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Author:ノリコ
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ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

一人きりで何かに打ち込んでいる時には没我没入するのは容易なことですね。宿題をしている時であれ、読書であれ、楽器の練習であれ、絵を描くにせよ、一人で自分だけで取り組んでいる時にはすぐに没入することができるはずです。

ところが他人がいると、没我没頭はなかなかできないものです。没入し過ぎると人の言葉が聞こえなくなったり、人から呼ばれているのに応答できなくなったりしてしまうので、そこまでは没入できないことも多いですね。

そういう場合には、自分の読んでいるものを読みながらも、あるいは相手の話を聞きながらも、頭の中に良い映像を想い浮かべるのです。そうすると頭の中に善なる因縁ができてくるということなのです。相手の話を聞く時であれば、なるほどと思いながら、相槌を打ちながら、良い場面を想い描いていくのです。

只今に生きることがとても大切なのですが、同時に未来のことも想い描いて、未来のことを先取りしながら只今に打ち込むようにすると、自然に、今、行うべきことに出会うようになってくるそうです。未来の霊界や神霊界をどんどん良く想い描いて取り込みながら、今を生きるようにすると、大変善なる因縁と善なる霊界が動くということなのです。将来の良き姿、未来の良き在り方を想い描きながら、今現在の目の前の課題に打ち込むようにすると、とても善き因縁、善き霊界が動くのだそうです。

只今に生きながら、頭の中では善なる因縁をいつも作っている。頭の映像の中に、自分も幸せになっている様子、相手も幸せになっている様子、これを想い描くのです。

そうすると、自分自身が良きものをもたらす人に変身することができるわけです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

ワールドメイトは「他力」を敬い、「他力」を動かすことを大切にする団体であり、この「他力」に導かれて「自力」も成長させていく、この考え方を活動の基本にすえています。

自力でやっているつもりでも他力に助けられているものであり、他力かと思ってもまず自力で努力しないと他力の助けもやってこないのです。

そうは言っても、まず他力をもたらす存在を敬い、理解していただいて、受け入れていただいて、動いていただいて、守護・導きをいただく、これがワールドメイトの活動の根本にある考え方です。

他力とは、神様であり仏様であり、守護霊達のことです。また、肉体を持っているこの世の人達、自分を助けてくれる友人や知人のことも含みます。

想念術はワールドメイトにはなじまないものです。ワールドメイトでは想念術を実践することはありません。というのも、想念術では、決して他力を動かすことはできないからです。想念術の世界にとどまる限り、決して他力、すなわち神様や仏様に動いていただくことは不可能なのです。想念術の考え方は、宇宙根源の神に始まって八百萬の神々様を敬うワールドメイトの活動とは、基本的な部分で相容れないものなのです。

そしてまた、想念術で発揮されるのは、我力であってその我力から来る念力です。念力が強ければそれだけ霊力も強くなりますが、それは霊力であって神霊力ではありません。我力にのみ意識が集中し、すべて我力によって成し遂げられたのだと「勘違い」してしまう想念術の世界には、愛情と感謝が欠落しているのです。自分が努力する姿を見て、守護霊団が援助してくれて、またこの世においても友人・知人が助けてくれることになって、結果として物事が成就したり成功したりしたのに、それをすべて自力だけで成し遂げ、自分が思い描いたからだと思い込んでしまうのです。こうして愛情と感謝が足りないまま、どんどん傲慢になっていく人が、想念術に熱心な人には多く見受けられるようです。

何をする時にも、まず他力を尊び、神仏と守護霊団に感謝することから始める信仰者としてのあり方にはほど遠いのが、想念術を駆使する姿であると言えるでしょう。

したがって、ワールドメイトの会員が想念術に凝るということは、あり得ないのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

5.運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である (3)

 だからこそ、自分の一念を管理することが自分で悪霊を除霊することの第一歩だと言えるわけですね。

 しかし、人間の念とは環境と五感に大きく左右されてしまうものです。目の前に現れる人やものに自分の想念がいくらでも影響されることは、我々が日々体験している通りですね。だから、自分の念を良い方向へ導くためには、何よりもまず自分自身を素晴らしい環境に置くよう努力し、その努力を惜しまないことが肝腎です。そして、自分の中の良き念を誘い出してくれるような良き人や良き物を選んで、できるだけ自分の五感を善なるほうへと向かわせる努力が必要なのです。この努力によって「一念の管理」の基本が確立されるのです。

「一念の管理」の中心は、念の種類によって、それが悪霊を呼ぶものか善霊を呼ぶものかの区別があることを知ることが大切です。そして、その区別に基づいて、絶えず自分の念の中身を分類する癖をつけることが重要なのです。区別のための簡便な基準を示してみましょう。

 まず、善なるものは、「明るく、前向きで、積極的で、発展的で、協調的」です。ところが、悪しきものは、「暗く、退廃的で、消極的で、批判的で、猜疑する」なのです。この分類を瞬間に行うことができて、悪いものをすぐに切り捨て、善いものをすぐに取り込むことができるなら、「一念の管理」は十分にできていると言えるでしょう。

 霊という、目に見えなくてその実態を確認することが難しい存在を、念と置き換え、さらに進んで、主体的に「一念の管理」を行うことで、霊に支配される側から支配する側に立場を換えることができるのですね。

この後は、神人合一の道について少しだけ説明したいと思います。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

5.運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である (2)

 まず第一に大切なのは、少しでもいい土地に住むことです。

 第二に大切なことは、少しでもいい人間とつきあうことです。第三に少しでもいい自然の景色と気にふれることです。第四に少しでもいい神気にふれることです。第五に、少しでも人生を明るく前向きにする言霊の宿る、いい本を読むことです。第六に少しでも美意識を高める芸術にふれることです。第七に少しでもいい心と感覚を呼び起こす、色彩と雰囲気のある部屋や内装を選ぶことです。第八に少しでも明るく前向きですがすがしい感覚になれる服装を選ぶことです。第九に少しでも日あたりのいい家と部屋に住むことです。第十に少しでもいい念と感覚が出てくるよう、いい想いを湧かせる祈りを習慣とすることです。第十一に少しでもいい感覚を人に与えるような態度、言葉、礼を行い、相手がそう思う感覚を自分にはね返らせることです。

 こうして、自分と出会うもの、自分にいろいろな刺激をもたらす対象を自分から主体的に選別することで、自分の中により良い霊界を積み重ねていくことが可能となるのです。

 そしてまた、自分が抱く只今、只今の想い、すなわち自分の出す念によって、自分のところに引き寄せられてくるものが決まります。というのも、霊界とは、相応しいもの、等しいものが寄り集まる世界だからなんですね。

 だから、我々と共存している様々な善霊や悪霊、高級霊や低級霊のうち、「どのような霊とあなたが関わりを持つのか」は、別の言い方で言うなら、「あなたがどのような霊に憑依されるのか」は、あなたの念の抱き方にすべてがかかっていると言えるのです。あなたの抱く想念に相応しい霊が共鳴して寄ってくる、ということなのです。この法則は、この三次元世界における社会生活にもそのまま当てはまります。人は、自分と気が合う人と話し一緒に過ごすなら、楽しいと感じますね。なぜ楽しいと感じるのかというと、自分の持つ霊界と共鳴する部分が、相手の霊界の中にもあるからです。お互いの想念が相通じ合ってお互いに認め合えるから、楽しいと感じるのです。今、自分が出している念に相応しく、相手がやってくるわけです。今、自分が抱く想いに相応しく、自分の周囲ができあがっていくわけです。つまり、「只今」の一念こそが、善悪正邪、天国地獄の分水嶺となっているのです。

(つづく)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトは、深見東州先生をリーダーとする宗教法人です。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしておられます。

5.運命を改善するためには、自分が出す念を見直してみることが大切である (1)

 私達は、日々の暮らしの中で様々な良いものや悪いものに出会い、そのたびにいろいろな刺激を受けていると言えます。

 人は、両親から施された躾や育ってきた環境から影響を受け、それぞれに自分の好き嫌いができあがっているものです。考えたり分析したりする前に、自分の内に存在する情念や好みから来る「ふとした感覚」を一人一人が抱えており、実は、この「ふとした感覚」に基づいて何事も選択しているのです。「人間の認識は、学問をしたり人の話など聞くことで概念を吸収してできあがる」とする考え方がありますが、自分がどういう基準に沿って様々な概念を取捨選択しているのかというと、その基準が実は自分の内にある「ふとした感覚」だというわけです。そして、この内なる「ふとした感覚」が結局は自分に影響する様々な概念や認識の取捨選択を左右することから、最終的に人生観までもが「ふとした感覚」によって決まってくるのです。

 それ故、ふとした感覚をより良いものにしていくなら、自分に影響をもたらす様々な要素をもまた、「より良いもの」にしていくことができるのです。絶えず積極的に良きふとした感覚を見出すように努めるなら、自分の内なる世界は明るく発展的なものとなり、自分自身のご本霊が発動しやすくなるはずです。

 そのためにはどうしたらいいのでしょうか。

(つづく)

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今回総本部での神法伝授に参加させていただいたのですが、思ったのは、上手に待つための技術、これが大切だなというか、もっといろいろと工夫したほうがいいかなというか、そういうふうに思いましたね。

深見先生がおっしゃっていることの一つに、「神業の成功・不成功が何で決まるのかというと、準備の段階からどれだけお祈りを積み重ねていくことができたか、また、中身をどれだけ極めて本番を迎えることができたか、これらが大切です」ということがあったと思います。

今回、当日までの仕込みと、現地に着いて着席してから自分の内面をどうもっていくのか、この二つの部分で、もう少し工夫する余地があったな~って感じたんですね。

当日までの仕込みということで考えてみると、24日土曜日に大仁総本部に行かせていただくまでに自宅で毎朝御祈願をするにはしていたのですが、今になってみればもう少し言葉を足して、そしてもう少し時間を長くとってお祈りしておけば良かったかなと思いました。というのも、祈った中身がやや抽象的で紋切り型になっていたため、やっぱり具体的な臨場感が欠けてしまっていたのではないかと思ったのです。

それから、当たり前のことなんですが、「待っている時からすでに御神業が始まっているのだ」ということをしっかりと理解しておくことが何といっても大切ですよね。目に見えない世界をお取り次ぎしていただくために、自分も含めた参加者全員の目に見えない世界、すなわち内的世界が充実することが何より大切です。だから、内面を充実させるための原則を理解しておくこと、この点の大切さを改めて感じました。現地に入って待つということは、気を凝結させていく、という段階にあるわけですから、この「待ち時間」を大切にし、無駄なおしゃべりをせず、気を発散させることなく、意識の世界を神仙なる存在に向けていく、ということを全身でやらないといけないわけです。理屈で分かるのと実際に体で表現できるのとが一致しているとは限りませんからね。

それで、ちゃんと「待つ」ためには、そして自分の気持ちを高揚させ続けていくためには、体力も必要ですね。体力不足を侮ってはいけないなって思いました。

それから、自分自身に自分の言葉で語りかけて、それを祈りに変えてどんどん神様に投げるのですが、やっぱり言葉が出なくなってくると飽きてくる、言葉が足りなくなってくると退屈になってくるのですね。それで、高揚感が失われてきます。言葉が出てこない理由は、最近活字に触れておらず、言葉を忘れてきているからなんですね。ここ最近は、ちょっと活字に触れる量が減ってきていると自分でも思っていたので、良い本をもっと読まないといけないと改めて思いました。文学性をもっと豊かにしたいなって思いました。

今回、最後に締めくくるにあたって、深見先生が霊を以て霊を取り次ぐという話しから具体例を出して、丁寧にいろいろと解説して下さいました。他人に向けて、いつでも、分かりやすく説明できるようにしておくことが大切ですね。

次回の御神業がよりいっそう素晴らしいものとなりますように。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

神仏やエンゼル、それに守護神守護霊といった存在は、すべて、自分の役割と働きをわきまえて、調和の心をもって、人間、あるいは子孫を守っています。

そして二十四時間、自分の守護する人間や子孫の幸せを祈っているわけですね。

守護すること自体がその方達の修業でもあるわけですが、無償の愛を常に私達に注いでくれているのですね。

でも、まったく報われないというわけではなくて、神様の御心と同じき心で私達を守護して下さるわけなので、結果として、守護神さんや守護霊さん、エンゼル達は、スの神様からの愛を受けて、御魂の恩頼(ふゆ)をいただいておられるのだということです。神様から愛と歓喜を受け取っていらっしゃるのですね。そして、恩頼をいただくたびに霊格が向上していく。それもまた自分が成長しているという喜びなのでしょう。

守護のありかた、働きかけのありかたが愛そのもので、私達が感謝してもしなくてもずっと守ってくれているのです。与えるだけに徹していて見返りを求めないのですね。これが高級霊、もしくは高級神霊のあかしだと言えます。高級霊も高級神霊も無償の愛に徹して下さっているのです。

そして、私達人間も、そういう想念でそのような行いをすれば、神仏の御心と同じ心、同じありかたなので、高級霊・高級神霊から守護されることになり、結果として自然に運も良くなっていきます。

自分達が死んだ後には、消えてなくなるのではなく、霊界に行っていろいろな修業をすることになること、そして自分達がこの三次元の世界に生きている時にも、いろいろな霊界から干渉を受けていること、こうしたことを理解しておくことが大切なのです。

そして、霊界の存在を踏まえて毎日を過ごすなら、霊界のことを知らない人・考慮しない人とは過ごし方が違ってきて当然です。

霊界には地獄もあれば、高級な霊や神霊がいる世界もある。そうした高級神霊界と波長が合うような生き方をしようと思って頑張るのと、やみくもにただ頑張っているというのとでは自ずから最終的に到達するところが違ってくるはずです。

つまりは、神仏の御心に合うように毎日を過ごしていくなら、自然に天国に行ける、ということなのです。

神仏の御心に合うように生きようと思うなら、結局は内修と外慈の二つの観点から自分の生き方をより良いものにしようと考えるはずで、それが自分の内面を豊かにする学問と、外に向けての表現となる法施・物施・体施になっていくのです。

神業奉仕も自分の勉強でもあり、体施でもありますね。自分の御魂を向上させることができ、また徳積みをさせていただくことができる、素晴らしいチャンスですからね。でも、三次元に生きている私達の場合であっても、本当のご褒美というのは、神仏からいただく愛と歓喜なんだということを忘れないようにしたいですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 守護神 守護霊 エンゼル

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

肉体を持ってこの三次元世界の中で生きている時には、只今只今を真心で過ごそう、真心をもってさせていただこうという心構えで過ごすなら、すなわち自然に「明るく楽しく前向きに、積極的に、発展的に」ということになりますから、やっぱり自然に神様のほうへ行きますよね。すなわち天国のほうへ行くということですね。というのも、それが神仏の御心と同じ心であろうとするからだと深見東州先生がおっしゃていますね。

当然、反対に、自分の都合だけで、自己中心にのみ考えて、不平不満を抱えて、陰険なやり方を平気で通すなら、「暗く苦しく後ろ向きに、消極的に、衰退的に」ということなので、やっぱり地獄に向かっていることになってしまいますね。

ただやみくもに今を一生懸命生きていく、という生き方と、こんな想いとこんな行いで只今只今を過ごしていくことが神仏の御心にかなうことで、だからご奉仕の精神で毎日が充実したものになればいいなあと思ってがんばっている、という生き方と、実際に死んだ後にどちらが幸せな霊界に行くことになるか、だいたい見当がつくと思います。

でも、この「霊界」、すなわち四次元世界のことですが、これは人の心そのもの、または人の心が生み出したもの、のことですね。そして、人の心というものは肉体に基づいて出てくるものですから、結局霊界は人間の五感から生まれてくるわけです。四次元世界、すなわち霊界とは、三次元の世界に基づいた想念の世界なのです。つまり、三次元の世界と四次元の世界は、表と裏の関係になっているのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊界 天国 地獄

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

肉体を持ってこの三次元世界の中で生きている間は、自分より優れた人、自分より劣った人、いろんな人の中で生きているのであり、いろいろな情報を手に入れることができて、いろいろな考え方や生き方を知ることができます。

しかし、死んでしまってこの三次元の世界を「卒業」してしまう時には、それまでに悟った境地、その想念の世界に行くことになるので、死後は、通常は、それ以上悟ることもなく、ストップしてしまうことになります。

三次元のこの世の中で生きているということは、自分自身が真心を尽くして明るい心で生きていこうと心掛けるなら、自分の中身が何でもいいほうへ考えて、明るいほうへ考えていくような、明るい自分の中身に変えていくことができる。また、世のため人のため、と思って愛念を自分から出して、という姿勢で取り組んでいくと、おのずから愛情が湧き出てきて、自分の心を温かい世界に置くことができる。何事にも感謝するよう心掛けるなら、温かい世界に自分の中の霊界を変えていくことができる。そしてそういう人が死んだら、生前本人の心が置かれていた、温かい霊界に行くことになります。

自分のことしか考えない人、利己主義な人、あるいは陰険な人、あるいは暗くて不平不満ばかりをいう人、こうした人達はその心が暗いので、死んだら結局暗い霊界、すなわち地獄に行くことになります。

霊界というのはすなわち本人の心の世界なので、本人が明るい、温かい心を持っていれば、亡くなった後には明るく軽く温かい霊界に行くことになります。本人が暗く冷たい心を持っていれば、亡くなった後には暗く重たく冷たい世界に行くのです。天国や地獄というのは、自分で上がっていくものであり、自分で落ちるものなのです。生きていた時の自分の心の在り方が、死んだ後の行き先を決めるのです。これが一つの法則です。(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊界 感謝

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

霊界とは何でしょうか。

例えば、今自分が居る霊界はどういう世界かというと、ただ今の自分の境地を思い返せばわかります。今自分が居る霊界とは、今の自分の境地のことなのです。人間は、この三次元の世界に肉体を持ちながらにして、つまり生きたままで、自分の中の霊界を、天国にすることもできるし、地獄に落とすこともできるのです。

それでは死後、自分はどういう霊界に行くのかを考えた時、どうやって決まるのか。

ほとんどの場合は、死ぬ間際の境地、今際の際(いまわのきわ)の境地で決まるようです。

霊界とは心の世界であり、それはすなわち、意志と想念の世界です。そして意志と想念の世界は、時間と空間を超越しているのです。ですから、昔の自分が高校生だった頃、青春の頃を回想して心の中に思い浮かべる時には、時空を越えて、ただちに自分や友人達が十代後半のあの年齢だった頃を思い出し、ただちになつかしい高校の校舎のことを思い出して、自分が高校に通学していたその当時の世界に入ることができるのです。

かつて自分が通った高校は、自分の霊界の中に永遠に存在しているのです。

自分の今際の際の想いが死後の霊界を決めるということに関しては、次のような話を聞いたことがあります。

昔、源氏方の追っ手から逃れてきた、平家の落ち武者がいたのです。

実は、その落ち武者は、命からがら逃げる途中、川を渡って逃れようとして川に入ったところで、そのまま息絶えて死んでしまったのです。ところが本人は、自分が肉体的に死んだことに気付かないで、意識の上では「頑張って泳いで逃げ切らなければ」、と必死に思っているものですから、魂は肉体から抜けてしまっているのに、心はその川にとどまったままで、ずっと泳ぎ続けるということになったのです。

これがいわゆる地縛霊ですが、この落ち武者の霊の場合は、救ってあげるまで800年間くらい心だけがその川にとどまり、泳ぎ続けていたようです。死んだことを自覚できないで、思いだけが残っていたのですね。(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 地縛霊 霊界

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

霊界を拒否する人、霊界に無関心な人、霊界に無知な人が死ぬとどうなるか。

死んで肉体が消滅したら自分の存在も消滅してしまうと、生きている時から間違って思い込んできたので、実際に死んだ時に、自分の死を自覚できません。というのも、死んでいるのに自分の意識が消滅しないので、事態を理解できないからです。

死んだ後は霊界に行くべきだということ(というか、自分の意識が肉体から離れても存在できるという事実を受け容れて、想念の世界の住人となったことを自覚すべきだということ)を知らないし理解できないので、結局子孫に憑霊して、なんとかしてくれ!と助けを求めることになる。これが「先祖の戒告」です。

前々回でここまでお話ししていたと思います。

仏壇のお祀りのしかたが間違っている場合でも、やはり子孫に知らせよう知らせようとしますので、「先祖の戒告」が起きてきます。ご先祖の霊が、子孫をいましめて、告げているわけです。

例えば「喘息」なんかは、先祖の戒告の場合が多いようです。また、何度治療しても全快せず、すっきりしないであちらが悪くなった、こちらが悪くなった、とそれほど重くもない病気がなかなか治らないで続く場合、それが特に上半身の病気なら、やはり先祖が戒告している場合が多いようです。(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊界 仏壇

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

ワールドメイトでいつも耳にする言葉、というか、いつも目にするというか、ワールドメイトの会員になって教わっている中で、一番大切な事柄の一つに、「人間が生まれてきた理由とは何か?」という話がありますね。

この質問の答えは「御魂を磨くためである。」というものですね。深見東州先生は会員に対して常々、「この世に生まれてきたのは、自分の御魂を磨くためですよ」とおっしゃっています。そして、この「御魂を磨く」というのをもっと具体的にいうなら、それは、「進歩する・向上する・発展する」ということになると思います。例えば、自分を進歩させる、自分を向上させる、自分を発展させる、ということですね。

そして結局、今日も一生懸命生きるぞ、今日も頑張るぞ、という姿勢・心構えに落ち着くのですね。

しかし、神様のことを知らない人でも、神様のことを信じていない人でも、一生懸命頑張っている人はたくさんいます。

ここで、生まれてきたことの意味を考えてみて、かつ知って、そして死んだ後の世界のことも考えてみて、かつ霊界のことについて知ったり確信を持ったりして、一生懸命生きるという人と、「とにかく生きている今しか、確実な自分というものは存在しないんだから、頑張るぞ」という人と、二種類の人がいる時に、果たしてこの二人の「一生懸命」の「質」が同じものになるだろうかと考えてみると、同じにはならないと思うのです。

とにかく今日さえ過ごしていければ、という生き方は、実は結構不安ですね。死後の世界を信じないで実際に死んでみたら、「物質としての自分が滅んでしまったら、もう何も残らない」ということにやっぱりなるのなら、「死後の世界は無い」と言い切って毎日過ごせばいいのですが、実際には死後の世界、つまり霊界はちゃんと存在していますからね。そうすると、霊界を信じている人なら、自分が今死んだら、どういう霊界に行くだろうか、なんて考えてみたりしますね。

話がそれますが、ある時、深見東州先生が来世の話をされたことがありました。深見東州先生がある人(△△さん、としておきます)と話をされていると、ふと、「今△△さんが亡くなると、来世はミュージシャンだね」とおっしゃったのです。これはどういうことかというと、その時、この「△△さん」は、目の前で自分の友人が上手にサックスを吹く様子をじっと凝視していたところだったのです。おそらく、「自分もあんなふうに楽器を演奏してみたいなー」といった羨望の想いを抱いていたのでしょう。これは、今の一瞬の想念の在り方が来世を決めた例の一つですが、今の自分の想念が天国界に近いものか、それとも地獄界に近いものか、あるいは平々凡々として中有界みたいなものか、会員なら自分の想念の在り方について考えてみた経験が、どなたにも一度や二度はあるのではないかと思います。

今の自分の想念の在り方が、すなわち今自分がいる霊界ですからね。

霊界とは自分の心そのものなのに、霊界があることを拒否したり、考えたことがない、という人はどうしても刹那的になってしまう傾向があるのではないでしょうか。過去や将来を考えず、ただ現在の瞬間を充実させて生きようとする考え方のことを「刹那主義」というんですけどね。これでは、どんなに我力で努力しようとしても、息切れしてしまいそうですけれども。

さらに、本当は霊界が存在するのに、霊界があることを拒否したり、考えたことがない、という人は、死んだ時に、困ることになるんですね。

霊界のことを拒否したり、考えないで死んでいく人は、死んでから困るのです。その理由は、霊界がどういう世界なのか、霊界でどう過ごしていけばいいのか、全くわからないまま死んでいくからです。

霊界を拒否する人、霊界に無関心な人、霊界に無知な人が死ぬとどうなるかというと、死んで肉体が消滅したら自分の存在も消滅すると生きている時から思い込んできたので、実際に死んだ時に、自分の死を自覚できないようです。死んでいるのに自分の意識が続いていることについて、おかしいと思ってしまい、事態を理解できないのですね。

死んだ後は霊界に行くべきだということ(というか、自分の意識が肉体から離れても存在できるという事実を受け容れて、想念の世界の住人となったことを自覚すべきだということ)を知らないし理解できないので、結局子孫に憑霊して、なんとかしてくれ!と助けを求めることになるのです。実はこれが「先祖の戒告」にあたるものです。(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 霊界 想念 刹那主義

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

仙台の御神業が終わりました。参加された会員の皆様、お疲れ様でした。最後は私も座りっぱなしでちょっと足がむくんでしまったりもしましたが、最後には利き酒もあったりして素晴らしい御神業となりましたね。

今回の会場が震災のひがいを受けた仙台にあるということ、そしてもともとは修験者の修業する霊場だったということ、この二つが理由でいろいろと支障もありました。

でもそれが結局は会員の徳積みのチャンスにもなったし、龍神さんたちが玉をもらって神上がりすることになって、とっても充実した素晴らしい御神業になりました。

深見東州先生が直接御霊たちに話しかけることになった最初のほうのお話しでは、「軽く・明るく・温かく」という、御魂が救われるための必須条件をとにかく噛み砕いてお話し下さって、本当に納得、納得、納得、といった感じでした。本当に言葉が足りていて、いつ聞いても深見東州先生の解説は素晴らしいと思いました。理屈を説明して頭で分かってもらうだけでなく、感情に訴えて心でも受け容れてもらうことができるようにするため、具体例を出して具体的に話すといいんですよ、とおっしゃっていましたが、本当にその通りだと思いました。突然の津波でお亡くなりになった方たちの心が救われるよう、何度も繰り返してお話しになっていました。

実際に深見東州先生が何度も手を変え品を変えてお話しをして下さったので、私たち会員も、そして霊たちも、本当に心から納得することができて、死後いつまでもこの三次元の世界にとどまっていることがなぜいけないのか、どうしていつまでも悔やんでいてもしょうがないのか、心を切り替えてあの世に旅立つにはどうすればいいのか、こうした点を改めて確認することができました。

死んだら行くべきあの世=霊界がある。死後も悔やんだままでいると、心が三次元の世界に執着し縛られてしまうから、そのままでは心を軽くすることはできない。心配の想いで重くなると、この世にとどまってしまって地縛霊浮遊霊となってしまう。だから心を切り替えて、執着を捨て財産のことも残した家族のことも生きている人間たちに任せて、自分の行くべき霊界に想いを向ければ自然に霊界に旅立つことができるよ、そうすれば地縛霊浮遊霊にならずに済むよ、と霊たちに語りかけたわけですね。

私たちも理屈では分かっているつもりなんですが、深見東州先生がされたように事細かに詳しく解説するのは、いざやってみるとやっぱりなかなか難しいと思います。今回は深見東州先生が見本を具体的に示して下さったわけですね。言葉を丁寧に足してお話しをすることは本当に大切ですね。

東日本大震災で心の準備ができないままお亡くなりになった方がたくさんいらっしゃったわけですが、少しでもそうした霊たちの心が安まればと思います。最後になりましたが、今回の震災でひがいに遭われた皆様に心からお見舞い申し上げます。一日も早く復興が成りますように。

(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 東日本大震災 浮遊霊 地縛霊

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

霊界の実在を現時点での科学的な方法によって証明することはできないとされています(証明できるという話はいくつか教えていただいたこともあるのですが…)。

しかし、実際に、亡くなった母親が枕元に立ったり、不倫相手の奥様の霊が女性のところに姿を現したり、父親が楽しそうにお花畑を歩いて遠ざかっていく夢を見たら翌日亡くなったとか、「科学的に説明できない不思議な体験」という話はいくらでもありますよね。

だから、科学者だからといってかたくなに霊界のことを否定している人のことは、あまり好きになれません。

何が言いたいのかというと、霊界が存在するのを科学的に証明できないかもしれないが、同時に存在しないことも科学的に証明できてはいないのだから、いかにも自分が正しいかのように霊界の存在を否定するのは行き過ぎだと申し上げているのです。

結局、現時点では、信じたい人は信じ、信じたくない人は信じない、ということになっていますね。まあ、これでいいんじゃないでしょうか。

しかし、霊的な事実としては、「信じた人にこそ霊界が開く」のです。

だから、良い霊であれ、悪い霊であれ、その存在を信じると、それは即ち、「受け入れる」ことになるので、その力というか働きというか影響が流れ込んでくるのは間違いありません。

しかし、悪霊は、人間を占領して利用したいと思っているので、向こうからいくらでもやってきます。また、善霊は、自分に相応しい人としか交流したくないと考えているので人を選びます。結局、「ご縁ができるのは自分に相応しい存在」なのです。霊界は似た者同士が出会いくっつく世界なのです。

そしてこれは、現実界でも同じ。やはり自分に相応しい相手しか来ないのです。だから、素敵な男性に会いたい人は、自分磨きが大切だということですね。自分が向上すればその分、良い相手が来る可能性が高くなるのです。

また、自分の中にも相手の中にも、霊体の奥に神魂が存在しているのです。つまり自分の中にも相手の中にも神様がいらっしゃるということです。それを大切にすれば、自分の運は良くなり、良い相手にも恵まれるようになるというのが、原則です(あくまで原則ですが)。

自分の中にいる神様を大切にする、というのは、常に明るく楽しく前向きに自分の心の中を保つこと、そして同時に自分の体は「おみこし」なので、自分自身を清潔に美しく保つということなのです。

どんなときでも神様に動いていただける自分でありたいものですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 霊界 神魂 悪霊 善霊

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何か文句を言う材料をわざわざ見つけて、ぶつぶつ文句を言っていると、「文句を言っている」という霊界ができるのです。

だから逆に「…ということは素晴らしいですね」「…だなんて、よかったですね」「…と考えれば、最高に素晴らしいことですよ」という言い方で徹底して統一すれば、そのように運が変わっていきやすくなるのです。

口に出す時にどういう言い方をする傾向があるのかは、人それぞれです。しかしどの人も必ず自分の両親から受け継いだ癖というものがあって、その結果そういうものの言い方をしているわけですから、特にものの言い方が暗い、後ろ向き、という人は、意識して、積極的で発展的な、明るい未来を思い描いているというようなセリフを口に出すよう心掛けると、そういう運に変わっていくのです。

注意しなければならないのは、親しい人、親や兄弟、友人、恋人、相談相手、といった人たちです。こういう人たちが自分に向けてどういうものの言い方をしているか、また、自分が、ついくつろいでこういう親しい人たちに対してどういうものの言い方をしているか、これをもう一度確認してみたほうがいいでしょう。

バーへ行って、酒を飲んではそこのママを相手に上司のグチをこぼす、という人がいますね。その酒飲みは、ママ相手にぶつぶつぶつぶつと文句を言うのですが、文句を吐きだしてストレスの解消になっているかもしれませんが、運気は伸びないそうです。酒を飲んでいつも上司のことをぶつぶつ言う人間がとんとん拍子に出世したというお話しはやっぱりないそうです。

ぶつぶつ言うから出世しないんですね。ぶつぶつ言って、運気を悪くしているのです。

口にしていいことといけないことを選ぶ、これを心掛けないと運は良くならないようですね。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 恋人 出世

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

深見東州先生のもとにある女優さんが相談に来られたことがあったそうです。

その人は調子がいいと、ぱーっと良くなるという面もあったのですが、一度つぶれてしまってから、なかなか回復できない状態が続いていた。それで深見東州先生のところへ相談しに見えたのですが、よくよく話を聞いてみると、特定の傾向があることがわかったのです。

その子のお父さんとお母さんは仲があまり良くなくて、いつも「ぶつぶつぶつぶつ」と文句を言い合うという仲だったのです。そしてそれが家族中にまん延していたのです。

お母さんは、お父さんのことを、いつもいつも「ぶつぶつぶつぶつ」と言う。

お父さんも、お母さんのことを、やっぱり「ぶつぶつぶつぶつ」と言う。

お姉さんも、そういう両親のことを見て、やっぱり「ぶつぶつぶつぶつ」と言う。

ですので、本人も、同じように「ぶつぶつぶつぶつ」と言うのですが、それが当たり前だと思って無意識にやっているので、本人には自覚がないのです。

だから、そのままだとぶつぶつ霊界の真ん中にずっと居ることになるので、すなわち、明るい発展的な霊界ではないので、このままでは発展はなかなか難しいでしょうから、ということで、深見東州先生が二つ、教えてあげたそうです。

(続く)

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 ぶつぶつ 霊界

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

無くて七、といいますが、これは「多かれ少なかれ人にはがある」という意味ですね。

で、そのが、実は、その人の霊界をかなりの割合で決定づける要因になっているのです。

子供の頃、私達は母親、父親を見習って育ちます。そして、父母の、良いも悪いもみな無分別に区別なく、ひとつも見落とすことなく、実はそっくりに真似しているのです。

男性は自分のちょっとしたしぐさに父親の影響を、女性なら母親の影響を改めて感じて驚いたことはありませんか?自分では真似しているつもりがなくても、いつの間にか自然に「複写」してしまっているわけです。

したがって、口、考え方の癖、腕の上げ下げの癖、ごはんの味付けの癖、当たり前だと思っている習慣など、生活の中で当然だと思って振る舞っていることの大部分が、実は親譲りの癖だったりするのです。

そして、もともと親から生まれてきて、その親に育てられて、その親が持つ霊界に新しく生まれてきた命、というのがその家の子ども、なわけですから、息子を見れば父親の様子が、娘を見れば母親の様子が、だいたい想像できるのですね。

そうすると、本人の持つ雰囲気=本人がいま居る霊界、なんですが、それが、親譲りの癖で決まってしまっているかもしれないのです。

つまり、親の悪い癖を知らず知らずのうちに真似してしまって、いつのまにかその霊界に居る、ということが実は起きているのです。

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tag : 深見東州 ワールドメイト 半田晴久 無意識 クセ

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

地獄に落ちている先祖が救われる方法には三つある、ということで説明したんですが、もう一度繰り返しますと

 1.子孫徳積みをする。徳積みとは、体施・法施・物施をすること。

すなわち、荷物運びをしたり、お掃除をしたりという、自分の肉体を使った奉仕活動をするのが体施、神仏の道や、神霊界の法則を説いて、正しい神霊界の事実や法則を人々に伝えていくことが法施、神社仏閣に寄付・寄進をしたりして、自分の財産を神仏に捧げることを物施、といいます。

 2.地獄で本人が改心する

地獄に落ちた先祖霊本人が改心することで、自分自身を救うということですが、これは、先祖が学問を積んで、神仏の道の法則を知っている、あるいは悟ったという体験がある、そういう先祖でないと改心できないのです。

 3.恩赦・特赦

これは、神様が、霊能者を通じて地獄に落ちた霊たちを救うか、時代の大きな変わり目で、特命を帯びて許されるか、といったケースですが、前者は霊能者を知っていないと依頼することができません。また後者は、時代の変わり目で働けるような、偉人?を先祖に持っている場合にしかおきないことです。

こう考えてみると、私たち子孫が具体的にすぐにできることは、1の「子孫徳積みする」ということだと分かります。そして、家伝の病気、兄弟姉妹の奇病、家の姉妹全員がまったく結婚できない等、特定の傾向が自分の家にある場合、地獄に落ちた先祖霊が影響を与えている場合も多いのです。そう考えると、私たち子孫徳積みで、先祖も、自分たちも、両方とも救うことができると言っても間違いではなさそうです。

それでは、開運につながる「徳積み」とはどういうことを指すのでしょうか?

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄 先祖 子孫 徳積み

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

先祖の地獄での刑期を短くしてもらうには、三つの方法があるのです。

一つは、子孫が徳を積み、「おつとめ」の期間を短縮てもらうという方法。徳を積むには、神仏に対する寄付、神社の修復をする、人助けをする。一身を神仏に捧げたり、といった方法、すなわち「体施・物施・法施(たいせ・ぶっせ・ほっせ)」をするわけです。子孫が徳を積むと、その功績が地獄にも報告されて、先祖の罪が実際に軽減され、八〇〇年の地獄行きが、四〇〇年になったりするそうです。

二つめの方法としては、地獄にいる本人が改心することです。改心とは、「考え方が改まり、言葉遣いが直り、行動が改善される」ということです。この三つが常に揃ってくるようになると、改心できた、というんですね。でも、もともと地獄にいるわけですから、つまりその考え方のせいで地獄に落ちたわけですから、それがすぐに改心できるわけがありません。改心できる人というか改心できる霊であるかどうかには条件があって、その条件がないと改心できないのです。

そしてその改心できるための条件とは、「生前ある程度の徳を積んだことがある人、あるいは学問・信仰の基礎があり、最低、悟るということを覚えた人である」ということです。

地獄から自分を救うのは、自分自身で学んだ事柄、自分自身が学習した学問や信仰なのです。ここからも、生きている間に学問をしたり、信仰について考えたり実践したりすることがとても大切なのだと分かるのです。

地獄では、本人が改心したとみなされると、神様は霊界の長を呼び、「仮出所」の許可を与えます。すると、鬼が本人のところへやってきて、その霊だけを別のところへ連れていくのです。こうして刑期が短縮されることになります。

三つめの方法とは、特赦、恩赦です。この世でも皇室の慶事や重要な国家行事があるときに特赦、恩赦が行われるのですが、地獄界でも、特赦、恩赦が行われるのです。しかし、この方法はどの家の先祖にも当てはまるというわけにはいかないかもしれませんが…

霊界での特赦とは、神様がその霊に特別任務を与えて「仮出獄」させることを言うそうです。その特別任務によって、償(つぐな)いの機会を与えるわけです。ただし、ここで特別任務を与えられるような霊とは、一つの時代を動かしてきたパワーのある霊のことで、例えば豊臣秀吉とか徳川家康といった人の霊がこうした特赦の扱いで明治維新の時に霊界において活躍したりしたそうです。維新を動かした中心人物たちの守護霊として導いたのです。なお特赦のケースでは、実際に生まれ変わってくることもあるそうで、その場合、大変な苦労をした末に、結果として大きな業績を上げるような人物になることが多いようです。

恩赦というのは、神仏が除霊や霊的救済によってその霊の罪を許し、霊を救済される場合のことを言います。この場合では、神様が人を使って除霊される場合、霊能者にそうしたお取り次ぎをさせることが一般的なのだそうです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天国 地獄

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

死後の世界のお話しがあると、たいてい、「天国界に行っている先祖は幸せだからいいけど、地獄に落ちている先祖を救いたいという気持ちになります。もし自分の先祖の中で地獄に落ちている人がいた場合、どうしたらいいでしょうか」という質問が出ます。

生前、悪業を重ねると死後、地獄へ落ちますよね。この場合、その所業によって八〇〇年間とか、無期懲役とか、いろいろ「刑期」が決まってくるみたいです。そして、その期間中は、「血の池地獄」とか「焦熱地獄」「八寒地獄」などで、いろいろな種類の、というかあらゆる種類のさまざまな責めを受けることになるのです。

ここで味わう痛みや苦しみは、現実界のそれとまったく同じで、しかも霊界では肉体が失われている、というか肉体を脱ぎ捨てているため、神経と感性が剥き出しになっていますから、痛みや苦しみは現実界の十数倍になって感じられることになるのです。この想像を絶する痛みと苦しみが、何度も何度もくり返されながら、三〇〇年、八〇〇年、あるいは永遠に、続いていきます。最高に辛い世界ですね。

この地獄で苦しみうめいている霊たちをどうにか救いたいという発想は、当然誰でも思いつくところなんですが、実はできるのです。すぐに無罪放免というわけにはいかないのですが、地獄にいる期間を短くしてもらうことはできます。たとえば、無期だったのを五〇〇年にとか、八〇〇年だったのを三〇〇年にとか、この世の刑務所務めと同じように短縮できるのだそうです。

そして、刑期短縮のための方法は、全部で三つ、あるのだそうです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄

167第一天国

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。


第二天国のもう一ランク上にあるのが第一天国です。第一天国は人間界最高の霊界で、篤い信仰心を持ち、そして同時に地位や名誉や財産を持った人が行くところなのです。

しかし、地位や名誉や財産を持っているだけではここには入れないのです。至純な信仰心に基づいて、財産を世の中に還元し、地位や名誉を活用して世のため人のために尽くした、という人がこの第一天国に入ることができるのです。

ですので、純粋な信仰心だけでも第一天国には入れないのです。信仰心とともに、社会的地位、名誉、富がそろって、初めて第一天国に入ることができるのです。つまり、天、地
人の徳がある程度バランスよく完成されていなければならないというわけです。天に愛され、人に愛され、物質にも恵まれるという、ある一定以上の徳の積み重ねが必要だということなんですね。要するに、地獄の反対なんだということです。

第一天国に入る基準をの数値で言うと、最低でも一億五千万の徳が必要だということです。

第二天国の場合なら最低百五十万の徳、第三天国は最低十五万の徳がなければ入ることはできないということでした。

繰り返しになりますが、説明しておきますと、(こう)とは善行をなして本人の徳となる行いをした時にその善行の量を量る尺度の単位のようなものです。そして、一(いちこう)とは、寝たきり老人を三日間徹夜で看病し、衣服や食べ物、飲み物を与えた行為に匹敵する、ということです。

さらに言うなら、この第一天国に入る人はごく少数であり、決して多くはないとのことです。ちなみに言えば、特に西洋人には少ないようです。西洋人は、第二天国、第三天国に行く人が多いようです。

もう一度まとめると、第三天国は、信仰心は薄くても世のため人のために尽くした人が行くところ、第二天国は、信仰一途に生きた人、第一天国は、その両方を兼ね備えた人が行くところ、ということですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天国 信仰心

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

天国界も、地獄界と同じように、上から三つに分かれているのだそうです。

一番上が第一天国、次が第二天国、そして、中有霊界上段のすぐ上になるのが第三天国になっているようです。

もちろん、細かく見ていくともっと細かく分かれているようですが、大きくはこの三つにまとめられるようです。

第三天国は、世のため人のために尽くした人が行く霊界です。そこでは太陽が輝いていて、住む人もみんな立派で、自分の功績を自慢するような人は一人もいません。人々は、ただ感謝感謝の心で生きていて、慎み深く、争いなどはありません。

第三天国では、リーダーがいる小さな村がいろいろとあって、一つひとつの村に何か共通項を持つ人々がグループごとにまとまって住んでいます。志を同じくする人々が、一つの村に住んでいるわけです。

第二天国は、信仰の道を至純に全(まっと)うした人が行く霊界です。汚い服を着ていてもいい、地位や名誉がなくてもいい、苦労を通して神への誠を全うし、至誠至純の真心を、口と心と行いで貫き通した僧侶やクリスチャンのような人が行く霊界です。

信仰とは、ただ信じていればそれでいいというわけではないんですね。体施、物施、法施を実践して真理を探究し、身のうちの神なるものを実践しなければ本当の信仰とは言えないのです。

信仰心があると自分で言っている人であっても、あるいは何かの宗教団体に属しているといっても、実際の行動が神様の教えから遠く離れているような人がいますが、そういう人がこの第二天国に行くことは当然ありません。

本当の意味で信仰に生きた人が行くのがこの第二天国ですから、僧侶や神父、牧師以外の一般人であっても、この「神への誠を全うし、至誠至純の真心を、口と心と行いで貫き通す」という法則を実践した人なら、死後誰でもこの第二天国に行くのです。

この第二天国は、慈善事業を行っただけの人が集まる第三天国よりも一ランク上に位置しているのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 天国

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

地獄の上、というか、三段階に霊界を分けた時の一番下を「地獄」、そして真ん中を「中有霊界(ちゅうゆうれいかい)」、一番上を「天国」と言いますが、今度は、その真ん中の「中有霊界」の様子について、深見東州先生が解説して下さったことを書いてみます。

中有霊界は、現実界にたとえるなら、中流階級の人たちが住むところ。ここではだいたい、普通の人間社会の生活が営まれているんですね。現世の生活とほとんど同じです。

本を書いている人もいれば、農業をしている人もいます。あるいは漁業の人もいます。

中有霊界は、生前とりたてて悪いことはしなかったが、良いこともしなかったという人が行く霊界ですが、ここも何段階かに分かれています。生前のプラス点とマイナス点を差し引きして、ほとんどプラスマイナスゼロ、という場合は中有霊界の真ん中に行き、プラス点が増えるとそれより上へ、マイナスが増えるとそれより下の段へ行くのです。

そして、ある一定の基準より下の場合は地獄行きとなります。

この基準というのは、「功(こう)」と「劫(ごう)」です。

深見東州先生が直接閻魔大王様に尋ねたら、一万五千劫以上に値する「悪行」をなした場合に地獄行きが決定し、その一万倍悪い数値にあたる、一億五千万劫以上に値する悪行を積むと、最下段の地獄へ行くことに決まるとのことです。

劫とは徳の逆、あるいは功の逆のことで、一劫とは「罪なき人一人に、冷水を浴びせて罵倒し、5回~6回殴ったうえ、2回~3回蹴り上げるというひどい目に遭わせること」だそうです。

では、一功とはどのくらいの善行なのかというと、「寝たきりの老人を三日間徹夜で看病し、衣服や食べ物、飲み物を与えるという行為」だそうです。

自分でやったひどいことは誰でもなかなか自覚がないものですよね。でも、長い期間にわたって大勢の人の心や体を精神的あるいは物理的に苦しめ続けた場合には、劫数が飛躍的に可算されるようです。

中有霊界の上段は、現実界でいう上流社会にあたります。食べ物、飲み物、住むところ、それぞれが豊かで美しいのですが、天国ほど豪華ではないようです。

これに比べて、中有霊界の下段は、現実界の下流社会にあたり、労働の割に報酬が少なく、食べ物や飲み物の量も少なく、品も粗悪なんだそうです。そして、下に行けば行くほど肉体労働の要素が多くなるのです。街で見かける浮浪者のような格好をしている人も、中有霊界の下段にはいるそうです。

そして、生まれ変わりのプロセスという点から言うと、死後この中有霊界に行く人が一番多く、そしてここへ行った人はだいたい三〇〇年から四〇〇年するともう一度現世に生まれ変わるのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

人の悪想念と悪行が創り上げた地獄の中には、おなじみの「焦熱(しょうねつ)地獄」「かまゆで地獄」「血の池地獄」などがあります。血の池地獄は、女性関係が派手な人が行く地獄ですね。たくさんの女性関係を持ちすぎると、血の池へ落ちて、そこでプカプカ浮いたり沈んだりすることになるそうです。生臭くて生臭くて耐えがたい異常な世界の一つみたいですね。

くそだめ地獄というのもあるそうです。例えば、ある庄屋さんが大勢の人を働かせて可能な限り、その人たちを自分のために利用して金や財産を貯め込んだとしましょう。すると、その報いとしてこの地獄へ入るのです。首から下は、肥だめにはまって、身動きできなくなるみたいですね。守銭奴(しゅせんど=ケチな人のこと)が必死で貯めたお金というのは、あの世に行くと自分の重荷にしかならないんですね。実は、執着をもって貯め込んだ財産であるほど、霊界で妨げになってしまうようです。つまり地獄での重荷になってしまうのです。そこで先祖が子孫に憑いて、散財させようとします。そうすると、またまた放蕩息子(酒や女遊びにふけって品行の修まらない息子)が一人できあがってしまうことになるんですが。

他には、「なまけ地獄」というのもあるんですね。その名のとおり、怠け者が行く地獄です。怠け者は、本来あるべき天賦(天から受けた性質、才能。うまれつき。天資。)の能力を努力して発揮することをしなかったということで、神道でいう「天津罪」にあたるため、この地獄に突き落とされるんですね。この地獄では、荷物を下から上へと運んで行き、上がりきったところで番人が、「ごくろうさん」と荷物を突き落とし、それをまた上まで運ぶという単純作業が永遠にくり返されんです。また、石臼を永遠に引き回している人もいますね。

地獄の様相は様々で、いくら説明しても、それで終わりということにはならないようです。

最後に、心中した人たちについて説明しておきます。情死(=心中、愛し合っている男女が一緒に自殺すること)すると、霊界では、全裸で、しかも下半身がくっついたままでいることになるそうです。ちょうど「シャム双生児」のような格好なんだそうです。どこに行くのにもこの格好なので、恥ずかしくてたまらないという気持ちになるようです。(肉体が無い分よけいにはっきりと自分の気持ちを自覚することができるようになるでしょう)。

ですから、心中だけは避けたいですね。二人並んでずっと恥をさらすことになるからです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄 修羅道

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

地獄の様子について、深見東州先生が解説して下さったことがあります。

地獄界は非常に複雑な様子を示しているのだそうです。具体的には、第一地獄、第二地獄、第三地獄の三つの段階に分かれているのです。そして、さらに細かく、一つの地獄が十六の段階に分かれています。

地獄界の一番下には、「根底の国」という霊界があります。

また、喧嘩(けんか)地獄というのもあって、これは修羅道(=長い闘争、戦争、激しい怒りが続く地獄界)の一種なんですね。生前、財産争いをして親戚と口論ばかりしていた人がいました。その人が死後、行った地獄がこの喧嘩地獄です。手足を縛られたうえに棒にくくりつけられて、道ばたに立たされます。そして、道を通る人々が口々に

「バカ! 愚か者! 死ね! くそったれ! おたんこなす!」

と激しい口調で罵倒(ばとう)するのです。石を投げたり、うんこを投げる人もいるのです。縛り付けられている当人は、ただうなだれて、

「クソーッ!」

と歯ぎしりすることしかできません。こういう地獄界もあるんだそうです。

地獄界は、というか、霊界全体の法則として、下へ行けば行くほど寒くなり、暗くなるんですね。あたたかい空気は自然に上に行き、冷たい空気は下に行くのと全く同じ理屈です。心のあたたかい人は上に行き、冷たい人は下に行くのです。心の明るい人は上に行き、暗い人は下に行きます。これが霊界の法則なんですね。

そうした心の状態に比例して、第一地獄、第二地獄、第三地獄という段階が、おのずからできてくるわけです。この地獄は天地創造以来もともとあったのではなくて、人間たちが長い間にわたって自分たちの悪想念と悪行で形成してきたものなんですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 地獄 修羅道

ワールドメイトとは、深見東州先生をリーダーとするグループです。また、深見東州先生は半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

三途の川を渡った後に、閻魔大王にお会いするのですが、そこで生前の行いの善悪に応じてそれぞれ裁かれていくんですね。

徳を多く積み、仏心篤く、神社に寄付する、病気の人を助ける、奉仕活動をした、といった陰徳が高い人ほど、天国が近くなるわけです。

しかし逆に罪状のある人ではこうはなりません。

「お前はあまりにも自己中心で、悪いことばかりしてきた。善行も全く無いわけではないが、それを足して考えても悪がまさってとても許し難い」

とばかり、一喝されるのです。この時の閻魔大王のお顔はもう身の毛もよだつばかりの恐ろしいものになっていて、恐怖を絵に描いたようなお顔になるみたいですね。この恐ろしい顔の閻魔大王が、地獄へ送る時の顔なのです。

この世では器用に逃げ回ることができても、あの世では監獄行き、ということになるのです。しかも、懲役年数もはっきり決められてしまうのです。この世の裁判制度と何も変わるところはありません。

そして、霊界とは、肉体がない、心と内在意識の世界。ですから、自分の本当の想い、自分の本音に相応しい姿に、自分の見た目が変化してしまうのです。ですから、霊界では一切のウソやごまかしは通用せず、どんな言い逃れもできません。自分の姿が本音を語っているのですから。

こうして最終的に審判を受けて、それぞれの霊界へ行くことになるのですが、その霊界とは天国から地獄まで、無数といっていいくらいのランクに細かくしかし厳密に分かれているのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊界 陰徳 閻魔大王

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

「脱衣ばばあ」に「着替えたくない」と拒否しても、無理矢理着替えさせられてしまいます。そして、着替えが終わるといよいよ川渡りの番です。ザブザブと水の中を歩いて渡るんですが、この川は裁きの川でもあるのです。渡っているうちに、真っ白い着物がいろいろな色に染まるんですね。生前、善徳を積んだ人は紫色、罪深い人は赤黒い色、真心のあった人は青や紫色、金銭欲の強かった人はこげ茶や黒に、人それぞれの色に着物が染まるのです。

三途の川というのは、ゆるやかな流れ、やや速い流れ、急流で深くて渡りにくい流れと、人によって三種類の流れになるみたいです。このことから、三途の川という名前がついているわけです。

ここではごまかしが効きません。いくらごまかそうとしても自分の潜在意識が知っているので、生前の生き様がそのまま着物の色にあらわれてしまうわけです。

こうして三途の川を渡り終えると鬼がやってきて、赤は赤のほうへ、紫は紫のほうへと、着物の色別に分けていきます。似たもの同士の世界へと送られるわけです。

分類されると今度は、閻魔大王(えんまだいおう)との接見が待っています。一般に閻魔大王は恐ろしい存在だと考えられていますが、決してそんなことはないようです。本当は、善徳にあふれた素晴らしい顔をしておられるそうです。

そして「あなたは生前、徳をたくさん積み、仏心が篤く、お寺を修理したり病気の人を助けたりボランティア活動をしたり、陰徳が高かったね。これはプラスの得点になる。トンボや蛇をあやめた分のマイナス点を差し引いても、合計するとやはりプラスになる。どうぞ、天国へいって楽しい生活を送って下さい。そしてさらに勉強して下さい」という具合に天国へ送られていくんですね。この時のお姿はとても神々しく、やさしい慈父のようなお顔である。

ところがこれは、生前、世のため人のために生きた人の場合であって、罪状のある人ではこういうふうには行かないようです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 善徳 閻魔大王 天国

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人は、亡くなった後、五〇日が過ぎると、いよいよ霊界へと旅立つことになるのですが、直接すぐに霊界に入るということではないようです。

亡くなった直後の五〇日を含め、最初の約三〇年間は「天の八衢(あめのやちまた)」というところ、すなわち幽界で生活を送らなければならないのです。この期間は、現実界との間で交流しても構わないという約束になっているのです。ですから、お彼岸やお盆、あるいは一周忌、三周忌などの年忌供養のときは、親族のもとへ一時的に出掛けていくこと-これは生きている私たちから言うなら「お盆で御先祖様が帰ってくる」ことにあたる-も許されているわけですね。供養してもらったり、食べ物を与えてもらうことも許されています。ただし、この期間を過ぎてしまうと、それ以上はだめだということです。

この幽界での約三〇年間の間は、それ以後数百年続く本当の霊界へ行くための準備期間になっているのです。そして、この「幽界での三〇年」の間に、生前、犯した罪を悔い改め、改心するなら、罪が軽減されるのです。

つまり、本来なら地獄へ行かなくてはならない人でも、この期間中に心から改心すれば、中有霊界あたりへ行くことが許されるということです。言ってみれば、この約三〇年の幽界での生活は、執行猶予中の生活であり、サービス期間とでも言えるかもしれません。

この「天の八衢(あめのやちまた)」すなわち幽界の入口はどのようなところかというと、野原なんですね。そしてこの野原をどこまでも歩いていくと、さらさらと流れる川に辿り着きます。これが「三途の川(さんずのかわ)」なんです。

三〇年間の「天の八衢」の生活は、この三途の川を渡ってから始まるわけです。三途の川のほとりには、古い小屋が建っています。そして、この小屋には「脱衣ばばあ」という一人の老婆が住んでいるのです。

死者が川のほとりに着くと、「脱衣ばばあ」は着ている服を脱がせ、真っ白い着物に着替えさせます。死の旅路に向けた死の装束ですね。現実界にも、死者にあらかじめ白装束を着させる風習が残っていますが、それはここから来ているのです。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 幽界 霊界 供養 お盆

深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。

人は死んだらどうなるのか?死んだらそれで終わり、と考えていらっしゃる方もおられるでしょうが、もちろん、そんなことはありません。人は、死んだらみんな霊界に行くことになるんですね。

でも誰でも死んだらすぐ霊界に行くのかというとそうではないようです。

「自分は死んだ。これから霊界へ行くぞ」という自覚、悟りがある人は自分から幽界霊界と進んでいくのですが、そうではなく、現世に未練がある人は、火葬場に近づいたり、自分の家に入ってみたりして、霊界の入口をうろうろすることになるんですね。

霊界に旅立つ前に、いろいろとあちこちさまよい歩く(といっても霊体だけになっているわけですが)のが許されているのは死後、五〇日の間だけです。五〇日が過ぎたら強制的に幽界へ連れていかれることになります。今でも四十九日の法要をやりますが、仏説ではこの四十九日目に閻魔大王(えんまだいおう)のお裁きを受けるとされています。でも実は本当に閻魔大王の裁きにあって霊界の行き先が決まるんですね。

でも、自分が死んだことに対する自覚、死んだ後の悟りが早い人はこの限りではなく、死後、すぐに自分から進んで天国界や地獄界への一番最初の入口となる「幽界」へと旅立つ人もいるのです。

死んでから幽界へ行くまでの五〇日間は現実界にたとえるなら、裁判所から「五〇日以内に出頭せよ」と命令されるのに似ています。ある程度名残を惜しむのはしょうがないにしても、それは最長で五〇日までしか許されないわけです。この期間が過ぎると、半強制的に幽界の庁に連れていかれます。

それでも頑固に、あの世=霊界へは行かない霊を「地縛霊」「浮遊霊」というのです。この二つをまとめて「幽霊」と言っていますが、幽霊とはつまり、霊界の法則に違反して化けて出る霊なんですね。

普通、死後四十九日目に法要を営むんですが、このとき死者は、霊体になっていますから、霊体の眼から、その法要を見たり聞いたりして、「やっぱり自分は死んだんだな」と自覚を深めて、認識を新たにして、霊界へ行く覚悟を決めるのです。ここに、最初の法要である四十九日の法要の意義があるわけなんですね。

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tag : ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊界 幽界 四十九日

(深見東州先生は、世界中に愛をワールドメイトのリーダーです。また、半田晴久のお名前で様々な創作活動・福祉活動をしていらっしゃいます。)

霊界、っていうと、この世とは全然別の世界のことのように考えている人もいますが、実は、霊界って今現在の私たちと一緒に存在しているんですね。

こういうと、どういうことかなーと思うでしょうけど、実は「私たちが心の中で思い描いていること」=「私たちが抱いている想念の世界」が霊界(の一部)なのです。

ですから、同じ部屋の中にいて、天国界の心を持つ人と、地獄界の心を持つ人とが一緒にいることができるという点、これが、この三次元の「現世」の興味深いところなのです。

そして、私たち一人ひとりの想いの世界が霊界を作っているので、同じ想いを持つ人ばかりが集まると心地良く感じたりするのです。波動が近い人たちが集まっているからですね。

実際に肉体を脱いで霊界に行く、即ち、想いの世界の中に、自分が意識体になって入っていくと、同じ想いの人たち(=同じ意識水準にある、他の意識体たち)と寄り集まることになってしまうようです。つまり、霊界では、周囲の人たちは自分と同じような意識を持つ人ばかりになるのです。

ところが、現世では、自分よりも優れた人もいれば、劣った人もいて、どちらも、自分の生き方や心の持ち方=想念の持ち方を点検するのに役に立つのです。

だからこそ、この地上に生まれてくることが、修行の意味を持つのです。

しかし、同じ波動や近い波動を出している命(いのち)、生命体は、互いに引きつけ合うので、天国波動を持っていて、かつ発散している「明るく楽しく前向きで積極的で発展的な」男性は、普通は同じように「明るく楽しく前向きで積極的で発展的な」女性を無意識に捜し求めてしまいます。

逆に、地獄波動を出している「暗く苦しく後ろ向きで消極的で退廃的な」男性は、やはり、同じヴァイブレイションを感じさせる「暗く苦しく後ろ向きで消極的で退廃的な」女性に親しみを感じるのです。

つまり、私たち一人ひとりの想念のあり方が、異性運、対人関係運を左右している、ということですね。

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tag : 世界中に愛を ワールドメイト 深見東州 半田晴久 霊界 ご縁

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