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Author:ノリコ
私の尊敬する深見東州先生についてご紹介いたします。


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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

「才能や運気を開花させるには、努力だけではだめだ」ということを受けて、それでは「才能が社会的に開花するために必要なものは何か?」と考えた時に、「それは徳分である」ということがわかりました。そして、その徳分には三種類のものがある。その三つとは、人徳、地徳、天徳ですね。

人徳とは、「自分自身を修養して高めている人格面」のこと。「その人物の人間的色あいや魅力」をさしています。

地徳とは、「前世において自分がどれほど徳を積んできたか」という過去の徳分のこと。この地徳の有る無しが、社会で才能が認められて開花・結実するかどうかに関わってきます。また、俗に言う「ツイている人とツイていない人との違い」となります。

天徳とは、神の道に生きようとする人、根源的な信仰力を持っている人に備わるものです。神仏に深く帰依しているとか、天の正しき道を貫いて生きてきたとか、あるいは神様仏様に対して功徳を積み、信仰力を磨き錬磨し、一人でも人を救済してきた人は、天の徳が授けられているのです。また、天徳を授かっている人は、悟りや叡知、パッとひらめく発想、才能、霊的な素質を持っています。

それでは、この三つの徳が均等に備わっていないとどうなるのか、その点を引き続き「絶対運」から見てみたいと思います。

引用ここから---------

 たとえば、天の徳があっても地の徳がないとすれば、あなたの望みは世の中で結実・成就しない。「発想・ヒラメキは抜群だけど、どうも現実に役立たないんだよなあ」と言われるのがオチである。

 地の徳があって天の徳がなかったらどうなるか。

「あいつ、何をやっても結構うまくいくけど、スゴイ発想で時代をリードするといった、叡知の香りみたいなものとはまったく無縁なんだよな。才能があっても、あれが限度だぜ」

 人徳がないと、

「たしかに彼は成功しているかもしれないけど、あんなに狡猾で悪辣だといい死に方しないね。見ていてごらん。そのうちポックリ……」

 こんな声が聞こえてきそうだ。

~(中略)~ 徳には三つあり、それぞれの働きがおわかりいただけただろう。人・地・天の三つの徳が調和し揃って、初めてより完璧になるのである。

~(中略)~ 自分にはどの徳が足りないか。まずその弱いところを発見して、そこを補強することである。

 というと、前世の不徳を今生で補強することができるのかと疑問が出よう。勿論できるのである。

引用ここまで----------

ということで、三つのうちのいずれかの徳分が足りないなら、それを補強すれば良いのだ、という話に当然なるわけですね。それではどのようにして自分に足りない徳を補強するのでしょうか。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

だまされて玉串を出した場合はどうなるのか、この点についても「神霊界」に説明がありますので、さらに続きをお借りしてみたいと思います。

引用ここから---------

 過去にどんな悪どい宗教団体や霊能者にだまされて、何百万、何千万のお金を出したことがあっても、そのときの気持ちが、「団体のためにした。霊能者先生にした」のであれば、ほとんどが己れの欲心からしたのであるから、ある程度、自分にも責任があったのである。

 ところが、そのときに神仏にさせていただく、神仏のために、是非、自分なりに精いっぱいさせていただきたいという純粋な気持ちでしたのならば、それは誠であり、神霊界では、黄金まばゆい天徳となっているのである。

 そのことは、守護神も守護霊もよくご存じのことであり、一時苦しくても、必ずや何らかのかたちで、その霊たちがその分返して下さるのである。だから、献金した後で、その団体がインチキであり、悪どいものであり、霊能者先生が大悪人であっても、決して悔やむことはないのである。守護神、守護霊および主神は、全てお見通しである。

 むしろ、その後そのことがわかって、「空しい、くやしい」と自分が感じたとき、自らの信仰が本当の神様や神霊世界に対するものではなく、組織や人を対象にした信仰であったという、浅はかさと至らなさを自覚し、反省すべきでありましょう。

引用ここまで----------

玉串を納める時の自分の腹の中がどうだったのか。どういう動機で自分がその玉串を納めたのか。こうした点が玉串の是非を決めるのですね。

要は「お蔭信仰」で納めた玉串は、ほとんどの場合、間違った納め方になってしまうということでありましょう。ですから、どういう考え方で信仰をするのか、結局はこの点にかかっているわけですね。

「何の努力や苦労もないまま、何も努力しないままで、1万円納めたものが10万円になって返ってくる」といった話はお蔭信仰そのものです。「ここにお参りするだけで何でも全部うまくいくらしいよ」という話はお蔭信仰そのものなのです。そういう話を信じて、自分の損得を計算して納得したあとで玉串を納めてもお蔭信仰でしかないから、だからあとになって裏切られたと感じてしまうのですね。

「神様の御用の役に立つならそれだけで十分だ」、「この物施と自分の誠にふさわしく徳が積めて、自分のカルマが解消していただけるなら、それで十分ありがたいことだ」といった姿勢で納めてこそ、玉串が5倍、10倍に輝く納め方なのではないでしょうか。そして、そういう姿勢で神様に向かった時にこそ、真実の神徳によって報われることになるのです。

(つづく)

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玉串に関して、「神霊界」の説明から前回の続きをお借りしてみたいと思います。実際にあった話が書かれています。


引用ここから---------

 かつて、私がワールド・チャリティ・ファンドをつくって、チャリティー講演会をしたとき、御玉串料に一円玉が一枚ポッキリ入っていたことがある。本人にとってみれば、ジョークのつもりであろうが、その一円玉に残る気を審神してみた。※審神=さにわ

「何をいっているのだ。気持ちさえあれば、一円だってないよりはましなのだ。気持ちなのだ。ゼロよりは一円のほうがいい。一円でもあるほうがいいと思うがいい」

 というものであった。

 これに対し、黄金まばゆい三千五百円があった。その札には、

「今、財布には四千円しか残っていないが、電車代とバス代を残せば、三千五百円を献金できる。これをさせていただこう。役立てていただこう。神様に……」

 というものであった。一万円札もあった中で、この三千五百円が最高であり、一円玉を出した人の五万円ぐらいの値打ちに匹敵していたのである。

引用ここまで----------

まさにここに記されている内容こそ、玉串を納める時の祈り方の最善の例と言えます。金額の大小ももちろんあるのですが、金額が2倍になったからといって神徳も単純に2倍になるとは限らないということです。どのようにして自分の誠をこめるのか、そこが大切なところなのですね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

玉串に関して、深見東州先生の「神霊界」から、さらにお借りしてみたいと思います。玉串をする時の何が大切なのか、ということについて書かれています。

まず金額について、どのように考えればよいのか、説明があります。

引用ここから---------

 一般に、神社、仏閣や宗教団体などで、玉串料や供養料、献金を行う場合、どれくらいが適当であるかについて述べてみたい。

 ひと言でいえば、自分なりに「ちょっと痛いな」と感じるぐらいが適切なのである。楽すぎても、苦しすぎてもよくないのである。

 要は、いかに誠がこもるために、自分自身が真剣になれるかである。だから、「ちょっと痛い」ぐらいが適切なのである。

引用ここまで----------

1,000円の重み、5,000円の重み、1万円の重みは年齢とその人の社会的立場によって、また信心の深浅によって異なってくるものでありましょう。

自分に不釣り合いな金額を出してしまうと、うまく誠がこもらない、ということなのですね。

したがって、場合によっては若い人は手が出ないという金額のものも出てきます。そういう場合には、無理をしてそういう金額を納めようとすることは、心根の部分では間違っていないとしても、やはり現実的には適切でないと言えるでしょう。そういう無理している様子を見ている家族や周囲の人達が、誤解してしまうことがあるからです。

ですので、金額の面で無理をすることなく、折に触れて深見東州先生が説明されているように、小さな金額であれば祈る時間を長くし、繰り返して何度も祈り、最後には「それでも一切は神様にお任せいたします。私にも良く、相手にも良く、私達を取り巻くすべての人達にとって良くなりますように」と念じつつ「かんながらたまちはえませ」と繰り返して、それでお祈りを締めくくればいいのですね。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

物施をする時、すなわち現金で御玉串を納める時には、その現金にこちらの正しい心が伴っていないと、本物の「玉串」にならないのです。

「神様にお捧げするお玉串を審神してみるとわかるのだが、『この程度の金を包んでおけばいいだろう』とか、『これだけ包むのだからちゃんと功徳も大きいんだろうな』とか、ひどいときには『どうせ金儲けなんだろ、つきあいで恵んでやろうか』といった気持ちが入っていたりする。残念なことだが、こういう物施はほとんど徳分にならないのである。

 そこには神様への真心と愛念がひとかけらも込められていないからだ。

 ~(中略)~

捧げさせていただくと考えなければならないのだ。功徳を積ませていただくのである。カルマを解消させていただくのである。」

と「絶対運」で書かれている通りなのです。

玉串料の金額を見てその金額を納めようという時に、「この玉串に私の真心を乗せて納めさせていただきますので、どうか神仏にわが誠を受け取っていただいて、功徳を積ませていただくことができますように、カルマを解消していただくことができますように。この玉串が神様の御用のお役に立ちますように」と心の底から思いながら納めるのか、それとも「この金額で一定量の功徳があるということだが本当だろうか。この金額を料金として払っておけば功徳があるというのなら、とりあえず払っておくか」と思いながらお金を出すのか、いずれになるのかでそのお金にこめられる誠の密度が全然違ってきてしまうのです。

誰に対して玉串を納めようとしているのか、誰が自分の玉串を受け取ることになると考えているのか、こうした点について考え方を間違っているなら、そのままでは本当の神仏からの恵みを受け取ることが難しくなってきます。

玉串料は料金ではなく、玉串とは人や団体に対して支払うものではないのです。神徳を授けてくれるのは人間ではなく、三次元の目には映らない神仏こそが神徳を現して下さるのです。

しかし、神仏の活動やその結果であるとも言える神徳・仏徳を真に取り次ぐことのできる取次者も、そこらにいくらでも転がっているわけではありません。大きな神霊になるほど、また繊細な神霊になるほど、正しく取り次ぐことに困難が伴うようになるからです。だから、妙なる取り次ぎを執り行ってくれる取次者についてもまた、神仏に準じる敬意をもって接していかねばならないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

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証しがちゃんと出ない人、証しを体験できないという人にも、共通点があるかもしれません。

もう一度深見東州先生の「絶対運」を見ていただきたいと思います。

引用ここから--------------

 施すこと、布施をすることは耳新しいことではないと思うが、少々説明しておこう。

 体施とは、体を使って労働奉仕をすることである。たとえば上野公園の出入口や駅前の広場を、せっせと掃除をしてきれいにするとか、新宿の公衆便所を毎日毎日、きれいに磨きあげるといったことを、一年間とか二年間とかの期間中、続けて行うことである。

 隣の寝たきり老人の食事を作ったり下の世話を二、三年、無報酬で、しかも人に自慢することなく黙々と続けるのも体施であり、徳分が確実に積みあげられていく。

 しかし、仕事を持ち家庭もあったりすれば、そういう気持ちはあっても、実際にはなかなか体施などできないのが現実である。

 そんなときは、一番簡単な物施をやればいい。物施とは、お金や物品で施しをすることである。忙しくて身体を使った徳積みができない場合には、自分の収入の中から、お玉串とかお布施をするのがそれである。

 この物施は、体施よりも実行しやすいが、しかし、それほど徳分にならない場合がある。たとえば神様にお捧げするお玉串を審神してみるとわかるのだが、「この程度の金を包んでおけばいいだろう」とか、「これだけ包むのだからちゃんと功徳も大きいんだろうな」とか、ひどいときには「どうせ金儲けなんだろ、つきあいで恵んでやろうか」といった気持ちが入っていたりする。残念なことだが、こういう物施はほとんど徳分にならないのである。

 そこには神様への真心と愛念がひとかけらも込められていないからだ。

 布施ということばに象徴される神仏に対するあり方を理解できないからだろうが、神仏や相手に恵んでやるという気持ちがあるとき、もはや布施ではなくなる。そうではなくて、捧げさせていただくと考えなければならないのだ。

 功徳を積ませていただくのである。

 カルマを解消させていただくのである。

 恵んでやるという態度と徳を積ませていただくという姿勢とでは雲泥の差がある。

引用ここまで----------------(深見東州著、「絶対運」から)

自分の抱えている劫と同じくらいの徳を積極的に積むこと、これがより前向きな劫祓いの方法です。より自分から能動的に自分の運命に働きかけようとする姿勢だと言えるでしょう。

不運を不運だとしてとらえている限り、自分が苦しんで劫をあがなうという消極的な姿勢にとどまることになります。しかし、不運に甘んじることなく、自分から積極的に徳分を積むことでカルマをより早く解消していこうという考え方、この「徳積みをさせていただく」という生き方ができるようになると、段々とカルマが解消されていくのが実感できるようになります。そして、ある一定量を超えたところからは、福徳というおつりをいただけるようになるのです。

徳分を積むには、三つのやり方があるのですが、その三つである「体施・物施・法施」の中で、正しいやり方で行った時に最も容易なのは物施です。

ところがその物施をする時に、正しくお祈りができていないために物施の徳を積むことがうまくいかず、その結果証しが出ないのではないでしょうか。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

長々と話してきましたが、もう一度簡単にまとめると、次のようになります。

家代々に伝わる病気、兄弟姉妹の奇病、家の姉妹全員がまったく結婚できない等、特定の悪因縁と思われる傾向が自分の家族に見られる場合、地獄に落ちた先祖霊が影響を与えている場合が実は多い。

私たち子孫が徳を積むことによって、そういう先祖と自分たちと、両方を救うことができる。

そのためには、開運につながる「徳積み」とは何かを正しく知って、それを実践すればよい。

そのためには、徳積みの本質=真髄を体得することが大切。

真髄とは、到達するものではなくて、私たちが感動したり楽しんだりして何かに没入している時に、自分自身の中に活き活きと存在するもの。そうした真髄を知るには、頭で知的に理解しようとしないで、体得すればよい、体で覚えればよい。だから、真髄を体験し体得するためは、体を動かして目前の事柄に打ち込めばよい。

ところで、形あるものに心を奪われると、執着心が生まれそれが妄念妄想となり、結局はそれが地獄へ落ちるきっかけとなる。

一方、無形の宝を積み続けていると、ある時から有形の、つまり形ある宝となって現れて出てくる、という法則(=化する働き)がある。

だから、有形の宝にとらわれることなく、無形の宝を積み、神様からのご褒美=功侯をいただくことに心を向けることで、地獄へ落ちることも避けられるし、やがて無形の宝が有形の宝となって身に備わるため有形の世界も整えることができる。

結局、有形の宝に執着せず、無形の宝=徳を積んでいくことが正しくできるようになれば、すなわち打算なく無心に体施・物施・法施を楽しみながら続けていくことができれば、人の役に立つことで結局は自分を救い、自分の家も救い、ついには有形の世界でも自分を幸せにできることになる。

「無心に楽しみながら体施・物施・法施を続けていく」これこそが本当の開運につながる徳積みのあり方なのです。

無心に楽しみながら徳積みをしていくことは、天地自然の法則にかない、神霊界の法則にかなっているので、おのずから信仰の本質を体得することになるのです。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 徳積み 有形 無形

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