことがある、という人がいます。現在某会社の○○役をしておられますが、この人が実際に異常なくらいの集中力の持ち主で、いったん本を読み始めると止まらない、という人なのですが、とにかく一度に読んで全部覚えてしまうという能力の持ち主です。そういう人が実際にいるんですね。

精進努力のやり方については引き続き「絶対運」から紹介してみたいと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

言葉を口に出す時には、イヤなことでも「いい」と言うように、深見東州先生が教えられたそうです。人間のイヤなところを見ても「良くなるだろう」と言い、欠点を見て、欠点を見て指摘したとしても、あれは長所の裏返しで、~ということだから、「あれでいいよ」と言う。自分でいつも言葉の最後、締めくくりの部分を良くして、前向きな表現で言い終える。こうすると本人の運気を落とさないで済むそうです。

だから、ぶつぶつ言うような場面に遭遇しても、これがいいんだね、という因を、自分の意識の中に植え付ける、すなわち、これがいいんだ、という思念を自分の阿頼耶識の中に植え付けると、やがて「いい」という世界が出始める。いいという結果が具体化し始めるわけなんですね。

何か楽しい、面白い、ほほえましいというネタを見つけて、おかしい、という世界を広げていくと、おかしくて楽しいという世界ができあがってくる。そしてネタを見つけてはおかしがっている。これはいい循環になりますね。

口に出す時も必ず、「…というので、素晴らしかったんですよね」「…というので、よかったんですよ」と必ず「よかった」と言い終える。

こういうものの言い方、話のしかたの癖というのは、本人が無自覚で無意識にしている場合がほとんどなので、なかなか直らないですね。

自覚して、意識する対象としてからも、なかなか直せない。ものの考え方そのものを直していかないと、出てくる言葉もなかなか直らないものなのです。

だから、「よかったね」という言い方で言葉を締めくくるというのは、運気の悪い人には実は大変難しいことかもしれないのです。

(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 ぶつぶつ 運気

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

とにかく深見東州先生がこの女優さんに言ったのは、マイナスな言葉を一切口にしない、という方針にして、「何でもいいから前向きにやる」というのが運勢を良くしていく一つの姿勢だから、ということで積極的に行動するように勧めたそうです。どんなことも悲観的に絶望的に受け取るのではなく、必ず良くなる、好転する、発展していく、というものの言い方で自分の発言をしめくくる、というのを徹底してもらったそうです。

すると、やはり、みるみるうちに結果が出て、いい仕事が入ってきたということなんですね。

家庭環境で癖になっていたところ、つまり、両親が「ぶつぶつぶつぶつ」言うのを聞いていたという環境があったために「ぶつぶつぶつぶつ言うという心が自然に出来ていて」、その結果、やはり「ぶつぶつぶつぶつ言うという霊界が出来てくる」ことになり、すると当然「ぶつぶつぶつぶつ言うという現象が起きてきて」、やっぱり本人が「ぶつぶつぶつぶつ言う」ことになる。そうすると「ぶつぶつぶつぶつ言う」という霊界が原因となって、結果が「ぶつぶつぶつぶつ言う」ような結果が出てきて、絶えず「ぶつぶつぶつぶつ言う」という、こういう悪循環になってしたのです。

この悪循環を打ち破るために、彼女は徹底して「ぶつぶつ言う」というのを止めたんですね。そして、締めくくりの言葉を必ず良くなるような言い方にしたのです。

(続く)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 言葉 ネタ

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

彼女のための二つの開運方法とは何かというと、一つは、「親しい友達に、一切自分の問題点について相談しないこと」というものです。

なぜ相談するといけないのでしょうか。これは、この女優さんだけでなく、本当にみんながやっていることだと思うのですが、自分自身についても反省しないといけないと思うんですが、「他人を相手にして、自分がぶつぶつぶつぶつとマイナスな状況をいちいち説明することで、自分でしっかりマイナスなことを確認してしまう」ということなのです。つまり、他人にグチをこぼして、マイナス運を定着させてしまっていたからなのです。

今後は、マイナス運の定着をさせない、ということで、相談はしない、ということに決めたそうです。

もう一つは、この女優さんが、まだまだ若いのにいつもいつもグチってぶつぶつ言って、最後には「どうせだめだわ」「どうせうまく行かないわ」「やっぱり間に合わないわよね」と親譲りのぶつぶつ癖が出てしまって運を落としているので、「それでかえって良くなるんじゃないかな」「だから結局いいほうに行くよね」「お互い良い結果になって良かったですね」と必ずどんなセリフも肯定的に発展的に前向きに言ってから締めくくる、ということを徹底させた、ということなんだそうです。

(続く)

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 霊界 言葉 開運

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

どんな人にも前世があり、したがって前世での生き方の良し悪しが原因となってその人なりのの持ち分、の持ち分というのがあって、今世、この世に生まれてきます。

そして、物事に臨む機会は均等に平等に与えられてはいるのですが、同じことをやってもうまく行く人となかなかうまく行かない人がいるし、同じ女の子で生まれてきてもクラス一番の美人でどうやっても絶対勝てないっていう子もいれば、男の子は誰も振り向いてくれないっていう子もいるわけですね。

深見東州先生が審神(さにわ=霊的な背景や物事の奥、心の奥を見通して、正体や本来の性質を見定めること)したところでは、今世スーパーモデルで生まれてきている人は、前世でお医者さんをしていて2,000人助けたとか、看護婦をしていて3,000人の政治犯を救ったとか、そういう人が多かったと思います。

また、深見東州先生がおっしゃるには、前世で定まった一人の個人の運命は、今世の人生の8割程度をほぼ決めてしまっているのだそうです。すなわち、生まれた時の生年月日と時間によって、ほぼ人生のコースが決まっている、ということなんです。そして自分の意志と想念で自由に改変できるのは2割くらいです、ということでした。

でも、将軍様と乞食が同じ日付の同じような時間に、おなじ江戸市中に生まれたとかっていう話もありそうですけど、その場合はどうなるんでしょうか?

これはつまり先祖が違うということ、すなわち、「生まれた家の」が違う、ということになるんですね。

ですから、運勢の節目が来て、いよいよ実力が発揮されるべき時が来た、というときに、同じ運勢の生まれなのに、将軍の跡継ぎのほうには次期将軍への準備として副将軍に指名されるということが起き、もう一方の乞食のほうは、いよいよ乞食の頭目となって、他の乞食の上がりからピンハネできる立場になって「不労所得が増えた(?)」くらいのことがようやく起きる、といった違いになったりするかもしれません。

個人の生まれ変わりから来るに加えて、自分の生まれた家の、すなわち先祖が積んだというものがあるんですね。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 審神 前世

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

とは「び」のことなんです。別の言い方をすると、「巡り」とか「巡り合わせ」ということになるでしょうか。

で、その人のの良し悪しは、を良くする要素とを悪くする要素とがあって、そのバランスがどちらに傾いているかで決まってきます。

を良くする要素を「(とく)」といい、運が悪くなる要素を「(ごう)」といいます。

自分の今の持ち点、というのが実はあって、の持ち点が多い人は運が良い。

の持ち点が多い人は運が悪い。

そして、もどちらも多く抱えている人は、運気の上下の変化が激しい。

も少ない人は、生命力が小さい、と言えるかもしれません。

そして、人の運の良さを計る尺度があって、

A…好きではない仕事をやるしかない …少し因縁が重い

B…(A)に加えて、人間関係で苦しむ、どうしても人ともめる
…やや因縁が重い

C…(A)(B)加えて、病気で苦しむ、なかなか健康になれない
…なかなか因縁が重い

D…(A)(B)(C)に加えて、貧乏で苦しむ、お金で苦労する
…かなり因縁が重い

E…(A)(B)(C)(D)に加えて、一族親戚が殺される、事故死する、病死する
…最も因縁が重い

この中のどれに自分や周囲の人たちが当てはまるかを観察してみれば、だいたいその人の因縁の軽重が分かります。

ばかりでが少ない人だと、程度の軽い重いはありますが、毎日毎日、もう30年も病気の治療で苦しんでいます、とか、どの職場に行っても同僚ともめて、鼻つまみものになっている、とか、どんなに頑張っても自分がやりたい仕事に就けないで、気がつくと60歳になろうとしていた、といった具合になってきます。

がもともと少なくて、運が良くてお金持ちの家に生まれてきて、という人だと、ちょっとだけ(A)かな、でも特に不満はありません、という感じになったりします。

でも、(A)~(E)のすべてが当てはまる人はあまり見かけないかもしれません。普通は、(A)だけ当てはまる、とか、(A)(B)の二つは当てはまる、とか(A)はないけど(B)だけが当てはまる、とかっていう人が多いと思います。

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